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私からの提案

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 暫くの間、マルロー家の皆様は困惑の表情を浮かべ、直ぐには次の言葉が出てこないようでした。それもそうでしょう、筆頭侯爵家の総領娘、それも王子妃になる予定だった者が、平民になるのも覚悟の上と言い切ったのですから。

「失礼、ラフォン侯爵、発言をお許しいただけますか?」

 そんな中、その沈黙を破ったのはリシャール様でした。先ほどまで浮かべていた淡い笑みは消え、今は表情が消えてその心情は伺えません。もしかすると小娘の戯言とお怒りになってしまわれたでしょうか…

「どうぞ」
「ありがとうございます。ラフォン嬢、貴女様のお気持ちは大変ありがたく、光栄に思います。しかしながら、簡単に平民になるなどと仰るものではありません」
「でも、それが私の本心です」
「それでも、貴女様には大切に慈しみ育てたご両親がいらっしゃいます。ここまでお育てした大切な娘を、平民にしたいと思う親などおりませんでしょう。一時的な恋情もいずれは冷めるもの。もっとご自身を大切になさってください」

 リシャール様の低くてそれでいてよく通るお声は、それだけで私の心を振るわせましたが、その内容は酷く残酷なものでした。いえ、こうなる事は予想していましたが…

「私は自分を大切にしておりますわ」
「しかし…」
「私はこれまでずっと、望まない婚約のために貴重な時間を費やしてきました。それが家のためだと、耐えてきました」
「……」
「婚約者に選ばれてからは、心休まる日などありませんでした。寝る時間を削っての王子妃教育と婚約者の尻拭いで、楽しいと思った事は一度もありません。そんな私の血の滲む思いで積み重ねた努力や苦労は、ご存じのようにあっという間に無にされました。私の手に残ったのは事実と違う私への評価と、ありもしない噂ばかりです」

 私の言葉に、お父様とお母様が私から目をそらすのを感じました。お二人はあの婚約を心から悔やんでいて、未だに罪悪感に苦しんでいらっしゃるのですよね。それも全ては殿下と王妃様のせいです。そしてマルロー子爵家の皆さんは、私が望んでいなかったとは思われなかったようですわね。

「婚約破棄した時、決めたのです」
「何を、ですか?」
「これからは自分が望む道を進むと」
「しかし、平民になるのはそんなに甘くは…」
「そうですか?でも、少なくとも自分自身ではいられますわ。髪形一つも自分で決められない人生に何の意味がありましょうか。それに…平民になっても一日四時間以上は眠れるのでしょう?」
「そ、それはもちろんですが…」
「私、これまで一日四時間以上寝た事がありませんの」
「は?」

 私の言葉に、再びマルロー子爵家の皆さんが目を瞠りました。まさかそこまで忙しいとは思っていらっしゃらなかったのでしょうね。

「王子妃教育以外に、殿下の仕事の一部を肩代わりしていましたから。しかも殿下はやって当然との態度でお礼の言葉一つなくて、本当に苦痛でした。平民の生活もそうなのですか?」
「い、いえ、そのような事は…」
「だったら、今までよりもずっとマシな生活を送れますわ。信じられないと仰るのなら、商会で私を使って下さい」
「な、何を…」
「私を商会で働かせてくださいませ。勿論、身分を隠した上で下働きからで結構です」

 私の提案に両親はニヤニヤした笑みを受かべ、一方のマルロー子爵家の皆さんは青い顔を更に白くして固まってしまわれました。ただ一人、リシャール様だけは何かを探るような目で私を見つめていました。


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