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第22話『持つ者と持たざる者』
しおりを挟む「俺は昼休みや予定が空いている放課後に度々、図書室へ足を運ぶようにした。小鳥遊さんと話がしたかったからね。彼女は休み時間に教室にいることは少なかったし、いても険しい表情で本を読んでいるか机に突っ伏して寝ているかだったから。話すなら図書室しかなかったんだ」
どうやら棚橋は随分と積極的に接近を試み、小鳥遊由海にアプローチをかけていたらしかった。斜に構えて世の中を見ながら怠惰に過ごす俺とは比べ物にならないくらい前向きで向上心のある気概を持った生き方だ。さすが自信に満ち溢れたイケメンである。行動力が違う。
ただ、小鳥遊由海がそんなに親しくはないと言っていたのは黙っておくべきだろうな。
言わないことは嘘ではない。
黙秘することは権利である。
褒められたことではないけどな。
まあ、この場合は優しさだから。
ケースバイケース。
「だけど小鳥遊さんに最初に声をかけた時はなぜかすごく怖がられてしまって逆にこっちが驚いたよ」
屈託なくそう話す棚橋。そりゃ自分の世界に閉じこもって極力他人と交わらず生きている人間がいきなり同学年の人気者に話しかけられたら狼狽するのは当たり前だろう。そこを棚橋が理解できなかったのは仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが。
持つ者と持たざる者。
その隔たりは文化の違いと等しく常識を根底から異にさせる。些細だが、それはボタンの掛け違いのように埋め合わせ不可能な差異を生む。
しかしそのことを強く意識するのは大抵、持たざる側だけ。劣等感を胸に抱きながら生きる者だけ。持つ側はその微細な違和感を大したものとは捉えない。
だから掛け違う。
間違える。
そのことを、棚橋は一体どれほど理解して認識して受け止めていたのだろうか。
「人見知りの彼女と打ち解けるまでには結構時間がかかったけど、会話を重ねていくうちにぎこちなさも徐々に取れていった。とりとめない話をしたり、どんな本が面白いとかそういう情報を交換し合ったり、何も言葉を交わさず、ただ黙って向かい合って読書をしたり……」
棚橋はきっと、理屈はわからなくとも、小鳥遊由海が敷いた壁を感じ取ったのだと思う。
常に人のことを考え、優しくあろうとするこいつだから自分の常識外のことでも違和感に気づけた。
気づいたからこそ彼は距離を詰めたかったのだ。それが取り払えるものだと信じて。時間の積み重ねと交流の繰り返しによって溶かすことのできる障害だと見通して。
不意に、棚橋の表情に暗い影が差す。
「そうやって少しずつ、少しずつ距離を縮めていってたんだ。なのに、あんなことが起きて……」
あんなこと。それは俺がこの学校へ来る前に起きた悪逆だろう。
小鳥遊由海を追い詰めるために行われた所業。
「今の彼女は俺を拒絶している。それどころかこの学校そのものに愛想を尽かしてしまっている。もし、彼女がこのまま学校を辞めることになれば俺はもう彼女と関わる機会を失ってしまう。俺はそれが怖かった」
俺は黙って棚橋の苦悶の帯びた声を聞く。
「何も気づけず、いつの間にか終わっているような、そんな結末は嫌なんだ。こんなままで終わらせたくはない」
「棚橋、お前は……」
「だから手をこまねいているだけではダメだと思った。何かをしなくては何も変わらないから。……もう、間違えたくはなかったから」
棚橋は俺の言葉を遮るようにそう続けた。偶然にも話すタイミングが被ってしまったのか、それとも聞きたくはないという拒絶の意思からだったのか。判断はつかなかった。
「でも、そう上手くは行かないものだ」
溜息を吐きながら棚橋は言った。
「いやいや、むしろ順調なほうだろ。手掛かりもすんなりと見つかってるし」
トントン拍子もいいところだ。
それが正解に結び付くかは別としても進展はしている。
棚橋がなぜ不服に感じているのかがわからない。
「いや、そういうことじゃなくてさ」
「は?」
棚橋の言葉の意図が読み取れず、俺は首を傾げる。
「……君は。こういうことであまり悩みそうにないな。別にいいかと、自分の中で整理をつけて簡単に気持ちを切り替えることができそうだ」
俺は一瞬だけ目を見開き、刹那、黙する。
やはり意味がわからない。
いや、わかりたくない。俺は表情を硬化させる。
「随分と知ったように言ってくれるな」
「君は俺の知っている人によく似ているからね」
俺を捉える棚橋の目が俺自身の本質を看破しているように見えてきた。
棚橋よ、お前は一体俺の何を見抜いている?
心臓の鼓動が早鐘を打ったように早くなっていく。
「誰と比べているのか知らんが、俺はそいつとは違う。俺は俺だ」
ふつふつと沸き起こりだした苛立ちから、ついつい棘のある口調になる。
俺の何を見てそう言える。俺はお前には何も見せていない。
底を晒した覚えはない。その判断は早計で、見当違いだ。
だからはっきりと否定させてもらう。
棚橋は俺の気色が変わったのを感じとったのか、慌てたように弁明の口上を述べる。
「すまん、気を悪くしたのなら謝る。別に君を不快にさせるつもりはなかったんだ」
そうして取り繕った後、一呼吸置いて。
「ただ俺は自分以外に興味がない、君の自立した強さが羨ましいだけなんだ」
そっと手持ちの本の背表紙に視線を落とし、静かにそう言った。
「あのな……」
棚橋の見当違いの見立てに安堵と、呆れが入り混じった息を吐く。
俺はそんなふうに見られるような振る舞いをしていたつもりはない。
ひどく当たり前な凡夫として見られるように生きているつもりだ。
そうであるように行動してきたはずだ。
だから俺はやはり否定しなければならない。
棚橋のその解釈について。
ただ、いかようにすればいい?
どうすれば棚橋に俺が凡庸で何の変哲もない、つまらない人間であると認識させることができるのか。
俺は考えを巡らせる。
だが、ひらめきも取っ掛かりも見つからない。
機転が利かない、土壇場に弱い己の性分に腹が立つ。
「あら、小鳥遊君じゃない」
ぐるぐると思考の迷路にはまりかけていた俺のもとに背後から声量の押さえられたソプラノがふいに届く。
「お、おお……。イツキか」
振り返った先にいたのはクラスメートの学級委員であった。
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