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一悶着

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「ほう、面白いことを言う娘だな」

 会場内が痛いほどの沈黙に沈んだ中、声を上げたのはヴォルフ様だった。ミュンター侯爵は今や石像のように驚きの表情のまま固まっているし、夫人はその侯爵の腕に掴まったまま微動だにしない。でもそうなっても仕方ないわ。ロミルダ様はヴォルフ様が当主である事の正統性に口を出したのだから。

「だ、だって……お、お祖父様が……」

 周囲の凍てついた空気を感じ取ったのか無表情のままのヴォルフ様に恐れをなしたのか、今になってロミルダ様がオロオロと言葉を詰まらせた。助けを求めるように侯爵夫妻を見上げるけれど二人は生きたまま石になってしまったかのように動かない。それほどのことを発言してしまったのだけど、まだお若いせいかロミルダ様は雰囲気に驚いているだけのようにも見える。発言の内容がどれほど不味いか理解していないようね。

「祖父が何だ? 言え」

 特別大きな声を上げているわけではもないのに、ヴォルフ様の言葉には抗いがたい何かがあった。

「お、お祖父様は、ゾ、ゾルガー当主は替え玉だって。本物は幼い頃に……し、死んで……る、って……」

 最後は泣きそうな声で聞こえるかどうかの微かなものだったけれど静まり返った会場内では聞きとれないほどではなかった。音のなかった会場にざわめきが少しずつ広がっていく。公の場で他家の当主の正統性を否定したのだから大問題よね。しかもその発言の元は先代のミュンター当主。先代当主の間に確執があったのは有名な話だもの。

「なるほど。それで? 仮にそうだとして何が問題だ?」
「……え?」

 急にそんなことを振られてロミルダ様が言葉を詰まらせながらヴォルフ様を見上げた。髪からは未だに水滴がドレスに吸い込まれていく。

「え……? だ、だって……」
「前当主が俺を実子と認め、次期当主として指名し、王もそれを認めている。どこに問題がある?」

 ヴォルフ様の言葉の言葉は正論で反論の余地はない。確かにその通りで、ヴォルフ様のお父様が実子と認めているのに異を唱えるなんて馬鹿げているわ。

「だったらお前もそうかもしれんな。本当にミュンター侯爵の娘か?」
「え?」
「こ、侯爵!!」

 国王陛下の名を出されたミュンター侯爵がようやく自失から戻って来たわ。ロミルダ様を庇う様に抱きしめるとその場に膝をついた。

「侯爵、申し訳ない! この通りだ、許してくれ!!」
「お、お父様?」

 ミュンター侯爵が膝をついてロミルダ様を抱きしめたまま頭を下げた。一方でロミルダ様は父親の必死な態度み驚いていた。

「お、お父様? どうして……お父様だって……」
「ロミルダ、余計なことを言うな!!」
「だけどっ……!」
「父上が何を言おうと関係ない! これ以上口を開くなっ!」
「い、痛いわっ! お父様っ!!」

 ミュンター侯爵がロミルダ様の両肩を強く掴んでロミルダ様が痛みを訴えたけれど娘を諫めるのに必死な侯爵の耳には届いていなかった。でも侯爵の気持ちはわからなくもないわ。祝いの席で当主の正統性に異を唱えるなんてとんでもない話だもの。

「ミュンター侯爵、その娘の発言はミュンター家の総意か?」
「ちっ、違うっ!! 侯爵、申し訳ない!! 父はもうろくしてしまったんだ。年寄りの馬鹿げた妄言だ。私にそのような考えは微塵もない!!」
「侯爵様、私からもお願い致しますっ!!」

 ヴォルフ様の静かな問いに、侯爵と夫人がロミルダ様の横に膝をついて頭を下げた。婚姻式で騒ぎを起こし、その上当主を侮辱したのだから当然よね。これが陛下の耳に入ったら大問題よ。

「いいだろう。だが王には報告する。今日は帰れ」
「こ、侯爵っ!!」

 ミュンター侯爵が縋るような目をヴォルフ様に向けたけれどヴォルフ様はそんな彼らには目も向けず壇上に向かい、すれ違う様にティオが侯爵に近付き退出を促した。壇上に立ったヴォルフ様は招待客にゾルガー家秘蔵の酒を振舞うと告げ、招待客らは暫く戸惑いながらもやがて何もなかったかのように歓談に戻った。

「驚きましたわ、ロミルダ様があんなことを言い出すなんて」
「誰かに何か吹き込まれたのだろう。だがこれでミュンターは一層立場を失うな」
「そうですわね」

 いくら年若いと言ってももう十五。今まで夜会などに参加したことがないわけでもない。何が切っ掛けかわからないけれど、甘やかされて育った彼女は自分は何をしても許されると思っていたのかもしれない。でもそれも今日で終わりだわ。彼女は二度とこの敷地に足を踏み入れることはない。それは社交界では大きな瑕疵になるし、婚約者探しに苦労するかもしれない。

 それにしてもヴォルフ様が本物じゃないなんて、前当主は孫に何を吹き込んでいたのかしら。引退して年数が経っているしかなりの高齢だから認知に問題を抱えているのかもしれないわ。ヴォルフ様はどうなさるのかしら。

 その後一層会場内は静かに時間が過ぎていった。酔っていた方もすっかり酔いがさめてしまったみたいね。それに彼女の二の舞は避けたいと各々が自重したのもあるかもしれない。お陰で残りの挨拶は淡々と進んだわ。通常婚姻式後のパーティーは大幅に時間を超えるのが通例だけど挨拶自体は予定していた時間に終わってしまった。最初は鼻高々に挨拶を受けていた両親も兄もあの騒ぎの後は大人しくなったからお義姉様の負担も少なくて済んだかしら。喜んでいいのか悩むところね。

「イルーゼ様、そろそろ……」

 挨拶を済ませ、ヴォルフ様と共にランベルツ侯爵と話をしているとザーラがやって来て声をかけられた。新婦は先に退席して今夜に備えるため。後はヴォルフ様とフレディ様にお任せね。

「一人になるなよ」
「ザーラとマルガから離れませんわ」

 ロッテは護身術を習い出したばかりだからまだ戦力にはならないので、今日はザーラとマルガがメインで側にいてくれる。勿論湯あみなどの細々とした世話はロッテにお願いするけれど。南棟から私室のある東棟に移動する間もザーラやマルガ、騎士たちに囲まれての大移動だった。渡り廊下の窓から南棟と東棟の間に建った塀が目に入った。塀の両側には定位置で騎士が立って物々しい雰囲気だわ。さっきの荷馬車の件があるから余計に警戒しているのね。

「さ、イルーゼ様、まずは湯あみを」
「ええ。さすがに疲れたわ。レースは大丈夫だったかしら」

 それなりに歩き回ったから傷んでいないか気になるわ。ドレスを慎重に脱ぐと重さや締め付けから解放されて身体がとても軽くなったわ。たっぷり張られた湯に身体を鎮めると凝り固まった身体が一気に解れていくのを感じる。さすがに疲れたわ。今日は挨拶が早めに終わったから時間は十分あるというのでゆっくり浸からせてもらった。

 それから髪も身体も十分すぎるほどに洗われて髪と肌に香油を塗り込まれた。爽やかさの中に微かに甘さが秘められた香りが素敵ね。初夜に使う香油の香りは事前に新郎が決めるものだけどヴォルフ様はこういう香りがお好きらしい。これから初夜なのだと思うと緊張してくるわ。

 外はまだ夕日が沈みきっていないくらいだけど、パーティーはどうなったのかしら? 普通婚姻する年代は親が健在だから新郎もある程度のところで切り上げるものだけど……ヴォルフ様が当主だし、場を任せるにはフレディ様はまだお若くて社交の経験も少ないわ。代わりを任せられる年配の親族っていないのよね。私の両親は論外だし……

「ヴォルフ様はまだパーティー会場かしら?」
「その様です。イルーゼ様にはそれまでゆっくりお過ごし下さるようにと仰せつかっております」
「そう」

 こればかりは仕方ないわ。でも……待っている時間が長くなるとこの後のことを意識してしまう。そういえばスージーにもまだ話もしていない。どうしよう、話をするなら今かしら? でもそのスージーの姿が見えないのよね。女主人がいないから代わりに会場の采配をしているのでしょうけれど……こんなことなら昨日のうちに相談しておくべきだったわ。急に目の前に迫った現実、私はこれまでにないほど後悔していた。




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