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1章:最果て編
6 胃袋、掴まれた
しおりを挟む暖かな日差し。瑞々しい草木とやわらかい土の匂い。現状での不満は、お肉を食べられないこととふかふかのベッドがないこと。
荒野なんて探したところで牛や豚のような動物はいないと思うから、真面目に考えたら畜産とかも始めないといけない。ベジタリアンでもやっていけると思っていたけど、健康的な身体って意外とカロリー消費がすごい。ん……健康だから動き回って余計に消費してるだけかな?
アリアちゃんは種族柄草食らしく特に食べたいとも思っていないみたい。むしろ禁止されてたりしないのって訊ねたら、人里にいた頃から草ばっかり食べて過ごしていたっていう話になった。地雷を踏み抜いた気がして冷や汗が出たけど、あんまり気にしてない様子で助かった。
あ、アリアちゃんってのはさっき友達契約したエルフの女の子。
結局、契約とやらは私の強引な魔力干渉でお札にもともと備わっていた機能が上書きされて主従ではなく友達という関係で落ち着いた、と言っていた。危ないところだったよね。
ちなみに、名前は訊き忘れてたか聞き逃しただけだと思ったけど、そもそも名乗ってすらいなかった。
友達契約したことですし名前を付けてくださいって言われて、頭に浮かんだ言葉を口にしたら喜んでた。笑顔が眩しくてドキドキした。
アリア――イタリア語で空気とかいう意味の言葉――の、はず。
意味も教えたとき「お前空気みたいな奴だなって?」なんて言われなくてよかった。
曰く――大気というものは不可欠です。そんな存在になれたら素敵ですね――って。
ごめんなさいそこまで壮大に考えてなかったです。単に語感とか響きとか個人的なかわいい感じで選んだだけ。思った以上にロマンチストなアリアちゃんが余計に眩しく見えたなんて言わない。軽いノリで名付けてしまった自分を恥じるばかりだよ。
「本当に素敵な名前を付けて頂いたのでそんなに落ち込まないで下さい」
外からアリアちゃんの声が聞こえる。そんなこと言われても落ち込んじゃったものは仕方ないじゃん。
なんで声が外から聞こえるのかって?
答えは簡単。私、引き籠ってます。
庭園内の水場の近くに簡易的な脱衣所を造って絶賛引き籠り中。
言葉を声に出せるようになってコミュニケーション自体は大丈夫になったんだけど、それとはそもそも別問題で人前っていう状況に慣れてない。
緊張して声が裏返ったり目が泳いだりまっすぐ目を見てお話出来ないんだもん。さっきは襲われてて緊急事態っぽい雰囲気だったからどうにかなってたんだと思うけど、何もないときだとこんなもんですよ。変わった気になったけど大して変わってない。
あー……薄暗くて狭くてひんやりした個室の居心地が控えめに言って最高。
「あの……気に障ったのなら言って下さい。なおしますから」
「アリアちゃんがなおすところなんてないよ。私が勝手に落ち込んでるだけ」
「そう、ですか……」
壁越しでお互いの姿が見えないから言葉がすらすらと出てくる。蝶番とか作れる見込みがなかったから扉もない吹き抜けの入り口。締め出してる訳じゃないんだけど入ってこない。
さっきは突然襲い掛かってきたアリアちゃんだけど、少しお話した感じで優しい人なんだなってのは十分に伝わってきた。
あんまり心配掛けたくないな……もうしばらくしたら出よう。
「それでは、しばらくしたらお迎えに来ます」
「うん。そっとしてあげて」
ちょっと沈んでいれば吹っ切れるかな。くよくよしてたって仕方ないもん。セーフルームだってまだ全然出来上がってないし、肝心の私が引き籠る部屋なんてほとんどイメージすらしてない。やらなきゃいけないことがあるのにだらだらしてるだけってのはよくない。
うん。だらだらするために環境を整えようって話なんだから、今だらだらしてたってほんとしょうがない。
ぼんやりとイメージを起こしてみる。
間取りは十八畳ほど。どうせなら広く、古き良き旅館のお座敷って感じがいい。フローリングでもいいけど床に寝そべるとき身体のあちこちが痛いんだよね。
壁とか天井もそれっぽくして、ついでに床の間とかあってもいいかもしれない。
縁側もよさそう。外に出る気はないけど。でも縁側まで造るんだったら外に庭が必要になるから……庭、庭……思い浮かばない。庭は後でいいや。
うん。イメージは出来てきた。
旅館の離れにある東屋風の部屋。風、というのは東屋と違ってちゃんと壁で囲うから。東屋風って言うとなんかおしゃれっぽくない?
となると、材料をどうにかしないとね。主に木材。流石にセーフルーム内の果樹を使うのは無理がありそうだし、ちょっと飛んで行って森とかを探してこないといけないかな。
どういうのがいいんだっけ。ヒノキやスギってこの世界でも自生してるのかな。しっかり建てるなら木の知識に強そうな人とかも呼んだ方がいいかもしれないけど……私、会話大丈夫かな。
と、なると、問題はお金かな。
タダで教えてもらえるなら願ったり叶ったりだけど、そうもいかないよね。専門職の人はそれで食べてる訳だし。それに訊いたら訊いたでビジネスチャンスだと思われて情報とか聞きだされそう。ここは世界の果てだし来れるとも思わないけど、そういう会話に私が耐えられる自信がない。
そんなことしないで一から全部自分でやっちゃえばいいような気がしてくるけど……うん、無理そう。木の良し悪しなんて分からないし木造建築の知識もない。
塔は……お母さんがDIYで花壇作ってたのを思い出して、なんとなくこんな感じかなってやった。耐震性とか耐久性は問題視するレベルで危険が危ないと思うけど魔法で固定しちゃえばいいかなって。THE・適当。ほとんど積み上げただけだしね。石と石の間につけるセメントみたいなやつも適当。
将来的にはちゃんとしたのを造り直そう。今度は横に広くドーム状に。どうせワープで入退場するから外観なんて誰も見ない訳だし。
さてと。やりたいことを考えてたら案外気持ちの切り替えが早く済んだ。
顔を合わせるのは緊張するけど、それも慣れていこう。最低でも面と向かって思ったことをちゃんと言葉に出来るようにはなろう。
「アリア、ちゃん……いる?」
外に出た途端に怯え腰。分かってはいるけど露骨にビビりすぎでしょ私!
周囲を見渡して、とりあえず目の届くところにはいないと確認。肩の力がすっと抜ける。
さて。それならどこに行ったのかな。
最初に発見したときは普通に入ってきてたから外に出てても不思議じゃないけど。外出する用事でもあったのかな。
「アリ――アリアちゃんー……?」
呼び掛けてみても返事はない。出掛けてるなら返事がなくて当然だし、寝てたりしたら起こしちゃうのも悪いよね。
それじゃ、黙って行くとしますか。
書置きとか残したいけどこの世界の文字とか分からないし。
あ、でも一応残しておこう。解読していれば暇潰しぐらいにはなりそうだし。
『ちょっと外へ出掛けてきます。自由にしていてください』
紙もペンもないから魔法で端材に刻んで残しておく。
願わくば汝が日本語マスターとならんことを。無理か。
さて。それじゃちょっと行って来ますか。
これは引き籠るために必要な外出なんだと言い聞かせて、飛翔の魔法を使った私は、飛びながらマップを開いて森を探す。
森……検索ワードは森林でいいのかな。あ、でた。
まずは人気がある森で検索しよう。追加検索で対象領域内の人口を降順っと。
一番人口が多いところで三百人ちょっと。ここからはかなり遠くてワールドマップの反対側。ん……反対側ってことなら逆に近いのかな。
地図を平面図から地球儀のような形にしてみる。
してみるって言ったけどそんな便利な機能が――あった。うわ便利。
予想通りワールドマップの反対側は意外と近かった。ここが名前のない世界の果てで、アセアナ大陸の北部。すぐ南にはイルグラント王国の国境線。未開の土地だからまだ国土として認められてないのかな。件の森は、このアセアナ大陸の東側にあるレデンヴァルツ大陸の同緯度に位置する島にあるみたい。同じ緯度なのにあっちは森があるんだ。環境とか全然違うのかな?
そう思って温度や湿度、海抜から標高まで表示して納得。何から何までこの世界の果ての荒野と比べて天国ですよ。常夏の天国ですよ。イメージとしてハワイが浮かんだけど、たぶんそんな感じのところ。
なんか観光地になってたりしてそう。にしては三百人って少ない気もするけど……今回は君子危うきに近寄らずってことで、人がいそうな森には近づかないようにしよう。
検索対象を切り替えて絞る。人口昇順、
お、近い。ここからまっすぐ南西のフォストレシアって森。人口は十四。イルグラント王国のほぼど真ん中に位置している。
距離で言ったら一万キロちょっとかな。いやでも……うん。全然大した距離じゃない。
だって、世界の果てまでだって飛んで来たんだもん。こっちの中央大陸のど真ん中辺りから。地球儀で確認したら惑星の反対側もいいところ。だから、大丈夫。行けるはず。
……ん? でも今行ったところで帰りは夜になりそう。
夜かぁ……明かりも無いから空から見たらどこに何があるのか分かんないよね。先に外灯作ってから行く? でも外灯……ガスにしても電気にしてもちょっとすぐには準備出来なさそう。
うん。やっぱり今日はやめておこう。いくらマップが見れるとは言っても真っ暗闇の中を飛び回る勇気はない。マップ上にマーカーだけ付けて踵を返す。
「……あれ?」
塔に戻るとアリアちゃんの姿が見えた。
何か準備をして……何か並べてる?
「おかえりなさい、アコ様」
私がおずおずと着地すると待ってましたと言わんばかりの笑みで迎えてくれた。
「様は、やめて……ね?」
もともと主従で契約するつもりの覚悟だったのか、最初に様付けで名前を呼ばれたときに即座にやめてもらうように言ったんだけど、うっかり出ちゃうのかな。
「あ……忘れてました。はい、アコ」
「……?」
手渡されたのは大きめの葉っぱ。
「そして、これを、こうです」
ずしりと乗せられたのは……え、あれ――これお肉!?
ほんのり漂ってくる焼き加減抜群の匂い。お父さんが贅沢して黒毛和牛を買ってきたときのキッチンの匂いを思い出した。
「え、これ……どう、きたの?」
「はい。外を眺めていたら見つけたので、狩ってきました」
まさかのお肉だ。荒野になんていないと思ったけど実はいたんですね。
これにお米があったら――。
「こちらも、どうぞ」
とか妄想してたら現物が出てきた。厳密にはお米じゃなくて似た感じの何かだけど。
そういえばセーフルーム内によく分からない種を撒いて放置してたような気もする。もしかしてそれかな?
「ありが、とう……?」
「どういたしまして」
感謝の言葉は自然と出た。ぎこちないけど。
でも、え。なんで? なんでって言葉しか出てこないよ?
確かにお肉とか食べたいかもって思ったけど、果物ばっかりじゃ物足りないとか思ったけど、お米も欲しいなーとか思ったけど!
それが出てくるなんて思わないじゃん?
まさか、アリアちゃんって心を読む能力の持ち主だったりするのかな。するのかもしれない。しても不思議じゃないここ異世界だし。
「全部召し上がってください!」
あああ……満面の笑みでそんなこと言われたら拒めない遠慮出来ない我慢出来ない。
よくよく見たら準備してたのって食事じゃん。しかも調理済み。果物は切って揃えて盛り付けてあるし野菜は何かドレッシング的なものがかけてあるし。
お肉もあるしお米モドキもある。
普通にご飯だ。これ、ご飯ですよ。ただ洗って食べてただけの私と違う。料理も出来ない私とは、違う。
「あ、アリアちゃん……」
「はい」
「……好き」
「はい――え、えぇ!?」
思わず食べながらアリアちゃんに抱きついた。
人見知りなんて知らない。この子めっちゃいい子だよ怖がったりしてごめんなさいちょっと距離感分からないとか言ってごめんなさい今好きになったからゼロ距離でいいもう離さない!
あ。これ私あれだ。
好きになったら見境なくなるやつだ。
警戒心なくなって懐いてだめだめになるやつだ。
「あの――!」
アリアちゃんも予想外って言いたそうな顔してる。
「ごめん……だめ?」
「だめじゃ……ない、です、けど――!?」
あー、もう、限界。
そっかー。好きって思ったら心の壁無くなっちゃうかー。
相手がアリアちゃんでよかった、なんて思いながら食事とアリアちゃんをいただいた。
いや、アリアちゃんは食べてないけどね? 性的な意味でもね?
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