黙の月ー神の獣に愛されし紅

ちい

文字の大きさ
上 下
26 / 47

第26話 神の狐、帰還

しおりを挟む
 二度と体感したくはなかった寒風吹きすさぶ荒廃した大地。
 むき出しのゴツゴツした岩の上へ一心に寄りかかりながらも降り立ってみて、小さく身震いをした。その理由は簡単だ。以前ほど、この世界は私を拒絶しない。
 それはつまり、私自身が黄泉に適応しきったのか、もしくは著しく死に近くなったということだ。
 ひどく血を失ったせいか、自分でも驚くほどに目が回る。
 完全に平衡感覚は消え去っている。
  笑えるほどにどちらが上で、どちらが下かわからない。
 嘔気にまで襲われて、岩の上で弱々しくもへたりこんでしまう。
 次から次へと吹き出した冷や汗が額からぽとりと落ちてくる。
 痛いという感覚はもう麻痺しており、自分自身ではコントロールできそうにない呼吸と体中のきしみだけが私を攻め立てていた。
「随分とやられたわね、志貴」
 こんな時に、暢気すぎる久しぶりに聞く声に笑うしかなかった。これほどまでに安堵する感覚がくるとはと口角が自然にあがってくる。
「おかえり」
「あんた、へらへら笑える余裕すらあるの?」
 ゆっくりと顔を上げると、フードをかぶった黒ずくめの男がいる。狐の仮面をすっとはずした下にあったのは望の顔だ。
 望はよいしょと私のすぐそばに座り込み、私の髪をぐしゃぐしゃにした。
 今まで何してやがったとくってかかろうとした一心を時生が静かに羽交い締めにした。
「ぶっとばしてやる!」
 肉体は止められていても、お口のチャックまではどうにもならなかったと時生が苦笑いしている。
「あらやだ。 ぶっとばされるのはごめんだわ」
 望はあっけらかんと言いのけるとにやりと笑んだ。この表情は意地悪を思いついた時のそれだ。
「ようやく尻尾をつかまえて、これからどうするかと算段していた矢先に、先制パンチを食らったもんだからびっくりだったわよ。 まさか、壮馬だったとは予想外だったわ。 気がついて急いで戻ったけれど、アイツ、さすがというか、何というか。 とにかく、良く生き残った。 そばにいてあげられなくてごめんね。 皆のおしかりは後でいくらでも受ける。 志貴、私はちゃんと約束は果たした。 だから、あんたの願いは必ず届くと思う」
 望は片方の口角のみつりあげ、小さく頷いた。
 アイツとは壮馬を指しているのだろうが、これまでの水面下での戦いについて望は今すぐには多くを語ろうとはしなかった。

「やっと追いついた!」

 少女の黄泉の鬼、いや、咲貴だ。
 熊野の親玉になったらしく、堂々とした出で立ちだ。でも、般若の仮面を外すと、頬を赤くして、息が上がっている。
「馬鹿にしてんじゃないわよ! 私だってちゃんとあんたを護るためにいるんだからね!」
 冷静沈着な彼女が感情むき出しで怒っている。
 どストレートな彼女の感情表現にどこかうらやましく思った。
「我こそが狼の主であるぞと騒ぎまわって、熊野を戦場にかえてでもおびき出そうとしていたくらいやから、コイツ。 熊野の禁域をわざと開放して餌をばらまくほどの阿呆や。 さすというか何というか?」
 一心が咲貴を指さして困ったように笑った。
「でも、この阿呆が熊野を開放状態にしてくれていたから、お前を担ぎ込めたんやで? 出雲と熊野は表裏一体。 コイツの勘の良さに救われて今のお前があるんや。 さて、どうするんや?」
 一心が私の身体をよいしょっと担ぎ直しながら軽口をたたいた。
「どれほど未熟であったとしてもそれが志貴であれば皆護る。 どれほど馬鹿でも、どれほど愚かでも護る。 それがわからない君なのなら、全て終わって道反に戻ったら半殺し以上の稽古を僕がつける。 しつけをし直す」
 時生に至っては静かなる脅しをかけてくる始末だ。
「それはもう脅しでしょ」
「そう解釈してもらってもかまわないよ」
 背筋も凍るほどの威圧感ある時生の笑みにはもう逆らえなかった。
「わかったよ。 勝手にすれば良い」
 この私の言いようが気にくわないのか、時生が私に拳骨をくらわしてきた。
「よろしくお願いします、でしょう?」
 時生の目が本気で血走っているのをみて、あわてて小さくそれを復唱した。
「よろしくお願いします」
 一心の背中に顔をうずめながらぼやく。
「はい、白い悪魔退治、出発」
 望は一心と時生に小さく目配せをした。
 二人は何かを悟ったように、小さく息を吐いた。
「着くまでほんの少し休んでいて良い?」
 私はゆっくりと目を閉じる。
「志貴、深い眠りだけはダメやぞ?」
 わかっていると答えたかったけれど、どうしようもない眠気がくる。
 どうしようもない心地よさだ。
 引きずられるようにして、夢の中へ落ちていくのがわかった。
 あの夢って、玉が見せてくるものだったのではないのかなんて、突っ込みを入れながらも記憶の海に眠る。




「奇跡でも起きない限り、もう私はお前の元には還っては来られないだろう」
 行ってはならない、駄目だとしっかりと抱き寄せられたが決心はかわらなかった。
「私はね、もし自分が王でも獣憑きでもなかったらと考えたんだ」
「それでも俺はそばに居た」
 頭上からこぼれ落ちてくる声に、涙腺が崩壊しそうになる。
「それは違うよ。 私が王であり、獣憑きだったからお前がいるんだ。 今起こっていることのすべてが私を作る。 だから、もしもはない。 これは私のすべきことだ。 離してくれるか?」
「嫌だと断ったらどうする?」
「その腕を焼き切る」
「どうしていつもこうなるんだ! いつだって逃げ出してくれてよかったんだ!」
「逃げ出したところで何が変わる? 何一つ変わらない」
「殺されにいくようなもんだ!」
「それでも、皆を見殺しにすることはできない。 自分一人が生き残った世界に何がある?」
「俺がいるじゃないか! 俺は世界がお前を殺したなら、絶対に許さない。 いいか? お前がいかに戦に向いていないか、皆、知っているんだぞ! そうであるにもかかわらず、お前の能力だけを欲して戦場に来いと言いやがるんだぞ?」
 胸が張り裂けるほどの血のにじんだ声だった。
 この目の前の男は心の底から私の命を惜しんでくれている。
 仰せの通り私の肉体は戦いには不向きだ。
 悪鬼の血肉が触れよう物なら、あっという間に胸を病み、今度こそ致命傷となるだろう。
「それでも、私が王なんだ。 そうだろう?」
 そっと肩に置かれたままの手に自分の手を重ねた。
 大の男が緊張のあまりに唇の色を失っている。それにそっと触れてやると、悲しげに目を伏せた彼がいる。
「黄泉は誰からも干渉されるべきではないんだ。 王としてやられっぱなしは辛抱ならない」
「捨て置けばよかったものを! 俺はお前が無為に奪われるのを黙ってみていることだけはしないからな!」
「お前は無茶をしてはならないよ」
「それはこちらの台詞だろう? お前が出るというなら、俺ができる限りの数を叩く他ないだろうが! やめないというのなら、とめられないというのなら、お前の盾になるのが仕事だ」
「それではお前が!」
「だったらやめるか? できないくせに! お前は俺の願いを聞かないのだろう? だったら俺もお前の願いなどきいてやらん」
 般若の面を片手にきびすを返し、男がいきり立った感情をむき出しのままに先に部屋から出て行った。
「待て!」
 そうじゃない。違う。一緒に闘いたいんだ、私は。
 そうじゃない。本当はそうじゃないんだ、私は。
 混在する意識と感情。
 行かないでと伸ばしているこの手は誰の物?

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...