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閑話:某伯爵夫人の手記②

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 目が覚めたら一人だった。ろうそくの灯りがほんのりと室内を照らす。ヴォルフ様はもう起きられたみたいね。私よりも先に起きてしまわれるのはいつものこと。一緒に目覚めを迎えたのは婚姻後の五日間だけだったわ。この部屋は窓がないから真っ暗で、今が朝なの夜なのかもわからないけれど……何だか怠いわ、寝過ぎたのかしら? どうして誰も起こしてくれなかったの?

 身を起こそうとして身体中の痛みに起き上がれなかった。余りの痛さに声が出たけれど、出てきたのは掠れて声にもならないもので、同時に昨夜の記憶が一気に押し寄せてきた。そういえば昨夜……蘇った昨夜のあれこれに眩暈がしそうなほどの羞恥が押し寄せてきた。恥ずかしいの一言で片づけるにはあまりにも……刺激が強すぎるそれに思わず掛布を被ったまま床を転がりたくなった……痛すぎてやる気にならないからやらないけれど。でも、どうしよう……あんな痴態を……もうヴォルフ様に合わせる顔がないわ……

 枕に顔を埋めて悶えていると固い何かが手に触れた。いつもはサイドテーブルの上にある使用人を呼ぶためのベルだった。喉が渇いたしヒリヒリするわ。水が飲みたくてそれを手に取って鳴らすと直ぐにロッテが来てくれた。

「イルーゼ様、お目覚めですか?」

 どこか気遣うような声はロッテも事情を分かっているってことよね。恥ずかしいわ、ヴォルフ様ったら何て言ったのかしら? でも今はそれよりも……

「……み、ずを……」

 喉がカラカラなせいか声が思うように出なかった。風邪をひいて喉が痛くなってもここまで声が出なかったことはなかったわ。ヴォルフ様……!! 直ぐにロッテが水を飲ませてくれたけれど、飲み込むのも痛かった。なんてこと……いえ、理由はわかっているのだけど……私室の方は明るいからもう朝は過ぎているのよね。尋ねるともうお昼を過ぎているという。いつ眠ったのかすら記憶にないわ……

 そんな現状に半ば呆然としているとヴォルフ様が姿を現した。心臓があり得ないほどに跳ねる。待って! まだ心の準備が……!! 昨夜の自分の痴態が恥ずかしくも情けなくてヴォルフ様の顔が見れないわ。あ、あんなに乱れた私をどう思われたかしら? はしたない娘だと情けなく思われたのではないかと不安が募る……逃げ出したい……

「すまん、やり過ぎた」

 私が心の中で身悶えていると謝られてしまった。何だかしょんぼりしているように見えるヴォルフ様。可愛い、かも……いえ、そうじゃなくて……!

 ヴォルフ様曰く、私はヴォルフ様が満足いただけるまで貪られたらしい。お陰で気を失うように眠って今はお昼過ぎだとか。さっきよりも鮮明に昨夜のあれやこれやが思い出されて、恥ずかしくて掛布の中に逃げ込んでしまいたい。きっと今の私の顔は真っ赤になっているわ。この部屋が暗くてよかった……

「いえ……ヴォルフ様がご満足、いただけたのでしたら、それで……」

 他に何て言えばいいのかわからないけれど、ヴォルフ様が満足したのならいい、のかしら? いいのよね? 夫を満足させるのは妻の役目だもの、かなりの重労働だけど。

「いや、無理をさせては体に障る。やはり控えよう」

 ええっ? 控えるの? そんな……じゃ私のあの苦労は……それに満足されないと他の女性に目を向けてしまわれる。その方がずっと嫌だわ……

「あの、大丈夫ですから。それよりも他所で発散される方が嫌と言いますか……しゅ、週に一度くらいなら、昨夜くらいは頑張れますし……慣れれば、多分今よりはお付き合い出来るかと……」

 他所に行かれたくないから頑張ったのに控えたら意味がないわ。いえ、もう少し手加減して欲しいけれど、それで不満に思われてしまうのなら本末転倒だし……難しいわね、体力の差は簡単には埋められないから……鍛錬を増やせば少しはマシになるかしら……

「わかった。だったら翌日の予定を考慮した上で週に一度ほど付き合って貰いたい。それでいいか? もう少し手加減する」
「そ、それで、お願いします……」

 手加減って、もう少しがどの程度なのかしら? よくわからないけれどしてくれるなら大丈夫? 鍛錬の時間を増やして体力を付けなきゃ。世のご夫人たち、特に騎士を夫に持つ夫人たちは大変なのでしょうね。皆様どうやって体力をつけているのかしら? 娼館が必要なのもわからなくもないわ。身体が弱い方ではお相手出来ないもの……

 その日は腰を中心にあちこちが痛かったので家政をお休みしてしまった。そういえば夜着を着ていたし身体もさっぱりしていたけれど、ヴォルフ様が後始末をして下さったのかしら? それはそれで恥ずかしいのだけど……それにしても……凄かったわ。何がどうとはとても口に出せないけれど……正直途中から記憶がおぼろげでよく覚えていない。いつ眠っていたのかも思い出せないなんて初めてだわ。

 その後スージーがやって来て「旦那様やり過ぎです!」とヴォルフ様に詰め寄っていたけれど、そもそも言い出したのは私だから申し訳なかったわ。そう言えばリーゼ様にいただいた本はどうなったのかしら……ヴォルフ様、読んだのよね? 読んだからあの行動なのよね?



「奥様、どうなさいました?」

 後日、ヴォルフ様がお留守の際、家政の合間に執務室の本棚を眺めていたらスージーに声をかけられた。

「大したことじゃないのよ。ただ、先日リーゼ様にいただいた本をヴォルフ様が持っていかれたのだけど……知らない? 表が若草色のものなのだけど」

 あの本の題名を言うのはさすがに憚られたので装丁の色で尋ねてみた。執務室の本棚には見当たらないわね。ヴォルフ様、どこかに仕舞われてしまったのかしら?

「ああ、そういえば昨日、旦那様がお読みになっていた本の中にそんな色のものがありましたが……それのことでしょうか?」
「ヴォルフ様が? 」
「ええ、確かそんな色でしたわね」

 やっぱり! ヴォルフ様がお持ちだったのね。そしてあれをお読みになったと。私だってまだ最初の部分しか読んでいないのに。あの本に何が書かれているの? それを読んでどう思われたかしら? 気になって落ち着かないのだけど……

「どこかに仕舞われているのかしら?」
「さぁ、私には何とも。旦那様がお帰りになったら尋ねておきましょうね」
「い、いいわ! 私が聞くから!」

 私が気にしているとヴォルフ様に知られたくないわ。何だかその方がいいように感じた。

 その後もさりげなくあの本がないかを探してみたけれど、見つけることは出来なかった。私が持っていたのだから私のものだとわかっていらっしゃるわよね? それでも返して下さらないってことはどういうことなの? 私は見ない方がいいってことかしら? ヴォルフ様にあの本はどうなったのかと尋ねるのも憚られて聞けないわ。かえって気になる……今度エルマ様たちに尋ねてみようかしら……余計に悩みが深まった気がするわ。



 ちなみに……その日を境に閨は一度では終わらなくなってしまった。一応私の体力を考慮して下さったのか気を失うほどということはないけれど、それでも週に一度くらいは気絶するように眠ることになった。それに……口に出せない諸々を経験することになって恥ずかしさに身悶えする日々が始まった。ヴォルフ様の顔を見るだけで色々思い出され、暫くは挙動不審で使用人たちから心配される羽目になってしまったわ。それはそれで恥ずかしくてたまらなかった。だ、だって、あんなこととかこんなこととか……ダ、ダメよ、思い出しちゃ!!




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