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第二章 王子殿下の悪徳
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しおりを挟む夜会に行くためにはドレスが必要だ。
だが、私はドレスなんてろくに持っていないし、持っていたとしても皆からダサいと言われるような代物だ。
サガル兄様の隣に立つならば、相応しい服装でなければならないと思う。
当然の顔をして私の部屋にいるイルとリュウにそのことを相談した。
二人はそれぞれ違う反応を示した。
イルはそんなこと俺に言ってどうするんだよという批判の眼差しを向けて来た。
一方リュウは目を輝かせて、どの店がいいかとパンフレットを広げ始めた。リュウはファッションが好きなのかもしれない。あるいは人を着飾らせることが。
今日は黒シャツに赤いタイ、白いベスト。そして黒いズボンに金色のベルトをつけている。正直私の目から見ても垢抜けている。自分の魅せ方を熟知しているのだ。
「王都には俺が贔屓にしてる店が沢山あるんだよねぇ。どこがいいかなぁ」
「リュウは服が好きなの?」
「こいつの場合、着飾るのが好きなんですよ。フォードじゃあうまく隠してたようですけどね」
「まあね。フォードは結界の問題で入るのはともかく出るのは厳しかったからねぇ。着飾りすぎると周りの貧民から反感を食らうしね」
フォードの出入りか。
そういえば、確かにあの学校から外にあまり出なかった。
夜会も出来る限りフォード内で行われたし、あの学校内だけで完結していた。
あの学校は天候を操る特殊な仕掛けが施してあった。神聖な場所だとされていたからだ。
いつも晴れた学校だと思っていたが、レゾルールに来てみると、異質な場所だったことがありありとわかる。ここではよく雨が降るし、曇りの日も多い。
出入りが多くなかったのもリュウが言う通り結界のせいだろう。
「そのかわりモニカをよく着飾らせていただろ」
「モニカ……? ああ、あの貧民の女ね。たまにだよ」
……モニカが私の服を合わせていたのは、リュウの影響だったのだろうか。
「モニカも報われない。ほんと、どうしてこんなやつのこと好きになったんだか」
「モニカもこの学校に来てるの?」
「そうですよ。でも、どうせまだ会ってないんだろ」
「会う必要あるわけぇ? もう利用価値ないんだし」
「……女の敵」
「なんか言ったのはこの口? ほら、伸ばしてあげようねぇ」
リュウに頬をつかまれ、横に伸ばされる。
ありえない! 不敬過ぎる!
だいたいイルの言う通りモニカが可哀想だ。真摯に慕ってくれている彼女に対して、対応が雑すぎる。心がなくとも誠実に対応すべきではないのか。
マイク兄様に言われたことを思い出す。……リュウを責められないかもしれない。私もまた、ギスランに対して誠実に向き合っているとは言えない。
「リュウ、お前胴体と首を切り離して欲しいの?」
「出来るものならやってみなよ」
「出来ないと思ってるの? へえ。剣奴の本気、見せてあげよう」
「暴れるなら部屋の外でやって」
というか夜会について話が一向に前に進んでいない!
不安がる私とは裏腹に、二人は命令通りに外に出て行った。あいつら、相性悪いのかそれともいいのかよく分からな過ぎだ。
幸い、今は二人の監視の目がなくなった。
リュウに同行を頼みたかったような気もするが、気のせいだ。イルに喧嘩をふっかけたり、私の頬を許可なく引っ張ったりする奴に頼みたいことなどない。
部屋を出て侍女を呼び、馬車を頼む。
レゾルールは基本的に王都に行って買い物をする。フォードで起こった事件のこともあり、レゾルール内に仕立て屋や宝石商を呼び寄せるのは危ないと入場を制限されているのだ。
王都に一人で出るのは初めてだ。
興奮と緊張に指先がぴりつく。
廊下に出ると、イルとリュウが中庭向かって歩いているのが見えた。二人ともばちばちと睨み合っている。
どっちが強いんだろう。少し疑問に思ったが、それよりは見つからないように馬車に乗るのが先決だと思い、好奇心を押し殺した。
動こうとした時、ずきりと頭の奥が痛んだ。
偏頭痛だ。この頃多い。雨が続くせいか、たまにぼーっとして何も出来ない時間もある。
気を引き締めるために頬を叩いた。
四頭の馬が俊敏に駆けると馬車のなかも同じように跳ねた。腰がじんじんと痺れている。
「馬車に乗ったのは久しぶりだ。楽しいね、お姉さん」
隣に座って私に寄りかかって来ているのは、テウだ。
レゾルールを出るときに、貧民の女に襲われているところを目撃してしまった。たまらず助けた。
服ははだけ、ズボンもベルトが外れていた。間一髪だったが、テウはだるそうに私を見ると、奴隷にしてくれる気になったんだと笑った。
流石にあのまま放置するわけもいかず、暇ならば付き合いなさいと軽率に誘ってしまった。
あのままだったら貧民の女に襲われていたにもかかわらず、テウはそれが俺の今の階級だからと拒む様子はない。
破滅願望でもあるのか、自己評価が限りなく低いのか。ともかく、見捨てておけなかった。
それに、相談する相手も欲しかったことだし。
それで一緒に馬車に乗り込んだはいいが、さっきから肩が密着している。距離感がない。
「近い!」
「え? 奴隷と主人の距離はこんなものだよ」
「私とお前の距離としては適切じゃないの! だいたい、お前は奴隷じゃないし、私は主人でもないわ!」
目の前にある座るための台に飛び移る。
テウは不思議そうにしながら、腰を浮かしてこちらに来ようとした。
「待って。座って。この距離で話しましょう」
「体温が感じられないからやだ」
「いやいや、おかしいでしょう。普通、男女はあんな距離で話をしないわ」
「カルディアが何も知らないだけ。普通はもっと近いよ」
……不穏な気配を察知した。何も聞こえなかった風を装って、首を振る。
「ともかく、私はこの距離がいいの。駄目?」
「……分かった。それで今からどこにいくの。娼館? だったらいい場所を知ってるよ」
「こんな昼間からそんな場所行くわけないでしょう!?」
というか、テウは娼館に行っているのか。
無気力でされるがままになっているから勘違いしそうになるが彼は貴族なのだ。
「昼からの方が興奮しない?」
「しない! というかしたくない! 聖歌を歌って心を落ち着かせた方がいいわよ」
「女神様だって、セックスしたいと思うけど」
「げほげほ……! はあ? はあ!?」
信じられないが、テウの口から出た言葉だ。
言葉に形があるならば丸めて窓から外に投げたい。
「エウヘメリズム。古代の哲学者が唱えた神の在り方だよ。曰く、勇者だったり、王、王女のような偉人が神として祀られて行ったのではないかという説。俺はおそらく、神の成立はそうだったのだろうと思ってるんだ」
「女神カルディアを信仰していないということ?」
「違うよ。ただ、女神は超常的な存在じゃなくて、俺達と近しい、ほとんど変わらない存在だったって思ってる。だから、女神にだって性欲あるよ」
テウは楽しそうに笑って私の横に結局は腰掛けた。
「駄目?」
「娼館には行かない! そもそも私は服を買いに行くのよ」
「へえ。普段着? 夜会用?」
「夜会用。今度王都で男爵夫人が夜会を開くの。それに行くためのものよ」
「俺がお姉さんに送るよ」
髪の毛に指を通される。くんくんと臭いを嗅がれていた。
驚きすぎて振り払うことすら出来ずに固まる。
「リジーに行こう? お姉さんの柔らかな肌がもっとみたいな」
そういうとテウは髪を触っていた手を移動させ、今度はドレスの上から膝小僧を握られた。
「お姉さんの柔らかい陰部に噛みつきたい。ふふ、全裸にしていいことをしてあげようか?」
「いい!」
近くに寄ると危険だ。いや、危険どころの話ではない。馬車から突き落として道に置き去りにしたいぐらい破廉恥だ。二度と密室で二人っきりになるものか。
「お、お前、こういうこと、さっきしたかったの!? じゃあ、邪魔して悪かったわね!」
距離を取りつつ、早口でまくしたてるとおかしいことでも聞いたと言わんばかりに首を傾げられた。
「顔が汚かったから抱きたくなかったよ」
「な、な、ななな、な」
「あはは、お姉さんってば変なの」
あー! もう、一度だって、テウのことをいい奴かもしれないと思った私を殴りたい。なんだこのふしだらで不躾な生き物は!
「人間なんだから、好みはあるよ。あんな気位だけ高い奴の相手をするなんて冗談じゃない。……けど、最底辺な人間はそれを甘受しないといけない」
「……そんなの、無視すればいいじゃない」
「それは無理だって分かってるのにそんなこと言うんだ。姉さんはずるいなぁ」
テウの声は非難するような低い声だ。それなのに、彼は笑顔浮かべて私を慈しむように見つめている。
言動の不一致に体が震える。一緒にいるこの男は、どんな人間なのだろうか。
姿が真っ黒で塗り潰されている。仕草ひとつひとつからどうにか情報を得ようとしてるのに、何一つ掴めない。
いや、分かるはずだ。
テウの発言は一般的な貴族のそれと意味は同じはずだ。
でも目の前にいるテウはまるで深い谷の底にいる生物のようだった。深い穴のなかで、瞳を煌めかせる恐ろしい化物。誰もその姿を間近で見たものはいないのだ。
「この国で階級は絶対でしょ? そして、学校の中では、その階級を自分の手で変えることができる。だからこそ、俺は適応出来ずに塵芥のような存在に落ちる」
テウは抗う気がないようだった。レゾルールの階級制度を嫌悪しつつも、受け入れている。
ライドル王国全体で適応されている階級制度よりも、レゾルールの規則は個人の実力が尊重される制度だ。
それを喜ぶものは多いだろう。特に貧民や変民の人間は歓喜したかもしれない。才能さえあれば一つ上の未知の世界にのし上がることが出来る。
だが、それは私のような人間にとってみれば、悪夢でしかない。下に落ちることしかできないのだ。もともと、自分の階級をうまく演じることが出来ない人間なのだ。すぐに引き摺り落されてしまうに違いない。
「でも、塵屑のように扱われるのも悪くはないよ。慣れてしまえば、冷静にみることができるようになる。詰ることばも、気持ち悪そうに見つめる瞳も、ひとつひとつを愛せる」
「それは、慣れではないでしょう。心が摩耗している証拠だわ」
「それがなぜ、いけないの」
つらいことをつらいと言えなくなってしまったら、テウが壊れてしまう。
サラザーヌ公爵令嬢ときっと同じだ。つらくないと自分に暗示をかけ過ぎた結果、少しの衝撃で自分自身が壊れてしまう。あとかたもなく、粉々になって自分すらなくなってしまうのだ。
「お前が壊れてしまうから」
「壊れるならば、壊れてしまえばいいんだ」
うっとりと熱がこもった瞳をとろんと蕩けさせ、テウは笑った。
「人は壊れた方が美しいものだから」
ずっと昔にテウは壊れてしまっていて、ここにいるのはその残骸ではないか。
残骸とは会話をすることが出来る。が、それはただ会話が出来るだけで本当のテウはもう既に取り返しのつかない崩壊を迎えている。そんな破滅的な結末が頭の中に浮かんできた。
助けたいという気持ちと、もう手遅れだという気持ちが相対する。
どうすることもできずに私は、眉を顰めながら馬車に揺られた。
仕立て屋リジ―が見えてきたのは、それから数分後だった。
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