上 下
122 / 248

言葉通り?

しおりを挟む
 それは閨への合図かと思われた。

「あの……何を……」

 突然手を取られて指先から腕へと視線が流れた。窓がなく月明かりも入らない寝室にあるのはろうそくの灯りだけ。

「言った通りだ。怪我がないか確かめている」
「でも、こんなに暗くては……」
「ちゃんと見えてるから問題ない」

 始まったのは言葉通り怪我がないかの確認だった。ヴォルフ様は夜目が利くらしく、ろうそくの灯りがあれば十分だと言い、医師が診察するように私の身体を確かめていった。恥ずかしいし沈黙が重い。何か話さないといけないような妙な焦燥感が湧いてくる。

「ヴォルフ様、お、囮にするなら……事前に言って下さい」

 焦った末に出てきたのはそんな言葉だった。太くて硬さのある指が肌を滑って粟立つ。

「ティオに叱られたぞ」
「ティオは真面目ですし立場上そう言いますわ。でも、必要な時もおありなのでしょう?」

 そう問いかけたけれど返事はなかった。直ぐに返事をされないなんてらしくない。ティオがああいう手前言えないのかしら。

「事前にわかっていたら私も心の準備が出来ますし対処出来ますわ。いえ、囮でなくても何か起きそうな時は事前に教えてください」

 そう言っている間にも夜着を脱がされて背中を確かめられていた。下着を取られないのは幸いかしら。返事がないわ。背を向けているからヴォルフ様の表情がわからない。

「わかった」

 返事があったのは足の確認に進んでいた頃だった。恥ずかしさとくすぐったさに何とも居た堪れない気持ちになる。確認だけだと言われてもドキドキしてしまうわ。

「痣があるな」
「っ?」

 さらりと撫でられたのはふくらはぎの裏側だった。帰宅後にザーラたちが確認した時には気付かなかったのに。ヴォルフ様は時間が経って目立ってきたのだろうと言うけれど私にはわからなかったわ。軽く押すと薄い痛みを感じたから間違いではないようだけど。

「この程度なら直ぐに消えるだろうが、念のために湿布をしておくか?」
「いえ……痛みはありませんし、遅いので今から準備させるのは悪いわ。酷くなっていたら頼みます」

 湿布を準備するにしても薬草を煎じたりして手間がかかる。使用人はもう寝ている時間帯だから起こしてまでお願いするのは申し訳ないわ。

「次の外出はベルトラムの婚姻式だったな」
「ええ」

 半月後にはエルマ様の婚姻式があって夫婦で招待されているけれど、今のところそれ以外の予定はない。人に会う予定は三日後のリーゼ様とのお茶の約束くらいだけどそれはこちらに来て頂くことになっているし。

「五侯爵家の婚姻式で騒ぎを起こす馬鹿はいないとは思っていたが、我が家の時はいたからな。気を抜くなよ」
「わかりましたわ」

 そうね、あの時は警戒していたのに騒ぎが起きたわ。ベルトラム家の警備はこの屋敷ほどではない気がするから気を付けた方がいいわよね。

「婚姻式から日も経った。そろそろ茶会の誘いも出てくるだろう。行くのは構わないが警備が十分ではなさそうな相手は断れ。そこで狙われる可能性もある」
「ええ」

 そうね、格下の家では警備の問題が出てくるのは確かね。もしそこでこの前のような賊が侵入したら参加者も危険に晒してしまうかもしれない。

「友人に会いたければここに呼べばいい。その方が安全だ」
「そうしますわ」

 移動中も警戒しなきゃいけないから、それを思うとここに招いた方がずっと負担が少ないわ。

「疲れただろう。今日は休め」

 てっきりそのまま閨になるかと思っていたけれど本当に傷がないか確かめたかっただけだった。昼間よりも今のそれの方が疲れた気がするし目が冴えてしまったのだけど。そう思ったけれど身体は疲れていたようで、横になるとあっという間に意識が薄れていった。



 目が覚めた時一人だった。ヴォルフ様が来たのは夢だったのかと思うほど深く眠っていたらしい。ベルを鳴らすとすぐにロッテが来てくれた。寝過ごしたかと思ったけれどいつもの時間と変わりないという。自室に移動して顔を洗い、着替えを済ませる。昨日ヴォルフ様に言われた場所を見ると、うっすらと皮膚の色が青くなっていた。

「イルーゼ様、この痣は?」
「昨夜ヴォルフ様が気付かれたの。馬車でぶつけたのかしらね」
「そうでしたか。それなら湿布を……」
「そこまでしなくてもいいわ。この程度なら放っておいても直ぐに消えるもの」

 多分数日で消えてしまうわ。それくらいの痣だけど、ヴォルフ様はよくあの暗い中で気付かれたわね。

 食堂へ向かうと既にヴォルフ様もフレディ様も来ていた。お待たせしてしまったかしら。お詫びを口にすると二人揃って待っていないと言う。お忙しい二人は遅ければ先に食べてしまうから言葉通りなのでしょうね。

「イルーゼ、痛みはないか?」

 食事が始まって直ぐにヴォルフ様が尋ねてきた。

「大丈夫ですわ。少し青くなっていますが数日経てば消えるかと」
「そうか。痛みが増すようなら医師に診てもらえ」
「はい」

 そこまでではないけれど一応気を付けておかないといけないわね。明後日はリーゼ様とのお茶会があるし。

「イルーゼ嬢、フィリーネは元気だったか?」

 意外にもフレディ様が姉のことを尋ねてきたわ。フレディ様には既に姉が実姉ではなくいとこだったことも話してある。ゾルガー家に秘密なんか持てないから当然だわ。

「ありがとうございます。元気にしていましたわ」
「そうか」

 姉がクラウス様に通じていたこともお聞きになったでしょうに、それでも気にして下さるフレディ様はやっぱりお優しいと思う。姉も馬鹿よね、見かけや噂で判断してフレディ様を避けていたんだから。最初から寄り添い親しくなるように心がけていたらフレディ様がアイシャ様に気を取られることもなく今頃この家で優雅に暮らせていたでしょうに。

「クラウスの行方を追っている。姉の身辺も調査中だ。もし何かあったらまた報告する」
「はい」
「お願いしますわ」

 後継問題で不仲かと噂されていたお二人だけど仲は悪くない。ヴォルフ様は何かとフレディ様を気にかけているし、フレディ様はヴォルフ様を慕っていて何だか父息子のよう。いえ、年が離れた兄弟かしら。ガウス家なんかよりもよっぽどまともな家族のように見えるわ。

「お前の兄の熱が下がったらしい。だが手足に麻痺が残ったようだ」
「そうですか……」

 わかっていたことだけど、決断したのは父だけど事の顛末を知っているだけに気が重いわね。でも、実家や領民、お義姉様のために必要なことだと理解している。今までずっと父やお義姉様が諫めてくれたのに聞く耳を持たなかったのは兄だもの。

「次の後継者はどうされるのですか?」

 事情をご存じのフレディ様が尋ねた。後を継げるのは私とこれから生まれてくるカリーナの子、もしくはガウス家の分家から養子を迎えることになるかしら。私の子は産まれるかわからないしゾルガー家が優先されるからまだ先になる。子が出来るかわからないから私の子はまだ候補に入れられないわね。

「ガウス伯爵の子を兄の子にする」
「ガウス伯爵の子とは……侍女の?」
「ああ、子爵家出の母親よりもギーゼン伯爵家出の嫁の子の方が立場も強い。嫁には既に話をしてある」

 この計画は以前、お義姉様がこの屋敷に来て下さった時に話をしてあった。カリーナの子をご自身の子として育てるつもりはありますかと。お義姉様は迷いなくその提案に頷かれた。実家に戻りたくない意志は固く、一方で兄との閨への嫌悪も強かった。父の子を実子として迎えられるなら有り難いと言い、その上で次期後継者の母として領地経営などを手掛けたいとも。兄なんかよりもずっと優秀だから領民のためにもその方がいいように思う。

「伯爵も実子が次の後継になるんだ、文句はないだろう」

 ベティーナ様に似たカリーナとの子なら父も排除はしないでしょうね。出来ればその父こそ排除したいけれど今はまだ難しい。暫くはお義姉様と子のためにこき使ってやるわ。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【本編完結済】この想いに終止符を…

春野オカリナ
恋愛
 長年の婚約を解消されたシェリーネは、新しい婚約者の家に移った。  それは苦い恋愛を経験した後の糖度の高い甘い政略的なもの。  新しい婚約者ジュリアスはシェリーネを甘やかすのに慣れていた。  シェリーネの元婚約者セザールは、異母妹ロゼリナと婚約する。    シェリーネは政略、ロゼリアは恋愛…。  極端な二人の婚約は予想外な結果を生み出す事になる。

身代わりの私は退場します

ピコっぴ
恋愛
本物のお嬢様が帰って来た   身代わりの、偽者の私は退場します ⋯⋯さようなら、婚約者殿

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

嘘を囁いた唇にキスをした。それが最後の会話だった。

わたあめ
恋愛
ジェレマイア公爵家のヒルトンとアールマイト伯爵家のキャメルはお互い17の頃に婚約を誓た。しかし、それは3年後にヒルトンの威勢の良い声と共に破棄されることとなる。 「お前が私のお父様を殺したんだろう!」 身に覚えがない罪に問われ、キャメルは何が何だか分からぬまま、隣国のエセルター領へと亡命することとなった。しかし、そこは異様な国で...? ※拙文です。ご容赦ください。 ※この物語はフィクションです。 ※作者のご都合主義アリ ※三章からは恋愛色強めで書いていきます。

【完結】美しい人。

❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」 「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」 「ねえ、返事は。」 「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」 彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。

【第二部連載中】あなたの愛なんて信じない

風見ゆうみ
恋愛
 シトロフ伯爵家の次女として生まれた私は、三つ年上の姉とはとても仲が良かった。 「ごめんなさい。彼のこと、昔から好きだったの」  大きくなったお腹を撫でながら、私の夫との子供を身ごもったと聞かされるまでは――  魔物との戦いで負傷した夫が、お姉様と戦地を去った時、別チームの後方支援のリーダーだった私は戦地に残った。  命懸けで戦っている間、夫は姉に誘惑され不倫していた。  しかも子供までできていた。 「別れてほしいの」 「アイミー、聞いてくれ。俺はエイミーに嘘をつかれていたんだ。大好きな弟にも軽蔑されて、愛する妻にまで捨てられるなんて可哀想なのは俺だろう? 考え直してくれ」 「絶対に嫌よ。考え直すことなんてできるわけない。お願いです。別れてください。そして、お姉様と生まれてくる子供を大事にしてあげてよ!」 「嫌だ。俺は君を愛してるんだ! エイミーのお腹にいる子は俺の子じゃない! たとえ、俺の子であっても認めない!」  別れを切り出した私に、夫はふざけたことを言い放った。    どんなに愛していると言われても、私はあなたの愛なんて信じない。 ※第二部を開始しています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

悲しい恋 【完結】

nao
恋愛
レオとレミィは小さい頃からの婚約者。学園に入学してきた王女に横恋慕され別れさせられた。 タイトルどうりの悲しい話です。 どうぞよろしくお願いします。

処理中です...