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第36話 千年王、立つ
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春の風だと思った。
花の香りがする風が吹いている。
到着した時は少し肌寒かったのに、今はまったく寒くない。
正式な王が帰還すると、エアコンサービスも整ってくるらしい。
『何を望んでいる?』
王樹には見透かされているようだ。
要件を言えと急かされた。
「永訣の花を捧げようと思う」
『花を捧げる? 正気の沙汰とは思えないが?』
「いたって冷静に物を申しているつもりだが?」
『致し方ない。 では問う。 赦すか、否か?』
「吾の名で赦す」
『二度、同じことを問わぬぞ。 これらは罪深い魂。 それでも赦すと申すか?』
「二度、同じことは言わん。 吾の代ですべてを贖う。 吾に至るまでのすべての過ち、罪、穢れのすべてを赦す」
『この贖い、高くつくぞ』
「かまわん。 吾の代で贖おう」
私のどこにそんな覚悟があるのだろう。
それでも、口から出ていく言葉は強気だ。
王樹は数秒間沈黙した。
また見透かされているような、試されているような数秒間がおそろしく長く感じる。
『王の赦しに免じて、不浄たる魂を引き受ける』
「感謝する」
王樹から触手のように伸びた枝が二人をからめとりゆるやかに飲み込んでいく。
これで二人が奪ってきた命の数が次の代の王とそれを支える黄泉使い達の糧となる。
玉座とは所詮血で贖うものだと受け入れた。
体中の氣という氣が奪われ、私はからっぽにされたような感覚がした。
ふいに眩暈がして、私はその場に膝を折った。
白い手たちが私を癒そうと一斉に現れた。
「ありがとう。 私は大丈夫だよ」
ゆっくりたちあがろうとして、言葉とは裏腹に血の気が引いていくのがわかった。
世界がまわる。視界が真っ黒一色にかわっていく。
だめだと思うところで、一心が抱え上げてくれた。
一心は何も言わずに、私を抱き上げたまま、また泉へ身を浸していく。
泉の冷たさに軽く声をあげた私を一心がしっかりと抱きしめてくれた。
そして子どもをあやすように大丈夫だと何度も同じ言葉を繰り返してくれた。
遠くなりかけていた意識が徐々にはっきりと戻ってくる。
意識が戻ってくると今度はわけがわからないほどの渇望がおそってくる。
これは食欲なのか何なのかがわからない。水が欲しい。いや違う。
自分が失ったものを取り戻そうとしているのか。いや違う。
孤独を避けようと本能が、魂が望むものを手に入れようとしている。
理性が吹き飛んでいる。善悪の区別がつかない。
私はおかしくなっている。
「一心、私から離れろ!」
焦燥感だ。
一心は首を横に振って離れない。
「頼む! 私は今、おかしいんだ!」
お願いだと涙声になる。
王樹とつながって私は化け物になってしまったような感覚すらする。
また、理性が吹き飛びそうだ。
「いやだ! こんなことしたくない!」
一心に噛みつこうと口を開いた。
「一心、頼むから!」
歯を食いしばって、体をよじった。
食べたい。喰いたい。
ぷつりと線が切れた音がする。
一心の首筋に歯を立て、皮膚を切り裂こうとしている自分に気づき、はっと息をのんだ。今、完全に無意識だった。
私は何をしようとしたのかと生唾をのみこんだ。
獣のように、悪鬼のように、やっぱり私は一心を喰もうとした。
唇が震えて、声がでない。
怖いんだ、一心。
そんな言葉すら出てこない。
寸手のところで私は自分の腕にかみついた。
「馬鹿だな、それはお前がしなくていい仕事だ」
一心がほんの少しだけ困ったように笑っている。
この状況でどうして笑えるのかと私は見上げるしかできない。
「私は化け物になったのかもしれない!」
「そんなわけあるか!」
一心が額にそっと口づけてくれた。
大丈夫だ、志貴とまた繰り返して何度も何度も言ってくれる。
「志貴、少しだけこらえていろ」
人でない役割は俺がするからと一心が私の首に思いっきり噛み付いた。噛みつかれ、刃で皮膚が切り裂かれ生温かいものが滑り落ち、それが泉に伝い落ちた。
一心がかみついた傷跡をゆっくりと舐め上げているがくすぐったい感覚も何もしない。まるで麻酔を打たれているかのようで痛みもなければ鈍く触れられている感覚でしかない。
そして、理性が吹き飛ぶほどの口喝も血を食みたい欲望も一瞬にして消失した。
「止まったろ?」
一心が苦笑いしている。どうしてという私の質問に一心はさてと小さく笑った。
「吾は主を得て、王の刃としてここに宣言する。 千年王の帰還を寿げ!」
すると梅の花が咲き誇るように水面が真っ赤に染まった。
白い手が一斉に現れると、真っ白の紋付をその血液で染まった水面にくぐらせる。
一度目は黒に染まり、二度目には紅に染まる。
不思議な光景だ。
まるで私の血液で染色をしているみたいだ。
黒地に右袖が深紅。背には一連の朔月をあらわす円、その中には梅を示す花紋。
『紅の王』
涼やかな声達が方々で繰り返し、言葉を紡いでいる。
『紅の王、うれしや』
どうやら私の名前のようだ。
紅の王か。
なるほど、血にまみれた私にはお似合いだな。
一心が白い手たちから紋付を預かると、水の中で私の体を包み込んだ。
「お前の考えは誤りだ」
一心に心を読まれたことにわずかに目を伏せた。
「紅とは最上級の賛辞だ。 紅の王とはもっとも強く、もっとも愛された王の名。 神々にも人にも愛されるが故に苦労も多かったが、その在位には絆を持つ者が集い、不動の黄泉の王として君臨すると言われる。 その名前をお前にくれるってよ」
一心を見上げると笑顔だ。嘘はない。
「不動の黄泉の王?」
「冥府にとっちゃ、一番迷惑千万な輩ではあるがな。 紅の王という名前一つでお前はお尋ね者だ。 だが、俺がいる。 これで罪も孤独も半分こだ」
一心の口元が私の血で染まっているにようやく気が付いた。
いたたまれなくなった私は指先でそれをぬぐった。
「気にするな、志貴。 今のお前の首には梅の紋がある。 朔を定めた王の紋。 俺とお前は今この時まで正式には一心同体ではなかった。 壮馬さんは朔であるのだから、当然、王と契約しているはずだと疑いもしなかっただろうがな」
「じゃあ、あの時、私も騙したの?」
慟哭。心臓が痛い。
「騙したとは心外だ。 あの人と俺の知恵比べだ。 何がなんとしても勝つ必要があったんだから切り札は多いにこしたことはない。 俺を討てば自動的にお前に届くと思うからこそ壮馬さんは俺をまっすぐに落としにかかる。 もし、違うとわかっていれば壮馬さんの戦い方はかわっていただろうな」
一心は口の端を片側だけつりあげた。
「実際には俺が討たれてもお前に害はなかったんだがな。 俺に何かあってもお前には次の朔が生まれてくるだけだ。 俺は俺を護りながら戦わなくてもいいが壮馬さんは違う。 壮馬さんが死ねば登貴は確実に死ぬからな。 捨身の俺に対して壮馬さんは必ず一歩後退せざるをえない」
一心は自分には博打が打てるだけの余裕があったが壮馬にはそれが無かったと付け加えた。
それを聞いた後からじわじわと身体が震えはじめた。わけもなく、震えがとまらない。
一心の唇にまだわずかに残ったままの私の血を指先でぬぐって、温度を感じるとさらに震え出す身体。
心配そうに私の名前を呼ぶ一心の声でさえ、さらに私の震えを大きくする。
「志貴、大丈夫だよ。 君の朔はちゃんと一心だから。 誰もとりあげないから、大丈夫だ」
泰介の声がした。
そちらに目をやると、岸にあぐらをかいて座っていた泰介がこちらにむかって静かにうなずいている。
「不用意な発言だ、一心。 王にとって朔は一人。 かわりなどきかない。 志貴は君でない朔がいたかもしれない未来を想像したんだよ」
泰介の言葉にようやく自分が怯えていたことに気がついた。
もう一度、一心をみあげる。
一心がいなくなると思うだけで気が狂いそうだ。
「かわりなど要らない」
要らないんだ、そんなもの。
登貴はこの強烈な執着をどう扱ってきたのだろう。私は魔物以下になりさがるかもしれない。
一心にこんな汚い想いを悟られたらどうしたらいいかわからない。
愛なのか、恋なのかもわからない。
それを超えた感情のようでもあり、本当に執着でしかないのかもしれない。
10歳上なのだ。
彼にも大切に想う人がいるかもしれないのに、私が役割で縛った。それも命までも縛って。
「俺を丸ごとくれてやるから安心しろ」
あんなにチビの頃から大好きと言われ倒したら白旗をあげるわと一心が笑って言った。それにそもそも俺が負けるわけないだろうがと軽く睨みつけてから、ゆっくりとしっかりと抱きしめ直してくれる。
私は現金だ。一瞬であっさりと身体の震えがとまる。
「泰介さん、先に戻って道反に志貴を戻せるように準備をお願いできますか?」
「言われなくてもやるよ。 親の前で堂々と…。 うちの可愛い娘にいらんことしたら王樹に沈めてやるからね、一心」
泰介はにっこりと綺麗に笑むと、望を連れ立って出口に向かって歩き出した。
一心が眉をひそめて、盛大なため息をもらした。
「なんて輩の子として生まれてくるんだ、お前は……」
親は選べないと言う私にそれもそうだなと一心が困ったように笑う。
「一心、私は歴史を変えてしまったんだよね?」
私にはどんなしっぺがえしが来るのかがわからない。
知り得るはずのない情報を私は過去にいる父に与えたのだから。
権利があるとはいえ、やってはならないことだとやはり痛感している。
「バタフライ効果はかなりマシだと思うぞ」
首を傾げた私に一心が事の顛末を語りだした。
聞けば聞くほどに眩暈がする。
父、宗像泰介がいかに策士で、子に対しても鬼であったのかを理解できた。
「よかった!」
私は一心の首に思わず腕を回していた。
調子にのってハグくらいは大盤振る舞いしてほしいとせがんだ。
「ハグだけか?」
一心が何を言っているのかよくわからなかった。
とにかく、ハグだけですとお願いすると、お好きにどうぞと許してくれた。
黒歴史はさらに更新。
すりすりぐりぐりしまくり、ご満悦の私は一心に感謝の意を表した。
「お前は冬馬に行くかと思ってたけどな」
「どういう意味?」
「いや、わからんでいい」
一心がゆっくりと抱きしめていてくれているのが心地良くて、あまり頭が回らない。強い眠気に襲われる。本当に瞼がおちてくる。
名前をふいに呼ばれて、遠ざかっていく意識の中、見上げた私の唇に何かが落ちてきた。
何が起きているのか理解できていないままに、疲労困憊だった私の電源はこのタイミングで完全におちた。
花の香りがする風が吹いている。
到着した時は少し肌寒かったのに、今はまったく寒くない。
正式な王が帰還すると、エアコンサービスも整ってくるらしい。
『何を望んでいる?』
王樹には見透かされているようだ。
要件を言えと急かされた。
「永訣の花を捧げようと思う」
『花を捧げる? 正気の沙汰とは思えないが?』
「いたって冷静に物を申しているつもりだが?」
『致し方ない。 では問う。 赦すか、否か?』
「吾の名で赦す」
『二度、同じことを問わぬぞ。 これらは罪深い魂。 それでも赦すと申すか?』
「二度、同じことは言わん。 吾の代ですべてを贖う。 吾に至るまでのすべての過ち、罪、穢れのすべてを赦す」
『この贖い、高くつくぞ』
「かまわん。 吾の代で贖おう」
私のどこにそんな覚悟があるのだろう。
それでも、口から出ていく言葉は強気だ。
王樹は数秒間沈黙した。
また見透かされているような、試されているような数秒間がおそろしく長く感じる。
『王の赦しに免じて、不浄たる魂を引き受ける』
「感謝する」
王樹から触手のように伸びた枝が二人をからめとりゆるやかに飲み込んでいく。
これで二人が奪ってきた命の数が次の代の王とそれを支える黄泉使い達の糧となる。
玉座とは所詮血で贖うものだと受け入れた。
体中の氣という氣が奪われ、私はからっぽにされたような感覚がした。
ふいに眩暈がして、私はその場に膝を折った。
白い手たちが私を癒そうと一斉に現れた。
「ありがとう。 私は大丈夫だよ」
ゆっくりたちあがろうとして、言葉とは裏腹に血の気が引いていくのがわかった。
世界がまわる。視界が真っ黒一色にかわっていく。
だめだと思うところで、一心が抱え上げてくれた。
一心は何も言わずに、私を抱き上げたまま、また泉へ身を浸していく。
泉の冷たさに軽く声をあげた私を一心がしっかりと抱きしめてくれた。
そして子どもをあやすように大丈夫だと何度も同じ言葉を繰り返してくれた。
遠くなりかけていた意識が徐々にはっきりと戻ってくる。
意識が戻ってくると今度はわけがわからないほどの渇望がおそってくる。
これは食欲なのか何なのかがわからない。水が欲しい。いや違う。
自分が失ったものを取り戻そうとしているのか。いや違う。
孤独を避けようと本能が、魂が望むものを手に入れようとしている。
理性が吹き飛んでいる。善悪の区別がつかない。
私はおかしくなっている。
「一心、私から離れろ!」
焦燥感だ。
一心は首を横に振って離れない。
「頼む! 私は今、おかしいんだ!」
お願いだと涙声になる。
王樹とつながって私は化け物になってしまったような感覚すらする。
また、理性が吹き飛びそうだ。
「いやだ! こんなことしたくない!」
一心に噛みつこうと口を開いた。
「一心、頼むから!」
歯を食いしばって、体をよじった。
食べたい。喰いたい。
ぷつりと線が切れた音がする。
一心の首筋に歯を立て、皮膚を切り裂こうとしている自分に気づき、はっと息をのんだ。今、完全に無意識だった。
私は何をしようとしたのかと生唾をのみこんだ。
獣のように、悪鬼のように、やっぱり私は一心を喰もうとした。
唇が震えて、声がでない。
怖いんだ、一心。
そんな言葉すら出てこない。
寸手のところで私は自分の腕にかみついた。
「馬鹿だな、それはお前がしなくていい仕事だ」
一心がほんの少しだけ困ったように笑っている。
この状況でどうして笑えるのかと私は見上げるしかできない。
「私は化け物になったのかもしれない!」
「そんなわけあるか!」
一心が額にそっと口づけてくれた。
大丈夫だ、志貴とまた繰り返して何度も何度も言ってくれる。
「志貴、少しだけこらえていろ」
人でない役割は俺がするからと一心が私の首に思いっきり噛み付いた。噛みつかれ、刃で皮膚が切り裂かれ生温かいものが滑り落ち、それが泉に伝い落ちた。
一心がかみついた傷跡をゆっくりと舐め上げているがくすぐったい感覚も何もしない。まるで麻酔を打たれているかのようで痛みもなければ鈍く触れられている感覚でしかない。
そして、理性が吹き飛ぶほどの口喝も血を食みたい欲望も一瞬にして消失した。
「止まったろ?」
一心が苦笑いしている。どうしてという私の質問に一心はさてと小さく笑った。
「吾は主を得て、王の刃としてここに宣言する。 千年王の帰還を寿げ!」
すると梅の花が咲き誇るように水面が真っ赤に染まった。
白い手が一斉に現れると、真っ白の紋付をその血液で染まった水面にくぐらせる。
一度目は黒に染まり、二度目には紅に染まる。
不思議な光景だ。
まるで私の血液で染色をしているみたいだ。
黒地に右袖が深紅。背には一連の朔月をあらわす円、その中には梅を示す花紋。
『紅の王』
涼やかな声達が方々で繰り返し、言葉を紡いでいる。
『紅の王、うれしや』
どうやら私の名前のようだ。
紅の王か。
なるほど、血にまみれた私にはお似合いだな。
一心が白い手たちから紋付を預かると、水の中で私の体を包み込んだ。
「お前の考えは誤りだ」
一心に心を読まれたことにわずかに目を伏せた。
「紅とは最上級の賛辞だ。 紅の王とはもっとも強く、もっとも愛された王の名。 神々にも人にも愛されるが故に苦労も多かったが、その在位には絆を持つ者が集い、不動の黄泉の王として君臨すると言われる。 その名前をお前にくれるってよ」
一心を見上げると笑顔だ。嘘はない。
「不動の黄泉の王?」
「冥府にとっちゃ、一番迷惑千万な輩ではあるがな。 紅の王という名前一つでお前はお尋ね者だ。 だが、俺がいる。 これで罪も孤独も半分こだ」
一心の口元が私の血で染まっているにようやく気が付いた。
いたたまれなくなった私は指先でそれをぬぐった。
「気にするな、志貴。 今のお前の首には梅の紋がある。 朔を定めた王の紋。 俺とお前は今この時まで正式には一心同体ではなかった。 壮馬さんは朔であるのだから、当然、王と契約しているはずだと疑いもしなかっただろうがな」
「じゃあ、あの時、私も騙したの?」
慟哭。心臓が痛い。
「騙したとは心外だ。 あの人と俺の知恵比べだ。 何がなんとしても勝つ必要があったんだから切り札は多いにこしたことはない。 俺を討てば自動的にお前に届くと思うからこそ壮馬さんは俺をまっすぐに落としにかかる。 もし、違うとわかっていれば壮馬さんの戦い方はかわっていただろうな」
一心は口の端を片側だけつりあげた。
「実際には俺が討たれてもお前に害はなかったんだがな。 俺に何かあってもお前には次の朔が生まれてくるだけだ。 俺は俺を護りながら戦わなくてもいいが壮馬さんは違う。 壮馬さんが死ねば登貴は確実に死ぬからな。 捨身の俺に対して壮馬さんは必ず一歩後退せざるをえない」
一心は自分には博打が打てるだけの余裕があったが壮馬にはそれが無かったと付け加えた。
それを聞いた後からじわじわと身体が震えはじめた。わけもなく、震えがとまらない。
一心の唇にまだわずかに残ったままの私の血を指先でぬぐって、温度を感じるとさらに震え出す身体。
心配そうに私の名前を呼ぶ一心の声でさえ、さらに私の震えを大きくする。
「志貴、大丈夫だよ。 君の朔はちゃんと一心だから。 誰もとりあげないから、大丈夫だ」
泰介の声がした。
そちらに目をやると、岸にあぐらをかいて座っていた泰介がこちらにむかって静かにうなずいている。
「不用意な発言だ、一心。 王にとって朔は一人。 かわりなどきかない。 志貴は君でない朔がいたかもしれない未来を想像したんだよ」
泰介の言葉にようやく自分が怯えていたことに気がついた。
もう一度、一心をみあげる。
一心がいなくなると思うだけで気が狂いそうだ。
「かわりなど要らない」
要らないんだ、そんなもの。
登貴はこの強烈な執着をどう扱ってきたのだろう。私は魔物以下になりさがるかもしれない。
一心にこんな汚い想いを悟られたらどうしたらいいかわからない。
愛なのか、恋なのかもわからない。
それを超えた感情のようでもあり、本当に執着でしかないのかもしれない。
10歳上なのだ。
彼にも大切に想う人がいるかもしれないのに、私が役割で縛った。それも命までも縛って。
「俺を丸ごとくれてやるから安心しろ」
あんなにチビの頃から大好きと言われ倒したら白旗をあげるわと一心が笑って言った。それにそもそも俺が負けるわけないだろうがと軽く睨みつけてから、ゆっくりとしっかりと抱きしめ直してくれる。
私は現金だ。一瞬であっさりと身体の震えがとまる。
「泰介さん、先に戻って道反に志貴を戻せるように準備をお願いできますか?」
「言われなくてもやるよ。 親の前で堂々と…。 うちの可愛い娘にいらんことしたら王樹に沈めてやるからね、一心」
泰介はにっこりと綺麗に笑むと、望を連れ立って出口に向かって歩き出した。
一心が眉をひそめて、盛大なため息をもらした。
「なんて輩の子として生まれてくるんだ、お前は……」
親は選べないと言う私にそれもそうだなと一心が困ったように笑う。
「一心、私は歴史を変えてしまったんだよね?」
私にはどんなしっぺがえしが来るのかがわからない。
知り得るはずのない情報を私は過去にいる父に与えたのだから。
権利があるとはいえ、やってはならないことだとやはり痛感している。
「バタフライ効果はかなりマシだと思うぞ」
首を傾げた私に一心が事の顛末を語りだした。
聞けば聞くほどに眩暈がする。
父、宗像泰介がいかに策士で、子に対しても鬼であったのかを理解できた。
「よかった!」
私は一心の首に思わず腕を回していた。
調子にのってハグくらいは大盤振る舞いしてほしいとせがんだ。
「ハグだけか?」
一心が何を言っているのかよくわからなかった。
とにかく、ハグだけですとお願いすると、お好きにどうぞと許してくれた。
黒歴史はさらに更新。
すりすりぐりぐりしまくり、ご満悦の私は一心に感謝の意を表した。
「お前は冬馬に行くかと思ってたけどな」
「どういう意味?」
「いや、わからんでいい」
一心がゆっくりと抱きしめていてくれているのが心地良くて、あまり頭が回らない。強い眠気に襲われる。本当に瞼がおちてくる。
名前をふいに呼ばれて、遠ざかっていく意識の中、見上げた私の唇に何かが落ちてきた。
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