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第二部

元婚約者の婚約

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「どうして……子が出来ないのかしら……」

 舞踏会の翌日、私は自室のバルコニーで一人お茶をしていた。舞踏会や夜会などの翌日の家政はお休み。これはヴォルフ様が決めたことで、私だけでなく使用人たちも同じ。大きな催し物があると二、三日前から準備に忙しくなるから、翌日は家政も最低限にして休みをとるようにしている。ヴォルフ様は使用人への配慮も忘れないのよね。元々使用人側に身を置いていらっしゃったからかしら。

 そのヴォルフ様は王宮に呼ばれてまだお帰りにならない。どうにも気が晴れないので庭に出てみたけれど、明るい空も庭を飾る色とりどりの花々も、時折聞こえる鳥たちのさえずりも私の心を晴らしてはくれなかった。これなら家政の仕事をしていた方がよかったわね。気が紛れたもの。

 婚姻してからあと少しで一年になる。月の物は乱れもないし痛みなども人並み、一度医師に診て貰ったけれど問題ないと言われたわ。月の物の時以外は閨も頻繁しているからいつ子が来てもおかしくないはずなのに……

「イルーゼ様、どうなさいました?」

 ぼんやりとそんなことを考えていたらロッテが声をかけてくれた。すっかりゾルガー家のお仕着せが似合うようになったわ。単身この屋敷に来てくれたけれど、侍女たちとも仲良くやっていると聞く。ザーラたちもよくしてくれるけれど、やっぱり一番気が休まるのはロッテなのよね。今も変わらず私の心強い味方でいてくれる。

「ええ、子が、来てくれないなぁと思って……」

 子は授かりものだから望んだところでどうにもならないとわかっているけれど、それでもどうにかならないかと思う心は止められない。ヴォルフ様は何も仰らないけれど、この婚姻は私が跡継ぎを産むためのもの。というかそれしか求められていないわ。社交も家政もヴォルフ様は期待していないと最初から仰っていたもの。

「それは……授かりものですから。でも、婚姻して一年も経っておりませんわ。三年も経ったなら気に病むのもわかりますが、まだその時ではございません。焦り過ぎです」
「そう、よね」

 ロッテが苦笑する。そう思うのだけど、姉だって早々にクラウス様のお子を妊娠したし、母の実家は多産系だと聞いたことがあるわ。だったらすぐに子が出来ると思っていたのに……後継を産むための婚姻なのに、それが出来ない私なんて何の価値もない。

 ヴォルフ様は子が出来なくても離縁しないし、第二夫人を娶っても私を蔑ろにはしないと仰って下さったけれど、あれは婚姻前の話。あの約束は今でも有効なのかしら……いえ、それ以前にヴォルフ様が他の女性に触れるなんて、考えただけでも心臓が絞られたみたいに感じるのに……

 好きになってはいけなかったのに、私の心は勝手に私を裏切った。いえ、好きになったことに後悔なんかないわ、あんなに素敵な方だもの。他の誰かを好きになるよりもずっと誇らしくすら思う。だからこそ、私がお子を産みたいのに……

 この庭は自然の林のような感じが残っていてるけれど、ちゃんと計算して木や花が植えられている。落ち着くわ。頬を撫でる風が心地いい。嫌な気持ちも庭の空気に浄化されそう。

 程なくしてヴォルフ様がお戻りになるとザーラが伝えに来てくれた。お出迎えするために玄関ホールに向かう。そうね、悩んでいても仕方がないわ、まだ一年経たないのだから。考えすぎてもよくないというし、もう少し気楽に構えないとね。屋敷に戻ると玄関ホールの方が騒めき、馬のひづめの音が聞こえた。ヴォルフ様がお帰りになったのね。

 暫くすると使用人が扉を開け、ヴォルフ様が入ってきた。黒く見える正装も明るいホールでは濃い緑だとはっきりわかるわ。アベルを従えて歩く姿は凛々しくて見惚れるほど。そのお姿にザイデル伯爵に言われた言葉が甦った。ヴォルフ様に隠し子がいるとの噂が広がっていると。嫌なことを思い出してしまったわ。軽く頭を振って、コートを脱いだヴォルフ様に近付いた。

「お帰りなさいませ」
「ああ」

 相変わらず言葉は少ないけれど、面倒だから話さない訳じゃないことを私は知っているわ。そのままコートを差し出されたので受け取る。ズシリと重いコートからはヴォルフ様愛用の香りがした。この香りに包まれるのが好き。

「王宮はいかがでした?」

 コートの重みを感じながらヴォルフ様に続いて階段を上る。私が付いていく時は少しだけゆっくり歩いてくれる。

「大した用件はなかった」
「そうですか」

 いつ聞いても大したことはないと仰るわ。ヴォルフ様にとっての大したことのある用件ってどれほどのものなのかしら? リシェル様やクラウス様のことだって大した用件ではなかったような気がする。ヴォルフ様は先に着替えると仰ったので、私はコートをティオに渡して一旦私室に戻った。暫くすると執務室に呼ばれたので向かうと、ヴォルフ様はソファに座っていた。手招きされたのでその隣に座った。いつもは向かい側に座るのだけど今日は隣の気分。ティオがお茶と焼き菓子を出してくれた。甘い香りが室内に広がる。

「王太子からだ」
「まぁ、美味しそう」

 ティオが出してくれたお菓子は殿下からの物だった。最近王宮に行く度にお菓子を頂いているわ。お礼状を書かなきゃ。ヴォルフ様は必要ないと仰るけれどそういう訳にはいかないわ。

「シリングス公爵が陛下に謁見を願い出ていた」
「公爵様が?」

 久しぶりに聞いたかつての婚約者の家名。思い出しても少しも心が波打たないわ。

「息子の婚約の件だ」
「もしかして……まだお相手が?」
「ああ、難航しているようだな」

 私と姉、アルビーナ様の三人と婚約したのに全て白紙になったハリマン様。姉への心変わりに姉の病気、アルビーナ様の時はミュンター家の没落と理由はそれぞれ違うけれど、三度となるとさすがに敬遠されるわよね。

 それに、最近男性の好みも変わっている。以前は人気の中心にいたけれど、最近はヴォルフ様のような凛々しい男性の人気が上がっているわ。それに私の立場が上がって世間の目が私寄りになったのもあるかしら。やっと婚約者の姉に恋慕して婚約者を交換した行為が不誠実だと言われるようになった。こうなると次の相手を見つけるのは難しいでしょうね。

「公爵も息子も、フィリーネの病が癒えているのなら再婚約をと言っている」
「お姉様とですか!?」

 まさか姉を望むとは思わなかったわ。なりふり構っていられないってことかしら?

「姉は無理でしょう。シリングス家は姉の出産をご存じないから。真実を知って騒がれるのは困ります。それくらいならアルビーナ様をどこかの養子にして嫁がせた方が……」

 それに姉はハリマン様にいい感情を持っていない。婚姻しても上手くいくとは思えないわ。それくらいならアルビーナ様の方がずっといいわ。彼女ならシリングス家が没落することもないでしょうし。

「姉はいいのか?」
「はい。医師に診せれば出産したことが発覚しましょう。そうなればガウス家の醜聞になります。今はさすがに……」

 父とお義姉様が実家の建て直しを進めているけれど、まだまだ時間がかかるわ。今は足を引っ張るようなことは避けたい。

「わかった。アルビーナか。だがいいのか?」
「何がですの?」
「お前と仲が良かったとは言えなかっただろうに」

 やっぱりご存じだったのね。私の身辺は全て調査済みだから当然でしょうけれど。

「そうですね。彼女とは色々ありましたけれど、境遇的に似た部分もありましたから。彼女は聡明ですわ。目的が同じであれば共闘出来る方に見えます」
「なるほど。だったら……ハイゼ伯爵の養女にするか」
「ハイゼ伯爵って……王太子妃様の?」
「ああ。ハイゼ伯爵にとっては姪だ。王の意向と言えば喜んで受けるだろう。ミュンターの件で王家の不興を買ったのではと気を揉んでいるらしいからな」

 ハイゼ伯爵の奥様はアルビーナ様の叔母だし、由緒ある家柄だけど当主は野心もなく趣味に生きている方。アルビーナ様はどう思われるかしら? ハリマン様への思いがどうなっているかわからないから断られるかもしれないわね。

「無理強いはしないで下さい」
「わかった」

 だったら大丈夫ね。またお会い出来るといいのだけど。色々あったけれど、彼女のことは嫌いじゃないのよね。




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