黙の月ー神の獣に愛されし紅

ちい

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第14話 主なしとて、春な忘れそ

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 私の後見はちびの頃から公介と穂積の爺さんだった。
 公介が不在の時は、いつも爺さんが稽古をつけてくれた。
 もう80歳の爺のわりに槍や薙刀、大太刀を軽々と振るうその優美な軌道と切れの鋭さ、繊細な封術のすごさにいつも見とれていた。
 何なら古武術だってその気になればあの冬馬も簡単にやり込められてしまう。
 去年あたりから杖をつくようになって、それ以来、確かに弱ってきているのはわかっていた。
 だからってこれはない。
 そう、謹慎が明けるその日、爺さんは天に召されたのだ。
 冬馬に当主と言う椅子を残して、天寿を全うした。
 訃報からわずか十分後に私は当主の正装をして穗積家に召喚された。
 穂積家の屋敷の縁側に腰を下ろし、夜が開けたばかりの空を見上げた。
 梅雨が明けたかのように雲一つない澄んだ空だ。
 憎らしいほどに美しい空にイライラが募る。
 どうして爺様をこんなに早く連れて行ったのかとにらみつける。

「東風吹かば、にほひおこせよ、梅の花、主なしとて春な忘れそ」

 爺様の最期の言葉だった。
 この歌を声に出して言い合って、またなと別れた。
 まるで遺言だ。
 見送りに出ていたはずの冬馬がよっこらしょと隣に腰を下ろしてきた。
 どうやら弔問客はもうひきあげたらしい。

「爺さんは例の問いにちゃんと答えられたのかな?」
「綺麗な梅の花が満開になってから一気に散ったから、大丈夫なんじゃねえか?」

 冬馬も同じように空を見上げていた。
 わずかに声を震わせながら涙をこらえているのはお互い様だ。
 黄泉使いは天寿を全うすると、すぐにその遺体は特殊な棺桶に収容され、五重にロックされ、もう二度とその顔を見ることは許されない。
 最期の顔は主家の当主しか見てはならない規定がある。
 身内はその最期の顔を見ることも許されず、最期の別れも許されない。
 主家の当主は故人と一対一で向き合い、生前使っていた仮面をつけてやり、その棺桶の封印をなすのが掟だ。
 穂積の爺様の棺を前にして私は何の言葉もでなかった。
 主家の当主として、まさかこんな仕事をするとは夢にも思っていなかった。
 深夜の3時にたたき起こされ、爺様の訃報と同時に大好きだった穂積の爺様を焼き尽くすのは私の役割だと言われた。
 混乱し抵抗する私を押さえ込むようにして穗積の人間達は総出で私に正装をさせた。そして、穗積家へ私はひきずられるように連れてこられた。
 爺様を焼くなんてしたくないと断ったが、爺様を化け物の餌食にしたくないんだと冬馬をはじめとする穂積一門に懇願された。
 死しても尚、その血肉は悪鬼の好物のままだから、骨の一本、髪の一本に至るまで残すことは許されない。そう遺骨も残らないほどに焼き尽くして欲しいと頭を下げられた。
 それを見て、もう何も言葉がでず、背を向けるわけにもいかなかなくなった。
 奥座敷に案内され、孤独すぎる空間で私は息をしていない爺様と向かい合った。
 胸の上に置かれていた爺様の仮面はところどころ黒ずんでいて年季が入っている。
 これだけの重厚感のある仮面になるまでに、穂積彦一はどれほどの夜を乗り越えてきたのだろう。
 ふいに父の最期がフラッシュバックする。
 死に顔を見ることが許されたのは私が嫡流であり、いずれ宗像を率いることになるからだと公介が言ったこともはっきりと覚えていた。
 暗い夜道を行く魂に、月明かりを用意してやるんだと公介は最後の儀式を行っていた。
 掟に従い、爺様の仮面を手に取り、当主である私がそれを着用して、最期の言霊を口にする。

「吾が血族の志士よ、暗き道を遠ざけ、晴れた道を行くことを梅の主が赦す。 汝の守護者としての役を剥奪する」

 最期の言霊を発し終わると、仮面をもう一度手に取った。  
 そして、今度は爺様の最期の表情を覆い隠すようにそっと着用させた。
 一瞬だけ遺体が生きているように動き、しばらくして鎮まった。
 もう爺様は黄泉使いではなく、唯人になったのだ。唯人にしたのはこの私だ。

『未熟者に送られるとはのう』

 そんなひょうひょうとした爺様の声が聞こえた気がして、頬をあたたかな物が流れ落ちていった。 
 爺様の棺の蓋を閉める瞬間、もう一度だけ爺様に触れたいと思ったが、歯を食いしばってこらえた。家族ですら許されないのに、私だけが逢えたというのにこらえろと唇が身体が震える。
 どうやってみても涙が止まらず、声が出ない。
 私のこの様子を見かねたように一陣の風がすぐに背後で吹いた。
 姿を現した白銀の毛並みの狼が棺の周りをくるりと巡り、ゆっくりとこちらに目をやってきた。

「封じ方がわからないんだ」

 わかったというように口に紐をくわえ、器用に動き出す。
 蓋が閉じられた棺はあっという間に幾重にも幾重にも赤と黒の紐がかけられていく。これでもかというように閉じられてしまった棺を呆然とみつめるしかできなかった。

『志貴、家人に引き渡してやらないと時間がなくなるぞ』

 朔の声にはっとして頷いた。
 ここにきてようやく家人を呼び、庭先へ棺をはこびだしてもらった。
 親類縁者が棺を前に泣き崩れている。離れたくないと別れを惜しんでいる。
 それなのに、そのわずかな別れの時間でさえ許すことなく、私は自分自身の炎で爺様を焼きつくさねばならない。
 でも、足が動かない。声も出ない。
 離れろなんて私が言えるわけがない。
 故人を偲ぶという時間すら私が奪っていいわけがない。
 どうにもうつむくしか出来ない。

「志貴、あんたが悪いわけじゃない」

 すぐ後ろにいたらしい咲貴が私の肩にそっと手を置いてきた。そんなことを言われてもこれからすることは罪悪感の残る物でしかない。

「いっそ、恨まれる方がマシだ」

 咲貴が驚いたような顔をしてから困ったように眉根を下げた。
 咲貴のほんの少し冷たくなっていた手にふれると、そっと肩からはずさせる。
 泣きじゃくっている家族達の背をみつめ、腹をくくった。心を強く持って、悪魔になるしかない。

「どいてくれ、もう時間がない」

 踏み出すことの出来なかった足を進めていく。

「二度目の死を与えねばならない」

 もう少しだけ時間をくれてもいいじゃないかと言う方々からの視線。

「喰わせて、敵となるのを良しとするか?」

 悪鬼は恐ろしいほどに鼻がきく。この血肉をわずかにでも口にしよう物なら、ここにいる黄泉使いを全滅させかねない化け物を生み出すことになる。
 周囲からの殺気を肌で感じた。その方が気楽だ。

「血肉、髪一本与えてはならない。 この人はそれだけの方なんだ」

 泣くな、私。私が泣いたら、皆はもっと苦しむ。
 新しく当主となった冬馬が皆に離れろと言い、私に頼むと小さく頷いた。

「許してくれ」

 私は心を鬼にして、爺様を棺ごと一気に焼き尽くした。
 灰すら残さないほどに鮮烈な光を放つ大きな炎を扱う私のことを誰もが恨んだことだろう。
 故人との線をぶった切り、何もかもを奪ったように思われているかもしれない。

「志貴、ありがとな」

 冬馬の声が悲しいほどにかすれていた。
 私は自分のことで精一杯で、この時、どれほどの悲しみと疲労、大きな家を継いだ重責が冬馬に襲いかかっていたのかをまだ気づけていなかった。後にここで気づけていなかった自分に盛大に落ち込むことになるのだが、まだ先の話だ。

「不作法でごめんよ、爺様」

 本当は美しい大輪の花を咲かせるように、爺様の大きさを表現してやりたくて紅蓮の炎で必死に梅の花を描いたつもりだった。
 うまくできた自信などない。
 泰介の遺体を焼いた公介のように、ちゃんと出来ていただろうか。
 公介の炎はひたすらに大きな炎なのに、優しくて、美しかった。
 未熟な私が公介にかわってこんな大役を果たさざるを得なかった。これは爺様に運がなかったからだ。
 しばらくして列席していた穂積一族の面々からは宗像本家の炎で逝かせてやれたことに感謝すると礼を言われたが、それでも、根っこでは申し訳ない気持ちがうずまいていた。
「美しい花の宴だったって、母さんが言ってたぞ」
 もう限界だった。うつむくとどう止めていいかわからない涙がこぼれ落ちた。
 必死にこらえるけれど嗚咽も止まらない。
「お前、泣き過ぎだし!」
 もらい泣きしてしまいそうになるのが嫌だからと冬馬はすぐに背を向けて奥座敷へ戻っていった。
 かわりに私を背から抱きしめてくれたのは咲貴だった。
「どうしてとりあげられるんだ?」
 私は我が儘すぎるのだろうか。一番の味方を次々と失っていく。
「一人にしてくれ」
 察しの良い双子の妹は深追いしない。
 すっと立ち上がって、奥座敷へと去って行く。
 何もいらないから、もう一度だけ、爺様としゃべりたい。
 死は平等じゃない。生も平等じゃない。時間も平等じゃない。
 逢いたい人に明日逢える保証などどこにもない。
 瞬間、瞬間が本当はいつも一期一会。
 だから、どう生きて、何をつかむのかに必死になるべきなのかもしれない。そんなことはわかっている。それでも、天を恨みたくなるのはなんでだろう。 
 今の自分ではどうにもできないことばかりだ。
 公介も爺様もいない自分に宗像をどう護れっていうんだ。
 朔と向き合うので手一杯の未熟な自分一人では到底宗像を護りきることはできない。

『やると決めたのだろう?』

 いつ現れたのかと苦笑いだ。
 すぐ手の届く範囲にライオンサイズの狼がいる。 

「瞬間的にできることと、持続的にできることは違う。 それに、たった一人でできることなんてたかだかしれてる。 泰介さんには絶対に及ばないのもわかってる」

『賢明だ』

「でも策がない」

『阿呆か、お前は。 まずは人たらしになるためにどうすべきか、その足りん頭で考えろ』

「少しは褒めてのばすとかできんのか、クソ狼」
 大きな犬に抱き着くように毛並みに顔を押し付けると、その安心感からまた泣けてきた。
 朔は実にむかつく狼だが、一緒にいると私の心の奥底に眠っている優しい思い出が意味もなく蘇ってくる。
 離れた場所で、宗像の盾となってくれている人の顔がどうにも思い起こされるのだ。
 元気にしているかな、逢いたいなぁと切に願ってしまうけれど、きっとまた子供扱いされ、けちらされるだけだ。
 あまりに高嶺の花すぎて、到底届かないからこの淡い淡い気持ちは常時封印するしかない。
 渋すぎる私の初恋はまさに黒歴史でしかないから、これ以上、傷をつくる必要もない。
 それでも、10歳も離れた初恋のあの人が力を貸してくれはしないだろうかとまだ期待してしまう。

「宗像一心に逢いたいなぁ。 あの従兄殿の顔みたら、ご飯3倍いけるわ」

 相手にされたことないけど大好きだぁと呟くと、涙がでるけど、思わず笑ってしまう。
 泣くか笑うかどちらかにしろと朔が鼻先でこづいてきた。
 泣いて、泣いて、笑って。
 ごちゃごちゃの感情のままの私にあの朔が何時間もつきあってくれたのがおかしかった。一応、慰めてくれているつもりだとわかり、甘えることにした。

『主なしとて、春な忘れそ』

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