黙の月ー神の獣に愛されし紅

ちい

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第35話 王樹への帰還

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 泰介と望が虜囚となった壮馬と登貴を見張りながら、先導してくれる。
 歩く力もないぼろぼろな私の姿を見るに見かねた一心がおぶってくれた。
 樹海をどこまでも深く深く奥へ奥へと歩いていく。
 まさかの霊峰富士。
 うまく空間を切り裂きながらショートカットするものの早3時間だ。
 泰介が灯り代わりに指にともしてくれた炎がゆらゆらして綺麗だなと思うと、すぐにでも寝息をたててしまいそうになる。
 冷たい風が吹き抜けているはずなのに、私は寒くない。一心が何かしてくれているのだけはわかった。朔とは本当に優れた能力保持者だ。
 ふっと笑うと、見ることのできていないはずの一心が気持ち悪いから笑うのやめろとぼやいた。辛辣なぼやきに、口をへの字に結んだ。
 一心の背におぶさりながら山を登るのではなく、ひたすらに下っている。
 東京の大江戸線も真っ蒼だなと一心がつぶやいていたが、私はそもそも大江戸線がわからないので規模がつかみきれない。故に無反応だ。すると、それを察したように一心がちらりを見上げ、一言、田舎者とつぶやいた。
 東京へなど行ったことがないのだから仕方ないだろう。
 私は何故か西日本にか縁がない。そもそもが家業のせいだ。
「ディズニーランドにでも行ってみるか?」
「馬鹿にしてるでしょう?」
「ミッキーさんがいいか? ドナルドさんか?」
「チップとデール」
「お、一応、知ってるんだな。 ディズニーデビューがまだとは可哀そう。 おいくつ?」
 一心の声に笑いが混じる。ただの笑いではない、嘲笑だ。
 あまりにも悔しいので目を閉じて寝たふりをすることにした。
 会話もなく、足音だけがする世界が続く。
 くだりに入ってからさらに2時間だ。
 特殊な領域というやつで絶対にショートカットできないらしく、アナログに歩くしかない。
 黄泉使いでこれだから、通常の人間では絶対にたどり着けはしない。
 体に急に静電気が走るようなしるような感覚がして、何故か懐かしい水の匂いがした。それも、何よりも清浄な水の香りで、魂が揺さぶられる感覚もする。
「近い?」
 私の問いに、泰介がさすがだねと笑った。
 結界とは恐ろしい。わずかにその会話の5秒後だ。
 数歩歩くといきなり天井がたかくなりドーム型に開けた場所へ出た。
 視界にうつるものは知っている景色そのものだ。
 私は夢でここへ来たことがある。確実に私はここを知っていた。
 一心が泉の岸に私をそっとおろしてくれた。
 エメラルドグリーンの美しい泉。
 覗き込むと今度はどこまでも澄んだブルー。 
 何も考えずに、本能の赴くままに私はその水面へ手をつけた。
 その瞬間、多くの白い手が私の腕をつかんだ。
 やばいと思った時にはもう遅かった。おそろしく冷たい水の中へ引きずり込まれてしまった。
 どこまで引っ張り込む気だと抵抗すると、白い手がまるで落ち着け、大丈夫だというように動く。
 深い傷のあった左胸がふいに熱を持ったようになり、視線をさげると、白い手が私の傷口をそっと覆い隠してくれている。
 腕にあった切り傷はもう跡形もない。
 息が続かないと白い手にアクションをすると、まるで申し訳ないというように水面へ連れて行ってくれる。
 必死に水から顔を出すと、望がしゃがみこんで私を見ていた。
「どう? 治癒した?」
 望の問いに白い手がこたえるように、まだまだと手を振る。
 視線をすぐ横にうつすと、泰介が足で一心を蹴飛ばし泉に落とすところだった。
 幼い日の父のイメージが相当美化されていたことを反省し、苦笑いだ。
 ふいうちをくらい、泉に落ちた一心もまた同じめにあわされていた。
 私はこれ以上は息が続かないので今度は岸にぶらさがらせてもらいながら、白い手のあれこれに好きにされることにした。
 泰介に見張られたままの壮馬と登貴はずっと泉の真ん中にある王樹にくぎ付けになっている。すぐそばにいる泰介が彼らに何やら話している。
 耳を澄まさなくても、内容はなぜだがわかってしまった。
 彼らが見上げるこの王樹はただの木ではない。
 ここは墓場のようなものだ。
 かつての王たちは皆、ここに眠っている。
 王の役割はとんでもなく大きいからこそ、その役割を終えると決めた時、皆、休みたいと願うのだ。輪廻の道には戻らずに、皆、ここを選んで眠っている。
 そして、皆、ただ眠るのではない。
 本当の意味での礎はここを意味する。何故なら、この王樹こそが黄泉の王の能力の源泉でもあり、黄泉使いの能力を維持してくれるものでもあるからだ。
 王樹は千年に一度の黄泉の王のためにある。つまり、次の黄泉の王のための千年を支えるための栄養となることを決めて皆眠りにつく。
 王樹を見失ったために、王樹と似て非なるものが必要となり、悲劇が繰り返されたのだから。
 王樹を見失った理由は、冥府と取引をして、これの主たる王を葬ってきてしまったからでもある。
「ここは時の流れが違うね、望」
 望がゆっくりと王樹を見上げてから、ひとつだけうなずく。 
 望が時を支配することを許されているのはこの王樹の番人のようなものだからだそうだ。
 そんな望にもできないことがある。
 人の輪廻に組み込まれたことがないために、黄泉の王が誰なのかを自分ではみつけることができないという。
 だが、千年王が生まれるには予兆があるという。
 それは朔の誕生からはじまる。
 面白いことに、それが朔だと知らずに黄泉使いの子としてただ生まれた子の才を見抜き、密やかに庇護をかけた者こそが、次の王の親となることが定められている。
 このルールが乱れたことは一度もないそうだ。
 だから、望は才を見抜く目を持つ者を候補者であると認識し、そばにつくという。そうすれば、朔と王が自分の前に現れる確率があがる。
 つまり、この度でいうのなら一心がずば抜けた才の者だと察知したのは泰介で、泰介はすぐに一心を庇護した。そして、泰介は一心が朔だと気づかないままに後継に据えるつもりで育て上げようとしていた。
 ところが、泰介は我が子を手に抱いた瞬間に、すべてをまざまざと思い知ることになってしまった。ノーマークだった双子の1人が王印を持っていたからだ。
 泰介は頭を悩ませた。一心だという確信はあったが、それは彼の印象というだけで裏付けとするには弱すぎた。
 泰介が庇護をかけた子供は2時生と一心の2人だ。どちらが朔であるかは、どちらかが宣言するまでわからない。
 泰介は2人を前にこう言ったそうだ。

『どちらが朔であるのかは自分自身が一番良くわかっているはずだ。 だけれど、己が朔であることは決して口外するな。 朔が狙われ死ねば、王は丸裸になる。 意味がわかるね』

 子供ながらに時生と一心は互いの心中を察し合い、事実を伏せた。だから、望もどちらが正解か確信を持てなかったそうだ。
 さらに、泰介は全ての手筈を変えねばならなくなっていた。津島で育てるはずだった我が子の内の1人に、宗像約定を継がせなくてはならない事態に陥っていた。
 間違いがないよう、幾度も双子の娘を見比べても、王印は1人だけ。しかも、仮死状態で生まれ、飲みもイマイチな身体の弱い方の娘が王だという悩ましい状況に、泰介と望は気を揉んだそうだ。

「やっぱり咲貴が本物だったりして」

 白い手の皆様に岸にゆっくりとすわらせてもらいながら笑って言ってみた。
 すると、あの一心からそれはそれは恐ろしい視線が飛んできた。
 嘘ですと手を振るが、一心はそっぽをむいてしまった。
 なんでそんなに機嫌悪いのかがつかめない。

「別にそんな怒らんでも! 仮に私でなくても、そもそも一心はたいして困らんでしょうが? そりゃ、私は時生やったら困るけども!」

 私は大好きですと黒歴史を更新してしまうほどに一心に言っているが相手にされたことは一度もない。
 同じ土俵に立つなど夢幻。絶望的なほどに妹ポジションから動かしてもらえない。どれほど騒ごうが、親戚の妹みたいなものから抜け出すことはなかった。
 だから、本当に一心がイライラする理由などないと思うのだが、彼のすごぶる機嫌の悪い感じはおさまらないみたいだ。

「ごめんって」

 私が座っている岸近くにすらよりつかない一心をみると、地雷を踏んでしまったようなのでもういっそ、そっとしておくことにした。

「もういいよ、自分でいけそうだし」

 深手を負ってはいるが泉のおかげで私は何とか立ち上がれるくらいにはなっていた。
 急に1人で立ち上がってみたから、一心が目を丸くして、おいと怒鳴り声をあげた。

「うるさいよ。 やりたいことをやりたいようにする」

 私は白い手の皆様に儀式のための服を注文することにした。
 泉に足を浸したままでいるとここでの常識は勝手に私の中にインプットされるお得な状態みたいなので、もう逆らうのはやめた。
 王樹と触れ合うには私にもそれなりの体力が必要となる。王樹の近くにいることは癒しになるが、それに触れるとなるとそれは別の話となる。
 ありったけの体力と集中力を一気に奪われかねない。
 だから、私自身をまずある程度癒さねばなかったのだ。
 それがわずかでも満ちたのならば今度は急がねばならない。
 終の型で縛っていられるのは48時間が限界だときいたからだ。
 傷からの出血が止まったと私が気が付いた頃には王樹の張り巡らされた大きな根の上に白い装束が二着準備されていた。
 王樹は神聖な場でもある。清浄でなければ触れられない。
「泰介さん、花の宴を解いてもいい?」
 泰介がわずかに表情をゆがめた。
 縛るものをはずしたらだめだという意味だろう。
 この縛りがあるから、彼女は彼女でいられると泰介は許してはくれなかった。
 登貴が泰介の言う通りにしてくれと小さくうなずいた。
 これでは衣装を身にまとわせてやることができないと、泰介の顔を見上げるがやはり首を横に振るだけだった。
 それを見ていた壮馬が何も言わずに白い装束をはおり、登貴の分の装束を広げ、彼女の体をくるりとつつみこんだ。 

「志貴は甘い。 きっと違った意味でこの選択をしたのだろうけれど、僕は違う。 同じく無に帰すなら、君たちが奪ってきた物を回収するのが道理だと思ったから、ここへ入れることを反対しなかっただけだよ」

 二人に投げられた泰介の言葉が冷たい。
 だが、真理だ。
 そして、私に対しても痛烈な響きを持っていた。甘い、さもありなんだ。

「あんたらには破格の扱いだ」 

 一心が私の背後で腕を組んで、二人をじっとみていた。
 こちらも殺気を真綿でくるむ作業ができないようだ。
 私だってわかっている。だからこそ彼らの長い長い愛の歌は私が奪い取ると決めたのだから。

「あなた方にはもう二度と朝はこないけれど、理不尽に眠りを覚まされることもない。 互いのさよならは必ずいつか胸の奥に咲く花にかわるだろう。 あなた方が永訣の鳥となっても想いは王樹が全てを引き受けてくれる。 これで、あなた方の長い長い夜は終わる。 そして、罪は次代である私が引き受ける」

 登貴がそれは違うと首を振った。
「貴女が背負って護ろうとしたものを私は見た。 だから、貴女から私が罪を引き抜く。 そうすれば貴女は黄泉使いにとって最も高貴な王に戻る。 最期くらい好きな男と我儘になったって良いと思う。 もう私が決めたんだ。 これでいい」
 あの壮馬が私を見て、涙をこぼした。
 一つの愛のために罪を背負っていくことを決意していた男の目が一心のそれとかわらない美しい琥珀色にかわる。
 朔は気高い狼だ。それが悪夢のような敵となると壮馬のようになってしまう。
 許しあう人もいて、憎みあう人もいて、殺しあう人もいる。でも、その隣には愛し合う人がいる。 
 見方をかえれば悪魔は私たちかもしれない。
 赦してやりたい。だけど、赦してはやれない。
 わかっているのに、私は結局、あれだけの犠牲を目にしても赦してしまうのかもしれない。
 だから、もう2人を見ていたくない。
 時間が長引くほどに私は迷う。
 私はもう行ってと王樹の幹の中央あたりにある黒くくぼんだあたりにふれるように促した。
 王樹に触れれば、一方通行だ。飲み込まれたら最後。もう二度とこちらへは戻れない。
「冬馬は私が護る。 冬馬は貴方の息子じゃない。 宗像の子だ。 そして、貴方のような大人にはならない」
 壮馬の目が昔からよく知っていた優しい目に見えた。
 壮馬は冬馬の父だったが、最期の別れをさせるつもりはなかった。
 冬馬には煉獄の炎で焼き切ったと、冬馬の母にはこの大混乱の中、命を落としたとだけ伝えようと決めていた。
「冬馬に復讐などさせない。 冬馬はこれからの宗像の柱になる。 だから、貴方はもう存在してはならない」 
 壮馬は冬馬に憎まれなければならない。冬馬が生きていく上で、壮馬が抱えていた闇など冬馬には必要ない。ただの裏切り者として冬馬に憎まれてくれればそれでいいと思った。そして、冬馬が私を恨んでくれても構わない。でも、絶対に復讐者にはさせない。
「私の愛しい仲間は屈さない。 絶対に屈させない。 貴方達とは違う道を皆で歩むだけだ」
 一心に支えられていた体だけれど、一大奮起して、自らの足で立つ。
 私はすっと手を一心に差し出すと、指先にわずかに痛みが走った。
 右の親指が薄皮一枚さかれており、深紅の血液がにじんでいる。
 唇にそれをおしつけ、深く息を吐く。
 頭の中にぐるぐると何かが入ってくる気がする。
「一心やってくれ」
 一心が私の胸に腕を差し込む。そして、紅の玉を抜き出してくれた。
 己の朔がやると傷一つない。当然、痛みもない。
 一心がそれを王樹の根元に捧げる。
 王樹の幹を中心に枝葉にまで白光が走り始める。
 私は両手を大きく広げた。
 ゆっくりとその大きな王樹を見上げる。

「王樹よ、吾が今上である」

 誰の声だと思うような声が勝手に口から零れ落ちる。
 私の声は性別を失ったように、一貫性がない。
 男のようで、女のようで、子供のようで、老婆。
 そして、しまいには鈴の音のようでしかない。

「長らくの不在を詫び、ここに主としての帰還を宣言する」

 紅玉がはじけ飛び、王樹の根がそれをすべて吸収する。
 カチカチカチ。
 時計の針の音が耳の奥で聴こえたかと思った瞬間、身体が急に強張り、軽く痺れが走った。
 どうやら王樹と正式に繋がったらしい。
 わずかにふらついた身体を一心が支えてくれた。
 心配そうな一心に大丈夫だとうなずいた。

「王樹よ、確認するが良い」

 数秒前まで何も知らなかったのに、今や、あっさりとできてしまう。
 王樹の根元へ指からしたたる血を落した。
 血液のたまりを根が吸い上げていく。

『帰還、寿ぐ』

 ほんとに愛想のない声でぶっきらぼうに王樹が答えた。
 一心がややいらっとしているのがおかしかったが、私はうんと頷いた。
 
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