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第一章 夜の女王とミミズク

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 自暴自棄になっていたサラザーヌ公爵令嬢を運び出したのは、ピエロの格好をした清族の男だった。彼は、子爵達を子犬のように追い払い、サラザーヌ公爵令嬢を抱えて、ざわつく貴族達の間を抜けていった。



 ギスランは、私をぐいぐい引っ張ってサロンから連れ出した。貴族達は、私達には構わず、ぺちゃくちゃと目の前で起こった娯楽の感想を言い合っている。
 リストを、という声を無視して、貴族宿舎を出た。道中、貧民達はいなかったから、皆、逃げおおせたみたいだ。
 外は、喧騒とは無縁とばかりに静寂が支配していた。貴族の寄宿舎から漏れるオーケストラの音が、空々しく感じてしまうほど。
 馬車が集まっているのか、遠くの方がぼんやりとほのかに明るくなっている。
 風が、髪をふわふわと浮かせた。夜の清涼な風が吹いていた。

「カルディア姫」
「リストを迎えに行かなきゃ」
「……駄目です」

 掴まれている手首が熱い。

「リスト様なんか、どうでもいいでしょう。それより、やるべきことがあるのでは?」
「ない」
「貧民に体を触られました。カルディア姫は痴女?」
「なぜ、そうなるのよ」
「だって、肌を触れ合わせるなんて、卑猥です」

 つんと顔を背け、頬を膨らませる。相変わらず、貞淑な淑女のようなことを言うな。さっきまで、残酷な笑みを湛えていた癖に。

「見ていなかった? 助けていたの。文句をいうぐらいならば手伝ってくれればよかったのに」
「なぜ、私が低俗な輩に救いの手を伸ばさねばならないのです」

 ギスランは貴族らしい嫌悪感を浮かべた。

「貴女様はおかしくなってしまわれた。貧民と好誼を重ねていらっしゃるとか? 平民の女どもと交流もあると。貴女様の手は私を撫でるためだけにあるのに、その手で、汚泥を啜るもの達を撫でるのか」
「お前、私に監視をつけていたの」
「監視ではなく、護衛です。森に入られた時は役立たずが見失ってしまったのですが」

 つまり、私の行動はほとんどギスランの耳に入っているわけだ。ということは、わたしが食事をとっていなかったことは筒抜けだったというわけか。

「なら、分かるでしょう。私が貧民を助ける理由が。彼らは決して、下等でも、害悪でもないわ」
「さて、どうでしょうね?」
「ああ、もう、言いたいことがあるならはっきり言えば!? ただでさえ、さっきのサラザーヌ公爵令嬢の一件、混乱しているのに! 苛々する!」

 癇癪を起こして、ギスランを睨めつける。
 感情が一気に爆発した。ヒステリックにわめき散らす。

「お前は、どいつにもこいつにも愛想を振りまきすぎなのよ! サラザーヌ公爵令嬢に私がどんなに屈辱的な思いをさせられたことか! お前、サラザーヌ公爵令嬢をたらしこんでいる自覚があったのならば、対策ぐらいしなさいよ……ちょっと、きいている!?」

 嬉しそうに笑うなんて、どういう神経をしているんだ。

「あの婚儀、いつから考えていたの? どうせ、お前が子爵を誑かしたのでしょう?」
「鳥人間の一件のあとから考えておりました。お茶会の日には、既に水面下で契約が成立していました」
「サラザーヌ公爵令嬢がかわいそう、とは言わないわ。貴族の政略結婚なんてよく聞く話だもの。ただ、今回、夜会で発表するのは、異例中の異例よ。あれでは、サラザーヌ公爵令嬢の面子が丸潰れだわ」
「子爵がどうしても衆人環視のもと、大々的に発表したいと言われましたので」

 嘘だな。こいつの邪悪な企みに決まっている。
 サラザーヌ公爵令嬢が気に入らない行動を取ったのだろう。期待していたのに裏切られたとサラザーヌ公爵令嬢に言っていたのも関係があるに違いない。

「後妻に迎え入れられるなんて、サラザーヌ公爵令嬢としては屈辱でしょうね」

 大四公爵の一つであるサラザーヌ公爵令嬢が、子爵の後妻になるなど、聞いたことがない。金で買われたと言われるのも無理はない。後妻におさまるというのは家が傾きかけているという証明だ。

「もう、この話はよろしいでしょう? 貴女様があの女の話をするだけでも不愉快ですのに」

 探られたくないのか、ギスランは私の髪を手櫛で整え始めた。ぶすっとしたままギスランを見つめたが、生娘のように照れるだけ。

「汚れた体は私が洗うとして」
「寝言は寝てから言ってくれる?」
「辛辣なカルディア姫も可愛らしい」
「こら、立ったまま寝るな、寝言を言うな」
「もっと罵って下さって構わないですよ」

 被虐趣味を発揮するな。全て寝言にするぞ。

「貴女様の甘やかな肌に触れた貧民は処断してよろしい?」
「頭がおかしいの? なぜ、逃がしたと思っているのよ」
「顔は全て記憶しておりますので、全員、斬首にします」
「人の話聞いていた? 助けるために逃がしたの! 助けたせいで死んだら、本末転倒でしょう」
「ならば、助けなければよかった」

 蕩けるような顔が一変し、鳩尾をつくような激しい目付きで睨み付けられる。愛憎を含む強烈な感情が紫の瞳に映し出されている。
 ギスランは、帰ってきてから凶暴な目付きをするようになったが、こんな気迫に満ちたとげとげした感情をぶつけられたのは初めてだった。息を呑み込む。

「どうして情などかけるのか。それほど、貴族が疎ましい?」

 貴族は、自分達より貧民を重用するのが許せない。ギスランも、貴族の一人だ。位の低い者になぜ慈悲を与えるのかと、憤っているのか。ギスランの瞳には、貧民がどのように映っているのだろう。言葉をかえさない獣か、泥のなかのたうちまわる虫か。
 ライドル王国は身分に支配されている。心も体も、平等とは程遠い。特に心は、身分という檻に閉じ込められている。鍵が紛失し、出ることはかなわない。

「カルディア姫、貧民を逃してどうするのです。例え逃げたところで、明日にはまたあのように餌食となる。貴女様が拒もうと、貴族は怒りを鎮めない」

 ぴんと閃いたものがあった。
 もしかして、貴族は貧民の逆心を恐れているのではないか。マリカ嬢の一件は、過剰な反応ではないか。見せしめのために貧民達を嬲っているのでは。ほら、貴族を置いて逃げると痛い目にあうぞ、と。
 貧民はまだ、諦めの境地にある。逆らっても無駄だ。唯々諾々と身分が高いものの言いなりになればいい。そう考えている。貴族は、この考えを捨てられ、刃向われることに恐れをなしている……?

「結局は死ぬまでいたぶられる者達だ。救済に縋り、いつかは貴女様を疎み始めるやもしれないのに。人とは軽薄ですよ。恩など返さない、むしろ、よくも助けたなと恨み始める。感情は表裏のように裏返り、子供の癇癪のように理不尽を突きつけられる」
「私が助けたいと思った、それではなぜいけないの」

 私が、自分の行動に責任が取れない子供だと言いたいのか、こいつ。

「後悔せぬ人間はおりません」
「後悔したところで、やったことは変わらないでしょう。ならば、受け入れるまでよ」
「そう割り切れるものとは思いませんが。まあ、カルディア姫の意思などどうでもいいのです」
「おい」

 私の意思を無視すると直接告げるとは何事だ。

「私が嫌なのですから。貴女様の慈悲が砕け散るのが、切なく、惜しい。私ならば、決して無駄にしません」
「貧民が無駄にすると決めつけるのは早計だわ。だいたい、お前は助けなど必要ないでしょう」
「それは、私が決めることでは? わたしはいつでも、カルディア姫の慈悲が欲しいと懇願しておりますのに」

 珍しく、粛々と、目を伏せて、私に顔を近づけてくる。

「正直に話してよろしい?」

 怯えたような仕草に、警戒しながら頷く。
 ギスランは震えを隠すように淡く微笑んだ。

「貴女様が貧民に手を貸している姿がおぞましかった。まるで、首を蛇に絞め殺されるように見えた。あのものの腕を斬り落とし、解放するべきだと、ずっと。サラザーヌ公爵令嬢のことなど、頭から抜け落ちそうなほど」
「そんなわけ、ないでしょう」
「貴女様を殺そうとするものは多い。私は、誰であろうとも、渡さない。決して、殺させない」
「死なないわよ、決して。……不穏なことを言わないで」

 ギスランは、心配性すぎる。どいつもこいつも私を狙っていると思っているのか。命を狙われたことはあるけれど、いつも心配していなくてはならないほどではない。
 それとも、ギスランが懸念するようなことがあるのか。
 くすぐる銀の髪を無意識に撫でようとした。そのとき、二人の男の声が聞こえてきた。

「おや、無粋にも、逢いびきを邪魔してしまったか? すまないことだ」
「なぜ、そう愉快そうに言うわけ? そもそも、恋人どものやり取りを邪魔するかと、嬉々と迫りよったのは、あんたじゃん」
「まあ、そうなのだが。しかたがないのでは。おれには、妻らしい方はいなかったのだし。やはり、妬ましい」

 聞き覚えのある声に、そっと視線を上げる。
 濁声の男は、シルクハットを杖で持ち上げながら、こちらに笑いかけた。相変わらず、仮面をしている。
 隣には、愛人役で踊っていた男がいた。やはり、彼もコバルトブルーの羽根がついた仮面をしたままだ。

「おや、やはり、お前達だったね、愛し子達。おれとお喋りしようか」
「ザルゴ公爵?」

 ギスランが、探るような声を出した。ザルゴ公爵は、清らかな髪をすくい上げ、首肯するように揺らした。

「まさか、死人が生きているはずが」

 ギスランは、目を疑うとばかりに首を振った。
 ギスランも、やはりこの男が似ていると思ったらしい。

「人とは蘇らぬものだと、誰が決めた」
「まさか、本物なの? では、なぜ、生きていることを隠していたの? まさか、死んでいなかった?」

 そんなばかなと思うのに、もしや、死んでいなかったのかという疑惑が消えない。いや、劇団の男が、演技している可能性もあるのだが、それにしても、似ている。姿見もだが、喋り方。抑揚のつけ方。寸分違わない。

「姫に関心を向けられるのは、快いけれど、隣の男が恐ろしい。こら、ギスラン。お前の姫には手を出さない。睨むな」
「……霊の類? それとも妖精の悪戯か。どちらにしろ、斬れば分かることか」
「相変わらず、過激がすぎる。お前は父に似ているよなあ。おれは、きちんとここにいる。生きているかと問われたら、困るのだが」

 男の言葉に困惑が深まる。どういうことだ。

「姫、疑問に答えよう。おれはきちんと死んだのさ。そして、奇跡によって蘇った。だが、死人に戸籍は持てぬだろう? おれは亡霊のように名もなく歩き回るのみ」
「どういうこと? つまり、お前はザルゴ公爵だと言いたいの?」
「さて、その問いは恐ろしきものだ。おれはザルゴ公爵か、だと? しかし、ザルゴ公爵は死んでいる。だが、おれはザルゴ公爵である。これは、意味のわからぬことよなあ」
「……意味がわからない」
「そう、この世は意味のわからぬことで出来ているのだよ。人が知覚できる世界など、一部に過ぎぬというわけだ。全能の神を模して造られたというならば、また別だろうが、我らは全能の神の死骸から生まれ落ちたまがいもの。全てを知る権利もない」
「……お前、役者? ザルゴ公爵を模倣しているわけではない?」
「そう思われる? ならば、そうかも。人は誰もが、誰かのまがいものだという。ならば、おれはザルゴ公爵ではなく、ただの劇団の男かも知れない」

 はっきり説明する気はないらしい。判断は任せるとばかりに、詳細を語ろうとしない。

「不審者か。警邏を呼び集め、捕らえましょう。尋問すればなにか吐くかも」

 ギスランが飄々と怖い提案をしてきた。
 劇団員が貴族を名乗っているとなれば、不敬罪として罰を受ける。ザルゴ公爵を名乗る理由は不明だが、貴族達を相手にして自分の演技力がいかほどのものか試しているのかもしれない。
 ただ、それでもやはり、彼はザルゴ公爵自身ではないかと思う。証拠はない。感覚的に、だが。

「それは困るな。おれは、ただ、ギスランに真意を尋ねたかっただけなのだが」
「真意?」
「ミッシェルのことだよ。あれだけ派手に彼女を再起不能にしたのだ。お前は、確か、あの子の家が傾きかけていると相談され、援助したのだろう? お前にも思うところがあっただろうに」

 ミッシェルーーサラザーヌ公爵令嬢か。

 ちらりとギスランを見つめる。鋼鉄のように冷たい顔をしていた。

「あの女の話はカルディア姫の前でしたくない」
「そこまで嫌悪する理由がわからない。彼女が何をしたというのだ」

 ギスランは怖い顔をして黙り込んでしまった。
 気にならないかと言われれば嘘になる。サラザーヌ公爵令嬢はギスランになにをしたというのだろうか。

「おれがギスランを尋問したくなってきた。しかし、それはやめておこう。やすやすとさせてくれるとは思えぬしなあ」

 やはり、楽しげに、男はにやついた。
 そういえば、この男、絵画を落札した。あれを、どうするつもりなのだろう。リストが言うにはあのオークションは魔薬の売買のために開かれていたはずだ。ならば、こいつもその魔薬を求めていたのだろうか。

「お前、あの絵画、どうするつもりなの?」
「ああ、落札した絵画のことだろうか?」

 ザルゴ公爵の『青い絵』シリーズは、『売られた娼婦』を含めて五つ存在する。それら全て、サガルのコレクションとして、彼のアトリエに保管されていたはずだ。サガルが寄付したみたいなことを清族の男が語っていたが、真相はどうなのか、分かったものではない。

「あれは、五つだからこそ意味を持つ。そう、つくった」

 智の深淵を覗き込んだような、冷静な声だった。

『売られた娼婦』『盲人の聖職者』『磔の醜女』『業病の盗賊王』『水に浮かぶ聖女』
 歴史の譬喩、現代社会の風刺、様々な憶測を呼んだが、ザルゴ公爵自身は決して言及しなかった。謎めいた連作だ。

「サガル様が勝手に譲り渡してしまったのでね。焦ったものだよ」

 そうだった。こいつら、サガルのお抱えの劇団員だったか。ならば、ただ絵画を買い戻しただけなのか?

「酔狂も、困ったものだ」
「酔狂?」
「サガル様は、どうにも、ギスランの奸計を知っておられたようだ。おれが『売られた娼婦』を買い戻すと予見し、譲り渡された」
「なぜ、そんなことを?」
「せめて、普通の男のもとに嫁がせたいと。おれはあの絵を買うために、金はおしまぬ。それを持参金とすればよいと考えられたらしい」

 サガルが、サラザーヌ公爵令嬢を慮っていた。その事実が、受け入れ難い。嵐にあったように心が荒む。

「結局、目論見は外れ、今宵の悲劇の演目にされたのだから、歯噛みされていようよ。少し、胸がすく」
「ねえ、不敬すぎじゃないの、公爵。サガル様に喧嘩売っている? 俺が買ってあげよっか?」

 黙り込んでいた男が、ぎろりと睨み付ける。サガルが揶揄されたことが腹立たしいらしい。

「なれば、おれに相談されるべきだった。おれの作品は、おれのものだ。誰の手中にあろうとね」
「……まるで、自分がザルゴ公爵のような口振りだ。公はリスト様に謀殺されたものと思っていたのですが」
「ぼっ!」

 謀殺!? リストがか?
 ギスラン、正気か?

「ふふ、その噂、本当に愉快。リストがどうしてそうなる! と頭を抱えて悩む姿が目に浮かぶ」

 ……発言が怪しくなっている。そうだ、ザルゴ公爵はリストに対して、いじめっ子のような態度を取った。困らせて、悩ませて、解決策を見つけたリストを褒めるのが至上の喜びだとばかりだった。

「あれはそんなに器用ではない。傲岸不遜だが暗躍出来ない性格だ。根っからの王族なのだろう。悪徳は知り得ても貪りはせず、享楽に浸っても身を滅ぼしはしない。騎士の高潔とは違った、傲然とした潔癖だからな、ダンとも折り合いが悪い」

 疑念が失せたわけではないが、私はこの言葉をきいて、この男はザルゴ公爵ではないかという確信を持った。リストの性格やダンのことを知り得る男は、そういない。演者風情が持っている情報ではない。
  サガルが吹き込んでいたとしても、こうも自然に語れないだろう。
 自殺は狂言で秘密裏に生きていたのだろう。政治的に死んだことにせねばならなかったのだろうか。あるいは、家督争いのために、殺されたふりをしていたか。

「ダンを知っているいるとは」
「もちろん、知っているとも。お前の母親のこともね」
「……」

 ギスランは、花が舞うよう、可憐な顔を見せた。だが、笑っているはずのに、全く笑っていない。謀殺してやるから覚悟しろよっていう凄むような気迫がある。
 つい、ギスランの裾を引っ張る。脅すのはだめだ!

「ギスラン! やはり、リストを呼びに行かなくてはいけないわ。ほら、お前ときちんと話し合いたいことがあると言ったでしょう?」

 ギスランの顔がこっちに向く。
 ザルゴ公爵がやってしまったなと言わんばかりに当惑した顔をしていた。

「ここで、リストを出すとは……」
「な、なに?」

 戸惑う私を、ギスランがぎゅっと力強く抱き締めた。首筋を、もう片方の手がなぞる。背筋にぞわぞわとした奇妙な感覚が走った。逃れたいのに、ギスランの締め付ける力に歯が立たなかった。

「カルディア姫、私は機嫌が悪い」
「は? 私の知ったことではないわ」
「貴女様のせいなのに? 先ほどから、リスト、リストと五月蝿い」

 リストを置き去りにしたのだから、心配するのは当たり前だ。様子もおかしかったし、気掛かりなのは普通だろう。

「私の侍従をリスト様へ使いを出しました。心配されずとも」
「お前のところの人間は有能なのか、暗殺者めいているのか、どちらにしても恐ろしいのだけど」

 いったいいつ、そんな指示をしたんだ、こいつ。

「それにしても、奇妙な男ですね? ザルゴ公爵に見える」

 ギスランは、小さく耳元で囁いた。

「やはり、お前もそう思う?」
「はい、妖精達もそうだと。祝ぎを告げている」

 清族の一部は、妖精を使役することが出来る。ギスランもあまり口にしないが、妖精を使役しているらしい。邪慳に扱っているという話をダンから聞いたことがあった。

「祝ぎを? なぜ?」
「よくは分からないのです。どうにも、妖精達にとってザルゴ公爵が生きているということは祝福に値する善事らしい」

 妖精か、見たことがないから、本当にいるか、今でも疑っている。ダンが言うには、人に似た大きさで、鳥みたいな姿をしているらしい。

「それに、隣にいる男、清族の血が混じっているようです。妖精どもが寄って媚びている」

 びっくりして、ザルゴ公爵の隣にいる男を凝視する。清族は基本的に近親相姦を繰り返す。血の濃ゆさが、魔術の練度に直結するからだ。また、王族や貴族の秘密を握っている場合が多いので、流出を防ぐため他の階級の人間と会話することを制限されている。
 そのためか、余所者を排斥する性質を持っている。
 この学校に秘密裏につくられた地下施設にこもり、ひたすらに鬱屈した研究を続ける清族達だ。ダンやピエロの格好をした清族はまだ友好的な方で、置物のように黙り込み、意思疎通が出来ない奴もいる。
 ギスランのように、混血児は稀だ。
 異端と言っていい。
 男は、踊っていた時に見せていた朗らかさを消し、不機嫌そうに口端を下げる。

「なあに、俺のこと見すぎじゃない? 俺が見惚れるほど美しいわけぇ?」
「お前、どこのものだ。清族が、なぜここにいる?」
「清族? はっ、俺が、清族に見えるって? そっか、見えるんだ、このうるさい奴ら」

 男は何もないところを手で払った。
 踊っている時と、常時の性格が違いすぎる。役になりきっていたということか?
 軽い衝撃だった。甘ったるい声には、粘着性の嫌味が紛れている。声だけでとげとげとした荒んだ性格が分かる。
 優しくハンカチを差し出してきた紳士はどこにいった。イルのような偏屈さがあるぞ、この男。

「そういえば、あんたの周り、気持ち悪いぐらい集まってるもんねぇ? 俺には視認できないだけでもっといそう。そんだけいると気が狂いそうにならない?」
「さっさと答えろ。家はどこ?」
「ギスラン、リュウは清族のものではないよ」

 リュウ?

「捨て子だよ、俺。親なんか、知らない。知っていたらぶちのめしてやれたのにさあ」
「……捨て子なの?」
「ありえない。お前、本当に? どうやって『乞食の呪い』を乗り越えたと?」

『乞食の呪い』?
 なんだ、それ。

「……サガル様に助けていただいた。あの方は、天使だから」

 サガルが天使なのはこの世の秩序の一つだ。
『乞食の呪い』がなんだか分からないぞ。
 ギスランは、深く縦皺をつくる。真実を探るような目をしていた。

「そんなことより、公爵。サガル様の指定した時間を二十三秒超過してるんだけど?」

 リュウは、胸ポケットから懐中時計を取り出して、ザルゴ公爵を急かした。

「おっと、サガル様が雷を落としてしまうな。愛し子達、残念だけど、もう行かなくては。また、お会いしよう」
「ちょっと、待って。まだ訊きたいことが!」
「焦らずとも、運命の糸は我々をとらえ、弄ぶ。サガル様にお会いになる覚悟を決めなさい。さすれば、我らも、またまみえる」

 優雅な足取りで、ザルゴ公爵は歩き出した。

「じゃあねえ。それまでいい子にしてなよ?」

 リュウが振り返り、幼児にいい含めるような口調で笑った。
 リュウ。その名前、私の間違いでなければイルが死んだと言っていた人間だ。

 ーーまさか、同姓同名の別人よ。

 だが、しっかりと頭の中である妄想が構築されていく。
 生きていたザルゴ公爵。ーーいや、蘇ったのだ。そして、死んだというリュウ。彼も、蘇ったのではないのか。
 幸せな空想だ。きっと、事実は違う。
 けれど、もし、死人が蘇れば。私の罪は消えるのではないの。

 ーー死者が生者となるさかしまな世界。
 ミミズクが言っていた。予言じみた言葉。

「行きましょうか、カルディア姫」

 ギスランは、私の手をひいて、歩き始めた。

 ギスラン、死人が生き返ると思う?
 リストと同じようなおかしなことを、今、考えていた。
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