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亡き奥様の真実

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 二人のお茶がなくなった。淹れ直そうと立ち上がろうとしたところをレニエ様に手で制された。立ち上がると豪奢な棚に向かい、暫くガラスの向こうにあるそれらを眺めていたけれど、その中から瓶を二本とグラスを二つ手にして戻ってきた。

「少しは飲める?」
「一応、人並みには」

 まさかお酒が出てくるとは思わなかったけれど、嫌いじゃない。強くはないけれど弱くはないと思う。

「弱いのを選んだから大丈夫だと思うけど、無理だったら言って。果実水もあるから」

 注がれたのはシャンパンだった。これなら問題ないだろう。レニエ様はもう一本の方をグラスに注いでいた。琥珀色のそれはシャンパンよりも強いものだろう。

「何から話せばいいかな」

 グラスを弄びながら琥珀色が揺れるのを眺め、レニエ様が呟いた。

「……妻は、確かに私には妻がいた。もう十年以上前の話だ」

 苦々しさが声にも表情にも表れていた。きっといい話ではないのだろう。

「私には十歳の時に婚約した幼馴染がいたんだ。伯爵家の令嬢で、親同士が仲良くてね。物心ついた頃から側にいて一緒に遊んでいたんだ」

 その令嬢との関係は順調だったと言う。二つ下だったから妹のような感じで、恋情はないけれど気心が知れた安心感があった。早くから侯爵夫人としての教育をレニエ様のお母様から受けていて、このまま結婚するのだと疑うこともなかった。

「可愛い子だったよ。両親に愛されて育った彼女は、真面目で素直で純粋だった。そんな彼女を妻に出来るお前は幸せ者だなと周りから揶揄われたものだよ」
「素敵な方だったのですね」
「そうだね。今思えば、爵位は下でも私には勿体ないほどの子だった」

 レニエ様の視線はグラスの中の琥珀に注がれていたけれど、見ているのは別の遠い何かに見えた。

「私が先に学園を卒業したけれど、祖父も父は元気だったから文官になった。仕事を覚えるのは楽しいし、二年半後には結婚も控えていた。その準備も忙しくて充実していたよ。でも、そんな時に……」

 そこで言葉を区切ると、その琥珀を一気に飲み干した。そのまま手酌で中身を継ぎ足すのを私はただ見つめていた。

「彼女が卒業して暫くして、一緒に夜会に出たんだよ。わずかな時間離れた隙に、彼女は公爵家の令息らに襲われたんだ」
「襲われって……」

 思わず口を手で覆ってしまった。それでは……

「それで彼女は壊れてしまった。でも、問題はそれだけじゃなかった。その男の妹は近々王太子に嫁ぐ予定だったんだ」
「それでは、犯人は……」

 まさか王太子妃殿下の兄君が……そう言えば兄君は落馬で亡くなったと聞いている。それでは……

「王家も公爵家もこの件を公にしたくなかった。それはそうだろうね。そんな嫡男がいる家から妃を、次代の王妃を迎えるなんて他国から嘲笑されるのは目に見えている。ただでさえその頃は他国に押され気味で立場も弱かったからね」

 それは今も続いているから、こんなことが表に出ていたら大変なことになっていただろう。例えばフィルマン様たちが成し遂げた隣国との交渉も対話にすらならなかったかもしれない。

「でも、急に相手を代えることも出来なかった。王子妃教育には時間がかかるし、兄と違い王太子妃殿下は優秀で心根も優しい方だ」

 確かに王太子妃殿下は聡明で驕ることのない潔白なお人柄だ。ルイーズ様との関係も良好で、姉妹のように仲がいい。

「王家と公爵家は、我が家と婚約者の生家に頭を下げて内密にするよう頼んだんだ。王家には両家を重用し理不尽な要求をしないことを、公爵家には両家への便宜を図ることを誓約書にして取り交わした。また王家と事件に関わった令息の家からは多額の賠償金と慰謝料を得たんだ」

 それでも令嬢のことを思えば十分とは言えないだろう。未だに我が国では純潔を尊ぶから。

「私は予定通り彼女と結婚した。私だけでなく彼女の名誉を守るためにもね。あの夜会の後で流行り病にかかって片足に麻痺が残ったことにして結婚したんだ。彼女を引き取るつもりだったけれどそれが出来る状態ではないと断られたし、私に会うと興奮するからと面会も許されなかった。そうしている間に彼女は何度も死のうとしていたそうだ……半年後に亡くなったんだ」
「っ!」

 あまりにも酷い話に言葉が出なかった。そんなのって……

「あ、あんまりです。そんな……は、犯人は……」
「犯行に加わった全員が勘当されて鉱山に送られたよ。表向きは別の理由だけどね」

 やはり落馬は表向きだったのだ……他の令息も病気や事故として片付けられたのだろう。

「鉱山送りは婚約者の家族の希望だったんだ。楽に死なせるなど許せない、それなら一族路頭に迷おうともこのことを公表すると言ってね」
「そ、そうだったんですか……」

 遺族にしてみれば大切に育てた娘の未来を壊した相手だ。処刑だけで済ませるなど許せなかったのだろう。鉱山送りは貴族にとっては死ぬよりも辛いと言われている。あまりにも過酷だから若く健康な者でも二、三年で亡くなると聞く。

「結婚はしたけれど形だけだった。いつかは傷が癒える日が来るかと気長に待つつもりだったけど、彼女は……生きている方が地獄だったんだろうね。彼女の死に顔は、微笑んでいたよ。やっと楽になれたのだと、母君も言っていた……」

 目を閉じたままグラスを額の高さまで掲げると、今度はゆっくりとグラスの中身を飲み干した。

「私が婚約したと知れればまた噂が流れるだろう。でも王家と公爵家が火消しに回るよ。そういう約束なんだ」
「そ、そうでしたか……」

 レニエ様の奥様の話が全く伝わってこないのはそういう事情があったのか。当時事情を知る方の間で暗黙の了解があったのだ。そこに王家や公爵家の影を感じれば誰も口にしないだろう。

「王家も公爵家も我が家に手は出せないから安心して。少なくとも当代と次代はね。気持ちのいい話じゃないだろうけれど、ジゼルには真実を知っておいてほしかったんだ。知っていれば噂に惑わされることもないだろうから」

 上手く隠すことも出来ただろうに、私が傷つかないように話して下さったのか。レニエ様にとっては思い出すのもお辛かっただろうに。期待していた未来が崩れる苦しさは私にもわかる。

「ジゼル?」
「ご、ごめんなさい……」

 色んな思いが押し寄せてきて、いつの間にか涙が溢れていた。そんなに苦しい思いをされたのに、それを感じさせないレニエ様に胸が締め付けられる。婚約破棄されてからは二度と泣くまいと決めていたのに……

「ジゼル、私のことなら心配はいらない。確かに苦しみはしたけれどもう大丈夫だ。ジゼルと出会ったお陰でね」
「私が……?」
「君の一生懸命で健気な姿に惹かれたんだ。異動をずっと断っていたのも側を離れたくなかったからなんだ」

 そう言いながら私の右手をとると、そっと指を絡められた。それだけのことなのに心臓が痛いくらいに跳ねて今にも止まりそうだった。




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