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卒業式と夜会

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 その日は曇りがちだったけれど、風の弱い暖かな日だった。私は今日、卒業を迎えた。

 卒業式は滞りなく終わった。厳粛な空気の中で式は淡々と進んだわ。今年の卒業生代表はフレディ様で堂々と挨拶を述べる姿は思った以上に力強かった。あんなに長く話しているのを見たのは初めてね。
 フレディ様と結婚したくないから、エルマ様たちに相談して縁談を探して貰っている。辺境の家の嫡男や侯爵家の後妻などいくつかあるわ。このままだと姉とハリマン様の尻拭いまでさせられそうだから、物理的な距離が取れる辺境に行くのもいいかもしれない。それも今日を無事終えてからになるけれど。

 卒業式の後は家に戻って夜会の準備にとりかかった。フレディ様と結婚する気はないからドレスは自分で頼んだものを着て行くことにした。何か言われたら既に準備してあったと言えばいいわ。夜会のドレスは一月くらい前から準備するものだもの。私の好みを取り入れたドレス、着るだけで気分が上向いたわ。

「とってもお綺麗です」

 ロッテがため息をつきながらそう言ってくれた。嬉しい。

「今までのドレスの反動で余計に大人っぽく見えますわ。ゴテゴテしていないから品があってよくお似合いです」

 このドレスにしてよかったわ。でも胸が目立つのは恥ずかしいわね。前はレースやフリルで目立たないようにしていたから。

 姉が何かやらかさないかと心配だったけれど、既にハリマン様が迎えに来て出た後だという。出発前に揉めたくないから助かったわ。どんなドレスか見たかったけれど仕方ないわね。両親と共に王宮に向かった。

 今日の夜会、家格の低い者から入場して陛下に挨拶するのはいつもと同じだけど、卒業生はその後でパートナーと共に入場するから隣の小広間に案内された。私は両親と別れて一人でそちらに向かった。
 小広間には既にたくさんの令嬢令息が待っていて、中に入ると注目されたわ。このドレスのせいかしら? 今までのドレスとは全然違うから余計に目立つのかもしれないわね。

「イルーゼ様」

 声をかけてきたのは、ギレッセン様と参加しているエルマ様だった。軽く会釈するとギレッセン様も返してくれた。

「見違えたわよ、一瞬誰かわからなかったわ!」

 興奮しているのか赤みのある茶の瞳がキラキラ輝いている。こんな日だもの、普段は冷静なエルマ様もそうなるわよね。

「驚いたわ。こんなに変わるなんて!」
「ありがとうございます。エルマ様もそのドレスよくお似合いですわ」

 そう言うとエルマ様が恥ずかしそうに微笑んだ。褒められると恥ずかしがるのはいつも通りね。ギレッセン様に贈られたというドレスは彼女の瞳と同じ赤みの強い茶色でよく似合っていた。背は私よりも高いけれど、胸は私ほど大きくないしウエストは細くお尻も程々。バランスがよくて羨ましいわ。私も胸だけでも平均がよかったわ。

「……それでフレディ様は? 迎えに来なかったの?」

 顔を近づけて小声でそう問われたので頷くと、エルマ様の表情が陰った。彼はまだ来ていないらしい。最後だから慌てていないのかもしれないわ。でも、私は伯爵家だからフレディ様が来てくれないと一人で出ないといけないのよね。それまでに来るのかしら?

「始まったわ!」

 入場を今か今かと待ちわびていた卒業生から歓声が上がった。男爵家から順に大広間に繋がるドアの向こうに消えていく。大広間では盛大な拍手が起きているわね。その音の大きさに益々緊張と不安が高まるわ。
 程なくしてリーゼ様とも合流した。お互いにドレスを誉め合い、他愛のない会話を楽しむ。私は不安を顔に出さないように努めながらフレディ様が現れるのを待った。

 男爵家の入場が終わって子爵家の番になったけれどフレディ様の姿はない。こうなったら父と入場するしかないわね。案内役に声をかけて、婚約者が遅れているので父を呼んでほしいとお願いした。エルマ様やリーゼ様に気を使わせてしまっているわね。申し訳ないわ。

 子爵家が終わって伯爵家になったけれど父も来なかった。どうしたのかしら? 隣の大広間にいるのだから直ぐにやってくると思っていたのに。焦りと不安で胃が痛くなってきたわ。エルマ様たちに余計な心配をかけたくないのに。そうしている間にリーゼ様が案内役に呼ばれた。私は三つ先よ。直ぐに呼ばれるわね。

「イルーゼ様……」

 エルマ様の悲しげな声が聞こえた。せっかくのおめでたい日なのに顔を曇らせてしまったわ。父は何をしているのかしら? 会場は隣だし、爵位ごとにいるだろうから直ぐに見つかるはずなのに。

「ガウス伯爵令嬢、こちらに」
 
 卒業生を誘導している係の方に名を呼ばれてしまったわ。エルマ様が泣きそうな目を向けてきて申し訳ない思いが溢れる。今日は彼女にとっても一生に一度の慶事、私のせいで嫌な記憶を足してしまったわ。

「イルーゼ様……」
「大丈夫ですエルマ様。今までと違う私を披露するのに最適ですわ」

 心配するエルマ様にそう言って今出来る一番の笑顔を浮かべた。ここまで来たら開き直るしかないわ。泣くなんて選択肢は私にはないもの。悲しみよりも怒りの方が上回って気が昂っているのがわかる。こうなったら一人で堂々と入場してみせるわ。
 心が定まったら不安も消えたわ、これも怒りのせいね。挑戦状を叩きつけられた気分。だったら受けて立つまでよと身体の奥から力が湧いてくるのを感じた。悲しんだり落ち込んだりしている姿なんか絶対に見せないわ。

「ガウス伯爵令嬢イルーゼ様!」

 騎士が大きな声で私の名を呼び、私は胸を張って大広間に進んだ。一人で入場した私に大広間の人たちが驚いているのが見えるわ。そんな彼らにこれ以上ないほどの笑みを向けた。精一杯のカーテシーを披露したあと、顔を上げ背を伸ばして真っ直ぐに前を見た。数秒の間の後まばらに拍手が上がり、その後大きな波になった。一礼をして拍手を受けながら大広間に進むとリーゼ様の姿を見つけたので彼女の元に向かった。

「イルーゼ様……」

 リーゼ様の方が泣きそうな顔で話しかけてきた。悲しませたくなんかなかったのに申し訳ないわ。こうなったら何が何でもフレディ様との婚約は断固拒否よ。父も許さないわ。エルマ様やリーゼ様に嫌な思いをさせたのだから。

「ごめんなさいね、リーゼ様。晴れの日に嫌な思いをさせてしまいましたわ」
「そんな! イルーゼ様のせいじゃありませんわ!」

 おっとりしたリーゼ様が珍しく怒っているわ。私のために起こってくれるのね、その気持ちが嬉しくて怒りが冷めるのを感じたわ。

「でも、かっこよかったですわ、イルーゼ様。ドレスもお似合いだし凛として女王様みたいでしたよ」
「そ、そうかしら」

 かっこいいと言われるとは思わなかったわ。でも見苦しくなかったのならよかった。

「あ、エルマ様よ」

 リーゼ様の声に入り口を見るとエルマ様がギレッセン様と共に入場してきた。やはり侯爵家の後継者、私よりも堂々としていて格が違うわ。エルマ様が私に気付いてこちらにやって来た。

「エルマ様、ご立派でしたわ」
「ええ、堂々としていらしてさすがですわ」

 リーゼ様と褒めたけれど、エルマ様は難しい表情のままだった。緊張、のせいではないわね。この程度の場に臆する彼女ではないもの。

「イルーゼ様」
「はい?」

 こちらに向かって来た二人を笑顔で迎える。何だか思いつめた表情のエルマ様。どうなさったのかしら? 

「フレディ様がいらっしゃいましたわ。ですが……」

 エルマ様の表情は真剣。でもさっきあった悲しみは見えないわ。

「イルーゼ様、フレディ様は……」
「ゾルガー侯爵令息フレディ様!」

 騎士がフレディ様を呼ぶ声がエルマ様のそれに重なった。

「……ましたの」
「え?」

 会場内が騒めき、次の瞬間盛大な拍手が湧いた。騎士の声に重なったせいでエルマ様が何を言おうとしたのかわからなかった。周囲から令嬢たちの悲鳴にも似た声が上がった。何事かと先ほど自分が出て来た扉を見て、目を疑ったわ。



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