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クラウスの処分◆

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「リシェルをガーゲルン侯爵に嫁がせることにしたよ」

 イルーゼが夫人教育を再開した日の夜、俺を私室に呼び出した王太子がそう告げた。ガーゲルン侯爵は王の友人で西の守護神と呼ばれる英傑で、二男一女は既に成人して結婚しそれぞれに子供も生まれていると聞く。そこに嫁がせるということは懲罰的な結婚ということだ。

「本人は了承しているのか?」
「いや、話をするのはこれからだよ。やっとガーゲルン侯爵に了承を貰ったところだからね」

 ガーゲルンも面倒を抱え込みたくなかっただろうに。こんな時は我が家が引き受けるのが常だが、俺と婚姻するわけにはいかないから仕方がない。まぁ、相応の益があるから受けたんだろうが。

「理由はどうする? 相応の理由がなければ納得しないだろう」
「リシェルの納得なんか不要なんだけど。でも、あるよ、理由」
「……クラウスか」
「正解」

 ソファに腰かけて酒の杯を手に出した声は明るく、これからの王女の未来にそぐわないものだった。だが自業自得だろう。

「まさかクラウスが……押収した麻薬を横領して売り捌いていたとは思わなかったよ」
「全部なら直ぐに気付いただろうが、一部だけだったからな」

 奴らは巧妙で廃棄する物の一部を懐に入れていた。しかも少量で効き目が高い高純度のものだけを選び、廃棄記録も改ざんしていたから発覚しなかった。だが奴が抜けると言い出したことで綻びが出てこの件が明らかになった。騎士団の怠慢も問題だな。大掛かりな人事異動があるだろう。これを機に我が家の者を送り込むか。

「それで、奴は?」
「地下牢で取り調べ中だよ。家名に泥を塗る弟はいらないってさ。今頃は色々白状させられているんじゃないかな」

 アルトナーは弟よりも家を守る方を選んだが当主なら当然の判断だろう。王家としても五侯爵家の者が闇商人と繋がっていたなど看過出来ない。グレンゲルの件もあってアルトナーへの王家の心証は悪いままだ。これ以上の悪化は避けたいだろう。弟を野放しにしていた当主の怠慢だから同情は出来ないが。
そうは言ってもこの件を公表することは出来ない。表沙汰になれば五侯爵家どころか王家の威信も地に落ちる。王女が帰国してグレシウスとの関係が不安定になった今、王女の瑕疵は余計な思惑を生むかもしれない。それは避けたいところだ。

「リシェルも馬鹿だよね。麻薬の売人をしていた奴を近くに置いて。その上で自分も薬を売っていたんだから」
「そうだな。しかもやり方がまずかった」
「本当にそう! 大々的に広めればよかったのに、取り巻きにだけこそこそ売ってたんだから。そんなの疑ってくれと言っているようなものだからね」

 薬を利用して味方に囲い込もうとしたんだろうが時期もやり方も悪かった。麻薬の件は表には出ていないが捜査をすればどうしても人の口に上る。内輪だけで薬のやり取りなど何もなくても疑われるものを。それでなくてもグレシウス人の侍女を連れて帰国したことでスパイではないかと疑われていたのに。王はその迂闊さに眉をひそめていた。

「リシェルが疑われる前に辺境に送るよ」
「それだと余計に疑われないか? 時期が悪すぎる」
「ああ、それは大丈夫。あの薬、国として正式に輸入することにしたんだ。夫人方の評判がいいからね。母上の母国でも流通しているらしいからいいかなって」
「そうか」

 最初から正規に輸入していれば王女の功績になったものを。

「最初からそうしていればよかったのにね。フィリーネのことも近くに置いている男を使うなんて稚拙なんだよ。やるなら自分が疑われそうな要素は全部排除しておかないと。あの子に権謀術数は無理だったね」
「仕方ないだろう。育てた者にその頭がなかったんだ」
「お祖母様相手に厳しいね」
「事実だろうが」
「まぁ、そうなんだけどね」

 どうせなら王妃に育てさせればよかったのだ。蝶よ花よと育てられた高位貴族出の王太后に王女の教育は無理だった。王族として他国に嫁ぎ自分の地盤を築けるだけの力を持っていた今の王妃の方がよほどマシだっただろうに。王太子が王太后の手に渡らなかったのは幸いだった。

「フィリーネはどう?」
「ああ、依存性は低いし大したことはない。近々領地に送る。暫くは外には出さん」
「そっか。あの子も馬鹿だよねぇ。この前ハリマンと婚約し直したってのに悪い男に捉まっちゃって。やっぱりリシェルかなぁ」
「多分な。イルーゼは夫人教育と称して外に出さなかったから標的を姉に代えたんだろう」

 向こうから仕掛けてくる気なのが見えたから夫人教育を理由に外に出さなかった。婚姻式が迫っているのも王女の焦りを強めたんだろう。まだ帰国して間がなく有力な伝手がないから近くにいたクラウスに頼むしかなかった。

「はぁ、そういうところが足りないんだよなぁ」

 ため息をつきながら杯の中身を呷って表情を歪めた。ケプラー産のワインは酸味が強いからな。

「クラウスもだけどね。避妊薬を麻薬に替えたのはいいけど、子が出来たらどうする気だったんだろうね」
「そんなことまで考えていなかったんだろう。自分はさっさと足を洗い、あれを中毒にして糾弾する気だったんだろうな」
「その前に抜けられなかったのは誤算だったね」
「甘かっただけだ」

 自分の能力を過信し過ぎたし、裏社会の住人の力を侮り過ぎた。世間知らずだったともいうか。次男では当主にしか知らされない裏の話も知らなかったのだろう。

「クラウスも馬鹿だよねぇ。リシェルのこと、さっさと諦めておけばよかったのに」
「そうだったのか?」
「そうだったのかって……知らなかった、か……興味ないもんね、色恋沙汰は。まぁ、クラウスも必死に隠していたみたいだけどね」
「情報として仕入れておくべきだったな」

 恋情は人を動かす大きな理由になるから知っておきたいとは思うが、その感情がどんなものかはわからないし興味もない。子どもの頃からこの年まで思い続けるか……気の長いことだ。そんなにも同じ想いを持ち続けられるものなのか。

「クラウスは子供の頃からずっとリシェルが好きだったんだよ。でも、身分がね」
「そうだな」

 当主なら望めば叶うが次男では叶うことはない。それくらい嫡男とそれ以外では差があるのが貴族社会だ。

「リシェルがグレシウスに嫁ぐって知ってからだよ、クラウスが変わったのは。女遊びが派手になって、悪い奴らとの付き合いも増えて」
「阿呆だな。身を律して出世していれば今頃手に入ったかもしれんのに」

 未婚の王女は無理でも子が出来ず未亡人になった今なら許されただろうに。

「それはクラウスが一番理解しているんじゃないかな。相当後悔したんだろうね。だけど焦ってこの様だよ」

 グラスを揺らしながら波紋を眺めていたが、言い終わると一気に飲み干した。こいつと奴は同じ年で学友として交流があったと聞いている。複雑な思いがあるのだろう。

「今後はどうなる?」
「う~ん、聞きたいことを聞いて、裏が取れたら病死だろうね」

 病死とすれば本人も家も名誉は守られる。今はそれが最善だろう。俺が真相を知っているというだけでアルトナー対しての牽制にもなる。二度と釣書も送っては来ないだろう。

「幼馴染だし共に学んだ仲だからね。罪人として処刑するのは忍びないよ」
「そういうものか?」
「そういうものだよ。昔は女の子みたいで可愛かったんだぞ。アンジェリカよりずっとドレスが似合っただろうってくらいには」

 俺にはそんな存在がいないからよくわからないが、こいつがそう言うのならそうなんだろう。


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