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第28話『タイセイ、マイフレンド』

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「そういえば八重樫は若田部とは同じ中学なのか?」

 俺はやり取りを途切れさせないよう話題を振ってみた。

「若田部ってどなたですか?」

 ……逆に訊ねられてしまった。

 どうやら若田部は八重樫に認識されていないらしかった。

 悲しい男だ。

「さっきコンビニの前で会ったやつだよ。あいつもこの辺に住んでるらしいし、校区が被ってたんじゃないかと思ったんだが」

「そうですね。ここの住所なら被っているかもしれませんけど。でも、わたしは中学の頃は他県にいたので。こちらの学校は卒業してないんですよ」

「そうなのか?」

「ええ、高校から引っ越してきて……。だから別に地元というわけではないんです」

「なるほどな」

 と、俺は応答したものの、天帝学園は確かにいい学校ではあるが越境してまで通う価値があるだろうかと疑問に思ったりした。

「ところであの、話は変わるんですけど」

 今度は八重樫の方から俺に話題を持ってくる。

「何だ?」

「小鳥遊君にひとつお願いがあるんです」

「お願い?」

 金は貸さんぞ。もっとも、そんな要求はしてこないだろうが。

「今日、小鳥遊君を家に上げたことは棚橋君には内緒にしてもらえないでしょうか」

 遠慮がちに俯き加減の上目使いで八重樫はそんな『お願い』をしてくる。

 その台詞と表情から俺は彼女がどういう意図をもって口止めを求めたのか察する。

「棚橋のことが好きなのか?」

 普段なら察したとしても決して口には出さないだろうに。
 意趣返しでもしたかったのかね。
 この時の俺は調子に乗っていらんことを口走ったのだった。

「本人には言わないでね」

 恥じらうように八重樫は微笑み、唇に人差し指を当てる。

「口は堅い方だから、安心してくれ」

 俺の言質をとった八重樫は安堵の胸を撫で下ろし、

「嘘ついたら針千本だからね」

 冗談めかしてそう言ったのだった。


『大人しめだけど可愛いよな、八重樫さん』


 確かにそうかもしれん。
 だが八重樫の想いは実ることはないだろう。
 棚橋が誰を好きなのか、俺は知っている。
 本人の口から聞いてしまっている。

 パジャマ姿の弱々しい小鳥遊由海が目に浮かんだ。
 何でパジャマなのかというと俺がその格好のあいつしか見ていないから。
 八重樫は棚橋の好意の向かう先を知っているのだろうか。

 知ったとしたら彼女は一体どのような態度にでるのだろうか。
 嫉妬するのか。
 諦めるのか。

 もしくは――

「なあ、八重樫」

「なあに?」

 外から響いてくる雨音が俺たちのいる空間を完全な無音にすることを阻む。
 俺と八重樫はどちらも視線を外そうとせず、結果、目線を繋げ続ける。
 先に外したら負けのような気がして。

 はて、訊きたいことは。
 言いたいことはなんだったか。

 俺は口を開く。

「あー、その。そろそろ帰ろうかと思うんだが、傘を貸してくれないだろうか」

「うん、いいよ」

 そうして俺は野郎が差すには女子力の高すぎるピンクの花柄の傘を借り受け、八重樫の埃一つ落ちていない生活感皆無の部屋を後にしたのだった。



◇◇◇◇◇



 家に帰り、玄関で傘を畳んでいると見慣れないビーチサンダルが転がっているのに気付いた。
 リビングの方からかしましい声が聞こえる。
 嫌な予感がする。

 俺は傘を壁に立てかけ、靴を脱ぎ捨てるとリビングへ向かった。


「あ、泰正君おかえりなさい」

「おかえり」


「……ただいま」


 帰宅した俺を迎えたのは食卓で菓子を食いながらティータイムに勤しむ糸目の専業主婦と銀髪の不登校児。
 おかしい。ここにはいないはずの人間の影が目に映る。

「あのさぁ、この部屋におかしなものがあるように見えるんだけど」

 俺はポリポリとげっ歯類を想起させる摂取方法でクッキーをかじる小鳥遊由海を横目で見ながら母親に訊ねた。

 ちなみにやつは今日もパジャマ姿だった。

 一応外出先の意識はあるのかカーデガンを羽織ってはいるけれど。
 昨日もパジャマ明日もパジャマ。
 頭はパーだ。

「お菓子のようなものじゃなくてちゃんとしたお菓子よ。食べる?」

 母親はそう言って数種類のクッキーを乗せた皿を俺に差し出してくる。おかしなものって言ったんだよ! 頼むから会話を成り立たせてくれよ。

「わたしのはあげないよ」

 小鳥遊由海が食いかけのクッキーを庇うように抱きかかえ、右手でしっしと俺を追い払う仕草をとった。

 うぜえ。

「…………」

 言い表わせない苛立ちがふつりと沸き起こった俺は無言でその手をぺちっと叩いた。

「あふぅっ……」

 小鳥遊由海は叩かれた手をプラプラさせ、頬を膨らまして恨めし気に見上げてきた。
 何が言いたい。
 いや、そもそもなぜお前がここにいる。

「あのね、わたし由海ちゃんとお友達になったの。それで、お友達のお友達はお友達っていうでしょ? だから由海ちゃんと泰正くんもお友達」

 喜ばしいことを報告するように母親は微笑んでいる。
 いや、あんた友達じゃなくて親だから……。
 
「じぃー……」

 こっちを見つめてくるお友達のお友達の視線。

「な、何だよ……」

 文句があるなら手短に言え。

「タイセイ、マイフレンド」

 小鳥遊由海は俺を指差してそう言った。
 どうして片言なんだ。
 大事なのはそこではない気がしたがどうでもいい。

「なんでこいつがここにいるわけ?」

 俺は再度母親に訊ねる。

「なんでって。それは」

「この前のタッパーを返しにきた」

 母親が答える前に小鳥遊由海が先んじて答える。

「そうなのよ! わざわざ自分で返しに来てくれたの! 律儀よね」

 母親はやや興奮気味で小鳥遊由海を褒めそやす。

「律儀……?」

 それって普通のことじゃないのか。

 届けた側が取りに行くって出前じゃないんだから……。

「ふふん♪」

 ドヤ顔で俺に視線を送りながら小鳥遊由海は腰に手を当て得意げに胸を逸らす。
 威張ることかっ!
 ただでさえ今日は頭を悩ませることが多々あったというのに余計な心労を増やさんでくれ。

「そうだ! せっかくだから由海ちゃん。夕飯も食べていったら?」

 思ったそばから母親はとんでもないことを言い出す。

「え、ロミー、いいの?」

 食いつく小鳥遊由海。まあ普段の食生活を考えれば断る理由はないよなぁ。最初の頃の警戒心はどこへやら。それらはとっくに円環の理の彼方へ消え去り、今や勝手知ったる他人の家。

「もちろんよ。ご飯はみんなで食べた方が美味しいもの」

 ね、そう思うでしょ? と同意を求められるも俺に振るなよと言いたかった。
 だが俺は反論などせず黙って首を縦に振る。
 したところで覆らないのは明白だからな。生まれた時から息子をやっていればそれくらいわかる。

 しかし、前にも思ったがどういう意図があって俺の母親は特に面倒を見てやる義理もないこの隣人にやたらと構って親切にしてやるのだろう。

 まあ多分深い意味はないだろうけど。




 それから小鳥遊由海は我が家の食卓で当たり前のように晩飯を食った後、リビングで俺や母親とクイズ系バラエティ番組を見ながら笑ったり学年一位だという知性を発揮したりするなどしてくつろぎ倒し、あまつさえデザートまでたいらげてから帰って行った。

「じゃあ、タイセイ。また明日ね。おやすみ」

「おう、またな」

 そんな挨拶を交わして見送って、玄関の鍵を閉めてから俺は我に返って愕然する。
 普通に馴染んでいやがった……だと!?
 途中からあいつのことを異物だとまったく意識せず受け入れてしまっていたぞ。

 っていうか。

「また明日ってなんだ……」

 まさか恒常的に居座るつもりじゃないだろうな。恐ろしいことを言うもんじゃねえ。

 俺も何が『またな』だよ……。完全にあいつのペースに流されているではないか。あの女の養われ体質ははっきり言って異常だ。

 コミュニケーション能力に難ありと侮っていた小鳥遊由海の場に溶け込むスキルが意外と高かったことを知った、そんな一日の終わりであった。
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