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第二部

公爵らの目的

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「ここは許可を得た者だけが入れる場。しかも五侯爵家の夫人との茶会の最中です。今すぐ出て行きなさい」

 ローゼンベルクの五侯爵家の夫人もいる前での実弟の暴挙に、王妃様は険しい態度で対峙された。王妃様がお怒りになるのも当然だわ。女性だけの茶会に男性が乱入するなんてとんでもない話だもの。かと言って公爵は関税に関する話し合いの特使として来国している。今後の話し合いに影響が出るかもしれない可能性を思うと無下にも出来ないのよね。

「ははっ、失礼しました。でもご心配なく。用が済めばすぐに退散致します。今日はお願いがあって参ったのですよ」
「お願い?」

 公爵の笑顔と軽いノリに王妃様は怪訝な表情を浮かべ、その真意を探るように公爵を見た。その姿は姉のお願いに警戒していた昔の私のようだわ。

「だったら然るべき手続きをして会いに来ればいいでしょう」
「実は既に義兄上らにはお願いしたのです。ですが芳しい回答が得られなかったので今日は姉上ともう一人の当事者に直接お願いをと思いまして。姉上とその方から提案していただければ義兄上も再考して下さるでしょう?」

 嫌だわ、今の会話で公爵が言いたいことがわかってしまったわ。

「これは我が国だけでなくこのローゼンベルクの利益にも繋がる話なのです」
「でも陛下が断ったのでしょう? だったら大した話ではないわね」
「そんなことはありませんよ。ただ義兄上は国益よりもご自身の情を選ばれたのです。それは国王としていかがなものかと。姉上も常に仰っていたではありませんか。王たる者私情で動くべきではないと」

 それは正論で王妃様も覚えがおありなのだろう。真意を探るような目で公爵を見ているけれど反論はされなかった。私より公を優先する考えは為政者だけではないわ。貴族だってその考えで生きている。

「なに、簡単なことですよ。イルーゼ嬢、あなたが是と言って下されば済む話ですから」

 公爵が真っすぐにこちらを見た。それはヴォルフ様と離婚しろってことね。既にゾルガー侯爵夫人として立つ私に嬢という敬称を付けるのはこの婚姻を認めないという意思の表れ。それに……

「イルーゼ嬢、ゾルガー侯爵夫人の座をこのクラリッサに譲って下さい」

 クラリッサ様の肩を抱きながら公爵がそう言った。まるで席を替わってほしいというような軽い口調で。ざぁっと風が四阿を吹き抜け花弁が舞う。クラリッサ様の表情がこの話は彼女の望みだと物語っていた。

「ラファエル! 貴方、自分が何を言っているのか……」
「姉上は黙っていてください。私は今、イルーゼ嬢と話しているのです」

 呆れたわ、いくら姉でも他国の王妃にその物言い。不敬罪だと捕らえられても文句は言えないわよ。でも、私が答えないと引っ込まないのでしょうね。

「公爵様はご冗談がお好きなようですね。でも、予測出来てしまう内容では面白味も半減してしまいますわ」

 乾いた笑いしか出ない。エルマ様をはじめとしたお茶会の出席者も感情を感じさせない笑みを貼り付けていた。

「おや、意外に驚かれないのですね」
「その類いのお話は日常茶飯事ですから」

 こんな話は今回が初めてではないし、脅迫状も数えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに届いている。それに公爵からの申し出はヴォルフ様から伺っているわ。今日も出かける私に気を付けるようにと声をかけて下さったもの。

「なんと、侯爵はあなたが不安になることを考慮されないのですか。私なら大事な妻に怖がらせるような話は聞かせないけどなぁ。ああ、でも政略だとそんなものかな。ははっ、私には考えられないけれど」

 そうね、そんな考えもあるわね。でも、これは私が望んだことなのよ。何も知らないまま何かが起きては対処出来ないから。情報があれば相手の出方も予測出来る。ゾルガー家に嫁いで思い知ったわ。

「お気の毒に。配慮のない夫ではお辛いでしょう。だったら尚のこと、私の提案はイルーゼ嬢にお勧めですよ。あなたにも人並みに大切にされる権利がおありだ」

 私がゾルガー家で大切にされていないと言いたいのかしら? ヴォルフ様が愛妻家だという噂が流れているのに。

「そうですか。でもそんな配慮のない夫ではクラリッサ様が幸せになれないのではありませんか?」

 ヴォルフ様に配慮がないと言いながら娘を嫁がせようだなんて、矛盾しているわ。それともクラリッサ様は特別だと言いたいのかしら?

「ああ、そこはご心配なく。この子はアーレント王の姪、しかもこの美貌だ。侯爵とて無下には出来ませんよ。それにこの子との縁が繋がればゾルガー家にもこのローゼンベルクにも莫大な恩恵が望めます。どちらに利があるか、侯爵は正しく判断されるでしょう」

 なるほど、情でヴォルフ様は動かないから相応の見返りを準備されたのね。確かにそうされると私は分が悪いわ。しがない伯爵家、しかも今は没落寸前で利よりも負の方が大きいもの。ざらりと心の奥に嫌な感触が走った。

「それにこのクラリッサは、十年もゾルガー侯爵を一途に想い続けてきたのです」

 ええっ? それって七歳の時からってこと? その頃にお二人は会ったことがあると? そしてあのヴォルフ様に一目惚れ? あの無表情で大人ですら恐れて近づき難いと遠巻きにしているヴォルフ様に? さすがにそれは書状には書かれていなかったわ。

「イルーゼ様、父の言ったことは本当ですわ。私は十年前にこの王宮でヴォルフ様に出会い、その時からあの方のみを想い続けて参りましたの。イルーゼ様はヴォルフ様を慕っていないのでしょう? だったら私に譲って下さい」

 両手を胸の前で組み、目を潤ませて縋るような視線を向けてくるクラリッサ様。それだけならとても可憐で素晴らしい構図だけど、既視感のありすぎる姿は目の保養にはならなかった。それに譲れって……ヴォルフ様は商品じゃないのだけど。

「クラリッサ、何を言っているのです。言っていいことと悪いことがありますよ」

 王妃様がすかさずクラリッサ様を諫めてくれた。有難いわ、そして王妃様があちらに賛同されなくてよかったと安堵の念が湧いた。

「伯母様、私は本気ですわ! その為にこの十年、努力し続けてきたのです」
「あなたの本気や努力などこの際問題ではありません。婚姻は家同士の契約、個人の感情でするものではありません。あなたも貴族令嬢であればそれくらいわかっているでしょう?」

 王妃様の言葉は正論で、夫人たちも控えめに頷いていた。政略以前にヴォルフ様の事情もあって私がどんなに想ってもヴォルフ様から想いを返されることはないわ。クラリッサ様はその覚悟があるのかしら?

「姉上、それではあまりにもクラリッサが可哀相でしょう」
「婚姻して一年も経たないのに、妻の座を渡せと迫られるイルーゼ様の方がずっと可哀相だわ」
「でも、イルーゼ嬢は政略でしょう? より条件のいい相手が現れれば契約解除もやむを得ないもの。幸い二人の間にはまだ子がいないのですから」

 確かに公爵の言うことも一理ある。両家の関係が悪化したり、宛にしていた利益が得られなくなったりで離縁することはある。大抵は離縁したい側がもっといい縁談を紹介したり、相応の慰謝料かそれに相当する何かを渡すなどしたりで遺恨なく終わらせる。

「もちろん、イルーゼ嬢と実家には相応の対価を払いましょう。そうですね、例えばアーレントへのワインの輸出、イルーゼ嬢にはゾルガー侯爵家に匹敵する家門との縁談など……」

 公爵が笑みを深めた。その言葉に胸の奥が騒めいた。ワインの新たな販路……それは今、お義姉様が喉から手が出るほど望んでいるものだけど……

「ゾルガー侯爵にとっても悪い話ではないでしょう? 伯爵家の令嬢よりもアーレント国王の姪で公爵令嬢の方が身分的にも釣り合いが取れる。それに妻の実家の領地は海に面していてね。ゾルガー家と交易が出来れば互いに大きな利を得られる」

 ゾルガー家が裕福なのは交易で莫大な富を得ているから。そこにアーレントとの交易が上乗せされれば一層栄えるのは間違いなく、それは巡り巡って我が国の利になる。落ち目の我が家など比べ物にならない。それが公爵の切り札だったのね。

「それとイルーゼ嬢、どうです、我が息子は?」

 公爵が一歩後ろに立つ息子の背を叩いた。



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