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第30話『お前が俺に指し示すのはどっちの景色なんだ?』

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「棚橋、ちょっと昨日のことで話したいことがあるんだが」

 俺が近づいて声をかけた時、棚橋は下駄箱から落ちた紙切れを拾い上げ、それを神妙な顔つきで凝視しているところだった。

「ああ、小鳥遊君か……」

 話しかけると棚橋は憑き物が落ちたかのように穏やかな表情に切り替わる。

「昨日は悪かったね。連絡もせずに任せきりにしてしまって。だけど、もうそういうことはしなくて大丈夫だよ」

「そうか」

 あんなことが何度もあってたまるかと思っていると、

「もう君に手伝ってもらうことはないからね。今まで手間をかけさせてすまなかった。ここからは俺だけでやるから安心してくれ」 

 一転して唐突な解雇通知をされた。

 おいおい、労働基準法でクビにするには一か月前に告知しないといけないって決まりがあるんだぜ?

「どういうことだ? きちんと理由を説明しろ。そっちの都合でハイサヨナラっていうのは勝手すぎるだろ。大体、こっちには訊きたいことがあるんだよ」

「悪いが後にしてくれ」

 紙切れをぐしゃりと握り潰し、棚橋は言った。

「俺には今から行くべきところがあるんだ」

「行くところ? これから学校だぜ? どこへ行くつもりだ」

「……君には関係のないことだ」

 邪険に言い放たれる。あくまで俺を切り捨てるつもりか。

「おい、棚橋」

 苛立ちの含まれた強い口調で俺は名を呼ぶ。

「今日は随分と踏み込んでくるじゃないか」

 ひんやりと冷たい目つきとなり、棚橋は穏やかな口調ながら陰のある威嚇的な雰囲気を纏わせて応じてくる。
 棚橋のこの態度には見覚えがあった。
 これは乙坂先輩に応対していた時と似通ったものだ。
 それを今、俺に向けて放っている。

「何かを知ったからか? それとも彼女が傍にいるからか?」

「彼女?」

 棚橋の視線が俺を通り越した向こう側へ向けられている。

 訝しく思い、振り返ると俺のすぐ後ろに腕を組んだイツキが控えていた。

「うわっ! なんでお前いるんだよ」

 まだいたのか。
 てっきり先に教室に上がったと思っていたのに。
 どうしてついてきている。

 ……確かにこれでは棚橋から見れば俺とイツキが結託して話しかけてきたように映ったかもしれない。
 というかこの至近距離にいたらそうとしか見えない。
 棚橋と話すことに神経を割きすぎていて気が付かなかった。

「別に私は先に行くとは言ってないわ」

 イツキは泰然と正当性を主張する。

「まあそうだったかもしれないが……」

 だからって何も言わずにくっついてくるなよ。

「イツキ。君は……」

「棚橋君。言っておくけど私は彼に何も話してないわよ。私にとってもあまり気分がいいことではないもの」

 棚橋が何かを言いかけるが、イツキは先回りしてそれをシャットアウトする。

「……そうか。それもそうだね」

 意味がわからん。

 二人だけで通じ合われても俺にはチンプンカンプンだ。

「とにかく、俺は行くよ。……一人でね」

 棚橋が俺の横を通り過ぎていく。

「行ってどうするの? あなたはまた罪を重ねるつもりなの?」

 イツキが棚橋をたしなめるような語調で言った。

「俺が全部終わらせてみせる。……俺は間違っていない」

 棚橋は他の誰でもなく自分に聞かせるような言葉を口に出す。

「勝手にすれば」

 イツキは玄関を出て行こうとする棚橋を一顧だにせず、冷ややかにそう吐き捨てた。

「イツキ。罪ってなんだよ」

 去っていく棚橋を視界の端に捉えながら俺はイツキに問う。

「興味があるならあなたも行ってみれば? 彼がどんな愚行を犯しに行くのか、その目で見てくるといいわ」

「……お前は何を知っているんだ?」

「企んでいるのは私じゃないわ。私はそこまでしたたかじゃないもの」

 返されたのは求めている回答とは程遠い返事。

「訊いていることに答えろよ」

 俺はもどかしさで言い方が高圧的になるのを自覚した。
 よくないな、こういう感情的な物言いは。
 だがこの時は俺も冷静ではいられなかった。

「…………」

 イツキは唇を固く結んで睨むように見返してくるだけ。
 どうやら簡単に喋るつもりはないようだ。
 なら今は聞くべきではない。

 なぜなら、現在俺の前にあるもう一方の選択肢は時間の経過とともに消滅してしまうものだからだ。

「そんなら見てくるさ。何が待っているのかは知らんがな」

 ゆっくりしていたら棚橋を見失ってしまう。
 俺は上履きに履き替えることもなく、そのままUターンして昇降口を飛び出し棚橋の後を追った。
 まさか授業を受けずに学び舎を折り返すことになろうとは。まったく、人生は何が起こるかわからない。

 しかし、せっかく早く登校したのだからできることなら始業のチャイムが鳴るまでには戻ってきたいものだ。

 遅刻するのは嫌だからな。




 優先すべき事柄はただ一つ。
 棚橋を見失わないこと。
 だから俺は中庭を走った。一生懸命、追いつくために。

 ……どうして俺はこんなに必死になっているのか。
 本気と書いてマジになっているのか。
 俺のキャラにも合わないしスタンスにも反するというのに。

 ちらほらといる、通学してくる生徒どもが逆走する俺を奇怪な目で目視してきやがる。
 やい、見てくるんじゃねえ。
 見世物じゃないんだぞ。

 こんな多少の恥をかきながら俺は何をなそうとしている?

 俺の行動原理はなんだ?

「ちぃっ……」

 呼吸を荒くしながら校門の前で左右を見渡し棚橋の進行方向を探す。
 右方向遠方に対象を発見。
 学校の敷地沿いの道は一本の開けた通りなので距離が離れていても見失うことはなかった。

 だが、あの野郎め。
 遠目でも理想的だとわかる美麗なランニングフォームでスピーディに走っていやがる。
 小さくなっていく棚橋の姿。
 やつは差し掛かった十字路で左折し、横断歩道を渡った。

 もし細かい道に入り込まれてしまったらもう見つけ出すことは叶わない。
 俺は焦り、距離を詰めるべく駆け出した。

「…………」

 これは義務だ。義務感から動く、ただの機械的な衝動。
 それが俺を突き動かさせているのだ。
 そうだ。そうであるに違いない。

 だが、本当は。
 俺は綺麗なものが見たいのかもしれない。
 自分がありえないと鼻で笑うものの中にある永遠を、実は本心では見てみたいと望んでいるのではないか。
 脆い友情、浅はかな恋。
 そんな胸糞悪いものは見たくない。

 当たり前だ。誰だってそうだ。だが結局、世にありふれているのはそっちの方が多い。

 空気が読める読めない、力の強弱で瓦解する友情。
 誰かを除け者にすることで内側を作り、高められる陳腐な群れの結束。
 時間の経過とともに冷め、別れ付き合ってを繰り返す同年代の男女の恋愛。

 永遠に掴まらない偽物ばかりが蔓延っているのに、どいつもこいつもそれが当たり前の本物みたいに振る舞う。
 一生の宝物だとほざく。
 狂った獣のように虚像の理想を求め、自分が充実しているように飾りたてて忙しなく生きている。

 そんなのおかしいよとは誰も言わない。

 むしろ口に出せば異端と見なされ変わり者だと後ろ指を指される。本物がそもそも存在しないのだから偽物で補うしかないのに皆、まるで自分が本物を手にしているかのように友愛の口上を垂れ、何の疑いを持たずに刷り込まれた常識を理想と掲げ、誰もが上っ面に甘んじているくせに永遠を語る。

 いつまでも続くものではないのに。
 一過性の情動にすぎないものに振り回されて自身をかたどろうとする愚か者たち。
 偽りの永遠を語る嘘つきども。

 実にくだらねえ。

 そんな偽物の行きつく先はわかっているはずだ。
 皆、心のどこかでわかっているはずなのに見えないふりをしている。
 そして失った時に被害者面をして泣きわめく。
 自業自得だろってんだ。

 なあ、棚橋。
 俺はまだ聞いていないぞ。
 昨日、どうしてお前が俺たちの後をつけていたのかを。

 ミーティングがあるからと校門の前で別れたはずのお前が俺たちを尾行し、逃げ出したのかを。

 お前は俺に恋だ、友情だというもので悩むのは無価値だと再認識させるためにこの件に巻き込んできたのか?

 だとしたらふざけるなよ、いい迷惑だぜ。

 俺はこれ以上、人同士の関わりを嫌なものだと思いたくはない。

 せっかくそれは俺とは遠いところにあって関係なく繰り広げられているものだからと傍観者を気取ることで折り合いをつけ納得していたのに。

 本当に永続する繋がりなどないと俺は考えている。
 けれど悪くないと思えるものを遠目から眺めてみたいとは思っている。
 眺めながら俺は劣等感に苛まれ自己嫌悪をするだろう。

 それでも目にするなら綺麗なものがいい。
 くだらなくても綺麗なものが見たい。
 永遠に続くかもしれないと思わせる可能性を見てみたい。

 胸糞悪い上にくだらないものはそこらに転がりまくってる。
 飽き飽きしているんだよ、そんなもんは。
 そいつらを見ないふりしてやり過ごす術を俺は身に着けた。
 なのにお前は強引に関わらせてきたんだ。

 だったら偽物ではなく永遠に掴める美しい本物を提示して見せろ。
 自分が当事者になるのは嫌だがな。
 おい、棚橋陸。

 お前が俺に指し示すのはどっちの景色なんだ?



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