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第二部

訪問の目的

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「そう……お子が。でも、嘆くのは早過ぎでは? 婚姻してから一年半も経っていないでしょう?」

 正確には一年と四月で、その間にヴォルフ様が私に避妊薬を飲ませていた期間と、それに伴って私が閨を拒否していた時間が半年ある。でも再開してから五月経つのに一向にその気配がない。

 リーゼ様は三月で、エルマ様も初夜は色々あって遅れたけれど半年で妊娠されている。出来ないと決めつけるのはまだ早いと言われたらそうかもしれないけれど……妊娠出来る機会は十月もあったのよ。

「気にするのも仕方がないわね。舞踏会でも先日のベルトラム侯爵家の夜会でも、ゾルガー様目当ての女性、凄かったものね」

 そう言ってお義姉様が笑ったけれどこっちは笑い事じゃなかった。私に子が出来ないからと社交シーズンが再開すると釣書は届くし公の場に行けば自分を、娘を売り込もうとする貴族が押しかけてきて大変だったのだから。

「笑い事じゃありませんわ。もうしつこくて」
「でも今は時期が悪いわ。そろそろ卒業式でしょう」
「ええ」

 あと三週間ほどで卒業式とそれを祝う夜会がある。多くの貴族はその日までに婚約者を決めるものだけど、まだ決まっていないご令嬢がヴォルフ様を狙っているのだ。以前は恐れられていたヴォルフ様だけど、陛下のお子だと判明した上、私への気遣いを見せるようになって人間らしくなったと評価が大きく変わった。そのせいか『没落寸前の伯爵家出の妻よりも私(娘)の方が!』と考える方が現れた。一人では突撃しにくいけれど他の人もやっているならと、あわよくばを狙って来る令嬢が後を絶たない。

「ご令嬢方の気持ちもわからなくもないわ。私もゾルガー様といったら厳しくて恐ろし気な印象しかなかったから、イルーゼ様への態度は驚きしかなかったもの」
「それは……私もそう思っていましたけど」

 ヴォルフ様に直談判に行った時は返事すら貰えないと思っていたもの。でも、そんな中私は単身で乗り込んでいったし、親なんか当てにしなかったわ。

「何が腹立たしいって、纏わりついてくるご令嬢はどの方も親や兄弟、祖父母まで動員して本人は何もしないところですわ。それでいて私のことは没落伯爵家の出だと馬鹿にしてくるんですの。それも集団で。言いたいことがあるなら一対一で言ってこればいいのに」
「ふふっ、確かにそうですわね」
「しかもそんなご令嬢たちはヴォルフ様の前ではそんな素振りは一切見せないんですのよ。皆従順で純真ですって顔をして」
「まぁ」
「もちろん、そんな風に装ってもヴォルフ様にはお見通しだし、そんなご令嬢をヴォルフ様は求めていません。そんなこともわからないのにヴォルフ様のことをわかった風に言ってくるのが腹立たしいのです」
「ふふ、イルーゼ様は本当に侯爵様がお好きなのね」

 その言葉で頭に血が上がっていると気付いた。興奮したまま言い過ぎてしまったわ。恥ずかしい……

「ご、ごめんなさい、私ったら……」
「ふふっ、いいのですよ。ここは実家ですもの。ゾルガー様のお屋敷では言いたくても言えないのでしょう?」
「……ええ、まぁ……」

 お義姉様の言う通りだった。ティオたちはよくしてくれるけれど、いえ、だからこそ愚痴なんて言えなかった。ヴォルフ様の妻として、ゾルガー侯爵夫人としてそんな姿は見せられないもの。

「子が出来ないと些細なことでも気になって悲観的になるものよ。私もそうだったわ」
「お義姉様もでしたか」

 お義姉様も何度か妊娠したけれど全て流産してしまったわ。その度にどれほど苦しまれたか……今はその苦しみが以前よりもわかるようになったと思う。もっとも、まだ経験のない私では本当に理解することは出来ないのでしょうけれど。

「ここにいる間に私が試していたやり方を教えるわね」
「試していた、やり方?」
「ええ。子が出来やすいように私も色々やっていたのよ。私はダメだったけれどそれで妊娠した方もいらっしゃるわ」
「そうなんですね。だったら是非!」
「いいわよ。でも、一番の障害は気に病み過ぎることなんですって。ここにいる間だけでもゆっくり過ごして。それが一番の薬だそうだから」
「そうなんですね」

 確かに閨を再開してからは毎回、今度こそはと意気込んでいたわ。月の物が近づくたびに一人で期待して、来ると勝手に落ち込んでいた。先月は特に酷かったわ。医師に妊娠しやすい日を教えて貰っているけれど、その日はヴォルフ様がお仕事で閨が出来ないと言われて何だか酷く傷ついた気持ちになって……暫くヴォルフ様にきつく当たってしまった……

 それに、ゾルガー家には後継がいないしヴォルフ様はゾルガー家の血を引いていらっしゃらない。それもあって最近、分家の中からリット家の娘を迎えるように言ってくる者も出てきた。血の存続のためには当然のことだけど、それを納得出来ずにいる私がいる。どうしてもヴォルフ様が私以外の妻を迎えないと仰った言葉に縋ってしまう。それではダメだと、ゾルガーの夫人としてここは鷹揚に迎え入れるべきだとわかっているのに出来ない。

 以前はエルマ様と慰め合っていたけれど、エルマ様が妊娠されたので慰め合える仲間もいなくなってしまった。あれから二度月の物が来たけれど自分でも驚くほど不安定になってしまった。

「お義母様がいらっしゃったら、お力にもなれたのでしょうけれど……」
「ふふ、いても私には無関心だったから当てには出来ませんでしたわ。閨教育だってなかったのですし」
「そうだったわね。私も気になっていたのだけど、さすがにお義母様がいらっしゃるのに義理の関係の私が口を挟むのもはばかられて……」
「ありがとうございます。幸い何とかなりましたから」
「そう? これからは何でも相談してね」
「ありがとうございます」

 やっぱり母よりもお義姉様の方が頼りになるわ。母は最後までよくわからない人だった。実子の私よりも姉の子を、姪を大事にしていたのだから。いえ、婚約者だった方の子だったからかもしれないわね。父を憎んでいたからその血を継ぐ私も憎かったのかもしれないし。今更考えても詮無いことだけど……そんなことを考えていると侍女がやってきた。

「……若奥様」
「どうしたの?」
「エドセル様が」
「ああ、お昼寝が終わったのね。イルーゼ様?」
「もちろん会いますわ」

 そう、今回の実家滞在はエドゼルと過ごすためでもあった。もしかしたらそれが一番かもしれないわ。もう直ぐ一歳になる私の異母弟にして甥っ子。生まれて半年ほど経った頃から会いに来ているけれど、あの父の子かと思うくらいに愛らしいわ。本当に天使が舞い降りたのかと思うくらいに。乳児の愛らしさすっかり虜になってしまった私は十日に一度は顔を見に来ていた。

 なのに……ここ一月ほどは色々あって会いに来れなかった。そこは仕方がないわ。社交シーズンも始まったし、私もゾルガー侯爵夫人としての務めもあるから。私の立場が強くなればいずれはエドゼルの助けになると思って我慢してきたけれど……それでも寂しかったわ。

 暫くすると乳母がエドゼルを抱っこして連れて来てくれた。乳母の腕の中のエドゼルは見ないうちにまた大きくなっていたわ。柔らかそうな金の髪がまた伸びたし、頬も一層丸くなっている気がする。お義姉様を見つけると目を大きく見開いて顔をふにゃりと緩ませ、小さな手を伸ばした。ああ、なんて愛らしいのかしら……

「あーまーあうぅ――」

 お義姉様に向かって手を伸ばして何かを訴えているエドゼル。前よりも声が大きくなっているし何となく意志を持って声を出しているようにも見えるわ。成長しているのね……お姉様は嬉しいわ……いえ、公には叔母様なのだけど。響き的にはお姉様の方がよかったわ……

「まぁ、何か言っているように聞こえますわ」
「ええ、最近特にそう感じるわ。ふふ、抱っこします?」
「ええ、ぜひ」

 そのために来たのだもの。いえ、他の用事もあるけれど……エドゼルに比べたら些細なことに思えるわ。

「エドゼル、お久しぶりね。叔母様よ? 覚えている?」

 お義姉様の腕に抱かれたエドゼルの顔を覗き込んで声をかけた。そうすると毎回嬉しそうに笑顔を向けてくれたわ。あの笑顔は金貨百枚に相当する。この子は将来、絶対に美形になるわよ。

「会いたかったわ、エドゼル。叔母様のところにおいで」

 そう言って手をエドゼルに手を差し出し、お義姉様も私に渡そうとしたのだけど……

「っう……ふぅぇええええええん!!」




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