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1章:最果て編
15 災厄の魔物リターンズ
しおりを挟む力が無かった。仇為す全てを退ける力が。
知識が無かった。防ぐ手立て、守る手段、要領のいい撤退……どちらかと言えばそれは知識ではなく知恵と呼ばれるものだと後で知った。
数が足りなかった。全部だ。何もかも。知る限りのあらゆる点で不足していた。
運も無かった。あの日あのときに限って言えば、この世に生を受けてからこれまで過ごしてきた中でも最悪の巡り合わせだった。
後悔だけはあった。けれど、当時を思い返していくら頭の中で対策を講じてみても、これといった方法は浮かばなかった。どの道結果は変わらなかったかもしれない。
何度吐いたか分からない溜め息をこぼす。
思考以外の全ての感覚が遮断された闇の世界で、どれだけの時間を過ごしたのだろう。時間の感覚すらも、もうまともに働いていないだろうか。
ここがどこかも、もう分からない。自分が何者かということも。
長い年月をかけて存在は欠け落ち、魔力すらももう僅かで、生きている心地は微塵もない。
失われた五感の中で手を伸ばす。この手は開いているのだろうか。閉じているのだろうか。腕はまっすぐ伸ばせているだろうか。
何も触れない。何も見えない。何も感じない。
きっとこれは、彼らに出来る最上級の――の殺し方なのだろう。もう――には――たる資格など無いというのに。
思うことは後悔だけ。いずれ来るそのときのことを考えると、何を思ったところで意味がない。
無いんだ。もう何も。――には、もう何も。
ただ一つ、魂の奥底に封じ込めたこれ以外には、選択の自由も、生存の理由も、存在すらも、もう消え去ろうとしている。
身体の感覚が消えてなお、湧き出る泉のように、大海の漣のように、止まない雨のように、これの脈動だけは感じる。
恨むよ、世界を。何も知らず――を封じ込めた人間を。――にこんな役回りを運命づけておいて救いの手も差し伸べない神の連中にも。
せっかくの――なのに、何でも出来る世界だった筈なのに、気が付いたら――にはもう何も無い。残ってない。
次は……たぶん無いんだろう。――は色々とやり過ぎた。後悔はあっても未練は無い。
――する理由がない。
ただ、ああ、でも、それでも。
もし、これが外に出ることになってしまったとしても。
この世界には消えて欲しくないと思う。
だって――は、この世界に生まれることが出来て幸せだったのだから。
せめて、――が滅ぶときは、独りで孤独に逝けたらいいのに。
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頭が痛くなって目が覚めた。
直前までなにか怖い夢も見ていた気がする。思い出そうとすると霧がかかったみたいにノイズが紛れる。
何かひどく後悔していたらしいことは覚えてる。それが後悔という言葉で表せるような感情じゃないってことも。
頭が重い。ちょっと吐き気もする。異世界に転生してから体調不良なんてほとんど訴えてこなかった身体だけにどこか新鮮に感じた。
生前はこんなのしょっちゅうだったのにね。体調がいい日なんて無いのが普通だった。
「どうしました……アコ?」
「ちょっと頭痛……」
お薬……は無いし病院なんてものもない。
あ、でも回復魔法はあるんだった。
適当に「“治癒”」とか唱えてみる。
……うん。痛みは消えた。頭が重い感じは続いてるけど。
「……ただの夢だよね」
不安になって塔の上へ飛んで上る。
アレスティアさんのテレパシーを繋いだときのように何かが混線してるのかと思って辺りに魔力を広げてみるけど……何もない。マップと参照しながら確認した。魔力的な現象は周囲三キロ四方には何も無い。
「アコ?」
「あ、ごめん。ちょっとね」
すっかり目が覚めちゃったのか、アリアちゃんが気になる様子で飛んで来た。ほんと、飛ぶの慣れてきたよね。
「変な夢見ちゃってね。内容はもう覚えてないんだけど……何か変なの拾っちゃったかなって。思い過ごしみたい」
「夢、ですか」
「ごめんね。寝直そっ――!?」
閉じかけたマップの端にマーカーが表示されたと思った瞬間、かなり遠くの地表から黒い光が飛んで来た。
これ――災厄の魔物の……?!
「アリアちゃん隠れて!」
「アコが隠れて下さい!」
「え……あ、ちょっと!?」
制止を無視してアリアちゃんが塔の外へ飛び出す。
「アコの魔力はすごいですが、戦闘なら私の方が慣れてます!」
「でもこれたぶん災厄の魔物――っ、ああもう話もさせてくれないのかな!」
アリアちゃんを引き留めようと思ってるのに黒い光が言葉を遮ってくる。
そうこう怯んでいるうちにアリアちゃんは地表すれすれを全速力で飛んでいく。
「待っ――待っとかんねて言いよるやろ!!」
確かに私は戦い方なんて素人だけど……相手は災厄の魔物かもしれないんだよ?
勇者なんて言われてるアレスティアさんが負けた相手なんだよ?
アリアちゃんを一人で行かせて無事で帰ってくる保証なんてどこにもない。
「アコの魔力を貰ってるんです……相手が災厄の魔物だろうと関係ありません!」
「戻ってよ!私がどうこうとか言ってないで!いいから戻って隠れてて!」
「アコが!戻っていて下さい!」
「お願いだから無茶なことはしないでって言った!」
叫んでも呼び掛けてもアリアちゃんは止まろうとしない。
黒い光を空中で飛び跳ねるように避けながら加速を続ける。
どうする……追いついてからアリアちゃんを連れ戻す?
だめ。連れ戻したってまた飛び出して行きそう。腕とか脚とか縛ったって飛翔の魔法があるから飛んでしまえばどうにでも出来る。
そもそもアリアちゃんを拘束する手段がない。紐なんてないよ。あったとしても簡単に突破されるのが目に見えてる。塔の壁だって吹き飛ばすぐらいなんだから。
どうする……どうしたらいいの。
徐々に黒い光が密度を増して数を増やす。当たったらどうなるかも分からないのに、がむしゃらに近づくアリアちゃんの逃げ場が次第になくなっていく。
とか思ってたら周囲を何本もの光で囲まれてアリアちゃんの動きが止まる。
この後どうなるかなんて簡単に想像出来る。
だから嫌だったんだよそういうとこだよ!
両手に魔力を集めて重ねてアリアちゃんの前に一気に加速して躍り出る。
「あとで――あとでものすごく怒るんだからね!!」
「待っ――これはちが」
魔力ごとアリアちゃんを掴んで、塔に向かって投げ飛ばす。
振り返ると目前に極太の黒い光の先端。
「――こ、のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
全身の細胞の隙間から何かが漏れ出すような感覚と共に手のひらを突き出して魔力を放った。
私の目の前で黒い光がぱっくりと裂けた。絶対に壊れない傘を差して滝に打たれたらこんな感じになるんじゃないかな、なんて思いながら前進が総毛立つ程に集中して魔力を放出し続ける。
はやく――止まってよ!
「――此度は仕留めるぞ」
不意に、背後で男の人の声。
そういえば、前回も背後から攻撃されたことを思い出した。
ただ、無言で殴りかかっては来ない。右手を引いて、明らかに力を蓄えて強力な一撃を繰り出そうとしている構えで、私を見ている。
「――なん、で」
まだ黒い光の攻撃は続いてるのにどうして後ろにいるのかという疑問を投げ捨てる。
災厄の魔物の、いかにも悪魔風の顔が、嬉々とした愉悦を浮かべていたから。
慢心して溜めを作ってる今この瞬間に何かしなければ――。
「何も言わず我等が魔王の礎となれ――」
右手に黒い光が凝縮されていく。
「――っ、――……て」
目の前の黒い光を防ぎながら背中に意識を集中する。
ピクリと、広げていた翼の中のたった一本の羽根が、災厄の魔物へ向けられる。
「奈落の海境へ沈」
「――“撃え”!」
羽根を飛ばす寸前に飛翔の魔法で、真下に向けて強引に身体を投げた。
黒い光の飛沫を浴びながら地表すれすれで制止する。
何が起こるのか不安を抱く前に顔を上げて、羽根の爆発と自分で放った黒い光に飲まれた災厄の魔物の姿を捉える。
災厄の魔物が死なないことは聞いた。復活することも、こうして実際に復活しているのも確認した。
手加減なんて無い。本気の全力で魔力を解放して、溢れ出る魔力を全部災厄の魔物に集中させる。
「――“集まれ”!」
アリアちゃんに魔力をあげたときと同じ感覚。
それを離れた距離から強引にやった。
一つ違うのは、私の魔力全部使ってることだけ。
乾いた音がして、黒い光が消えた頃には何も残っていなかった。
「――、……っ」
即座にマップを開いて確認。
周辺に生きている人の反応は……ない。
……ない。
「――終わった……」
全身から力が抜けてその場に崩れ落ちる。
何回やっても慣れないよ。誰かと戦うなんてこと。
「――アコ!?」
私があげた魔力が切れていたのか、アリアちゃんが自分の足で駆け寄ってくる。
アリアちゃんが涙目で飛びついてきたのを、私は飛んで避けてそのまま地面に押し倒した。
「え……アコ?」
「私あとで怒るって言った」
絶対に今言い聞かせておかないといけない。
「あんなこと二度としないで。戦わなくたって逃げればよかったの。危ないって分かり切ってるのに立ち向かう必要なんてないんだよ」
「アコ……ですが」
「死んじゃったらどうするつもりだったの。死んだ人を生き返らせる方法なんて私知らないんだよ?」
「でも……私はアコを、守りたくて」
「…………」
謝って欲しいわけじゃなかった。ちょっと叱るだけのつもりだった。
でも、言い訳のようにアリアちゃんが私を引き合いに出したのが……悲しくなった。
言いたいことがまとまらない。
別に怒ってるわけでもないのに、言うべき言葉が見つからない。
何を言いたくなったのか、途中で分からなくなった。
「……ごめん。もう休もう」
「え……、はい」
身体が重い。特にお腹の辺りが沈んだように重い。
歩く歩幅がやけに短い。歩く速度も、遅い。
なんだろうこれ。こんな感覚、今まで感じたことない。
「アコ――っ……」
アリアちゃんが何か言いたそうにしているのも無視して私は塔へ帰った。
ひどく疲れた筈なのに、朝まで寝付けなかった。
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