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第二部

湖へ

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 その日の夜、ヴォルフ様が寝室に来たのはかなり遅くなってからだった。私は既に寝る準備を終えて寝室で一人、ベッドに横になって風が窓をゆする音を聞いていた。ヴォルフ様はお忙しい。フォルカーたちが忙しく立ち回り、たくさんの人の気配を感じたからそれだけ来客も多いのでしょうね。午後からはフレディも一緒に対応していると聞くわ。分家や大きな商会、手がけている事業の責任者などその方面は多岐に渡る。領地が広い分、商会や手がけている事業も多いのは仕方がない。

「明日は晴れそうだ。湖に行くぞ」

 夜着に着替えたヴォルフ様がベッドに乗りながらそう告げる。明日? お仕事は片付いたの?

「よろしいのですか?」
「大方片付けた。問題ない」
「本当ですか? 嬉しい! ありがとうございます」

 領邸近くの森にある湖はとても綺麗で、その上流には滝もあるという。夏は涼しくてとても気持ちがいいのだとも。

「明日は馬になるぞ。大丈夫か?」
「問題ありませんわ。ちゃんと乗馬用の服も持ってきましたから」

 事前にそう言われていたから準備に抜かりはないわ。ヴォルフ様が攫われたあの一件で乗馬は随分上手くなったのよ。ここまで来たのなら楽しまなきゃ。そう言えば……

「ヴォルフ様、フレディの婚姻についてどうお考えですの?」

 昼間彼の想い人を知った。彼とザーラの様子を伺ったけれど、ザーラにフレディ様を気にする様子はなかったわ。仮に二人が思い合っても、決めるのはヴォルフ様だ。

「ザーラ次第だな。あれがフレディを受け入れるかによる」

 既にご存じだったわ。って、当り前よね。オリスは報告しているでしょうし、影だっている。彼の婚姻相手は我が家の今後にも関わってくるのだから。

「ヴォルフ様はどうお考えですの。ザーラが相手だとして……」
「問題ない。あれはよく仕えてくれる。後継争いになることもないだろう。そういう意味では望ましい相手だ」

 そうね、忠誠心の強いザーラなら後継争いなんてしないわ。フレディもヴォルフ様との争いなんて望まないでしょうけれど。それにしても不思議な組み合わせよね。フレディは何が切っ掛けでザーラを好きになったのかしら。そのうち聞いてみたいわ。

「どうしてもと願うならフレディがどうにかするだろう」
「ふふっ、そうですわね」

 仰る通りだわ。私だって望む未来のために自ら動いたのだから。それなら手助けするのは悪手かもしれないわ。自分で掴み取るからこそ価値があるのだから。

「どうする? 今日は止めておくか?」

 顔を覗き込んでそう尋ねられた。閨のことを言っているのね。そんな至近距離で言われると恥ずかしいのだけど……でも明日のことを気遣って下さっているのかしら。だったら嬉しい。暗示のせいで距離が出来ても気遣いを感じる。それはヴォルフ様の本心が漏れたものだといいのにと思ってしまうわ。

「……お願いしますわ」
「いいのか?」
「手加減はして下さいね」
「難しいことを言う奴だな」

 何が難しいのかしら? でもヴォルフ様のお子が欲しいのよ。今の私にはそれが最優先事項。ヴォルフ様がお嫌でなければお願いしたいわ。それに大きな身体に包まれるのが好き。大きな手が顎を掴む。それだけで顔の半分が包まれてしまいそう。下りてくる口づけを受け止めて身体の力を抜いた。



 目が覚めるとまた一人だった。今日くらいはと思ったけれど、遊びに行くからその前に仕事を片付けに行ったのでしょうから文句なんか言えないわ。今度はどれくらい経ったら一緒に朝を迎えてくれるかしら? それを楽しみに待つしかないわね。必要なことだってことは理解しているもの。

 呼び鈴を鳴らすとザーラが現れた。今日はフレディも一緒に来る予定だから、ザーラやマルガも一緒に来て貰う。少しはフレディにとっていい結果になるといいのだけど。それも彼次第ね。もういい大人なのだから手を貸すのは極力控えるわ。

 朝食を終えて乗馬用の服、つまりはゾルガー騎士の服に着替える。夫人たちの集まりなら乗馬服を誂える必要があるけれど、ヴォルフ様と遊びに行くならこれで十分。動きやすいし着慣れているもの。ザーラとマルガと一緒に玄関に向かうと、既にヴォルフ様もフレディもいたわ。二人とも私たちと同じで一般の騎士の服。ヴォルフ様とお揃いなのが嬉しい。ヴォルフ様と私、フレディとオリス、ザーラとマルガ、それ以外に護衛十騎が少し離れて同行する。念のために馬車も後からついてくる予定。

 領邸は領都の西側の丘の上にあるけれど、湖は街とは反対側の方角になる。その先は森が続き、その先は山になっている。湖は森の奥の方に、滝は山を登った先だという。馬で一刻ほどの距離だけどそれくらいなら苦にはならない。馬は大人しい気性だしよく躾けられていて乗りやすいわ。楽しい。そしてヴォルフ様の騎乗姿が凛々しくて見惚れてしまう……

 なだらかな丘を下り森に入る。鬱蒼とした森を想像していたけれど下草の茂りは少なく日差しが入り込んで明るい。馬車が通れるほどの道があるのはこの先にも町や村があるからだという。景色を楽しめる速度で進む。どれくらい経ったか、道が二手に分かれている場に出た。真っすぐ進むと町や村へ、左に逸れる道だと湖だという。少し細くなった道を進む。ここを過ぎたらもう少しだと聞いていたから期待に胸が膨らむわ。森が徐々に深くなって開けた場所に出た。その先には……

「わぁ……」

 目の前に青みの深い緑色が広がった。蹄の音と風が葉を揺らす音、そして時々囀る鳥々の声が静けさの中に響き、微かな波が湖面を揺らしていた。王都の庭園の池などとは比べようもない大きさに圧倒されるわ。

「綺麗だな……」

 フレディの呟きが微かに聞こえた。声を出すのも忘れるほど目の前の景色に目を奪われたわ。この景色の前では自分が小さく思えてしまう。王都での喧騒など吸い込んで消してしまいそうだわ。湖畔に立つヴォルフ様の隣に立った。

「凄いわ……水面があんなに光って……」

 頬を優しく撫でる風が心地いい。こんな素敵な景色をヴォルフ様と見れるなんて嬉しい。二人きりだったらもっとよかったけれど……さすがに警備の問題からそれは難しいわね。恋人同士のように腕を組んだり……は無理よね。夫婦だけどそんな甘い空気は私たちにはないもの。こうして連れて来て下さっただけでも十分すぎるわ。

 オリスとザーラ、マルガが畔の側の木陰に敷物を広げ、護衛たちも少し離れた場所の木陰に馬を繋いでいた。何人かは周囲を見回りに行ったみたいね。王都ほど危険はないと思うけれど、それでも警戒を緩めることは出来ない。

「旦那様、奥様、お待たせしました」

 オリスが湖畔に立つ私たちに声を駆けてきた。敷物の上には小さなテーブルがあって、マルガが籠から水筒や食べ物を入れた箱を取り出していた。それを見てお腹が鳴りそうになったわ。いい運動だったのだから許してほしいわ。

「美味しい……」

 少し温くなった水だけど、喉が渇いているし、こんな素敵な場所では美味しく思えるわ。それにヴォルフ様が一緒だから余計に。テーブルには木の実を生地に練り込んだパンやパンにハムを挟んだだけのもの、果物や焼き菓子が並んだ。ヴォルフ様とフレディ様がいるせいかかなりの量だわ。外でこんな風に食べることも初めてではないかしら。子どもの頃に一度だけ領地の屋敷の庭でこんな風に食べたことがあったくらいね。

 食べ終わった後は少し歩くかとヴォルフ様が誘ってくれた。湖畔に沿って歩くヴォルフ様の後を追う。湖を覗き込むと水が透き通っていて水底まで見えるわ。

「ヴォルフ様、あれは?」

 何かが動いているわ。しかもたくさん。

「ああ、魚だ」
「魚? あれが?」

 実際に泳いでいる姿を見るのは初めてだわ。あんな風に泳ぐのね。もっと大きな魚もいるのかしら? それ以外でも動いているものが見えるわ。あれは何かしら? 凄いわ、湖には色んな生き物がいるのね。

「落ちるぞ」
「へ?」

 夢中になって覗き込んでいたら腕を掴まれたわ。

「あ、ありがとうございます」

 落ちそうに見えたかしら? そんなことはないのだけど。

「ここは見た目以上に深い。気を付けろ」
「え、ええ」

 底が見るのに深いなんて驚いたわ。でも、泳いだことがないから落ちたら大変だわ。着替えも持って来ていないし。

「もしかして、ヴォルフ様も落ちたことが?」
「それはない。泳いだことはあるが」
「泳いだことがあるのですか?」

 驚いたわ。貴族が泳ぐなんて聞いたことがないもの。





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