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婚約者の本音

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 エルマ様たちとのお茶会の三日後、シリングス公爵家を訪れた。これは公爵夫人から夫人としての教育を受けるためのもので決められたものだ。
 あれからハリマン様とは会っていないし手紙なども送られてこない。どうなっているのかと父に尋ねるも問題ない、このまま予定通り婚姻するから余計なことは考えるなと言われてしまった。ハリマン様に手紙を出したけれどそれに返事もなかったから、今日の訪問で話が出来ないかと期待していた。

 いつも通り公爵家のサロンに案内された。庭に接した見晴らしのいい部屋だけど、今日は私の気持ちのように空は鉛色が広がっていた。こんな気の重い訪問の日くらい天気だけでもいいとよかったのにとため息が出る。

「イルーゼ様、ごめんなさいね」

 ソファに腰を下ろし、侍女がお茶とお菓子をテーブルに並べて下がると、夫人は深く頭を下げて謝罪を告げられた。公爵夫人は穏やかな気質の方で、元伯爵家の出もあってか良識的な方だ。公爵は王子殿下としての生活の方がずっと長いせいか、まだ浮世離れしたところがおありなのよね。

「ハリマンは今、謹慎させているの」

 どうやらハリマン様は反省していないらしい。そうでなければ同席させて真っ先に謝罪させるものね。

「あの子があんな風になってしまったのは私たちのせいね」
「いいえ、夫人のせいではありませんわ。どうか頭をお上げ下さい」
「でも……」
「こちら側……わきまえていない姉も問題なのです」

 私の言葉に夫人の目が潤んでいく。ハリマン様が姉を襲ったわけじゃない。姉がハリマン様の元を訪れたのがその証拠だ。そもそも私の耳に届いた睦言で姉ははっきりとハリマン様に愛していると告げていた。同意の上なのだ。

「公爵夫人はこの件、どのようにお聞きになっておりますの?」

 夫人がハッと顔を上げた。涙が零れる寸前だ。ハリマン様の意向よりも気になるのはそこだ。父が公爵家に何と説明したのか。自分たちの都合のいいように話しているのではとの懸念が大きい。

「……ガウス伯爵からは、行き違いがあったと……」

 夫人がハンカチを取り出して目元を抑えた。声が震えて身体が一回り小さくなったように見えた。

「行き違い?」
「ええ。フィリーネ様は……ハリマンを兄のように慕っていただけ、なのにハリマンが勘違いをしてしまったと」
「勘違い……」

 ハンカチに涙が吸われて色が変わっていく。勘違いだなんて、なんて便利な言葉だろう。そう言っておけばある程度のことは押し通せるわね。

「婚約はこのまま継続になると。我が家としてはそうお願いしたいのは山々よ。資産もこれと言った産業もないから、ガウス伯爵家の協力は手放し難いから……」

 目を伏せたまま心から申し訳なさそうにそう仰る公爵夫人の心に嘘はないだろう。お互いにメリットがあるからこその政略的な婚約だ。そこに異存はない。

「でも、イルーゼ様の気持ちを思うと、申し訳なくて……」

 そう言うとまた涙が零れた。心からのそれだとわかるから美しく見えるわ。姉のそれは演技だとわかっているから薄汚れて見えるのよ。

「私のことはご心配なく。最初から政略と納得していますし、ハリマン様に特別な思いがないのは私も同じです。それでも……」
「……ーゼが来ているんだって!?」

 続けようとした言葉は、廊下から響いた無粋な声にかき消された。夫人がハッと頭を上げて表情を強張らせる。諫める声とあの声が近付いている。主がこちらに向かっているのだろう。

「母上! 失礼します!」

 ノックもなく声と共にバンと大きな音を立ててドアが開いた。

「ハリマン! ノックもなしに無礼ですよ!!」

 夫人は立ち上がると珍しく声を荒げ、ハリマン様が驚きを露わにして首をすくめた。大事な一人息子だ、こんな風に大きな声を投げられた事がないのかもしれない。夫人の鬼気迫る雰囲気に押されているわね。

「は、母上……」
「あなたには謹慎を申し付けていたはずですよ。どうして許しもなく部屋を出たのです?」
「そ、それは……イルーゼが来ていると聞いて……」

 夫人の迫力に負けて声が小さくなっていくわ。外見通り覇気がないのね。

「だから何です? 謝罪する気もないのに会ってどうしようと?」

 夫人がハリマン様に厳しく詰め寄った。ハンカチを握りしめる手が強く握られて震えている。そう、ハリマン様は謝罪する気がないのね。それがわかったのは幸いかもしれない。これで切り捨てても良心は痛まないわ。

「しゃ、謝罪はしません!! イルーゼ! 私は……私はフィリーネを愛しているんだ!!」
「ハリマン!! 誰か、この愚か者を部屋に!」

 夫人が声を上げると部屋に控えていた家令と彼を追って来た彼の従僕が、慌てて後ろから手を掴んで抑え込んだ。拘束から逃れようとハリマン様は抵抗しているけれど、二人がかりの上細い身体では無理そうね。護衛もやって来たから勝ち目はないわ。

「母上!! 私は、私は自分の心に嘘が付けない!! 私はフィリーネを愛している!!」
「何を馬鹿なことを言っているの!!」
「だけど安心してくれ!! 君とはちゃんと結婚はするし夫としての務めも果たす!! ただ……ただ、彼女を想うことだけは許してくれ!!」
「早くこの愚か者を連れ出しなさい!!」

 夫人が重ねて強く言うと、ハリマン様はようやく部屋の外へと運び出された。でも驚いたわ。母親と本人の前で別の女への愛を叫び、結婚したら夫の務めは果たすと宣言するなんて。いっそ操を立てて白い結婚を宣言してくれたら潔いと感心出来たのに。

「……イルーゼ様、申し訳ありません……ああ、どこで育て方を間違えたのかしら……」

 夫人はとうとう床に座り込み、また泣き出してしまわれたわ。さすがにそのままにはしておけないから手を取ってソファに座らせた。夫人はまともな方だからあんな息子の姿を見たらショックでしょうね。私も少しショックだけど、夫人ほど思い入れがないから平気だわ。

「……ごめんなさい、イルーゼ様……」

 隣に座って嗚咽をこらえて謝る夫人の背中を優しく撫でた。私のために悲しんで下さるのね。母はそんなこと絶対にしてくれなからあんな風に言われた後だけど心が温かくなる。

「夫人のせいではありませんわ。どうかお気になさらないで」
「ありがとう……あなたはこんな時も優しさを忘れない素敵なお嬢さんなのに……」

 そのお言葉も嬉しいわね。私の家族からは出てこない言葉だもの。だから夫人のことは大好きだし、ハリマン様に愛情は持てなくても夫人のために頑張れると思っていたのよ。

「では一つお願いが。ハリマン様が我が家に来ないようにしてください」
「ハリマンが……わかりましたわ」

 ハリマン様があの調子では、また同じことになりかねない。あの二人が顔を合わせる機会を失くすしかないわ。

「……夫が帰ってきたら……ハリマン有責で婚約破棄にしてくれるよう、話をするわ……」

 泣き続ける夫人に困っていたら、家令が今日はお引き取りをと言ってくれたので公爵家を後にした。公爵夫人が心配だわ。お優しくて繊細な方なのに。ハリマン様は繊細さは引き継いだけれど優しさは受け継がなかったのね。全く、夫の務めを果たすだなんてふざけているわ。今ですらエスコートやダンスで手に触れるのも気持ち悪くて仕方がないのに。


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