30 / 47
第30話 公介、帰還!
しおりを挟む
「お出迎えの花道はお気に召したかな?」
白く波打つ髪が美しい。
恐ろしいほどに引き込まれるような紅い瞳をたたえた美女はその形のよい唇を動かし始めた。
あれを花道というか、この女。
「そこにいる冬馬は私の大事なスペアだ。 ゆめゆめ傷つけてくれるなよ」
せせら笑っている女の深紅の瞳には道理などない。
冬馬という肉体に着替えて、こいつはまた生きながらえると宣言するのか。
「そこにいる咲貴でも構わない。 どちらかを差し出せば、せいぜい50年、いや100年はおとなしくしてやってもいい」
心の奥底から人生最大の怒りの声が飛び出しそうだ。
自分でもコントロールできそうにない激情が身体の中を暴れ回っている。
饒舌に語る唇を今にも焼き切ってしまいたい衝動に駆られたが、一心が私の肩に手を置き、幾度も幾度も乗せられるなと制止してくれた。
「まだ黄泉問答できないのかい?」
「いつまで前口上が続くのかと思って待っていただけだ。 弱い犬ほどよく吠えるというから。 怖いのは貴女の方なのではないか? 自慢の黒髪はどうした? 瞳は何色が正解かご存じではないようだ。 教えてやろうか?」
私は自分の目のあたりを指さし、これだよと吐き捨てるように言ってやった。
私が持っている物のすべてが彼女の求める物だと知っている。
「話が早いな。 では、君がスペアになってくれるというのか?」
余裕たっぷりに彼女は綺麗にととのった笑みを浮かべた。
ちゃんちゃらおかしいわと笑ってやる。
「君は私に手をかけられないよ。 だって、これでも生身の人間なのだから?」
女はあざ笑ってから、やってみろというように手招きする。
「やってみようか? 本当にできないかどうか?」
一心の待てという声を無視して、私は駆けだした。
以前なら怯えていた泉にもズブズブと身をひたすことすらいとわない。
だって、この世界は私の敵ではないというのだろうと思いきることにした。
「天叢雲、来い!」
願えば手に届く。私の右手の中にずしりと重量感のある硬質の物がある。
「大剣かよ、私は槍使いだって!」
ぼやくとその形は緩やかに千鳥十字槍にかわる。
泉の真ん中あたりは丁度肩ほどの水深だった。
暑かったのと、血糊を流したかった。しゃがみ込み、頭の先まですべて水の中へしずめきった。
一心があきれた声をあげていたが、もうそれは聞こえない。
水の中は静かだ。
静か故に自分自身の鼓動がよくわかる。
泉の底をけって、勢いよく自ら頭を出す。
そして、泉の水を一瞬で干上がらせるほどの紅蓮の炎を準備する。
宗像をなめるなよと指をパチンとならすと、我ながら恐ろしいほどに一瞬で水が気化する。
爆風のみで、水蒸気にもならないほどの勢いだ。
女の横にいる壮馬の表情が曇り、眉間に深いしわが刻み込まれる。
声は聞こえないが、口はこう動いていた。
「化け物が」
声にして唇の動きのままに読み取って笑って言ってやる。
化け物、結構。
強けりゃ問題ないのだと、公介が言っていた意味がよく分かった。
勝ちさえすればいいだけだ。
敗者に言葉はない。
「なぁ、そこにいる憑依師殿のご本体は本当に無事なのか?」
何だと壮馬の顔色がかわっていく。
人は大切な誰かをそばにおくと、予想以上にその本音がたやすくこぼれてしまう。
壮馬が女の体に無意識に手を伸ばした。指先でその感触を確かめている。
「なるほど。 あなたもたいがい間抜けだな」
ありがたいまでの参考情報が私の手のひらに転がり込んできた。
壮馬はたった今、この瞬間に致命的なミスを犯していることにまだ気が付かない。
よっぽどこの女が大切なのだろう。冷静さが半減している。
「冬馬も咲貴も、もちろん、私もくれてやるつもりはないし、穂積も護る」
「穂積を護る? 愚かな。 穂積が真実何を隠していたのかを知っているのか?」
「それがどうした?」
壮馬は宗像のお前が何故そんなことが言えるというように眉をひそめた。
真実を知った冬馬は穂積を憎んでいるかもしれない。
これまで咲貴が津島を憎んできたように穂積を憎んだかもしれない。
だが、己の代でその家の罪を贖おうなどと考えるのは馬鹿すぎる。
「枯れずの王樹、あなたも探していたのでは?」
「枯れずの王樹などあるはずがない。 数百年かけても見つけられなかった物をお前如きがみつけられるはずがない!」
壮馬の表情にごくわずかであるが陰りがおちた。
壮馬には確実に迷いがある。
突拍子もない会話へ切り替えたには理由があった。
壮馬の後方わずか数メートルのところに、今頃かとぼやきたくなる男の姿が大きくなってくる。
圧倒的な戦力を持っていながら、こうした小ずるいことをあっさりとやってのけるその人だ。時間稼ぎはもう十分だったろうか。
「どうも、お久しぶり!」
壮馬が異変を察知して振り返ると同時に振り下ろされる大剣の刃先は、壮馬の左腕を確実に落しきっていた。
「やられたらやりかえす主義なのよね」
汚いことも平気でやってのける男といえばその人しかいないだろう、そう公介だ。
へらへらと手を振る公介に脱力しそうになるが、そろそろ本番だ。
公介とアイコンタクトをした直後、女のそばにいる壮馬をまずは切り離す作業にかかる。
片腕のない者同士とは思えない死闘が始まったのを横目にみて、私はじっくりと女に向けて槍の先をむけた。来いよと挑発をする。
消えない悲しみも綻びもすべてを受け入れる覚悟はできている。
一心が盾になろうと前に出ようとするのを制し、私が前に立つ。
確認作業が必要だ。
この女が本当に生身の人間であるのかを確かめるには私が直接触れる他ない。
壮馬がフェイクをしかけているとしたら、まだ切り札をきることができない。
壮馬が公介の剣劇を受けながら絶対に近づくなと女に警鐘を鳴らすが、女は唇をぺろりとなめると私にむかってとびかかってきた。
好機到来。
この一撃をかわすことさえできれば私はこの状況を一変させることができる。
女があっという間に私の間合いに入り、長く伸びた爪をふりあげる。
これで決まるとそう思ったのに、公介を振り切った壮馬が女の体にタックルするように入り込み、私に触れさせることを拒んだ。
「もっと悔しがってやらんとばれるぞ、志貴」
公介が私のすぐ背後にきて意地悪な笑みを浮かべた。
口の端にこぼれおちそうになる笑みを私自身も止められそうにない。
チェックメイトだ。
総攻撃の合図はあらかじめ決めておいた。
「梅をなめるな」
私のこの言葉に一心が、時生が、公介が一斉攻撃を開始する。
壮馬はこれでもかというくらいに目を見開いてこちらを見た。
壮馬の狡猾さを私の狡猾さが上回った結果だ。
己の行動の結果が何を意味したのかを今頃悟ったのだろう。
壮馬がうなり声をあげ、女を後ろ手にかばいながら退避しようとする。
「人でないということが証明できさえすれば私はそれだけでよかった」
壮馬は女と私が接触することだけは避けたかった。
理由は簡単だ。
王樹を知っている者は真理を見抜く。
壮馬は私が王樹を知っていると誤認した。
そして、真実が暴露されることを恐れた。
「何よりも恐ろしい武器は言葉だよね」
梅の絆は絶対だ。
宗像約定もまた絶対。
梅である以上、理に抵触することは絶対にできない。
それを逆手にとられていた。
「うまくやったものだ。 対象が人であれば、宗像の主は絶対に剣をむけられない。 だけどね、梅の中には私みたいなろくでもない奴もいるんだ」
相手が生身の人間と言い張るのなら、私は王樹を知っていると言い張る。
言葉を巧みに利用した壮馬同様に私も言葉を以て嘘発見器を身に着けた。
女を直に私に触れさせれば生身の人間。
女を何としても私から引き離しにかかれば生身の人間ではなかったということだ。
理を順守する梅を背負う長の誰もが聖人君主と思っているのは壮馬自身がまっとうな宗像の思想の持主として育ってきてしまったからだ。
悲しいかな、宗像の当主はいつもまっすぐで誰かをだますようなやり方はできないはずだと壮馬が思い込んでしまったのが敗因。
私はまっとうな主ではないし、私の父も伯父も違っていた。それだけのことだ。
「あなた自身の手でその女が生身の人間でないということを証明してしまった気分はどう?」
私は人差し指で小さなサークルを描く。指先に蝋燭の火程度の炎をともす。
ふうと息を吹きかけると私の小さい炎たちが梅の絵を描くように地上に広がり、ついには壮馬とその女を取り巻く。描かれた梅の花の炎の色が徐々に濃くなり、種火程度から薪程度へとなっていく。
「あなたは、どうやってこいつの時間を制御する方法を知った?」
壮馬は答えない。この男にはこの男なりの信念があったはずだ。簡単に口を割ることはないだろう。でも、聞きだす必要がある。
「質問をかえる。 何と引き換えにした?」
ふっと壮馬が笑い、引き換えにせねば、誰もこの苦しみから逃れて生きることなどできないとつぶやいた。
「毎度毎度、宗像の主が倒れる度に黄泉使いの存続の危機が訪れるなんて不安定なシステムをどうして冥府が許してきたのか。 その本当の理由を知っているか?」
壮馬は体中の息を吐きだした後、ゆっくりと私の目を見た。
「冥府にとって目の上のたん瘤は宗像の主だ」
鴈楼蘭が言っていた。
冥府の役人が最も毛嫌いするのは黄泉の王の資格保持者が生れ落ちることだと。
つまりは、私や楼蘭の存在ということだ。
ここまでくるといっそ笑いがこみあげてくる。
天は私にどうせよというのだろう。
壮馬に傷つけられた胸の傷が痛む。
生温かいものがじわじわと流れ出してくる。
宗像の主だって無敵じゃない。
身を切られればこうして血が流れる。
ほうと息を吐く。
以前の私ならきっとうじうじして天を恨み、親を恨み、神の獣達をうらんでいたことだろうが、それがいかに阿呆くさいかを悟った今となっては、たいして気にならない。
これは仕方ないことだ。
私が王に選ばれたことなんて、たまたま程度の意味もない。
この肉体と魂をたまたま預かったのが私だったというだけだ。
だから、私が好きにしていい。
壮馬とその背後にいる化け物の女にじっくりと目をやる。
どんなに心を打つようなエピソードがこの二人にあろうとも、私はそれに同情はしない。同情してはいけない。あまりに奪われた者が多すぎる。許してはならないとぐっと拳をにぎりしめた。
「過去のお涙ちょうだいエピソードは私の代ですべて消去してやる」
白く波打つ髪が美しい。
恐ろしいほどに引き込まれるような紅い瞳をたたえた美女はその形のよい唇を動かし始めた。
あれを花道というか、この女。
「そこにいる冬馬は私の大事なスペアだ。 ゆめゆめ傷つけてくれるなよ」
せせら笑っている女の深紅の瞳には道理などない。
冬馬という肉体に着替えて、こいつはまた生きながらえると宣言するのか。
「そこにいる咲貴でも構わない。 どちらかを差し出せば、せいぜい50年、いや100年はおとなしくしてやってもいい」
心の奥底から人生最大の怒りの声が飛び出しそうだ。
自分でもコントロールできそうにない激情が身体の中を暴れ回っている。
饒舌に語る唇を今にも焼き切ってしまいたい衝動に駆られたが、一心が私の肩に手を置き、幾度も幾度も乗せられるなと制止してくれた。
「まだ黄泉問答できないのかい?」
「いつまで前口上が続くのかと思って待っていただけだ。 弱い犬ほどよく吠えるというから。 怖いのは貴女の方なのではないか? 自慢の黒髪はどうした? 瞳は何色が正解かご存じではないようだ。 教えてやろうか?」
私は自分の目のあたりを指さし、これだよと吐き捨てるように言ってやった。
私が持っている物のすべてが彼女の求める物だと知っている。
「話が早いな。 では、君がスペアになってくれるというのか?」
余裕たっぷりに彼女は綺麗にととのった笑みを浮かべた。
ちゃんちゃらおかしいわと笑ってやる。
「君は私に手をかけられないよ。 だって、これでも生身の人間なのだから?」
女はあざ笑ってから、やってみろというように手招きする。
「やってみようか? 本当にできないかどうか?」
一心の待てという声を無視して、私は駆けだした。
以前なら怯えていた泉にもズブズブと身をひたすことすらいとわない。
だって、この世界は私の敵ではないというのだろうと思いきることにした。
「天叢雲、来い!」
願えば手に届く。私の右手の中にずしりと重量感のある硬質の物がある。
「大剣かよ、私は槍使いだって!」
ぼやくとその形は緩やかに千鳥十字槍にかわる。
泉の真ん中あたりは丁度肩ほどの水深だった。
暑かったのと、血糊を流したかった。しゃがみ込み、頭の先まですべて水の中へしずめきった。
一心があきれた声をあげていたが、もうそれは聞こえない。
水の中は静かだ。
静か故に自分自身の鼓動がよくわかる。
泉の底をけって、勢いよく自ら頭を出す。
そして、泉の水を一瞬で干上がらせるほどの紅蓮の炎を準備する。
宗像をなめるなよと指をパチンとならすと、我ながら恐ろしいほどに一瞬で水が気化する。
爆風のみで、水蒸気にもならないほどの勢いだ。
女の横にいる壮馬の表情が曇り、眉間に深いしわが刻み込まれる。
声は聞こえないが、口はこう動いていた。
「化け物が」
声にして唇の動きのままに読み取って笑って言ってやる。
化け物、結構。
強けりゃ問題ないのだと、公介が言っていた意味がよく分かった。
勝ちさえすればいいだけだ。
敗者に言葉はない。
「なぁ、そこにいる憑依師殿のご本体は本当に無事なのか?」
何だと壮馬の顔色がかわっていく。
人は大切な誰かをそばにおくと、予想以上にその本音がたやすくこぼれてしまう。
壮馬が女の体に無意識に手を伸ばした。指先でその感触を確かめている。
「なるほど。 あなたもたいがい間抜けだな」
ありがたいまでの参考情報が私の手のひらに転がり込んできた。
壮馬はたった今、この瞬間に致命的なミスを犯していることにまだ気が付かない。
よっぽどこの女が大切なのだろう。冷静さが半減している。
「冬馬も咲貴も、もちろん、私もくれてやるつもりはないし、穂積も護る」
「穂積を護る? 愚かな。 穂積が真実何を隠していたのかを知っているのか?」
「それがどうした?」
壮馬は宗像のお前が何故そんなことが言えるというように眉をひそめた。
真実を知った冬馬は穂積を憎んでいるかもしれない。
これまで咲貴が津島を憎んできたように穂積を憎んだかもしれない。
だが、己の代でその家の罪を贖おうなどと考えるのは馬鹿すぎる。
「枯れずの王樹、あなたも探していたのでは?」
「枯れずの王樹などあるはずがない。 数百年かけても見つけられなかった物をお前如きがみつけられるはずがない!」
壮馬の表情にごくわずかであるが陰りがおちた。
壮馬には確実に迷いがある。
突拍子もない会話へ切り替えたには理由があった。
壮馬の後方わずか数メートルのところに、今頃かとぼやきたくなる男の姿が大きくなってくる。
圧倒的な戦力を持っていながら、こうした小ずるいことをあっさりとやってのけるその人だ。時間稼ぎはもう十分だったろうか。
「どうも、お久しぶり!」
壮馬が異変を察知して振り返ると同時に振り下ろされる大剣の刃先は、壮馬の左腕を確実に落しきっていた。
「やられたらやりかえす主義なのよね」
汚いことも平気でやってのける男といえばその人しかいないだろう、そう公介だ。
へらへらと手を振る公介に脱力しそうになるが、そろそろ本番だ。
公介とアイコンタクトをした直後、女のそばにいる壮馬をまずは切り離す作業にかかる。
片腕のない者同士とは思えない死闘が始まったのを横目にみて、私はじっくりと女に向けて槍の先をむけた。来いよと挑発をする。
消えない悲しみも綻びもすべてを受け入れる覚悟はできている。
一心が盾になろうと前に出ようとするのを制し、私が前に立つ。
確認作業が必要だ。
この女が本当に生身の人間であるのかを確かめるには私が直接触れる他ない。
壮馬がフェイクをしかけているとしたら、まだ切り札をきることができない。
壮馬が公介の剣劇を受けながら絶対に近づくなと女に警鐘を鳴らすが、女は唇をぺろりとなめると私にむかってとびかかってきた。
好機到来。
この一撃をかわすことさえできれば私はこの状況を一変させることができる。
女があっという間に私の間合いに入り、長く伸びた爪をふりあげる。
これで決まるとそう思ったのに、公介を振り切った壮馬が女の体にタックルするように入り込み、私に触れさせることを拒んだ。
「もっと悔しがってやらんとばれるぞ、志貴」
公介が私のすぐ背後にきて意地悪な笑みを浮かべた。
口の端にこぼれおちそうになる笑みを私自身も止められそうにない。
チェックメイトだ。
総攻撃の合図はあらかじめ決めておいた。
「梅をなめるな」
私のこの言葉に一心が、時生が、公介が一斉攻撃を開始する。
壮馬はこれでもかというくらいに目を見開いてこちらを見た。
壮馬の狡猾さを私の狡猾さが上回った結果だ。
己の行動の結果が何を意味したのかを今頃悟ったのだろう。
壮馬がうなり声をあげ、女を後ろ手にかばいながら退避しようとする。
「人でないということが証明できさえすれば私はそれだけでよかった」
壮馬は女と私が接触することだけは避けたかった。
理由は簡単だ。
王樹を知っている者は真理を見抜く。
壮馬は私が王樹を知っていると誤認した。
そして、真実が暴露されることを恐れた。
「何よりも恐ろしい武器は言葉だよね」
梅の絆は絶対だ。
宗像約定もまた絶対。
梅である以上、理に抵触することは絶対にできない。
それを逆手にとられていた。
「うまくやったものだ。 対象が人であれば、宗像の主は絶対に剣をむけられない。 だけどね、梅の中には私みたいなろくでもない奴もいるんだ」
相手が生身の人間と言い張るのなら、私は王樹を知っていると言い張る。
言葉を巧みに利用した壮馬同様に私も言葉を以て嘘発見器を身に着けた。
女を直に私に触れさせれば生身の人間。
女を何としても私から引き離しにかかれば生身の人間ではなかったということだ。
理を順守する梅を背負う長の誰もが聖人君主と思っているのは壮馬自身がまっとうな宗像の思想の持主として育ってきてしまったからだ。
悲しいかな、宗像の当主はいつもまっすぐで誰かをだますようなやり方はできないはずだと壮馬が思い込んでしまったのが敗因。
私はまっとうな主ではないし、私の父も伯父も違っていた。それだけのことだ。
「あなた自身の手でその女が生身の人間でないということを証明してしまった気分はどう?」
私は人差し指で小さなサークルを描く。指先に蝋燭の火程度の炎をともす。
ふうと息を吹きかけると私の小さい炎たちが梅の絵を描くように地上に広がり、ついには壮馬とその女を取り巻く。描かれた梅の花の炎の色が徐々に濃くなり、種火程度から薪程度へとなっていく。
「あなたは、どうやってこいつの時間を制御する方法を知った?」
壮馬は答えない。この男にはこの男なりの信念があったはずだ。簡単に口を割ることはないだろう。でも、聞きだす必要がある。
「質問をかえる。 何と引き換えにした?」
ふっと壮馬が笑い、引き換えにせねば、誰もこの苦しみから逃れて生きることなどできないとつぶやいた。
「毎度毎度、宗像の主が倒れる度に黄泉使いの存続の危機が訪れるなんて不安定なシステムをどうして冥府が許してきたのか。 その本当の理由を知っているか?」
壮馬は体中の息を吐きだした後、ゆっくりと私の目を見た。
「冥府にとって目の上のたん瘤は宗像の主だ」
鴈楼蘭が言っていた。
冥府の役人が最も毛嫌いするのは黄泉の王の資格保持者が生れ落ちることだと。
つまりは、私や楼蘭の存在ということだ。
ここまでくるといっそ笑いがこみあげてくる。
天は私にどうせよというのだろう。
壮馬に傷つけられた胸の傷が痛む。
生温かいものがじわじわと流れ出してくる。
宗像の主だって無敵じゃない。
身を切られればこうして血が流れる。
ほうと息を吐く。
以前の私ならきっとうじうじして天を恨み、親を恨み、神の獣達をうらんでいたことだろうが、それがいかに阿呆くさいかを悟った今となっては、たいして気にならない。
これは仕方ないことだ。
私が王に選ばれたことなんて、たまたま程度の意味もない。
この肉体と魂をたまたま預かったのが私だったというだけだ。
だから、私が好きにしていい。
壮馬とその背後にいる化け物の女にじっくりと目をやる。
どんなに心を打つようなエピソードがこの二人にあろうとも、私はそれに同情はしない。同情してはいけない。あまりに奪われた者が多すぎる。許してはならないとぐっと拳をにぎりしめた。
「過去のお涙ちょうだいエピソードは私の代ですべて消去してやる」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
転生調理令嬢は諦めることを知らない
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。
主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。
追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。
2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる