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窓のない部屋

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「どうした? 」

 ヴォルフ様が手を引いて下さったけれど立ち上がれなかった。

「あ、足が……」
「足? 怪我でもしたか?」
「い、いえ。その……力が入らなくて……」
「ああ、腰が抜けたか?」
「……は?」

 腰が抜けた? これが? 確かに足に力が入らなくてそんな感じだけど、こんな時に腰を抜かすなんて大失態だわ。これじゃ逃げることもままならないじゃない。

「慌てるな。落ち着けばそのうち戻る」
「は、はい」

 そういうものなのかしら? 初めてのことでわからないわ。どれくらいで戻るの? 今日は初夜なのに、どうしてこんなことになっているのよ……

「動くな」
「え? は? あ、ひゃぁあ!」

 急に抱き上げられて変な声が出てしまったわ。突然のことと不安定さに思わずヴォルフ様に抱きついてしまったけれど、そうと気付いて慌てて距離を取ろうとしたら強く抱きこまれてしまった。

「落ち着け。落とすぞ」
「も、申し訳ありません!」

 そんなこと言われても……こんな格好で抱き上げられたら落ち着いてなんかいられないわ。でも落とされるのも困る。私の足、どうしてこんな時に使えないのよ!

「あ、あの、何を……」

 まさかこれから?

「あの男がどこから侵入したのか調べねばならん。その間自室にいろ」

 そう言われてほっとしたけれどそれでよかったのかしら。この先にあるのは初夜の筈なのに、どう考えても事態はそれとは無関係な方向に向かおうとしているように感じる。ヴォルフ様は私の部屋に向かって歩き出してしまい、ティオがその先で扉を開けながら進む。あっという間に私の部屋まで来て、下ろされたのはいつも坐っているソファだった。でも……

「あの……」
「何だ?」
「この部屋は大丈夫、なのでしょうか……」
「……不安か?」

 そう問われて頷いた。不安かって不安しかないわ。この部屋にはバルコニーに通じる窓もあるし、私の寝室や湯あみのための部屋、ザーラたち侍女の控えの間もある。そこに侵入者がいたら? そう思ってしまったら安心なんか出来そうもなかった。今の私じゃ自分で確かめることも出来ないし襲われたら逃げられないもの。

「そうか……」

 私を見下ろすとヴォルフ様が顎に手を当てた。

「窓がなければ……安心か?」
「え?」

 突然そんなことを聞かれたけれど……窓がない部屋なんかあるの? それって屋根裏とか地下にある部屋じゃないわよね? こんな晴れの日にそんな場所で過ごすの? だったらここで不安を我慢した方がずっとましな気がする……

「あの、やっぱり大……」
「俺の寝室はどうだ? そこは窓がない。そこでもいいのなら……」
「は?」

 窓がない? ヴォルフ様の寝室が?

「窓は全て潰してある。居間に通じる扉だけだ。天井からの侵入も出来ないようにしてある」

 潰したって……窓がない寝室なんて聞いたこともないわ。目覚めやすいようにと大きい窓を付けることもあるくらいなのよ。それでは朝になっても、いえ、昼間でも真っ暗じゃない。それに天井って……そんなことが出来る者なの? どうしてそこまで……

「暗殺防止のためだ。この屋敷ではあそこが一番安全だ」
「あ、暗殺?」

 私が疑問に感じていたのを察してかそう教えてくれたけれど……直ぐには理解出来なかった。暗殺って言ったわよね? そりゃあ侯爵家、それも筆頭侯爵家の当主ともなれば暗殺の可能性がないとは言えないけれど……そんな部屋を作らなきゃいけないくらい危険だってこと? 嫁げば危険が付きまとうとは聞いていたけれどそこまでなの?

「あの部屋は一度も賊の侵入を許していない。入り口には騎士を置く。大丈夫だ」

 大丈夫だって言われたけれどかえって不安が増しただけなのだけど。頭の中が混乱して考えがまとまらないわ。今は無理だとわかっているけれど、一人になりたい……

 結局背に腹は代えられず申し出を受けることにした。婚姻式の夜に人生を終えるなんて冗談にもならないもの。それに……好奇心もあった。

 再び抱えられて向かったヴォルフ様の寝室は本当に窓がなかった。あるのは居間に続く扉だけ。ティオが燭台に灯りをともしてくれてようやく部屋の全貌が見えた。部屋に入ると手前側に二人掛けのソファとテーブルがあり、その向こうに大きなベッドがあって、間には仕切りのように衝立があった。殺風景な部屋はここだけ別世界のような感になるわ。二人掛けのソファにそっと下ろされた。

「俺が寝ている時以外は居間に続く扉は開けっぱなしだ。換気はしてある」
「そ、そうですか」

 あまりにも想像から外れた部屋の仕様にそれ以外の言葉が出てこなかった。そこは気にしていなかったけれど、気を使って下さったのよね。

「暫く待っていろ。ティオ、ロッテ、イルーゼの側にいてくれ」
「旦那様、こんな時くらいイルーゼ様のお側にいらっしゃっては……」
「それでは俺が安心出来ん」
「旦那様……」

 ティオが困ったように眉を下げたけれど、それ以上何も言わないのはヴォルフ様が折れないと判断したのね。でも、ヴォルフ様が自分で確かめたいと思う気持ちもわかるわ。私だって出来ることなら自分で確かめたいわ。そうでなければ安心出来ないもの。だったらヴォルフ様の気が済むようにしていただくのが一番よ。

「いいのよティオ。私もヴォルフ様に確かめていただいた方が安心だもの」
「イルーゼ様……」
「すまんなイルーゼ。扉は閉めておくか?」

 お礼を言われたわ。それだけで十分よ。

「……いえ、開けておいてください」

 締めるのも不安な気がした。締め切った中で何か起きても気づかれないし助けを呼べないかもしれない。今襲われても逃げられないわ。足手纏いになってティオやロッテを危険に晒してしまうのは避けたい。

「わかった。念のため外に騎士を置いておく。何かあったら直ぐに言え」
「はい、ありがとうございます」

 ティオに頼んだと念を押すとヴォルフ様は行ってしまった。それだけで酷く心許ない気持ちになった。いつも側にいてくれたザーラとマルガがいないのも一層そう思わせたのかもしれない。ザーラの怪我はどうだったのかしら。これまでのことを思うと気が重くなるわね。どうなってしまうのかしら。色んなことがあり過ぎて考えも感情もまとまらない。

 ティオが使用人部屋から茶器を乗せたワゴンを押してきて、ロッテが受け取ってお茶を淹れてくれた。いつも飲んでいる私好みの甘みのあるお茶だった。それだけで気持ちが落ち着いていくのを感じたけれど、まだ身体の奥に震えが残っている気がする。

「イルーゼ様、大丈夫ですか?」
「ありがとうロッテ、大丈夫よ。怪我はなかった?」
「はい」

 見た感じ何かをされた風には見えなかったけれど怪我がなくてよかったわ。私も腰が抜けただけで怪我はない。立ってみようとしたけれどまだ力が入らなかった。これ、いつ戻るのかしら。まだ気持ちが昂っているわね。これが落ち着けば治まるのかしら。

 することもないので周囲を見渡す。装飾品などのない部屋は機能重視でヴォルフ様らしい。このテーブルセットとベッドの間には衝立があってベッドの頭側半分が見えないようになっている。これも暗殺者防止のためなのかしら? 目の前のテーブルとその左側にある棚、そしてベッドサイドに燭台があるけれど室内はほの暗い。これだと朝になっても暗いから寝坊してしまいそうね。

「ティオ、ヴォルフ様はずっとこの部屋で?」
「はい。当主になられて直ぐに」
「そう。じゃあ五年前から窓のない部屋で……」

 ヴォルフ様が当主になったのはそれくらい前だったはず。そんなにも危険と隣り合わせの毎日だったの?

「いえ、この屋敷にお戻りになってから程なくして、その頃お使いになっていた部屋もその様にしておりました」
「そんなに暗殺の危険が?」

 ティオは答えずに頭を下げた。


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