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第19話 黄泉の鬼、あらわる
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「立て!」
すぐ横に目をやると、すぐ近くで鍔迫り合いをしている。
その声に叱咤され、私は何とか身体を起こした。
マントを身に着けているところをみると、私を後ろ手にかばうように立っている男は黄泉使いだ。
『ソレを渡せ!』
「断る!」
小太刀を器用につかい、痩身の男は女の鉤爪を抑え込んでいる。
闊達な物言いをしている男はほぼ互角かそれ以上の動きで女を水際まで押し返した。
「退く!」
「わかった。 もう準備はいいぞ」
鋭い金属音が幾度も聴こえた後、これまた聞き覚えのある声が耳に届く。
そして、身体ごと誰かに抱きかかえられた。
眼前に般若の面。まごう事なき黄泉の鬼だ。
「志貴、無事かい?」
この聞き覚えのある声は宗像時生だ。
私の身体を抱えてくれていたのはかつての私の封術の師匠である宗像時生だ。
ようやく声の主がわかり、劇的にほっとしてはじめて呼吸がおかしいことにきがついた。
時生はさらにゆっくりと呼吸をするよう促してくれた。
そうか、私は呼吸すらまともにできていなかったらしい。
過換気はおさまり、手のしびれもいくらかおさまった。
『邪魔をするな!』
王を名乗る女の顔が壮絶なまでの怒りに歪む。
「それはこっちの台詞や!」
男は力任せに女を弾き飛ばした。
そして、確実に胴を真っ二つに斬ったと思ったが、そこにはもう身体がなかった。
男の盛大な舌打ちで、私はこれまで対峙していたそれが幻影だったとようやく気が付いた。
「君はこれをつけていなさい!」
時生に半ば強引に仮面を顔に押しあてられ、私は思わずのけぞった。
ひどい頭痛がしたのだ。これまでに感じたこともないようなレベルの頭痛だ。
はじめて仮面が痛いことを知った。呼吸困難になりそうなほどに苦しい。
何の装備もないままに海中に沈められたかのように半ばパニックだったと思う。
「阿呆が!」
仮面のほんの少しずらした男の顔を見て、息を飲んだ。
従兄の一心だ。
こんなに声が低かったろうか。その声がすぐに耳元で聞こえたかと思うと、後頭部を何かで殴られた。
そして、私の意識は闇の中へ真っ逆さまだ。
ブラックアウトしながら、私が伸ばした手を一心が握り締めてくれたように思った。久しぶりの感触と一心の匂いだ。
お願いだから起きた時にそばに居て欲しいとつぶやいた気がしたけれど、声になっていたのかはもうあやふやだ。
※
「痛い」
薄暗い座敷で目を覚まして上半身を起こそうと試みたが、思わぬ痛みに小さなうめき声をあげて断念した。
しばらく後に、のろのろと重い身体を引きずるようにして、枕を引きずり寄せた。
よいせっと17歳が口にするような掛け声ではないとわかっているが出たものは仕方がない。無造作に脇の下に枕をはさみこむ。枕の厚さ分、起き上がることができ、ようやく身体中にたまっていた息を吐き出した。
部屋の中にある調度品は古そうな壺と年季の入った本の山。
床の間には宗像家の家紋である朔月に梅の花の掛け軸。
宗像の家紋を背負うようにして般若の面がならんでいるところをみるとここは出雲ということらしい。
そばにいるやけに目立つもっさりとした白い塊に目をやった。
気持ち良いまでの寝息がきこえている。
「今、何時?」
寝起きで、乾燥しきった喉から発せられる声は老婆のように低く、自分の物なのに聞き取りにくい。
問われた相手は耳をピクリと動かすだけで何も答えようとしなかったが、次の瞬間、私が与えた衝撃に対して、軽くうめき声をあげた。私が狼の尻あたりを蹴飛ばしてやったのだ。
「知らん顔するなよ! 今、何時って聞いてんの!」
ようやく頭だけこちらへ向き直り、皺を鼻筋に寄せた朔が怒りの声を発した。
『夜中の四時半だ! 蹴る奴があるか!』
「時間の観念崩壊しとるな。 もう笑いしか出てこん」
もっと軽快に笑い飛ばしたいところだが、我ながら声が弱々しいままだ。
『お前、自分がもう動けるとでも思ってるのか?』
確かにおっしゃる通りなのだが、動ける動けないは問題外だ。
この時間帯は黄泉使いがぼんやりして良い時間ではないし、黄泉におとされていた間のことを報告しなければならない。宗像の後継が不可抗力だったとはいえ、失踪していたのだから、横になって休むなどありえない。
さてと、と上体を起こし、一気に立ち上がってみる。
だがすぐに、強烈な眩暈を感じ、その場に尻もちをついた。
自分でもびっくりするほどに情けないよろよろ具合だ。
とっさに身を起こし、私を支えるように背後に回った朔が動くなと声を荒げた。
急に胃液があがってくるような感覚に襲われ、不覚にも頼りない声をわずかに漏らしてしまった。何も言うなよと眉間に皺を寄せてみたが、朔のひと睨みが私の言葉を奪った。
『いいか? お前はアレにわずかではあるが干渉された。 規格外の穢れがまだ身体のあちこちに残っているんだぞ?』
アレとは王と名乗った過去の宗像の主のことだろうか。
無限にループする罪と罰を身体の中で飼っているアレは死を赦されることもなく、ただ存在させられ、生き地獄の中にいるような感じがした。
「穢れ切ったままで、痛みを取り除くこともできず、怨嗟にまみれて存在し続けるのはきついよ。 罰則って死すら与えられないものなのか?」
これには朔は目をそらしてこたえようとしなかった。つまり、聞くなということだ。
「私の敵は一体何人いるんだ?」
朔は答えない。
確実に私が知っている白い髪は二人いることがわかった。
最大級の罪を犯した者が二人も居るということだ。
一人は念だけ、もう一人は生身で攻めてくる。
一人は仇だが、一人はわからない。
「梅に生まれたのにどうして理を踏みにじろうとする者がいるのか教えて欲しい」
『理由などない』
「あるから、こんなことになってんじゃないのか?」
『背負うだけの器のない人間が席についてしまったからだ』
「そんなの、私だって同じじゃないか?」
『お前は阿呆だし、幼稚で、至らないことだらけだが、それでも己が梅の主であることを知っている。 本能だけでも一人前で何よりだったな!』
「本能だけ一人前でも仕方がないだろう?」
『志貴、梅の主は常に一人しか立てない。 1人しか立てないということはその一人を失ったら、次が立つまでの間、梅は辛酸をなめるしかないということだ。 だから、少なくとも十日はこの道反から出てはならん!』
「道反と言った?」
『ここは禁域の頂点、道反だ』
血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。
出雲であるのはわかっていたが、最重要拠点、道反にいるとは思いもよらなかった。
道反は黄泉平坂ともいう。まさに禁域中の禁域。
ということは、この家屋の周りには桃の木があふれているはずだ。
その桃の木を取り囲むようにわざと手入れのされていない竹林がある。
二重に囲まれた天然の要塞に等しい場所に、私のいる年季の入った日本家屋がひっそりとあるというわけだ。
屋敷へ続く舗装のされていない林道にはくたびれた石灯籠が数個あるが、まるで誰も訪れてくれるなといわんばかりに灯りがともされることはない。うっそうとした森でしかない場所だ。
一番近い道路と認識できる場所へ出るまでは人一人がようやく歩ける程度の幅しかない曲がりくねった道をひたすらに下り続けて四時間半。
そこから生活道路につながるにはさらに一時間弱かかるというおよそ近代的な生活とはかけはなれたような山奥だ。
ごく近くにあるらしい岩穴になだれ込んだ風が気味の悪い音をあげているはずだ。
「鬼さん達がよくここに連れてきてくれたもんだこと。 ということは、本部へは当然のように報告は終わっているのか……」
朔はその通りと言うように大きく頷いた。
なるほどと全身から力が抜けていくのが自分でもよくわかった。
「道反ね……」
道反に来たのはこれが二度目だ。
一度目は宗像の当主であった宗像泰介の遺体を焼くためだった。
宗像の当主だけはこの道反で火葬されるのが習いだからだ。
そうでもない限り、この場所へは監視役以外は誰も立ち入り禁止。
イレギュラーでも許されたには理由があるのだろうが聞くのが恐ろしくなった。
「宗像一心もいるんだよね?」
朔がピクリと耳を動かし、わずかな沈黙の後、居ると答えてくれた。
「さすがにそばに居てくれなかったか。 やっぱり、声にできていなかったのかもな」
何を言っているんだというように朔が首をかしげてこちらを見ている。
「絶対に笑うなよ? あのどさくさに紛れてだったら、一心に甘えられるかなと思ったんだけど、毎度おなじみの不発だった。 それだけだよ」
朔が馬鹿にしたような大ため息をもらして、私は腹立ちまぎれにその尻尾を握り締めた。
「馬鹿にしてるだろう?」
『馬鹿にはしていない。 懲りないなとは思うがな』
「懲りないってなんだよ! お前に何がわかるんだ? だって、相手は宗像一心だぞ?」
『たかだか黄泉の鬼の1人だろうが?』
「何を言ってるんだ!? 一心はすんごいんだからな! 強いし、賢いし、格好良いだけじゃないんだぞ!」
『ほう? 何がそんなにすごいのやら?』
「私は知ってる。 泰介さんより公介さんより絶対に強いはずなんだ。 でも、一心はそれを決して見せない。 そんな感じがするんだ」
『やればできるってのはできないと同じだ。 見せないのならば違うかもと思わないのか? お前の同世代の冬馬の方が筋が良いと思うが?』
「確かに冬馬も優れてる。 でもさ、理屈じゃないんだよ。 こう、あぁ、もう! わかれよ! お前、朔なんだろ? とにかく大好きは一心じゃないと嫌なんだよ。 何でこんなクソ狼に話してんだ……」
『それほど言うのなら、一瞬、声に気づけなかったのは何故だ?』
「あれは! 大人の男の人の声みたいで、ちょっと驚いたんだよ!」
『大人の男? 確か30前だろう? 当たり前では?』
「面倒くさい狼だな。 声が低くてさ、ちょっとセクシーすぎたんだよ。 言わせるな!」
セクシーと言葉を繰り返しながら朔はくくくと笑った。
私は朔をねめつけて、唇を真一文字にかみしめた。
『まず安静にして回復。 その後は、黄泉の鬼と稽古だそうだぞ?』
「ちょっと待ってよ。 黄泉の鬼と稽古なんて絶対に無理だって!」
『宗像の主の弱さに度肝を抜かれて、誇りを捨てそうになったらしいから、甘んじて受けて、精進しろ』
「精進の前に殺されるわ!」
『せいぜい半殺しぐらいにしてもらえ』
朔は淡々と語るが、これはとんでもない事態すぎる。
才能は初めから決まっている。努力で補えない部分など多々ある。
並べだしたらきりがないが、とどのつまり稽古相手とのレベルに差がありすぎて、まともなやりあいができるとは到底思えない。ばたりとその場に寝転がってみて、脱力だ。
「どちらにせよ、殺されるに違いないじゃんか」
違いないなとぬかす狼の尻をもう一度蹴り上げた。八つ当たりだとわかっていたが、ろくでもない八つ当たりでもしていなければやっていけない精神状態でもあった。確かに私は弱い。アイツとまともにやりあうレベルにないということはよくわかった。だから、実のところ、無茶な稽古も甘んじて受ける気にはなっていた。
何をしても今より前進する必要があるから。
その決意の影に、どうしてもひっかかっている棘のような痛みがあった。
あの女は黄泉の王だと名乗った。黄泉に王などいるはずがないのに。
そして、あの言葉。
『君を護る者たちにこう言われたのだろう? 梅の絆以外を信じるなと』
『君の周りの者達が真実を語っているとは限らないのに、哀れなことだ』
「この先、誰が敵になるのかわからないってことだよな。 一事が万事、疑ってかかれ、か」
声に出してみると、あまりに悲しくなり涙がこぼれ落ちた。
敵の言葉一つにこれまでの絆を疑う自分の弱さと脆さにうなだれる。
小さな棘が疑念にかわり、いつかこの疑念は絆を食い潰すかもしれない。
こんなんじゃダメだ。
楼蘭が言っていた言葉を思い出せ。
背中が傷だらけになったって、自分が誰かの背中をきずつけたわけじゃない。
宗像に生まれたかったって言ってくれたんだ。
その宗像に裏切り者がいるはずがない。
信じる事が出来るものを幾度も幾度も並べてみる。
身体の奥底に一つだけ眠る言葉を呼び起こせ。
『君は誰なんだい?』
父の最期の言葉。
疑わないで済む事は一つ、私が宗像志貴ということだけ。
もう泣き方がよくわからなくなってきた。
本当に私は一体何と戦おうとしているんだろう。
「一体、どれが敵? 何をすれば勝利になる?」
朔は全てを悟っているように私の背中にぴたりと背を寄せてきた。
今すぐにでもたちあがりたい想いと裏腹に本当に身体が動かない。だから、今は眠ってしまえと強引に瞼を閉じてみる。
何もかもが動き出すのはこれからだ。その時、私は一体どうするのだろう。
すぐ横に目をやると、すぐ近くで鍔迫り合いをしている。
その声に叱咤され、私は何とか身体を起こした。
マントを身に着けているところをみると、私を後ろ手にかばうように立っている男は黄泉使いだ。
『ソレを渡せ!』
「断る!」
小太刀を器用につかい、痩身の男は女の鉤爪を抑え込んでいる。
闊達な物言いをしている男はほぼ互角かそれ以上の動きで女を水際まで押し返した。
「退く!」
「わかった。 もう準備はいいぞ」
鋭い金属音が幾度も聴こえた後、これまた聞き覚えのある声が耳に届く。
そして、身体ごと誰かに抱きかかえられた。
眼前に般若の面。まごう事なき黄泉の鬼だ。
「志貴、無事かい?」
この聞き覚えのある声は宗像時生だ。
私の身体を抱えてくれていたのはかつての私の封術の師匠である宗像時生だ。
ようやく声の主がわかり、劇的にほっとしてはじめて呼吸がおかしいことにきがついた。
時生はさらにゆっくりと呼吸をするよう促してくれた。
そうか、私は呼吸すらまともにできていなかったらしい。
過換気はおさまり、手のしびれもいくらかおさまった。
『邪魔をするな!』
王を名乗る女の顔が壮絶なまでの怒りに歪む。
「それはこっちの台詞や!」
男は力任せに女を弾き飛ばした。
そして、確実に胴を真っ二つに斬ったと思ったが、そこにはもう身体がなかった。
男の盛大な舌打ちで、私はこれまで対峙していたそれが幻影だったとようやく気が付いた。
「君はこれをつけていなさい!」
時生に半ば強引に仮面を顔に押しあてられ、私は思わずのけぞった。
ひどい頭痛がしたのだ。これまでに感じたこともないようなレベルの頭痛だ。
はじめて仮面が痛いことを知った。呼吸困難になりそうなほどに苦しい。
何の装備もないままに海中に沈められたかのように半ばパニックだったと思う。
「阿呆が!」
仮面のほんの少しずらした男の顔を見て、息を飲んだ。
従兄の一心だ。
こんなに声が低かったろうか。その声がすぐに耳元で聞こえたかと思うと、後頭部を何かで殴られた。
そして、私の意識は闇の中へ真っ逆さまだ。
ブラックアウトしながら、私が伸ばした手を一心が握り締めてくれたように思った。久しぶりの感触と一心の匂いだ。
お願いだから起きた時にそばに居て欲しいとつぶやいた気がしたけれど、声になっていたのかはもうあやふやだ。
※
「痛い」
薄暗い座敷で目を覚まして上半身を起こそうと試みたが、思わぬ痛みに小さなうめき声をあげて断念した。
しばらく後に、のろのろと重い身体を引きずるようにして、枕を引きずり寄せた。
よいせっと17歳が口にするような掛け声ではないとわかっているが出たものは仕方がない。無造作に脇の下に枕をはさみこむ。枕の厚さ分、起き上がることができ、ようやく身体中にたまっていた息を吐き出した。
部屋の中にある調度品は古そうな壺と年季の入った本の山。
床の間には宗像家の家紋である朔月に梅の花の掛け軸。
宗像の家紋を背負うようにして般若の面がならんでいるところをみるとここは出雲ということらしい。
そばにいるやけに目立つもっさりとした白い塊に目をやった。
気持ち良いまでの寝息がきこえている。
「今、何時?」
寝起きで、乾燥しきった喉から発せられる声は老婆のように低く、自分の物なのに聞き取りにくい。
問われた相手は耳をピクリと動かすだけで何も答えようとしなかったが、次の瞬間、私が与えた衝撃に対して、軽くうめき声をあげた。私が狼の尻あたりを蹴飛ばしてやったのだ。
「知らん顔するなよ! 今、何時って聞いてんの!」
ようやく頭だけこちらへ向き直り、皺を鼻筋に寄せた朔が怒りの声を発した。
『夜中の四時半だ! 蹴る奴があるか!』
「時間の観念崩壊しとるな。 もう笑いしか出てこん」
もっと軽快に笑い飛ばしたいところだが、我ながら声が弱々しいままだ。
『お前、自分がもう動けるとでも思ってるのか?』
確かにおっしゃる通りなのだが、動ける動けないは問題外だ。
この時間帯は黄泉使いがぼんやりして良い時間ではないし、黄泉におとされていた間のことを報告しなければならない。宗像の後継が不可抗力だったとはいえ、失踪していたのだから、横になって休むなどありえない。
さてと、と上体を起こし、一気に立ち上がってみる。
だがすぐに、強烈な眩暈を感じ、その場に尻もちをついた。
自分でもびっくりするほどに情けないよろよろ具合だ。
とっさに身を起こし、私を支えるように背後に回った朔が動くなと声を荒げた。
急に胃液があがってくるような感覚に襲われ、不覚にも頼りない声をわずかに漏らしてしまった。何も言うなよと眉間に皺を寄せてみたが、朔のひと睨みが私の言葉を奪った。
『いいか? お前はアレにわずかではあるが干渉された。 規格外の穢れがまだ身体のあちこちに残っているんだぞ?』
アレとは王と名乗った過去の宗像の主のことだろうか。
無限にループする罪と罰を身体の中で飼っているアレは死を赦されることもなく、ただ存在させられ、生き地獄の中にいるような感じがした。
「穢れ切ったままで、痛みを取り除くこともできず、怨嗟にまみれて存在し続けるのはきついよ。 罰則って死すら与えられないものなのか?」
これには朔は目をそらしてこたえようとしなかった。つまり、聞くなということだ。
「私の敵は一体何人いるんだ?」
朔は答えない。
確実に私が知っている白い髪は二人いることがわかった。
最大級の罪を犯した者が二人も居るということだ。
一人は念だけ、もう一人は生身で攻めてくる。
一人は仇だが、一人はわからない。
「梅に生まれたのにどうして理を踏みにじろうとする者がいるのか教えて欲しい」
『理由などない』
「あるから、こんなことになってんじゃないのか?」
『背負うだけの器のない人間が席についてしまったからだ』
「そんなの、私だって同じじゃないか?」
『お前は阿呆だし、幼稚で、至らないことだらけだが、それでも己が梅の主であることを知っている。 本能だけでも一人前で何よりだったな!』
「本能だけ一人前でも仕方がないだろう?」
『志貴、梅の主は常に一人しか立てない。 1人しか立てないということはその一人を失ったら、次が立つまでの間、梅は辛酸をなめるしかないということだ。 だから、少なくとも十日はこの道反から出てはならん!』
「道反と言った?」
『ここは禁域の頂点、道反だ』
血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。
出雲であるのはわかっていたが、最重要拠点、道反にいるとは思いもよらなかった。
道反は黄泉平坂ともいう。まさに禁域中の禁域。
ということは、この家屋の周りには桃の木があふれているはずだ。
その桃の木を取り囲むようにわざと手入れのされていない竹林がある。
二重に囲まれた天然の要塞に等しい場所に、私のいる年季の入った日本家屋がひっそりとあるというわけだ。
屋敷へ続く舗装のされていない林道にはくたびれた石灯籠が数個あるが、まるで誰も訪れてくれるなといわんばかりに灯りがともされることはない。うっそうとした森でしかない場所だ。
一番近い道路と認識できる場所へ出るまでは人一人がようやく歩ける程度の幅しかない曲がりくねった道をひたすらに下り続けて四時間半。
そこから生活道路につながるにはさらに一時間弱かかるというおよそ近代的な生活とはかけはなれたような山奥だ。
ごく近くにあるらしい岩穴になだれ込んだ風が気味の悪い音をあげているはずだ。
「鬼さん達がよくここに連れてきてくれたもんだこと。 ということは、本部へは当然のように報告は終わっているのか……」
朔はその通りと言うように大きく頷いた。
なるほどと全身から力が抜けていくのが自分でもよくわかった。
「道反ね……」
道反に来たのはこれが二度目だ。
一度目は宗像の当主であった宗像泰介の遺体を焼くためだった。
宗像の当主だけはこの道反で火葬されるのが習いだからだ。
そうでもない限り、この場所へは監視役以外は誰も立ち入り禁止。
イレギュラーでも許されたには理由があるのだろうが聞くのが恐ろしくなった。
「宗像一心もいるんだよね?」
朔がピクリと耳を動かし、わずかな沈黙の後、居ると答えてくれた。
「さすがにそばに居てくれなかったか。 やっぱり、声にできていなかったのかもな」
何を言っているんだというように朔が首をかしげてこちらを見ている。
「絶対に笑うなよ? あのどさくさに紛れてだったら、一心に甘えられるかなと思ったんだけど、毎度おなじみの不発だった。 それだけだよ」
朔が馬鹿にしたような大ため息をもらして、私は腹立ちまぎれにその尻尾を握り締めた。
「馬鹿にしてるだろう?」
『馬鹿にはしていない。 懲りないなとは思うがな』
「懲りないってなんだよ! お前に何がわかるんだ? だって、相手は宗像一心だぞ?」
『たかだか黄泉の鬼の1人だろうが?』
「何を言ってるんだ!? 一心はすんごいんだからな! 強いし、賢いし、格好良いだけじゃないんだぞ!」
『ほう? 何がそんなにすごいのやら?』
「私は知ってる。 泰介さんより公介さんより絶対に強いはずなんだ。 でも、一心はそれを決して見せない。 そんな感じがするんだ」
『やればできるってのはできないと同じだ。 見せないのならば違うかもと思わないのか? お前の同世代の冬馬の方が筋が良いと思うが?』
「確かに冬馬も優れてる。 でもさ、理屈じゃないんだよ。 こう、あぁ、もう! わかれよ! お前、朔なんだろ? とにかく大好きは一心じゃないと嫌なんだよ。 何でこんなクソ狼に話してんだ……」
『それほど言うのなら、一瞬、声に気づけなかったのは何故だ?』
「あれは! 大人の男の人の声みたいで、ちょっと驚いたんだよ!」
『大人の男? 確か30前だろう? 当たり前では?』
「面倒くさい狼だな。 声が低くてさ、ちょっとセクシーすぎたんだよ。 言わせるな!」
セクシーと言葉を繰り返しながら朔はくくくと笑った。
私は朔をねめつけて、唇を真一文字にかみしめた。
『まず安静にして回復。 その後は、黄泉の鬼と稽古だそうだぞ?』
「ちょっと待ってよ。 黄泉の鬼と稽古なんて絶対に無理だって!」
『宗像の主の弱さに度肝を抜かれて、誇りを捨てそうになったらしいから、甘んじて受けて、精進しろ』
「精進の前に殺されるわ!」
『せいぜい半殺しぐらいにしてもらえ』
朔は淡々と語るが、これはとんでもない事態すぎる。
才能は初めから決まっている。努力で補えない部分など多々ある。
並べだしたらきりがないが、とどのつまり稽古相手とのレベルに差がありすぎて、まともなやりあいができるとは到底思えない。ばたりとその場に寝転がってみて、脱力だ。
「どちらにせよ、殺されるに違いないじゃんか」
違いないなとぬかす狼の尻をもう一度蹴り上げた。八つ当たりだとわかっていたが、ろくでもない八つ当たりでもしていなければやっていけない精神状態でもあった。確かに私は弱い。アイツとまともにやりあうレベルにないということはよくわかった。だから、実のところ、無茶な稽古も甘んじて受ける気にはなっていた。
何をしても今より前進する必要があるから。
その決意の影に、どうしてもひっかかっている棘のような痛みがあった。
あの女は黄泉の王だと名乗った。黄泉に王などいるはずがないのに。
そして、あの言葉。
『君を護る者たちにこう言われたのだろう? 梅の絆以外を信じるなと』
『君の周りの者達が真実を語っているとは限らないのに、哀れなことだ』
「この先、誰が敵になるのかわからないってことだよな。 一事が万事、疑ってかかれ、か」
声に出してみると、あまりに悲しくなり涙がこぼれ落ちた。
敵の言葉一つにこれまでの絆を疑う自分の弱さと脆さにうなだれる。
小さな棘が疑念にかわり、いつかこの疑念は絆を食い潰すかもしれない。
こんなんじゃダメだ。
楼蘭が言っていた言葉を思い出せ。
背中が傷だらけになったって、自分が誰かの背中をきずつけたわけじゃない。
宗像に生まれたかったって言ってくれたんだ。
その宗像に裏切り者がいるはずがない。
信じる事が出来るものを幾度も幾度も並べてみる。
身体の奥底に一つだけ眠る言葉を呼び起こせ。
『君は誰なんだい?』
父の最期の言葉。
疑わないで済む事は一つ、私が宗像志貴ということだけ。
もう泣き方がよくわからなくなってきた。
本当に私は一体何と戦おうとしているんだろう。
「一体、どれが敵? 何をすれば勝利になる?」
朔は全てを悟っているように私の背中にぴたりと背を寄せてきた。
今すぐにでもたちあがりたい想いと裏腹に本当に身体が動かない。だから、今は眠ってしまえと強引に瞼を閉じてみる。
何もかもが動き出すのはこれからだ。その時、私は一体どうするのだろう。
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しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
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