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第一章 夜の女王とミミズク

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 首は重かった。両手で抱えなければ落ちてしまう。
 露出した骨にはひびが入いっていた。
 血が断面からこぼれてぼたぼた服につく。
 そうだ、首を繋げればもとに戻るかもしれない。半分骸骨で生きて来たのだから、もしかしたら戻るかもしれない。這ってギロチンの台に置かれたイヴァンの体を滑らせる。首のない死体は体を少しずらすことにだって力が必要だった。
 切り口をなぞって一生懸命繋げる。けれどどうやってももとには戻らない。
 手を離してしまった。決して離してはいけなかったのに。
 私が殺した。
 あの女のように、人を殺してしまった。

「試練は果たされた」

 死に神は私と同じように腰を下ろしていた。

「なぜ、嘆く? 人を殺しても死後に罰せられることはない。特にこの男はもう死人も同然であった。むしろ殺されることがこの男の悲願であったのに」

 指でイヴァンの頭をつついている。そうではないのだと首を振ることしかできなかった。

「ここにやって来た時はこいつ泣いていた。償いもせずにのうのうと意地汚く生き抜いてしまったと。さめざめと泣くものだから、慰めてやらねばならなかった」

 死に神は邪魔そうに髪をかき分けて私からイヴァンを取り上げた。

「どんな因果から俺のところに堕ちてきたのかは知らない。だが、生真面目な男であった。俺の眷属になったとき、それらしく振る舞おうとして書物を探していた。俺に見合う男になると意気込んでいた。ここにはなにもないというのに。やがて心が病み、この頃はろくに顔も合わせてはいなかった。お前を連れてきた時、ああもう心を決めたのだと思ったよ。死ぬ覚悟が出来たのだと」

 死に神は頬に甘く口付けた。

「安らかな顔は初めて見た。まるで眠っているようだ」

 死に神は目を細めて呟くとイヴァンの頭を私に差し出す。受け取るのを拒否していると、はなおとめと死に神が私を呼んだ。

「地上にお帰り。もうここに来てはいけない。俺のことも忘れてしまうとよいよ。これを水葬しておあげ。埋葬はかわいそうだ。罪人と謗られた男にしては、善良だったのだから」

 イヴァンを押し付け、死に神の手が私の目を包んだ。氷柱が刺さるような冷たい手であった。とたんに四肢が弛緩していく。崩れ落ちそうになりながら、死に神の服を掴む。

「ではね、はなおとめ。人は賑やかで騒がしく無粋で下品だ。けれど、それだけで、生きているだけで、愛おしい」

 それでもと、死に神には悲しそうに呟いた。

「すぐに死んでしまうのだ。俺を置いて行ってしまうのだ」

 俺と一緒に居てくれるものはいないのだ。
 死に神の声が消えていく。意識があやふやになっていく。最悪の思い出を胸に、自我が溶けていく。
 人が死んだ。人を殺した。どうして、私が殺さなくてはならなかったのだろう。どうして死に神は私に殺させたのだろう。
 胸を掻き毟りたかった。神を呪いたかった。
 酷い仕打ちだ。私が何をしたというのだろうか。




 痛みの中をもがくようにして覚醒する。
 関節が悲鳴をあげるように鈍痛を起こす。
 まぶたは重りのようだし、耳には変な音がずっと鳴っていた。口を開けようとするだけで乾燥した唇の皮が歯にあたった。
 指を動かすと生温かいものに触れることが出来た。一瞬にして思考が凍りつく。これは、イヴァンの頭ではないのだろうか。
 だが、その疑念はすぐに解消された。
 手をとられ、両手で包まれる。
 吐息が顔にかけられた。重いまぶたを開き、薄目で確認すると、安堵の様子で覗き込んでくる、美男子がいた。
 サガル兄様。
 兄様の容姿は全てを超越する。痛みを発していた体も、耳鳴りも、かさついた唇も、美しい顔が近くにあるという事実だけで沸騰した頭にはなにも感じなくなっていた。
 サガル兄様がこんなに近くにいる。
 心臓が高速で跳ねる。指の先から徐々に熱くなり、震えが走る。

「カルディア!」

 感極まった様子で兄様に抱きつかれた。コロンのいい香りがする。兄様は匂いまで完璧だ。
 顔を持ち上げられ、幸せそうにはにかまれる。
 うわっ、寝起きにこんな顔を見せられたら卒倒しそうだ。それぐらい、至近距離の兄様は破壊力があった。

「痛いところは? 気持ち悪くない? ――ああ、起き上がらないで。清族を呼ぼう。お前はここで休んでいなさい」

 そう言うとサガル兄様は室内から出て行ってしまった。
 ここ、どこ? 
 見渡してみたが、見覚えはない。こんなところ、学校にあっただろうか?
 だんだんと記憶が組み立てられていく。地下に潜って、リスト達が落下してきた。あのあと死に神と出会って、イヴァンを殺した。
 生々しい映像が頭のなかで形作られる。
 あれは夢? それとも幻か?
 服を確認する。地味な色のドレスに着替えていた。サガル兄様が着替えさせくれたのだろうか。
 どこにも血はついていなかった。
 室内には清潔感があった。寝台の隣には大きな窓があって、寝ていても外が見えた。
 起き上がり、ふらふらの状態で窓に近付く。
 見えるのは、緑の芝生が生い茂っている噴水のある公園だった。やはり、見覚えがない。
 学校の外にあまり出ないこともあり、王都であっても知らない場所の方が多い。
 公園の前には門があり、馬車で入ることも可能なように石畳で作られていた。窓をなぞりながら、ぼうっと外の景色を見下ろす。
 ギスランとリストは無事だろうか? ハル達はこちらに帰ってこれた? あのあと、学校はどうなったのだろう。
 いろいろな問題が頭の中に出てくるが、全て私の妄想だったのではないだろうかという思いが強くなる。
 けれどサガル兄様の存在がそれを否定する。学校での惨劇はあったのだ。だから、サガル兄様がここにいる。
 もやもやとした感情が湧き上がり、がんがんと拳を窓枠に押し付ける。どうしよう。沢山の人間が死んだ。
 これはまた私のせいだと揶揄されるのだろうか。
 それは嫌だ。私は何もしていない。
 最初に浮かんだ言葉に自分の業の深さを感じた。哀悼の意を唱えるわけでもなく、まず責められるのは嫌だと思うだなんて……。
 それだけではない。私は人を殺したのだ。イヴァンの首を刎ねた。私は死刑執行人ではないのに。その権利はないのに。
 イヴァンの言葉が蘇る。どうして罪人を処断してしまえるのか……。
 イヴァンの頭はどこに行ったのだろう。
 証拠を消さなければという浅ましい気持ちが先に立つ。自分の汚さに悪寒がして来る。

「サガル様! 少しはお休みになりませんと。もう三日は眠っていらっしゃらないではありませんか」
「お説教はあとにして。やっとカルディアが起きたんだ」

 二人の声が近付いてくる。一人はサガル兄様の声だが、もう一人の声には聞き覚えがない。中性的な声色だ。少女のようで、少年のようにも聞こえる。
 扉が開く音がした。億劫になって、振り返らなかった。

「こら、カルディア。起き上がってはだめだろう」

 サガル兄様が困惑した声色とともに私の顔を覗きこんできた。
 首を曲げてその視線から逃げる。不細工な顔をしていたに違い。そんな顔を見られたくなかった。

「……すまないけれど、少し部屋を出ていてくれるかい?」
「あら。サガル様、行ったり来たりさせないでいただきたいのですけれど。こっちだって暇ではないのですし」
「用が出来たらまた呼ぶよ」
「もう。清族は便利屋ではないことだけ知っておいてくださいまし」

 扉が閉まり、足音が遠のいていく。
 誰だったのだろう。兄様の知り合いの清族。
 口調から女のようだったけれど。顔を見ていないから、よく分かりはしなかった。
 足音が完全に消えるとサガル兄様は窓に寄りかかった。
 陶器のような白肌に太陽の光が差し込む。
 じゅうと音が聞こえた気がした。押し込むように座らせる。
 サガル兄様の頭が窓枠を擦る。
 サガル兄様は幼少期の頃、太陽の光を浴びると肌が爛れた。そのせいで伝染病に罹ったと思われて、隔離されたのだ。

「カルディア?」
「ご、ごめんなさい」
「……ああ、もう爛れたりしないよ。でも、太陽の光を浴びると確かに痛いかな。ありがとう」

 優しく微笑まれ、力が抜ける。
 背中を宥めるように背中を擦られた。背中から温かな気持ちがふあっと流れ込んでくる。
 気遣いが胸に沁みた。

「落ち着いた?」
「……はい」
「ここで座るの辛くないかい? ベットまで運んであげようか」

 首を横に振る。これ以上、迷惑はかけたくなかった。
 サガル兄様は微笑して、わかったと頷いた。

「そうか。なら、僕も少しだけこうしていようかな。こうやって、小さくなっていると童心にかえって楽しいね」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいは禁止だよ。僕と一緒にいるのに、恐縮されてはつまらない」
「ごめ……うっ」

 額を弾かれた。
 手で額を擦ると悪戯が成功した子供みたいに楽しそうにくすくす笑われた。

「兄様……!」
「サガルでいいよ。同い年なのに、兄様って呼ばれるのは嫌だな」
「……サガル」

 リストやギスランの前なら言えるのに、本人を目の前にすると途端に緊張して言えなくなる。
 サガルと口にするたびに、背徳的な感情に蝕まれるのだ。兄ではなく、美しい青年と睦みあっているような甘酸っぱさに陥る。それでいて、容姿も性格も立場も釣り合わないと分かっているから、だんだんと自己嫌悪にはまるのだ。

「なあに、カルディア」
「……ここはサガルの邸宅? 王都なの?」
「王都だよ。中央公園の前」

 王都の中心部には、公共の公園がある。夕方には閉じられる国立の公園だ。その公園の前にサガル兄様が邸宅を持っていたことを始めて知った。

「サラザーヌ公爵から買い取ったんだ。かの公爵は息子の医療費のために物入りだったからね」
「サラザーヌ公爵は」

 目をぎゅっと閉じて悲惨な死に際を脳内から追い出そうとする。
 サラザーヌ公爵令嬢を殺そうとして、助けた。移りゆく人の感情を象徴するような混乱を伴う人だった。
 ああとサガル兄様は目を細めて沈痛そうな顔つきをした。

「死んでしまったときいたよ。ミッシェルを庇ったのだと。分からないものだね。嫌っていたと思っていたが、違ったらしい」
「……そう、ですね」
「ごめん、お前は目の前で食われたところを見たのだったね」

 髪を撫でられ、励まさられる。
 指先に魔法が灯っているかのように、だんだんと胸が軽くなる。

「お前はどれほど覚えているのだろうね。あの学校での出来事を」
「……よく、覚えているわ」
「そう。ではどうして聖堂に倒れていたか、分かる? なぜ生首を抱いていたのかも覚えている?」
「それは……」
「君はうっすらと目を開いて涙を流していた。男の首を守るように丸まって、屍の山に埋まっていたんだよ。見つけた瞬間、心臓が止まった。死んでいるみたいだったから。生きている心地がしなかったんだよ?」

 私は地下からあの死体だらけの聖堂に戻って来たのか。イヴァンの頭を抱いて。
 唇を噛む。ごめんなさいと口に出してしまいそうだった。

「サガルが来てくれたの?」
「うん。本当はカルディアを迎えに行く役目は他の人間に任せるつもりだったのだけど、どうしても僕が行きたくなってしまって。もっとはやく行けばよかったね。そうすれば、少しは死んだ人間も少なく済んだかもしれない」
「死人がたくさん出た?」
「……そうだね。あまり、告げるべきではないことなのだろうけれど。詳しく、知りたいかい?」

 サガル兄様の顔は出来れば聞いて欲しくないし言いたくないというように苦悩を帯びていた。
 逡巡を心の中で繰り返す。知りたいのか、知らなくてはいけないのか。リストならば知るべきだと言うだろう。ギスランならば必要ないと教えもしない。
 唇を噛んで、苛立ちを紛らわせる。
 選択肢を提示され、撰び取る。誰もが当たり前のようにやっていることに躊躇する。
 だって、この先は惨劇だ。恐怖小説以上の生々しい実話だ。それをきいたら私はまた謝り続けるしかない。
 躊躇いに開いた口が知りたくないと形をつくろうとする。だが、ハルのあの燃え滾る憎悪の瞳を思い出して、口を閉じる。
 的外れな殺意だった。けれど、間違いなくその殺意を注がれるのは私だ。
 知らないことが多すぎた。下手に聞きかじり、分かった気になっていた。その先に待っていたのが、今回の多すぎる犠牲なのではないのか。
 ききたくないと駄々をこねる自分の感情を消し去さり、口角を上げて笑みをつくる。

「知りたい」
「わかった」

 耳にサガル兄様の唇が触れた。
 澄んだ声で震えないで。大丈夫だよとささやかれる。

「貧民や平民の被害が一番多い。痛ましいことだけど、顔が判別できなくなってしまった遺体もあった」

 それは、レイ族に食べられた人間達のことだろうか。
 血溜りを思い出し身震いする。地獄はあの場所に顕在していた。

「貴族の死亡者が出なかったのは僥倖だった。清族も、対処に当たった者達がいくらか重傷を負ったが命に別状はないよ」

 鳥人間の時のような被害は出なかったとサガル兄様は声を和らげた。

「ただ、軍人の被害は甚大でね。軍人の連れてきた使用人達も殺される始末だ。リストの策は空まわってしまったみたいだ」
「使用人達?」
「ああ。頭を噛みちぎられたような姿で発見されたよ。命の灯は蝋燭の炎のようにすぐに吹き消せてしまう」

 シエル達が従えていた彼らのことなのだろうか。
 動悸が止まらない。息切れがしてきた。
 逃げろと言ったせいなのか? 私の命令が、彼らに死を与えてしまった?
 喉の奥から、内臓が出ていきそうなほどえずく。だらりと歯の隙間から唾液がこぼれた。

「大丈夫?! やはり、カルディアには言わない方がよかったね。ごめん、もう、聞かなくていい」

 首を振って拒否する。あるのは使命感だけで、知らなくてはいけないという義務感は唾液と一緒に吐き出されてしまった。
 きっと、あとになって話は聞いていたのだと言い訳をするために、続きを促している。

「無理しないで。お前は長く寝ていたんだ。気が動転しても仕方がないよ。別の日に、教えてもらおう?」
「サガルの口から伝えてほしいの」

 睫毛が耳の先端に当たる。
 この部屋は広いのに、隅で寄り添うように二人だけが座っている。
 サガル兄様は私に嫌悪感を抱いているのだろうと思っていた。もう二度と小さい頃のようにかわいがってはくれない。
 けれど、実際には私のことを慈しみ、心配してくれている。そのことが嬉しくて、苦しい。
 そのような尊いもののように扱われる価値が今の私にはあるのだろうか。
 けれど、価値がなくてもサガル兄様の手を離すのは無理だった。彼の慈悲に縋り、まとわりつくことを考えていた。

「カルディア。僕はお前を壊したいわけじゃないんだよ」
「大丈夫」
「優しくしてあげたいのに。そうはさせてくれない。ひどい子だ」

 指先で唾液のせいで汚くなった唇をなぞられる。
 爪の先を押し付けられる。痛みはそれほどなかった。

「行方不明者も多い。サラザーヌ公爵のように跡形もなく食べられてしまった者も少なくないんだ。まるで蜘蛛の捕食のようだという話を聞いた。弄ぶように嬲られ、最後に一飲みにされるのだと」

 べろりと唇の皮を剥がれる。やはり痛みはなく、空気に唇が直に触れている感覚があるだけだった。

「今回の首謀者であるカリレーヌ嬢と空賊の首領であるカンドを捕まえられたと言っても、甚大な犠牲を出してしまったしね」
「カンド」
「知り合いなの?」
「い、いいえ。そんな男、知りもしないわ。……どちらとも生きた状態でよね?」

 カリレーヌ嬢の方は私が生きていたのだから、きっと生きていると思うけれど。
 イルが言っていた。カンドは自分が殺したのだ。

「そうだよ。空賊は片腕がなかったと聞いている」

 あのイルめ!
 どういうつもりであの時あんなほら話をしたんだ!
 ここにいたら、怒鳴っていたぞ。無駄に心配させて!
 ……よかった、とは正直あまり喜べない。カンドが生きていたとしても、遅いか早いかの違いだ。絞首刑が待っている。

「レイ族、だったか。あの男型の方は脱走して現在も捜索中だよ。王都の中心部に向っていなければ、よいけれど」
「逃げたの?」
「そうだよ。夜は無闇に出歩かないようにとお触れが出ているぐらいだ」

 レイ族に対してはどんな感情を浮かべていいのか分からなかった。沢山の被害を出した化物と畏怖すべきか、彼らは人間で、無理矢理食べさせられたのだと憤るべきか。
 逃げてよかったとも、逃してどうするんだと、二つの言葉が同時に浮かんでくる。
 男のレイ族を思い出す。白い髪は幽鬼のようだった。目は兎のように赤く、他は真っ黒だった。
 何度も謝っているように聞こえた呟きは本当はどんな意味があったのだろう。
 それに、あの女のレイ族の方も、いったいどんな経緯でああなってしまったのだろうか。

「カルディアはリストやギスランのことは訊かないね。二人のことはどうでもいい?」

 無心で考え込んでいた私をからかうように尋ねられる。
 最後に会ったのは、死に神と無理矢理引き離される前だ。二人とも血をだらだらと流していた。
 考えないようにしていたが、もしかして危篤状態なのだろうか。
 一気に血の気がひいた。二人が死ぬなんて、考えたこともない。

「危ないの?」

 サガル兄様は意味ありげに片目を閉じた。


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