黙の月ー神の絆に愛されし桜

ちい

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第2話 宗像本邸、悪鬼襲来

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 どれくらい気を失っていたのかわからないが目を覚ました時には痛みはなんともなく、腕に傷口など何もなかった。夢を見ていたのだろうかとほうと息を吐いた。
「話し声?」 
 部屋の外に人影があり、両親のひそひそ声が聞こえた。
 そっと障子をあけて覗き見ると満身創痍の父さんと母さんが真っ蒼な顔をしてこう言っていた。
「志貴に限ってありえないわ! 何かの間違いよ!」
「女王が居なくなるなどあってはならんことだ。 何があったんだ……」
 割れるはずのない仮面が二人とも真っ二つになっており、宗像一門の誇りである望月の梅の羽織の袖が破れてしまっていた。
 母は頬に切り傷、父はまだ上がったままの息を落ち着かせようと必死だ。
 この人たちがこんなことになる状況って何なんだと僕はぞっとした。
 どんな悪鬼と出くわしても僕の両親は息を吐くようにスムーズに片づけてくる人たちだ。こんなに傷だらけの姿など見たことがない。
 父は片腕をやられたのか、床には指先から血液がしたたり落ち、小さな水たまりのようになっている。それをあわてて母が布で傷口をきつくしばっているようだった。
 そんな母の羽織も肩口もざっくりと割かれており、その下には包帯が見えている。
 騒々しく複数の足音が屋敷外へむかって駆け抜けていく。宗像本家につめていた黄泉使い達がこんなに一斉に動くなんてことは前代未聞だ。 
 僕は結界の中にいたためにこの音にきづけていなかった。
 そうか、僕たちはこの騒動から隠されていたのだ。
 はっとした母が僕に気が付き、取り繕ったようなほほえみを浮かべて出ておいでと手招きをした。
「貴一、望月の羽織を着なさい」
 母が僕を抱き寄せて言った。その腕が震えている。
「その腕、あなたが選ばれたんでしょう? やっぱりあなたが選ばれた」
 母の顔は見えないが、その声が泣いていた。
 僕の腕には何もない。僕には何も見えないのに、母には見えているのだろうか。
「獣は決して間違わない。 だから、もう羽織をあなたに譲る時なんだと思う」
「母さんの羽織じゃないか!」
 僕は母から体を離して、その目を見た。
「よく聞いて、貴一。 勝負にはね、絶対にひいてはいけないタイミングがあるのよ。 あの時こうしていればっていうのはない」
「だからって、今の僕には何もできないよ! 母さん以上にどうやって僕ができるっていうの?」
「力っていうのはね、目に見えるものが全てではないのよ。 貴一のここはもうしっかりと役割が果たせることを知ってる」
 母は僕の胸のあたりを指でつついた。
「だから、お願い。 志貴を助けて……」
「志貴って誰?」
「母さんの大切な姉さん。 そして、みんなの女王」
「女王は僕のおばさんなの!?」
 逢ったこともない、見たこともない女王。
 一度だけ声を聴いたことがあるが、とても母の姉とは思えないほどに若く、僕とそうかわらない年齢のように思えた。
 女王と謁見できる黄泉使いなど今や誰もいないと聞いたことがある。
 そして、どこにいるかもわからない。
 狼の朔だけをそばにおいて、どこからか皆を護ってくれているようなそんな存在。
 その人が叔母だったというのか。
「母さんもこの数十年は逢えなかった」
「姉妹なのにどうして?」
 母は僕の質問に窮してしまい、それには答えられないと静かに首を振った。
 いずれわかると付け加えて。
 父は母のそばで言葉なく目を伏せていた。その背中の家紋の梅が泣いているように見えた。
「貴一が選ばれたのなら、私は貴一に託す他ない。 急いで大叔父様とお爺ちゃんのところへ行こう。 貴方が知るべきことがたくさんある」
 母が何を言っているのかわからない。
 僕はまだ15歳だ。ようやく黄泉使いとして任務を果たすようになってまだ一年しか経っていない。その僕が宗像の大叔父に次いで2番目の席に就けるわけがない。
 僕は無意識に首を横に振る。これはありえない現実だ。

「今、ここで代替わりするってこと!?」

 素っ頓狂な声をあげて隣の部屋から出てきたのは姉だ。
 面白くないよなと僕が目を伏せた時、姉が僕の前に片膝をついた。
 何がどうなったのだろうかと僕は顔を上げた。
「獣憑きになるっていうのはすごいことだ! すごいことだよ、貴一!」
 悠貴が大きくうなずいて僕を見ている。
 姉の悠貴がどうしてこうも喜んでいるのかがわからない。
「そうだ、すっごいじゃん、貴一! 俺は賛成する!」
 雅が向かいの部屋から顔を出して笑って、急いで出てくると、わざとらしいまでに片ひざをついて頭を下げた。
「獣憑きなら皆がこうなるのは仕方ない」
 珠樹が廊下の奥から静かに歩み寄り、姉の後ろで片膝をついた。
「貴一がトップになるならそれでいい」
 静音までもその後ろに片膝をついた。
 ちょっと待ってとパニックになりかけた僕の視線の先に望がまた姿を現した。
「あくまでも暫定だ、貴一。 王は志貴であるのはかわらない。 でも、今、この時をもってお前が王代行だ。 よわっちいがな」
 母が、悠貴が、雅が、珠樹が、静音がそれをきいて笑っている。
 だが、僕は父の表情に影が落ちたことを見逃しはしなかった。
 父は、父だけは何か違う思いを抱いているに違いなかった。
「父さん?」
 僕は父の言葉を待った。
 父が意を決して何かを言いかけた瞬間、爆風が本邸の中庭に吹き荒れた。
 そして、あたり一面が霧で覆われ、父と母が僕たちに退避を命じた。あまりにも早い霧の広がりに視界を奪われ、あっという間に僕たちは皆ばらばらになってしまった。

「見えない……」

 寸手のところで悪鬼の鉤爪をよけてはいるが一向に攻めに転じることができない。
 小物の悪鬼でもこうも数が多いとどうにもならない。
 本邸の中庭に悪鬼が来るなど前代未聞だ。
 屋敷には壊してはならない貴重なものばかりがある。とにかく、外庭へ出なくてはならない。
 出雲でじいちゃんに教えられてきたように、悪鬼の動線を読み、それを遮るように真逆に身をよじる。
 教えてもらったのは闘い方だけではない。
 強襲を受けた時の指示の投げ方。
 黄泉使いの後継はいずれその配下を活かすように動かねばならない。
 だが、最も重要なのは黄泉使いの各家のトップとなる者はその血を繋ぐこと、つまり、自分が一番死んではならないという役割も忘れてはならない。
 現状は最悪だ。ここにはすべての後継がいる。
 全員をまとめて逃がせないのならば分散させてでも逃がす必要がある。
 悠貴はさすがだ。僕よりも早く声を張り上げてくれた。
 僕がそれにこたえるように声を張り上げると、雅と悠貴がそれに答えてくれた。
 だが、距離はかなりありそうだ。
 静音と珠樹の声は全くきこえない。
 悠貴は互いを探さずに個々に離脱するように命じた。そう命じたくせに、僕の名前を連呼して探そうとしている悠貴の声がする。
 僕は大丈夫と腹の底から声を出して答えるがまだ貴一と僕の名前を呼んでいる声がする。
 悠貴は恐ろしく強い姉だがブラコンだ。全く、いつになっても僕は弱い弟でしかないみたいだ。
 その声がわずかに遠ざかる。
「ちょっと離しなさいよ!」
「じっとしてろ!」
 雅の声がした。悠貴の奇声がして、離せと騒いでいる怒声にかわる。どうやらすぐ近くにいたらしい雅が有無を言わせずに悠貴を担いで逃げてくれたようだ。
 とにかく、みんな、本邸から出ようと僕は声を張り上げた。
 僕たちがここで倒れたら、すべての家の存続が危ぶまれる事態となる。
「本当にお前ひとりになって大丈夫なの?」
 足元にいた望が面白いものをみるように見上げてきた。
「僕は僕ができることをするよ」
 僕ができること。
 僕にはわかりやすく『王将』としての証である望がついている。将棋の駒で最上級の駒がここにいる以上、すべては僕の方へやってくる。
 だってさっきから僕だけが追い詰められている、威嚇されている、そんな感覚がある。だから、ひょっとしたら僕がほんの少しだけここに残ることですべてを逃がすことができるかもしれないと思った。
 そして、幸いなことに、ここには僕にはできないことをできる両親がいる。
「囮になるつもりか?」
「今はそれしかできないからね。 黄泉の鬼の役割を果たせる父さん達なら、僕が頑張るよりは随分と違うはずだよね」
 望はまぁいいかと鼻で笑って、咲貴と母の名前を呼んだ。
 母はわかっていると答えると、霧の中から飛び出してきて、大鉈を振るう。その威力に悪鬼は一気になぎ倒されていく。
 視線を動かしてみるが父の姿はない。父はおそらく他を逃がしているのだろう。
 母から長刀を渡され、僕は小さく息をのんだ。
 これまで母と一緒に戦ったことなどなかった。それはレベルの差がありすぎて、ステージが違っていたからだ。
「こちらの動きに合わせなくていいから。 とにかく、本邸をでることだけを考えよう」
 母と背を合わせて、何とか悪鬼をなぎ倒していく。
 しかし、この時の僕はまだこの次の瞬間に自分の目の前で起こってしまう事態を予想できていなかった。

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