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王太子からの呼び出し

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 王宮の廊下は長く曲がり角も多い。有事の際を想定して造られた内部はわかりにくく慣れないうちはよく迷う。幾つもの角を曲がった先には目指す人物の私室がある。

「やぁ、よく来てくれたね」

 銀の髪を揺らし紫の目を細めて迎えたのはこの国の王太子。つい先ほどまで共に会議に出ていた人物だ。馬車乗り場に向かう足を止めたのはこれに仕える侍従。話がしたいと言うため仕方なく踵を返して王宮の奥へと向かった。嬉しそうな笑みを浮かべて席を勧めるからいつものソファに腰を下ろす。直ぐに侍従が茶を淹れてドアの向こうに消えた。

「アルトナーがしきりに気にかけていたね。もしかしてフィリーネのこと気付いちゃった?」

 フィリーネの子は順調に育ち、そろそろ安定期に入る頃だという。別邸に囲い我が家からは侍女と医師見習い、護衛を置いて監視している。今のところ怪しい動きもなく大人しく過ごしている。

「特に何も言ってきていない。別件かもしれんぞ」
「罪人の子など放っておけないと引き渡しを求めてくるかもしれないよ。将来後継者争いの火種になりかねないからね」

 その通りだし俺の手の内にあるとなれば警戒はするのは仕方ないか。邪魔さえしなければアルトナーなどどうでもいいのだが。

「クラウスを追っているけれどまだ見つけられないよ。王都ならともかくその外となるとさすがにね」

 クラウスの行方は未だに知れない。あれの母親が息子可愛さに逃がしたと言っていた。その母親は時を同じくして倒れ今は寝たきり。息子の毒を代わりに受けたのだろう。

「ああ、俺の方もまだだ。だが王都に入った可能性がある」
「王都に? いつの間に?」
「確証はない。だが幾つかの情報を合わせるとその可能性がある」

 どの情報も直接クラウスに結びつくものではないが、そうだと想定すれば可能性として形になり得るほどにはなった。

「狙いは俺だろう。後ろにミュンターがいる可能性もある」
「ミュンターの爺さん? まだフレディのこと諦めていないんだ?」

 ミュンターの前当主は昔から俺を狙っていた。ゾルガー家に成り代わるつもりかと思っていたがそれ以上にフレディを後継にしようと必死だ。

「さぁな。だがミュンターの爺は俺が目障りなんだろう。だったらクラウスに手を貸すかもしれん」
「何だろうねぇ、あの爺さんは。もしかしてゲオルグ殿ってあの爺さんの子だったりする?」
「兄が?」

 また変なことを言い出したな。

「だって、そうでもしないとあの爺さんがフレディに拘る説明がつかないだろ?」

 いくら何でもそれはないと思うが、確かにあの爺の執着心は異常だ。少し調べてみるか……

「クラウスもなぁ、いくら君に話題を掻っ攫われたからって目の敵にしなくてもいいのにねぇ。でもしょうがないよね。母親と共に死んだと思われていたゾルガー家の男児が実は生きていましたなんて言われたら」
「俺のせいではないだろう」

 母が俺を庇って死んだ日、俺は死んだとこにされて分家に隠された。何もなければ一生表に出ることはなかったが異母兄が駆け落ちしたことで俺の人生は大きく変わった。そのせいで社交界では無駄に目立ってしまったのは仕方がないのだろうが、俺のせいではない。

「弟の婚約はどうなった?」
「弟って、エーリック? 言われた通りロミルダ嬢との婚約を解消したよ。さすがに角が立つから破棄には出来なかったけど。あいつあの子のこと嫌っていたから喜んでたよ。ロミルダ嬢は納得出来ないと騒いでいるらしいけどね」

 先日の夜会でこれの弟がミュンターの次女に婚約の破棄を告げた。噂だけでいいと言ったが弟は婚約者を嫌っていたらしく、嬉々として破棄に繋がる証拠を集めたという。

「ふふ、あの爺さん今頃必死かもね」
「知ったことか。それよりも次の相手は?」
「まだ決まっていないよ。釣書はたくさん届いているけどね」

 臣籍降下したとはいえ王の実子で次期国王の弟、見目も頭も悪くない。自分の娘をと貴族たちは躍起になるだろう。

「だったらグラーツ伯爵の長女はどうだ? 昨年婚約を白紙にしてそのままだ」
「グラーツの? ああ、確か相手が落馬したとかで……って、そっか、あの子ランベルツの……」
「妹の子だ。これで多少は溜飲も下がるだろう」

 アンジェリカのせいで煮え湯を飲まされたランベルツ侯爵家。王家と距離を取っていたがそこに先日の夜会で第二王女が騒ぎを起こし、一層王家への態度が冷えてしまった。姪が王弟と結ばれれば少しは気も済むだろうか。十になったばかりの王太子の息子の第一王子には他国の王女との話も出ているが、八歳の第二王子の相手の最有力はランベルツの娘だ。娘が王子妃になる可能性が見えれば王家と距離を置きながらも協力はするだろう。

「わかった、父上に伝えておくよ。でも断られないかなぁ」
「当主に話はしてある」
「ええ? いいって?」
「伯爵は乗り気だ。娘も断らないだろう」
「そっか、恩に着るよ。ランベルツとの関係は父上も頭を抱えていたから」

 二人の王女のせいで五侯爵家の一翼との関係が悪化したがそれではこちらも困る。バランスを欠けば先王のように国が乱れて民が苦しむ。

「ランベルツが君に付いたなら王家も助かるよ。残るはミュンターとアルトナー、ベルトラムかぁ」
「ベルトラムは心配ない。あれの娘はイルーゼと仲がいいし跡取り娘やその婚約者は王家に対して二心はない」

 ランベルツとベルトラムがこちら側に付いただけでも今は御の字だ。五侯爵家は王家を支える盾と剣。先王がつまらぬ野心を持ったせいでバランスを欠き貴族がまとまらなくなったがこれで落ち着くだろう。ミュンターも嫡男は野心がないから長い目で見れば脅威にはならないはず。

「そう言えばイルーゼちゃんは元気? 婚姻式は三日後だろう?」

 いきなりなんだ? それにどうしてこいつはそこまで馴れ馴れしい? 

「変わりない」
「そっか、よかったよ。それで何日くらい休むの?」
「休む? そんな予定はないが」
「はぁっ!?」

 何だ、急に大きな声を上げて。どこに驚く要素があった?

「何? まさかとは思うけど婚姻式の翌日も普通に仕事する気?」
「ああ」
「ダメだよダメ!! そんなんじゃイルーゼちゃんに愛想尽かされるぞ! 何のために今日会議を開いたと思ってるんだよ」

 そういえば会議は通常であれば来週だったな。それにティオが何日休むのかと聞いてきた。いつも通りと言うと何か言いたげな顔をしてイルーゼとの時間を作るようにと言っていたが……

「粗方の仕事はそれまでに片付けた。フレディにも頼んである。それで十分だろう?」
「全く足りてないと思うけど? 朝起きたらちゃんと側にいなきゃダメってわかってる?」
「何故だ? あっちはゆっくり寝ていたいだろう。その間に仕事を……」
「そーれーがダメだって言ってるの! 新婚なんだよ? 朝起きて一人だったらそれだけでショックだって!」
「そうなのか?」
「そうなの! これ常識だから!!」

 ティオもそんなことを言っていたな。そういうものなのか? 侍女がいるのだから問題ないだろうに。

「君ねぇ、愛せないって言っても尊重しているって態度は大事だよ? イルーゼちゃんだってうら若き乙女なんだから」
「だがあれは愛や恋などいらんと言っていたぞ」
「それも本心かわからないでしょ! あれは実姉に婚約者奪われたら信じられなくなっただけじゃないの? でもあの子だって普通の女の子なんだよ、相思相愛の関係に憧れるものなの!」
「そうなのか」
「そうなの!!」

 それは意外だったな。そんな風には見えなかったし言っていなかったが。

「気に入ってるんでしょ、あの子のこと」
「……そうかもしれん」
「……何だよそれ。はぁ、自覚ないだけなら救いがあるんだけどなぁ……」

 盛大なため息の後、暫くは懇々と奴の持論を聞かされた。




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