黙の月ー神の絆に愛されし桜

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第36話 決死の転移

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「雅、あんた、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ、珠樹。 眠い」

 熊野速玉大社近くにある津島本邸は襲撃を受けたため、どこにも休める場所などなかった。だから、俺と珠樹は本宮大社近くまで戻り、別邸で休息をとることとした。
  姉が運転してくれる車の中で俺は爆睡、珠樹は悠貴から届いた言霊を運ぶ式神を手にしながら、何やかんやと手配をしていたらしい。どこまで鉄人なのかわからないけれど、たぶん、一睡もしていない。
 本宮大社に着くや否や、珠樹にたたきおこされた俺は津島の主要幹部を招集して、悠貴がやるという大事に対しての準備を開始し、現在に至る。
 ぐっすり眠ったのがいつだったか、もう覚えていない。
 冥府の奴らに好きにされたことのない親父たちの世代の偉大さを痛感。
 俺の親父、公介さん、静音の親父、冬馬さん、泰介さん。
 思い出しただけで、ぞっとする顔ぶれだ。
 半年に一度、このおっさん5名を相手にする『夜叉稽古』という二つ名がついた稽古があるのだが、女であろうと男であろうと問答無用でボコられる。ボコられすぎて、今や稽古前日に知恵熱を出すほどのトラウマ行事だ。
 それよりもさらに格上の朔と女王が夜叉5名の上にいる環境はまさに2重の防壁。その中で何も知らずに俺達は安穏と生きてきたみたいなものだ。

「護られすぎてたんだよなぁ、ほんとに」

 古宮の大鳥居をみあげて、俺は息を一つ吐いた。
 護られて、護られて、護られて生きてきた俺達に何ができるのだろう。
 悠貴は本当にどうやって、王樹へ導くというのだろう。
 黄泉使いでないものまで全てを導くと言う。
 勝負はどれだけ長引いても撤収までを含めて15時だ。
 どれだけ長く見積もっても手放しで動ける活動限界時間は残り5時間しかない。
 しかも、観光客もいれば、通常の生活をしている人々の目もある。
 人目を避けるにも苦労しかない。
 それに本来、王樹の場所は口外すべきものではないし、一度でも道をさらしてしまうとアナログにでもたどり着いてしまう者が今後でないとも限らない。
 非戦闘員は血族に生まれながらその才がないがために己のアイデンティティを一度崩された者達であり、中には黄泉使いのルールを無視する者もいる。少数であればその制御は容易い。だけど、悠貴はすべてを度外視して王樹へ引き込むと言う。
「俺は反対だ。 犠牲はやむを得ない。 非戦闘員は捨て置けと言いたい」
 横で腰に手を当てて同じように鳥居を見上げている珠樹もさすがに渋い顔をしている。
「大斎原で不穏なことを口にするなと言いたいが、私も概ね同意見だ」
「結局、これを決めたのは貴一だと思うんだ。 悠貴の発想で、こんなありえない選択は生まれない」
「そりゃそうだろう? でも、貴一が何を狙っているかが肝なんだろうよ。 悠貴は少なからず狙っている物を理解した。 だから、こんなバカげたことを決行すると言ってるんだろうし」
「俺は性善説では物事を考えられない。 200、300、それ以上の人間が集まるんだ。 全員が悠貴の決定に従順に動いてくれるとは思えない」
「それは私もそう思う。 だけど、それをやらねばならないんだろう? その他大勢を信じられなくても、悠貴を信じて、私は反対するのをやめた」
 珠樹はふうっと息を吐いて、大鳥居に手をふれて苦笑いだ。
「先の事は考える必要ない。 今、何が必要かってだけであの姉弟は動いている。 常人では見えない世界が見えているのかもしれない。 それに、私はやっぱり悠貴が間違った判断をするとは思えない。 実のところ、貴一の無理難題こそが今の私たちには必要なのかもしれない。 だって、もう、状況は何一つまともじゃない。 通常の感性などあてになるか?」
 俺は確かになと空を見上げた。
 森の匂い、水の匂い、土の匂いがする。  
 熊野は森が深く、古くから『いにしえの地』と呼ばれ、亡くなった先祖が宿る場所とされ、そこに行って戻ってくることは『再生』を意味し、これまでの罪や穢れを落として生まれ変わることができると信じられている。
 これは真実で、大斎原はまさに再生を促進する場所だ。
 モズに深くえぐられた目の上の傷がゆっくりと癒えていく。
 悠貴に指定された時間は『11:11』だ。
 俺と珠樹はそれぞれの家の退避させた要員を二つに分けた。
 津島は熊野本宮大社、那智大社の二カ所に俺が分配した。
 穂積は出雲と京都に割り、出雲班は出雲大社の西方1kmにある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる稲佐の浜と京都班は貴船神社と二カ所に分けたようだった。
 ようやく連絡がとれた静音は白川を厳島に集めきって同様の準備をしていると言っていた。
「なぁ、静音の言ってた援護ってなんなんだろうな」
「援護はいらんと言ったけど、送ってくるくらいだから、よっぽどの隠し玉だろ?」
 珠樹はむうっと頬を膨らませて言った。
「春夏秋冬は何をしてくるかわからんから、この援護はありがたく受け入れようぜ。 あのモズってのが不気味すぎる。 ちょっと違和感ないか?」
「どんな違和感だ? 何もかもが無茶苦茶だから、違和感なんかわからん」
「モズは本当に下位の雪なのか、とか?  闘っていく内にな、うまく言えないんだけど、モズの攻撃力がどんどん底上げされてくるというか、何て言ったらいいんだろう。 伝わる?」
「相手によって、自分の攻撃力を変える? そんな感じか?」
「それもある! でもなぁ、何かおかしいんだ。 底なし沼と闘ってるみたいな感覚。 限界がない感じがする」
「手の内読まれてるのも変だしな。 雅、言ってたろう? 度を越えたレベルで知られすぎてるって」
 モズの持っている情報は詳細すぎるし、明確な言葉で表現ができないが、とにかくおかしい。まるで身内。それも、親の世代がもっているかのようなレベルの情報を握っている。
「どうやってこちらの情報を握ったのかとか、もう気持ち悪ぃことばっかなんだ」
 何なのだろう。得体のしれない、このどうにも気持ちの悪い感じ。
 珠樹がやめだと俺の肩をたたいた。
「雅、悠貴の指令をこなすことに集中しよう」
「そうだよな。 まぁ、その前に腹減ったわ。 オニギリ食う」
 珠樹がオニギリを放りなげてきて、俺はそれを受け取った。
 黄泉使いと言えばこのオニギリ。各家特性の爆弾オニギリ。
 宗像本家は味付け海苔、宗像分家と白川家は焼きのり、津島家と穂積家はとろろ昆布で巻いてある。具材は食べる本人のお気に入り。弁当箱など持参して任務に出ることができないから、こうして拳大のオニギリを一任務2つは渡される。
 笑えるほどにシンプルだけど、力飯というやつだ。
「うまい?」
「うまいよ」
 俺と珠樹が手にしているオニギリは姉が集合時間前にここへ届けてくれたものだ。
 色々考えすぎて、なかなか食べるという気力がわいてこなかったが、雲一つない晴天のもとで気合を入れて口にする。
 生きるってこういうことだ。食べて、食べて、闘う。
「なぁ、雅、本当に何もかもうまくいくと思うか?」
 隣でオニギリをほおばっている珠樹がわずかに目を伏せた。
 常に冷静に見える珠樹が露骨に不安な気持ちをみせた。
 親世代を取り戻すには、女王を取り戻す必要がある。
 女王を取り戻すには、朔が眠りから覚める必要がある。
 朔を眠りから覚ますには、貴一がトリガーとして何らかの発動条件を得る必要がある。
 静音は個体としての『朔』を確保したと、王樹のもとへまずは届けたと言っていた。どうやって、どっから、そんなとんでもないものをゲットしてきたのかとか、いずれ静音には聞くつもりだが、今は、我慢だ。
「珠樹は、うまく行き過ぎてるって言いたいのか?」
 珠樹はうなずいた。
 日中、こちらが動けるのは相手もわかっている。敵側があえて退くことで、メリットがあるとするならば、確かに、奴らが何を狙っているのかわからない。
「私たちは奴らの良いように動かされてはいないだろうか?」
「目的が最初から女王ではないって思えば、色々と説明はつくんだけどな」
 俺はゆっくりと緑茶を喉に流し込んだ。
「最大の目的が女王であったのなら、どうして封印なんだ? あらゆる手を尽くして女王を屠ることに注力すれば良いのに、それをしなかった。 仮に、女王を殺めるほどの力がないから、封印に全力を尽くしたのだとしても、女王に対して真っ向から看破できないレベルの黒幕であれば、うちの女王様ならばいずれその封印は自ら破るぞ。 親父たちもただ眠っているだけで害されてはいないしな。 まるで時間稼ぎしてるみたいだろ?」
 ずっと疑問だった。
 女王は廃されていないし、朔は眠っているだけで害されていない。黄泉の鬼たちも害されていない。ほぼ無傷なままで宗像の中枢は凍結されているだけだ。
 王樹は正常に稼働しているし、古の神々と俺達は絆すら作ることが許された。
「この不可思議な環境にあって、俺達の黄泉使いとしてのレベルだけが跳ね上がった。 一番跳ね上がっているのはおそらく貴一だ」
 宗像貴一。
 俺の幼馴染み。柔らかい表情をしながら、口調も穏やかである彼。
 でも、その目はいつもどこを見ているのかがわからなかった。何かにおさえつけられて、本当の彼を出せずにいつもこらえているような感じがしていた。
 槍も呪術も、体術も本当はずば抜けていてもおかしくないのに、彼は常に50%で寸止めしているような感覚。
 王代行だと言われて驚いていたのは彼一人だけだろう。
 皆、昔からわかっていたはずだ。
 宗像貴一が俺達の代の絶対強者になると、誰もが感じていたはずだ。
 静音も俺も珠樹も悠貴も『貴一を護れ』と言われて育ってきているはずだ。
 俺なんか、親父から『お前は首だけになっても貴一を護り抜け』って言われてきたくらいだしな。
 多かれ少なかれ、貴一以外の4人は皆、貴一を護るために得意分野を極めさせられたというのが真実だろう。
「貴一をどうするつもりなんだろう」
 珠樹は眉をひそめて、ふうっと息を吐いた。
「貴一はどうもされないし、俺達が手をださせなけりゃ良い。 罠であったとしても、今はそれを飲んで動く他ないから悠貴も選択したんだろう。 俺達が思いつくレベルの疑問なら悠貴も当然たどりついている」
 珠樹はそうだなとうなずいた。
 二人で急いでオニギリを食べきり、深呼吸した。
 ゆっくりと立ち上がると、互いに10メートルの距離をとって離れた。
 和紙の巻物をゆっくりとひろげていく。
 全長8メートルが2枚並ぶ。
 俺の目の前には津島一族の、珠樹の前には穂積一族の名簿がある。
 特殊な呪符をはりつけてある和紙に、俺達の血をまぜた墨汁を筆にしっかりとなじませて、全員の名前を書き込んでいくのに約3時間かかった。その間に、すべての人員の移動を済ませていた。
 昼前の観光客の前ではさすがにこれをするのは問題がある。
 だから、工事のお知らせをたて、一時的に立ち入り禁止にした。
 10分程度だから、ごめんなさいと頭を下げることにした。
 悠貴が指定したのだから仕方がなかった。
 人気のない山であればいくらでもあるのだが、『大斎原』と指定された以上仕方ないと割り切った。
 指定の時間、俺たち二人に同時にスマホを鳴らすから必ず受けろと悠貴は言った。
 そして、約1分は丸裸になるから、必ず、各自で第一結界を張るようにもくぎを刺されていた。
 第一結界。
 これは後継として選出された時に各家の当主から与えられた血の結界。
 宗像、津島、穂積、白川と各家に一つしかない。
 スマホのデジタルは『11:10』を示す。
 珠樹と互いに顔を見合わせて、指先を歯で傷つけて、血をにじませる。

「第一結界を発動する」
 
 互いの結界はまじりあわない。
 俺は津島の結界、珠樹は穂積の結界。
 まるで世界をわけたように、珠樹の姿は見えない。
 スマホから着信が聴こえ、俺はそれを受け、スピーカーに切り替えた。

『はじめる。 雅、珠樹、静音、何があっても意識を失うな。 いいな?』

 悠貴の声がきこえた。

『二十六の夜にさそわれいでてなむぞ思ひなりぬる。 有明の月は夜明けを託された者の舞。 桜の舞、二十六夜』
 
 鈴の音がする。
 悠貴の声が音になった。
 耳から入る音は鈴音なのに、意識には言葉として入り込んでくる。
 突如、強烈な頭痛がして、視界がゆがむ。
 のどをしめつけられるような息苦しさまでくる。
 待て、これは何だ。
 俺の手は勝手に印を結ぶ。
 待て、待て、待て。
 まるで身体をのっとられてしまったように意志とは関係なく動く。
 名簿の上に血を落とし、その和紙が血を吸って赤く染まる。

「王奪還がため、津島の血をもって道を押し開く!」

 言霊まで操作されると、さすがにうまく呼吸ができない。
 俺が意識を失ったら、きっと、悠貴の術は崩れる。
 食いしばれと両手を和紙の上につき、身体を支えた。
 身体中の血液が奪われていくような感覚だ。
 和紙の端から端までが真っ赤に染まる。
 血の色で書き記された文字がもう何も見えない。

『月の絆を持つ吾らの血をもって道を成す』

 悠貴の声だと思うのだが、もう音でしかない。
 鈴のようで、水のようで、何なのかわからない。

『王の命により古の如く王樹を開く!』

 ドンっと背から何かに貫かれたような痛みがくる。声を堪え、ひたすらに歯を食いしばった。
 和紙が一気に紫色の炎で燃え上がりはじめる。
 だが、熱くはない。
 ついたままだった両手は何ともない。
 なるほど、そういうことか。
 悠貴が俺達に第一結界を張らせた理由がわかった。
 多くの人間を一斉転移させる方法。

『津島の血の者よ、王樹へ参れ』
『穂積の血の者よ、王樹へ参れ』
『白川の血の者よ、王樹へ参れ』
『我が宗像の血の者よ、王樹へ参れ……』

 悠貴の声が弱くなっていく。
 馬鹿野郎が、これだけのことをしたら悠貴の身体がもたない。
 俺は渾身の力で腕を動かして、印を組む。

「武甕槌大神! 援護だ!」

 送り込め、早く、早くと歯を食いしばる。
 悠貴の意識が切れたらそこまでだ。
 きっと、静音も珠樹も気が付いたはずだ。
 送り出す方がきっと楽なはずだ。
 俺が先に倒れるわけにはいかない。
 受け入れをしている悠貴の方が苦しい。

「悠貴、踏ん張れ!」
 
 早く燃えてしまえ、名簿!
 これが燃え尽きれば完遂のはずだ。
 口腔内に血液のたまりができている。
 俺の身体もそこそこにこたえてきている。

「大丈夫だよ、援護しよう」

 俺の背後に人の気配がした。
 えっと振り返る間もなく、その女性は俺の手に自分の手を重ねる。
 身体が恐ろしいほどに楽になる。
 はっと腕に目を落とすと、女性の腕から文字がながれおちていくように俺の腕に巻き付いていく。

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そを たはめくか うおえ にさ りへて のます あせゑ ほれけ」

 ひふみの祝詞。
 この人は誰だと思ったところで、二度目の頭痛がした。

「津島雅、耐えろ」

 切れ長の目がこちらを見た。
 瞳の色は俺と同じ紫。 
 彼女は自分の指を傷つけてにじませた血液を俺の唇に押し付けた。
 強めの静電気程度のしびれが届き、俺はふっと意識を飛ばしそうになる。

「耐えろ、残り10秒だ」

 はっとして、歯を食いしばる。
 悠貴が耐えているのに、俺が頑張らなくてどうするんだと唇をかんだ。
 名簿があと20㎝程度燃え残りがある。
 燃えやがれと力を込めた。
 ドンっと胸に刺さるような痛みにうなりながら、燃えろと念じる。
 そして、名簿全てが燃え切った。

『受け入れ終了。 よくやった……』

 悠貴の声が途切れた。

「悠貴!」 

 何度呼びかけても応答はなく、通話は終了していた。
 だらだらと冷や汗が地におちていく。
 四つん這いのまま、俺はうなる。
 術の跳ね返りだ。
 四肢の激痛が半端ない。
 心臓がえぐられるような痛み。

「この津島を赦せ。 かわりに私が受けよう」

 女が俺に触れた。
 急激に楽になったが、かわりに彼女がその場に転がった。
「ちょっと!」
 俺は彼女を抱き起す。
 口角から血がもれている。
 だが、大丈夫だと苦笑いをして、彼女は一つ息を吐いた。

「はじめまして。 津島雅君。 私は津島巽という。 津島のスペアとも言う」

 にへっと笑っている彼女の言っている意味がわからない。
 呆然としている俺の第一結界が解除され、珠樹の姿が見えた。
 珠樹もまた呆然とした表情でこちらを見ている。
 彼女のそばにも少年がいる。

「援護って貴方達なのか?」

 そうだと津島巽は笑った。
 そして、彼女はゆっくりと体を起こした。

「術の跳ね返りはもう解消した。 さて、夜に向けて作戦をねろうか?」

 にいっと口角をあげた巽が俺の肩に手を置いた。

「君たちを勝たせるためにここへ来た」

 よく見ると、どこか姉に似ている。
 見た目はおとなしそうで、綺麗なのに、中身は男より男だ。
 さて、どこから情報収集をはじめればよいのやらと俺はため息だ。
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