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 リーゼ様の言葉にティオに言われたことを思い出した。

「奥様、公の場に出れば旦那様を狙って女性が押しかけて来るやもしれません。ですが旦那様がそのような誘惑に乗ることは決してございませんのでご安心を。女狐が何か言っても木っ端みじんに蹴散らして下さいませ」

 丁寧な言い方だけど物騒な内容だった。あの時はティオらしくないと驚いてそっちに気を取られたけれど、あれはそういう意味だったのね。ティオ曰く、私と婚姻したヴォルフ様は予想を超えて私を気遣って下さっている。お陰で世間は妻を得て人間らしさを取り戻しただの、年の離れた妻の身体に溺れたなどと言っているとか。実際そんなことはないのだけど、高価なドレスを用意しゾルガー家の家宝の宝飾品で飾り、五侯爵家の当主会議の日程までずらして婚姻後の休暇をきっちり取ったヴォルフ様はそう見られているらしい。

「侯爵様が人間らしさを取り戻したと世間では専らの噂ですわ。そのため侯爵様のお情けが得られるのではないかと、そんな風に思うご婦人が増えているのだとか……」
「ええ、次期当主が集まる倶楽部では侯爵様が愛人を作るかどうかの賭けまでされているそうですよ」

 アウラー様まで苦笑しながらそう教えてくれたわ。悪趣味ねとリーゼ様がアウラー様に軽蔑した視線を向けると、僕はやっていないよとアウラー様が慌ててリーゼ様に弁解していた。相変わらず仲がよろしいわね。それにしてもそんなことになっていたなんて……

「じゃ、この会場でも?」
「多分。もちろん五侯爵家の次期当主の婚姻式ですから、あからさまに誘う方はいないと思いますけれど。でも念のため注意しておいた方がよろしいわ」
「そうですの……」

 ヴォルフ様は無表情だし身体が大きいから恐れられていて、今までは誰もそんな対象として見ていなかったみたいだけど、まさか私との結婚でそんなことになっていたなんて……ティオはあんな風に言っていたんだから大丈夫よね?

 そう思いながらヴォルフ様の姿を探すと、向こうで数人の殿方や夫人に囲まれているヴォルフ様が見えた。背が頭一つ分高いからどこから見てもすぐにわかるわ。話している中にヴォルフ様と同年代の綺麗なご夫人が何人か見えた。ティオの夫人教育の中には全ての貴族の顔と名前を覚えるものもあったから、彼女たちがどこの誰かは見当がついた。

「まぁ、侯爵様の腕に触れたわ。随分と積極的ですのね」
「ああ、あの夫人は……ドゥルム小伯爵夫人ですね。若い頃は社交界の花と持て囃された方です」

 綺麗な金の髪を持つ夫人が馴れ馴れしく話しかけた後でヴォルフ様の腕にさり気なく触れた。エルマ様と同じデザインのドレスを着ているけれど豊満なせいかとても肉感的に見える。媚びるような視線が気に障るわ……

「イルーゼ様、こういう時は気にしてはいけませんわ。動揺しては相手の思う壺ですから」
「そう、よね」

 わかってはいるけれどいい気分じゃないわね。そりゃあ、ヴォルフ様も付き合いがあるから会話くらいはしなきゃいけないでしょうけど。って……嫌だわ、これじゃ私が焼きもちを焼いているみたいじゃない。

「気にしませんわ。元々ヴォルフ様とは政略ですし、私たちの間に愛情は不要ですもの」
「イルーゼ様ったら……」

 そう言ったらリーゼ様がなんだか困ったような表情を向けたわ。でもそれが現実なのだから仕方がない。勿論私はヴォルフ様のお子を産むのだから他の殿方に靡いたりはしないけれど……ヴォルフ様は違うわね。契約にはヴォルフ様の浮気禁止は入れていなかったし。

「あら、侯爵様がこちらに向かってきましたわよ」

 リーゼ様の言葉に顔を上げるとヴォルフ様がこちらに向かってくるのが見えた。その後ろには夫人が数人後を追おうとしているけれどヴォルフ様は気にした様子はないわね。

「イルーゼ、待たせたな」
「ヴォルフ様、もうよろしいの?」
「ああ」

 どうやら話は終わったらしいわ。アルトナーの当主と何の話だったのかしら。姉の子のこと? それともクラウス様の……ってそんな話、こんな場所ではしないわよね。そういえばクラウス様の行方は掴めたのかしら。

 リーゼ様たちと別れた後は庭に出て、木陰に置かれたベンチに座らされた。ずっと立ちっ放しだったから助かったわ。ヴォルフ様は立ったままで、近づいてきた給仕からシャンパンの入ったグラスを二つ受け取った。片方を口に含んでから差し出されたわ。

「まさか……毒が?」

 五侯爵家の婚姻式も安心出来ないってこと? 今日はマルガが一緒じゃないからってヴォルフ様が自ら確かめなくても……

「念のためだ」
「ですが、ヴォルフ様が……」
「俺は慣れているから大丈夫だ」

 そう言われてしまえば受け取らない訳にはいかない。それに喉が渇いていたのも確かだった。もう一つのグラスも少し口に含んだ後、ヴォルフ様は飲み干した。大丈夫みたいだしせっかくの心遣いだから無下には出来ないわ。一気に飲み干したいけれどお行儀が悪いからシャンパンを少しずつ流し込んだ。

 それにしても毒に慣れているって……そういえばヴォルフ様と同腹のお兄様の一人は毒殺だったと言われていたわね。もしかしてヴォルフ様、今までに何度か毒殺されそうな目に遭っていたのかしら。知らないことがまだまだたくさんあるわ。いえ、知っていることの方が少ないわね。昔のことなんて殆ど知らないもの。

「跡取り娘は腹をくくったようだな」

 上から降りてきた言葉はエルマ様のことを指していた。視線の先にはバルトリック様と共に招待客と歓談するエルマ様の姿が見えた。傍から見ると仲睦まじくて先日まで別れるかどうかの瀬戸際にいたなんてとても思えなかった。

「ええ。あの……ありがとうございました。ベルトラム侯爵様を説得して下さったと……」
「気にするな。他の者が当主になる方が厄介だと思ったからだ。あの二人が当主になった方が国にとってもずっと利がある」
「それでもですわ。お陰でエルマ様は自分で答えを出せましたから」

 悩む時間を取れたからエルマ様も自分で決めることが出来たわ。もし今日まで決まらなかったら適当な理由を作って中止にするから気にするなと言って下さり、ベルトラム侯爵に話をしてくれたのはヴォルフ様だった。どうするのかは教えてくれなかったけれど、きっとエルマ様が不利にならない様にして下さったのだと思う。

 暫くベンチで休んでから再び会場に戻った。中に入ると今度はランベルツ侯爵がヴォルフ様に声をかけた。話があるというのでヴォルフ様たちは奥にある控室に向かったので私は知り合いを求めて会場内をゆっくりと進んだ。ザーラが近くにいてくれるから心配はない。ここで私に声をかけられるのは五侯爵家の当主夫妻くらいだから気が楽だわ。仮に声をかけられても無視すればいいのだけど……

「まぁ、ゾルガー侯爵夫人よ」
「ああ、あの……」
「まだお若いのねぇ。侯爵様は満足されていらっしゃるのかしら」

 私の耳に届いたのは、一回り程年が上のご夫人たちの声だった。その中にドゥルム小伯爵夫人の姿があった。内輪の話をするには声が大きいから、わざと聞かせているわね。

「何かご用かしら?」

 胸を張って鷹揚に三人に話しかけた。公の場では身分が下の者が上の者に声をかけることはマナー違反。だから彼女たちから私に声をかけることは出来ないのよね。精々こうして名を出して話しかけてもらうのを待つだけ。無視してもいいのだけど、その挑発的な目は見過ごすには強すぎるわ。周囲がぎょっとした表情でこちらに視線を向けた。



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