深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子

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犬神(十四)

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 喜助の遺体は、翌日鉄砲州に近い川岸に打ち上げられていたそうだ。
 落雷を受けて目も当てられぬ有様であった上に、首筋に深い裂傷の痕があったという。

「まるで、何かの獣にやられたみてぇな傷だったってよ」

 と、あさひ屋を訪れた雲蔵親分が不思議そうに言ったらしい。
 すずは怪我もなく、無事にあさひ屋に戻った。
 太一として埋葬されていた遊左衛門の遺灰は、改めてあさひ屋の奉公人たちが主家の墓にねんごろに弔ったそうだ。
 店は、すずが一人前になるまで、主筋の親類と奉公人たちがしっかり守っていくのだという。

 そして、遊左衛門もとい太一は、その後どうしたかというと……。

***

「すずを守ってくれてありがとう、犬神。箪笥に戻って来てね。すず、大事にするからね」

 さわさわと囁くやさしい葉ずれの音に、澄んだ子供の声が混じる。
 あやかし屋敷の縁側で、すずと太一が小作りの箪笥を磨いているのだった。 
 例の、笑う箪笥である。
 抽出しを封じていたにかわを取り除き、綺麗に拭きあげてやると、木目の美しい箪笥はうらうらとのどかな初夏の陽光を浴びて、嬉しげに輝いて見えた。

「犬神たちにも、本当にすまないことをしました……」

 太一が箪笥に静かな眼差しを注いで言う。喜助に切りつけられた腕の傷は深手だったものの、ずいぶん回復してきたらしい。

「私のことを許してくれた。喜助と一緒に罰しても良かったはずなのに。店主になり変わったばかりか棲家を奪い、隠して、苦しめたというのに。許してくれた……」
「やさしい犬神なんですよ、きっと。長年尽くしてきた人間に裏切られて、悲しんでいたでしょうにね」

 居間で長命寺の桜餅を口に運びつつ仙一郎が言うと、太一は、はい、と項垂れる。

「……でもさ、太一さん」

 仙一郎が、もぐもぐ口を動かしつつ続ける。

「あなた、ずっと罰を受けていたじゃありませんか。塗香に苦しんで、すずや皆を欺くことに苦しんで、周りに善行を施してきたんでしょう。上っ面の善人面じゃあ、これほどすずに慕われたりしない。お兄さんの代わりを務めようと、必死にやって来たんでしょう。喜助に切りつけられても、すずを守ろうとするくらいにさ。もう充分だと犬神が言うんだから、店へ戻ったっていいんじゃないですか? すずが寂しがるでしょう」

 瞠目して聞き入っている太一の両目が潤み、瞳が震える。しばし俯いていた男は、やがてしょんぼり肩を落とすすずに視線を移した。

「私なんぞにそのようなお言葉、ありがとう存じます。ですが……そういうわけには参りません。ここに置いていただけるだけでも、本当にありがたいのです」

 偽者と知れたからには店に居座ることはできない。太一は奉公人たちに詫びて、店を後にしたのだった。結果としてご番所の調べを混乱させ、兄に成り代わったことは許されない。だが、奉公人も太一への温情を願ったことから、ご番所からのお咎めは叱りのみで済んだ。
 すずは、太一はもう自分の父なのだ、今まで通り店にいてくれと泣いて頼んだそうだった。
 けれども、

「すず。私も今でもお前を娘だと思っているし、これからもそう思うだろう。だが、私はお前を騙していたし、お前はまだもののわからない子供だ。いや、侮っているんじゃない。お前が賢くやさしい子であるのはよくわかってる。私はそれにつけ入ってしまったんだ。本当にすまなかった。……しかし、お前が私を必要とする限り、お前の近くにいる。ここにいて、いつでもお前を見守っているよ。私は二度と、お前を謀ったりはしない。約束する」

 太一はそう言って、すずが泣き止むまでただ強く抱き締めていたという。

……そして、何を血迷ったのか、仙一郎は太一を奉公人として雇うことに決めた。

「だってさ、いくらなんでも死んだ兄に成り代わってたって話が広まったら、まともな店で雇ってくれるところなんざなかろうよ。すずがあんなに慕っちまってるし、江戸から出て行くようなことになったら、悲しむだろう」

 と、仰天するお凛に飄々ひょうひょうと言ったものだ。子供なんざ嫌いだとか言ったくせに。まぁ、旦那様もたまにはまっとうなことをする、と感動に胸震わせていると、

「な? これでわかったろう。やっぱり私は正しかったぞ。あんなお香ごときに私の偉大さがわかってたまるか。ざまぁみろ」

 ふふん、と小鼻を膨らませてのたまうので、急速に感動が醒めていくのを感じた。

「仙一郎さん、いえ旦那様。ご恩に報いるためにも、粉骨砕身して誠心誠意勤めさせていただきます。何卒、よろしくお願い申し上げます」
「いいよそんなの。照れるからさぁ」

 いえ、と太一は顔を引き締め、忠犬よろしくかしこまる。

「では、まずは手始めに、芸者とは手を切ることをお勧め申し上げます。旦那様」

 ふがっ、と鉄砲玉を喰らったかのように目を剥いた仙一郎に、雪解け水のごとく清らかな瞳で詰め寄る。

「聞けば借財だの散財だの痴話喧嘩だの二日酔いだの、旦那様の醜聞には耳に耐えがたいものがございます。ここはみそぎをするつもりで生まれ変わりましょう。芸者や遊女へ貢ぐのではなく、寺社に寄進をしてはいかがでしょう。心が洗われますよ? 貧民にもぜひ救いの手を。襤褸ぼろを着ても心は錦と申します。着物なんぞ、春と冬の二着があれば充分で……」
「ちょっと! あんたまだ懲りてないのかい。ていうかその性格、もしや元から? しまった、寺にでも入ってもらうんだった……!」

 きらきらと輝く太一の両目に戦きつつ、後悔に苛まれているらしい仙一郎であった。 



 穏やかに木々の梢を揺らす風に、初夏の気配が感じられる。戯れるような木漏れ日が縁側に躍っている。
 太一とすずが居間に入り、皆で茶を喫しながら桜餅を味わっていた時。きいきい、という覚えのある声を聞いた。

「……笑った?」

 茶を淹れていたお凛は、はっと縁側を振り返る。
 今、箪笥が笑わなかっただろうか。そう思った次の瞬間、いくつもの白いものが視界を過った。その小さなものは矢のように走り、庭から縁側に跳び上る。そしてあっという間に六つの抽出しへと──どこか嬉しそうに身を踊らせて──吸い込まれて行った。
 お凛がもう一度瞬きした時には、そんなものは見当たらず、箪笥が置かれた縁側には、白い木漏れ日が瞬くばかりだ。
 今のは木漏れ日だろうか。瞬く光が、六匹の白い獣に見えたのだろうか。……それとも。

「ねぇ、とと様。箪笥が笑ってる。嬉しそうね」
「ああ……そうだな」 

 すずと太一が顔を見合わせ、両の目を輝かせて箪笥を見詰める。

「旦那様、今の……」

 お凛は思わず主をうかがった。煙管を咥えてのんびりと箪笥を眺めていた青年が、ふわぁ、と気の抜けた大欠伸をする。

「いい日和だ。こういう日はのんびり芝居でも観たいもんだね。……そうだ、『雙生ふたご隅田川』がいい」

 そう言って、いい声で唱え出す。
 
梅わか君のゆうれいと見せたるも
誠は御弟松わか君
ふた子の同しおもかげは御眼にもたがはねば
梅松わかの二きみとも此君ひとりになくさみ給へ……

 瓜二つの双子である梅若丸と松若丸。双子の兄・梅若の死に打ちひしがれ、今にも川に身を投げようとする母・班女はんじょの元に、天狗の七郎が松若を送り届ける場面だ。
 同じ面影の松若によって、梅若を失った悲しみを慰めて欲しい、と天狗は班女に告げる。
 
 瓜二つの双子の兄弟……。
 
 すずと太一が突然はじまった『雙生隅田川』に目を丸くし、それから顔を見合わせにっこり笑う。その様子を、お凛は切ないような眩しいような心地で見詰める。
 天狗が助けたのはすずだったけれど、結果として遊左衛門の仇討ちを助け、太一を救ったのかもわからない。
 太一は、してはならぬことをしたけれど。……それでも。
 すずの側に太一がいて良かった、とお凛は思うのだ。 

「太一さん、すずも一緒にどうだい。天狗の奴が喜ぶぜ、きっと」

 不思議なつるりとした瞳に笑みを浮かべて、仙一郎が言う。
 やさしい光と風の中、小さな箪笥がくすくす心地よさげに笑った気がした。

                           おしまい
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みんなの感想(15件)

ラベンダー
2024.10.24 ラベンダー

「百物語」を拝読しました。
怖いお話になるのかなとちょっと苦手かなと思っていましたが、物語の展開がえっという感じでした。それにしても仙一郎の見事な謎解きでホッとしました。お凛も今回は仙一郎を見直したのではないでしょうか。
江戸時代だからこその怪談話し苦手を通り越してとても面白かったです。

笹目いく子
2024.10.24 笹目いく子

ラベンダーさま、「百物語」お読みくださりまことにありがとうございます!
私も怖いお話が苦手でして…(笑)あまりおどろおどろしいお話が書けません…ので、安心してお読みいただけるかもしれません(それでいいのやら!?)。
江戸時代だからかえって怖くないという部分はあると思います。現代が舞台のホラーに比べると現実味が薄いので、怖くても楽しめてしまう気がします♪
この章は仙一郎に活躍してもらおうと思いながら書いたので、そうおっしゃっていただき嬉しい限りです!
お凛も今回は見直したはず♪…だといいのですが(笑)
あたたかいご感想をまことにありがとうございます。
心より感謝申し上げます!

笹目いく子

解除
ラベンダー
2024.10.16 ラベンダー

「人喰いつづら」を拝読しました。
相変わらずお凛の仙一郎への厳しい言葉にはちょっと胸がすくような感じでした。
そして葛篭の謎についてはどうなるのかとハラハラドキドキしながら読み進みました。
旦那さんのお松さんへの想いには納得するものがありました、終盤グッと来ました。
江戸時代の人情味あるお話し心が温かくなりました。
第8回歴史時代小説大賞特別賞授賞おめでとうございます。
まだまだこの連作は続く様ですので又ゆっくりと読ませていただきたいと思っています。

笹目いく子
2024.10.17 笹目いく子

ラベンダーさま、「人喰いつづら」お読みいただきありがとうございます!
お凛の厳しいツッコミとハラハラドキドキの謎、楽しんでいただけて嬉しい限りです♪
旦那さんとお松さんのちょっぴり切ない大人な関係、いいですよね。
今後幸せになって欲しいものです。

あたたかいお言葉、まことにありがとうございます!
またのんびり新作を書きたいと思っておりますので、仙一郎とお凛をあたたかく見守っていただけたら幸いです♪
お時間を頂戴し、心より感謝申し上げます!

笹目いく子


解除
deko
2024.08.19 deko

天狗は、旅の一座? としても。
犬神は何なのか。
仙一郎がどんなふうに怪異を解くのかが楽しみです。

笹目いく子
2024.08.19 笹目いく子

deko様、再びのコメントをありがとうございます!
天狗やら犬神やらが入り乱れております…(笑)
そろそろ解決編に入っていくところです。
一体犬神は何がしたいのか、もう少ししたら判明するかと思われます。
仙一郎がこれから活躍してくれる…はずなので、お楽しみいただけたら幸いです♪
お読みくださりありがとうございます!

笹目いく子

解除

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