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第2話 愛しいひ孫
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病院で死ぬなんて御免だとわがままを貫いて、戻った自宅は庭付き一戸建て。
まあまあの大きさ。よく頑張った方だと思う我が人生。
二十年前、孫娘夫婦と同居することとなり、三階建てに新築。
一階の十二畳と十畳の二部屋は干渉無用の俺の城となった。
建て直される前の自宅の畳をそのまま使いたいというのが俺の願いだったので、そこだけは否定されることもなくとりいれられたわけで、長年すごしたこの畳の匂いをとりあげられずにすんだ。
馴染んだ土壁ではなく、洋風の仕上がりではあるのだがそれはもう仕方ないことだなと妻と諦めることにした。
障子をあけると縁側へ出られ、庭がみられる。
孫娘は桜の木には虫が付くから嫌だというのだが、桜だけは切らせなかった。
桜は国の花。誇りの花だ。切らせてなるものかと抵抗し護り抜いた。
その少しひ弱そうだが、生命力だけは抜群の桜が青々と葉を茂らせて出迎えてくれる。
「今日も桜は元気で何より!」
泰子はにっこりと指さして笑ってくれる。
さすが俺のひ孫だなと可愛さひとしおになる瞬間だ。
「じゃあ、あとでまたね。」
泰子は妻が死んでからは絶対に奥の部屋へは入ろうとしない。
勘が良いというか、察するのがうまいというか。
俺のプライベートに踏み入ることはしたくないらしい。
「へいへい。」
ゆっくりと車椅子から立ち上がると、膝がキシキシと音がして自分の身体のポンコツ具合に思わずため息がこぼれる。
住み慣れた自室のたった5メートルを歩くだけがこんなに遠くなるとはと、ほとほとうんざりしながら寝室へ向かう。
寝室に入ってすぐのところに妻の嫁入り道具だった仕立ての良い桐ダンスがある。
これも年を取ってはいるがまだ現役なのだと片意地を張ったように主張してくるあたりが妻の持ち物という気がする。
「これを見たかった。」
俺がここへ戻りたかったには理由がある。
手を伸ばすと、それだけで目頭が熱くなってしまう。
戦時中の海軍航空隊での一枚。
孫たちが今にもぽろぽろと破れおちそうな写真達を丁寧に修復し額に入れてここへ置いてくれた。
満面の笑みの師匠に無理やり肩を組まれて迷惑千万の顔をしている俺、それを面白そうに笑っている後輩がいる。
怪我だらけ、不精髭はやし放題、不眠不休で休暇等あったためしがない。おまけに戦争という時代の辛酸までなめたというのに、面白くて仕方がなかった思い出ばかりが蘇る。
『あなたの優先順位には腹が立つ!』
妻の声が聴こえた気がして、航空隊の写真の横にそっと目をやる。
緊急の呼び出しを断ることなく飛び出し、日が暮れるまで彼女を待たせること、しばしば。
当の結婚式直前にも右に同じくして、8時間ばかり遅刻。
遅刻という表現ではなく、これはもうすっぽかしだと怒鳴られた記憶がある。
だから、結婚式の写真と言えば、俺は苦笑い、妻は腕を組んでそっぽを向いているのだ。
白無垢で綺麗なのに頬を膨らませて、『写真なんて結構です!』と結局、この怒り心頭の一枚しか残らなかった。
絶対に飾るなと言われ箪笥の肥やしにされていたが、妻が亡くなってから俺はこの写真をここへ飾ることにした。
「あんたらしい写真だからね。」
妻が生きていたならば怒涛の如く言い返されて俺があっさりと白旗をあげ降参していただろうけれど、今はそれもなく寂しい限りだ。
あれだけ煩わしかったのに口喧嘩をする相手がいなくなるというのは本当に世界から音がなくなるのに近いものがある。
俺の妻は賢く、強い女性だったが、時々見せる間の抜け方が何とも言えず可愛くて、ついうっかりからかってみては大泣きされたこともあった。
そうかと思えば尻に敷かれっぱなし、何かと負けっぱなしで言われたい放題だったものだが、この妻が居なければ俺はたぶんずっと独身だったと思う。
戦争の傷跡から立ち直ることができないだけでなく、何もかもを失った痛み、大切な人を見送る他なかったというやるせなさ、全ての物が俺を頑なにしていた時に、この妻に尻を叩かれたものだ。
『無駄に生きるために生かされたのではないでしょう? 情けない!』
少しだけ甲高く、意地っ張りな響きの声が脳裏に簡単に蘇ってくる。
『どこに根性落してきた! 日本男児のくせに!』
膝を折った俺の制服の胸元を力いっぱいつかまれ、立ち上がらされた。
どこにそんな力があるんだと妻の細腕を唖然としてみた日が懐かしい。
頬を上気させて、必死に鼓舞し続けるあの時の勢いたるやすさまじいものがあった。
『私が惚れたあなたはどこで腐ったの? ……日本はまだ死んでいない!』
だんだんと涙目になって、最後には殴られた気がする。
妻は頬をはたいただけだと言い切るが俺はやっぱり拳で殴られた気がするのだ。
目の覚めるような一撃を俺にくらわし、さっさともう一度日本を護れと叱咤した鬼嫁。
何なら家からけりだされる勢いで怒鳴り散らされた。
今思い出しても、彼女にしかできなかった背中の押し方だと思う。
女性がこぶしを振り上げるなど、うちの夫婦くらいのものだと後に、歴戦を共にした後輩から大爆笑されたほどに我が家はかかあ天下という奴だったが、それでも心地よい我が家だった。
写真の中の若き日の彼女をもう一度、指でつついてみると自然に笑顔になれた。
「あんたの言う通りだったよな。」
妻の言う通り、日本はまだ死んではいなかった。
戦後復興は日本の魂の底力そのものだったのだ。
見渡す限りの焼野原、進駐軍のやりたい放題、無秩序な世界の中にあってまだ日本を何とかしなければいかんという矜持のある人間が思う以上に多く残っていた。
あの大敗を喫した戦後すぐに、間近の国である朝鮮半島で戦争勃発。
その特需といわれる悲しい利益やそれに絡んで発生してくる利権の存在、軍事需要、その全てがただ国を護りたいと願うまっすぐな信念に釘をさすこともあった。
敗戦国であり、軍隊を持たない日本はそれぞれに時代と歴史を学ばねばならなかった。
戦争は国益を損なうどころか、国の体力を削り、国民の心を疲弊させるだけのもの。
だけれど、護れる体力は失われるべきではない。
日本という国に降りかかる火の粉を払える体力だけは失ってはならないと防衛がらみも年月をかけ自衛隊という組織ができ、もう一度、日本を護ることができるようになった。
戦闘機を取り上げられた俺たちパイロットにもう一度戦闘機が与えられ、今度は航空自衛隊として日本を護るためだけに飛ぶことが許されたのだ。
憲法9条の解釈は様々だろうが、護りたいと思う人間が集って、国を徹底して護りぬく組織の意義だけは現実的に考えてほしいと、防衛関連の職についていた俺は思う。
今も昔も理念は純粋だ。
『日本を愛している。』
行き過ぎてしまった戦争をしたことに言い訳はすべきではないけれど、どれだけ多くのの人間が今日の日本を護るために生きたのか、今も生きているのかを考えてほしい。
真新しい航空自衛隊の制服に袖を通した時、ここにどうしてあの人がいてくれないのだろうかと俺は悔しくて涙がこぼれたことを忘れない。
豪快に笑って、俺の肩を抱いている写真の中の師匠こそがこの新しい時代のこの場に、もっとも必要とされた人間だったと今でも思う。
だから、この場に立てなかった敬愛すべき上官の想いを俺は背負って伝えていくんだと覚悟を決めた日のこともよく覚えている。
あの人だったらどうするだろうかと幾度も幾度も亡きその背中を思い出して、俺は自衛官の若造たちと共に奮起して、退官まで勤め上げることができた。
こんな俺の血筋だからか、息子も孫もひ孫も面白いくらいに愛国者だ。
愛国者という響きはいまや危険因子か。純粋に日本が好きなだけなんだけれど。
日本が好きだから、日本人である自分でいたいから、日本を護りたい。
誰かを護ることが仕事、その誰かの筆頭は日本人だ。
そんな俺たちみたいな人間がこの日本にいることをどうか忘れないで欲しい。
中には軟弱な大ばか者もいるだろうけれど、多くの者は純粋に護りたいと思って、それだけを信念に生きているんだから。
戦前、戦後を駆け抜けてみて、日本はやはり愛すべき国だと心から思っている。
だからこそ、多くの日本人がそうであって欲しいと願わざるを得ない。
「年だな。 本当にもう使いようのないくらい使い切ったな。」
袖からのぞく、やせ細った自分の両腕を見ると、もの悲しさが襲ってくる。
戦後を生き抜いて、こうやって年を取ってみて、本当に想うことがある。
人間の運命なんてどこでどう転ぶかなんかわかりやしない。
もっとも死に近かったはずのあの戦争を生きた俺が今や90だ。
もはや戦争の生き字引。
老衰が先に来るか、この病で命を落とすのが先かと待っているだけ。
寄り添ってくれた妻を見送り、息子を見送り、俺は少し長く生き過ぎた。
少し視線を外すと床の間の一角に航空自衛隊の航空機の模型が目に入った。
F1にF104、F86F、F4が並ぶ。
現在でも飛んでいる姿を見られるのはF4だけか。
小さかった泰子が土産だとここにF15J、F86F・T2ブルーインパルスを勝手に持ち込んで並べていた日が懐かしい。
さらに少し遅れてT4ブルーインパルスの模型を持ち込んできたのだが、ほんの少しだけ遠慮がちに一緒に差し出してきたもう一つの模型を見て苦笑いだ。
手紙にはこう書いてあった。
『じいちゃんは紫電改に近づかないけど、本当は一番宝物のはずだから仲間にいれよう。』
子供はよく見ているものだと感心した。
幼い時から泰子を慰霊の旅に同伴していた結果、ものの見事に見抜かれた。
紫電改が憎いはずがない。
海底から引き揚げられた紫電改の機体を目の前にした時、自分でもどうしたらよいのかがわからないほどに感情が振り回された。
愛おしすぎて、悲しすぎて、悔しすぎて胸が詰まって動けなくなっただけだ。
そうだな、愛おしいからこそ、遠ざけていた気もする。
「ほとほと呆れるわ。 お前の趣味はとんでもない。」
通常、紫電改といえば343航空隊の撃墜王菅野直乗機のどてっぱらに黄色の二重線の派手な機体のモデルを選んでよいもののだが、泰子が選んできたのはよりにもよって紫電二一甲型、横須賀航空隊所属、尾翼に『ヨ104』と記されているものだ。
しかも、『じいちゃんの飛行実験部の黄色のモデルがなかった。』とメモが挟まっている始末だ。
「まったく……。」
航空自衛隊の模型の横にひっそりといる紫電改。このひっそりといる紫電改が俺自身のように思うってことは、そろそろ俺はあの頃の仲間に逢える頃なのかもしれない。
The destiny of man is in his own soul.
Herodotus (ヘロドトス)
【運命は自分の心の中にあるものだ。】
まあまあの大きさ。よく頑張った方だと思う我が人生。
二十年前、孫娘夫婦と同居することとなり、三階建てに新築。
一階の十二畳と十畳の二部屋は干渉無用の俺の城となった。
建て直される前の自宅の畳をそのまま使いたいというのが俺の願いだったので、そこだけは否定されることもなくとりいれられたわけで、長年すごしたこの畳の匂いをとりあげられずにすんだ。
馴染んだ土壁ではなく、洋風の仕上がりではあるのだがそれはもう仕方ないことだなと妻と諦めることにした。
障子をあけると縁側へ出られ、庭がみられる。
孫娘は桜の木には虫が付くから嫌だというのだが、桜だけは切らせなかった。
桜は国の花。誇りの花だ。切らせてなるものかと抵抗し護り抜いた。
その少しひ弱そうだが、生命力だけは抜群の桜が青々と葉を茂らせて出迎えてくれる。
「今日も桜は元気で何より!」
泰子はにっこりと指さして笑ってくれる。
さすが俺のひ孫だなと可愛さひとしおになる瞬間だ。
「じゃあ、あとでまたね。」
泰子は妻が死んでからは絶対に奥の部屋へは入ろうとしない。
勘が良いというか、察するのがうまいというか。
俺のプライベートに踏み入ることはしたくないらしい。
「へいへい。」
ゆっくりと車椅子から立ち上がると、膝がキシキシと音がして自分の身体のポンコツ具合に思わずため息がこぼれる。
住み慣れた自室のたった5メートルを歩くだけがこんなに遠くなるとはと、ほとほとうんざりしながら寝室へ向かう。
寝室に入ってすぐのところに妻の嫁入り道具だった仕立ての良い桐ダンスがある。
これも年を取ってはいるがまだ現役なのだと片意地を張ったように主張してくるあたりが妻の持ち物という気がする。
「これを見たかった。」
俺がここへ戻りたかったには理由がある。
手を伸ばすと、それだけで目頭が熱くなってしまう。
戦時中の海軍航空隊での一枚。
孫たちが今にもぽろぽろと破れおちそうな写真達を丁寧に修復し額に入れてここへ置いてくれた。
満面の笑みの師匠に無理やり肩を組まれて迷惑千万の顔をしている俺、それを面白そうに笑っている後輩がいる。
怪我だらけ、不精髭はやし放題、不眠不休で休暇等あったためしがない。おまけに戦争という時代の辛酸までなめたというのに、面白くて仕方がなかった思い出ばかりが蘇る。
『あなたの優先順位には腹が立つ!』
妻の声が聴こえた気がして、航空隊の写真の横にそっと目をやる。
緊急の呼び出しを断ることなく飛び出し、日が暮れるまで彼女を待たせること、しばしば。
当の結婚式直前にも右に同じくして、8時間ばかり遅刻。
遅刻という表現ではなく、これはもうすっぽかしだと怒鳴られた記憶がある。
だから、結婚式の写真と言えば、俺は苦笑い、妻は腕を組んでそっぽを向いているのだ。
白無垢で綺麗なのに頬を膨らませて、『写真なんて結構です!』と結局、この怒り心頭の一枚しか残らなかった。
絶対に飾るなと言われ箪笥の肥やしにされていたが、妻が亡くなってから俺はこの写真をここへ飾ることにした。
「あんたらしい写真だからね。」
妻が生きていたならば怒涛の如く言い返されて俺があっさりと白旗をあげ降参していただろうけれど、今はそれもなく寂しい限りだ。
あれだけ煩わしかったのに口喧嘩をする相手がいなくなるというのは本当に世界から音がなくなるのに近いものがある。
俺の妻は賢く、強い女性だったが、時々見せる間の抜け方が何とも言えず可愛くて、ついうっかりからかってみては大泣きされたこともあった。
そうかと思えば尻に敷かれっぱなし、何かと負けっぱなしで言われたい放題だったものだが、この妻が居なければ俺はたぶんずっと独身だったと思う。
戦争の傷跡から立ち直ることができないだけでなく、何もかもを失った痛み、大切な人を見送る他なかったというやるせなさ、全ての物が俺を頑なにしていた時に、この妻に尻を叩かれたものだ。
『無駄に生きるために生かされたのではないでしょう? 情けない!』
少しだけ甲高く、意地っ張りな響きの声が脳裏に簡単に蘇ってくる。
『どこに根性落してきた! 日本男児のくせに!』
膝を折った俺の制服の胸元を力いっぱいつかまれ、立ち上がらされた。
どこにそんな力があるんだと妻の細腕を唖然としてみた日が懐かしい。
頬を上気させて、必死に鼓舞し続けるあの時の勢いたるやすさまじいものがあった。
『私が惚れたあなたはどこで腐ったの? ……日本はまだ死んでいない!』
だんだんと涙目になって、最後には殴られた気がする。
妻は頬をはたいただけだと言い切るが俺はやっぱり拳で殴られた気がするのだ。
目の覚めるような一撃を俺にくらわし、さっさともう一度日本を護れと叱咤した鬼嫁。
何なら家からけりだされる勢いで怒鳴り散らされた。
今思い出しても、彼女にしかできなかった背中の押し方だと思う。
女性がこぶしを振り上げるなど、うちの夫婦くらいのものだと後に、歴戦を共にした後輩から大爆笑されたほどに我が家はかかあ天下という奴だったが、それでも心地よい我が家だった。
写真の中の若き日の彼女をもう一度、指でつついてみると自然に笑顔になれた。
「あんたの言う通りだったよな。」
妻の言う通り、日本はまだ死んではいなかった。
戦後復興は日本の魂の底力そのものだったのだ。
見渡す限りの焼野原、進駐軍のやりたい放題、無秩序な世界の中にあってまだ日本を何とかしなければいかんという矜持のある人間が思う以上に多く残っていた。
あの大敗を喫した戦後すぐに、間近の国である朝鮮半島で戦争勃発。
その特需といわれる悲しい利益やそれに絡んで発生してくる利権の存在、軍事需要、その全てがただ国を護りたいと願うまっすぐな信念に釘をさすこともあった。
敗戦国であり、軍隊を持たない日本はそれぞれに時代と歴史を学ばねばならなかった。
戦争は国益を損なうどころか、国の体力を削り、国民の心を疲弊させるだけのもの。
だけれど、護れる体力は失われるべきではない。
日本という国に降りかかる火の粉を払える体力だけは失ってはならないと防衛がらみも年月をかけ自衛隊という組織ができ、もう一度、日本を護ることができるようになった。
戦闘機を取り上げられた俺たちパイロットにもう一度戦闘機が与えられ、今度は航空自衛隊として日本を護るためだけに飛ぶことが許されたのだ。
憲法9条の解釈は様々だろうが、護りたいと思う人間が集って、国を徹底して護りぬく組織の意義だけは現実的に考えてほしいと、防衛関連の職についていた俺は思う。
今も昔も理念は純粋だ。
『日本を愛している。』
行き過ぎてしまった戦争をしたことに言い訳はすべきではないけれど、どれだけ多くのの人間が今日の日本を護るために生きたのか、今も生きているのかを考えてほしい。
真新しい航空自衛隊の制服に袖を通した時、ここにどうしてあの人がいてくれないのだろうかと俺は悔しくて涙がこぼれたことを忘れない。
豪快に笑って、俺の肩を抱いている写真の中の師匠こそがこの新しい時代のこの場に、もっとも必要とされた人間だったと今でも思う。
だから、この場に立てなかった敬愛すべき上官の想いを俺は背負って伝えていくんだと覚悟を決めた日のこともよく覚えている。
あの人だったらどうするだろうかと幾度も幾度も亡きその背中を思い出して、俺は自衛官の若造たちと共に奮起して、退官まで勤め上げることができた。
こんな俺の血筋だからか、息子も孫もひ孫も面白いくらいに愛国者だ。
愛国者という響きはいまや危険因子か。純粋に日本が好きなだけなんだけれど。
日本が好きだから、日本人である自分でいたいから、日本を護りたい。
誰かを護ることが仕事、その誰かの筆頭は日本人だ。
そんな俺たちみたいな人間がこの日本にいることをどうか忘れないで欲しい。
中には軟弱な大ばか者もいるだろうけれど、多くの者は純粋に護りたいと思って、それだけを信念に生きているんだから。
戦前、戦後を駆け抜けてみて、日本はやはり愛すべき国だと心から思っている。
だからこそ、多くの日本人がそうであって欲しいと願わざるを得ない。
「年だな。 本当にもう使いようのないくらい使い切ったな。」
袖からのぞく、やせ細った自分の両腕を見ると、もの悲しさが襲ってくる。
戦後を生き抜いて、こうやって年を取ってみて、本当に想うことがある。
人間の運命なんてどこでどう転ぶかなんかわかりやしない。
もっとも死に近かったはずのあの戦争を生きた俺が今や90だ。
もはや戦争の生き字引。
老衰が先に来るか、この病で命を落とすのが先かと待っているだけ。
寄り添ってくれた妻を見送り、息子を見送り、俺は少し長く生き過ぎた。
少し視線を外すと床の間の一角に航空自衛隊の航空機の模型が目に入った。
F1にF104、F86F、F4が並ぶ。
現在でも飛んでいる姿を見られるのはF4だけか。
小さかった泰子が土産だとここにF15J、F86F・T2ブルーインパルスを勝手に持ち込んで並べていた日が懐かしい。
さらに少し遅れてT4ブルーインパルスの模型を持ち込んできたのだが、ほんの少しだけ遠慮がちに一緒に差し出してきたもう一つの模型を見て苦笑いだ。
手紙にはこう書いてあった。
『じいちゃんは紫電改に近づかないけど、本当は一番宝物のはずだから仲間にいれよう。』
子供はよく見ているものだと感心した。
幼い時から泰子を慰霊の旅に同伴していた結果、ものの見事に見抜かれた。
紫電改が憎いはずがない。
海底から引き揚げられた紫電改の機体を目の前にした時、自分でもどうしたらよいのかがわからないほどに感情が振り回された。
愛おしすぎて、悲しすぎて、悔しすぎて胸が詰まって動けなくなっただけだ。
そうだな、愛おしいからこそ、遠ざけていた気もする。
「ほとほと呆れるわ。 お前の趣味はとんでもない。」
通常、紫電改といえば343航空隊の撃墜王菅野直乗機のどてっぱらに黄色の二重線の派手な機体のモデルを選んでよいもののだが、泰子が選んできたのはよりにもよって紫電二一甲型、横須賀航空隊所属、尾翼に『ヨ104』と記されているものだ。
しかも、『じいちゃんの飛行実験部の黄色のモデルがなかった。』とメモが挟まっている始末だ。
「まったく……。」
航空自衛隊の模型の横にひっそりといる紫電改。このひっそりといる紫電改が俺自身のように思うってことは、そろそろ俺はあの頃の仲間に逢える頃なのかもしれない。
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