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第三章 桃の話
3-6 新しい音
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カーテンを開いても夢は覚めず、時計は部屋に戻ってきた。
アランは独占欲が強いのだと自己紹介したが、本当にそのようだった。
何日ここにいるのかも分からないようにさせて、帰る気を無くさせたかったと言った。
世界には自分たちだけなのだと錯覚させて、自分を頼らせたかったと。
ボクが「帰りたい」といつ言うのか、怯えていたという。
アランは挨拶程度の日本語は元々できたらしい。それ以上は学ぶ気が無かった。
でもボクが日本人だったから、話すためには覚えなければならなかった。
彼は耳がいいらしく、音の認識はさほど難しいことではなかったと言った。
出会った時ボクは、アランを「王子様」と呼んだのだという。
音だけを認識した彼は後にその意味を調べ、だからボクのことをお姫様と呼ぶことにしたと言った。
***
ホテルを出て、彼の家に帰宅した。
ホテル暮らしの間にこの家のカーペットは新しく取り替えられ、ボクが裸足で歩けるようにされたらしい。
家に帰るなり抱きしめられ、これからずっと一緒だとはしゃぐアランに笑った。
毎晩彼を求めた。
求めて、求められて、そうして朝を迎える。
ボクはここで生きているんだと認識できるようになった頃、アランとテーブルを挟み質問をした。
もし彼の膝の上で拒絶されたら、それこそ死んでしまうと思ったから。
「ボクは、日本で客とセックスをする仕事をしてたの。それは、嫌じゃない?」
今更だって思った。
今更だけど言うしかなかった。
本当は言いたくなかったし、隠しておきたかった。無かったことにしたかった。可愛いはやてちゃんのように、貴方が初めてだよって言いたかった。
でも、嘘をついている事が出来なかった。
「過去に興味はないよ。今と未来を私にくれるならね」
テーブル越しに伸ばされた手に、手を重ねた。
ボクより大きな手はそっとボクの手を握り、安心させるようにさすってくれた。
「お客さんを相手にしている時ずっと、運命の人が迎えに来てくれればいいのにって思ってた。でもそんなのあるわけないでしょ? 運命なんかあるわけなくて……」
「私はここにいるよ」
「うん。あの日あの街に行ったのもあの駅で降りたのも、きっと運命だったんだね」
ずっと死にたかった。
望み、そして絶望するのに飽きていた。
あの日の帰り道アランがボクを見つけてくれなかったら、今ここにはいないだろう。
本当に、本当に、ボクの運命の番なんだ。
窓から見える空は曇り空。町並みもボクの見慣れた町とは違う。
アランに捨てられてしまったらという少しの恐怖と、ここまでボクを連れてきてくれたという喜び。
どちらかというと後者が勝つ。
「おいで」
呼ばれ、一瞬手を放して近づく。
アランは立ち上がり、ボクの手を握り部屋へ連れて行った。彼が仕事をしている部屋。パソコンやキーボードやギターや、よくわからない機材がある。
部屋の隅っこにあるソファにアランは座り、向き合うようにボクを膝に抱えた。
彼はこの体勢が好き。重くないのかな。
「私は、誰か特定の相手を持つ気が無かった。ちょうど君と同じ歳くらいの時からこの仕事を始めて、大体ずっとこうして部屋にいた。特定の恋人になりたがる人は私にとっては雑音で、音を乱すものだった」
「じゃあボクは」
「私のお姫様、聞いて。初めて見たとき頭の中で知らない音が鳴ったんだ。君に近づくほど音は増えて、君に触れたときには曲になっていた。私を包んでくれるようなとても気持ちのいい音で、ずっと浸っていたいと思った。私の作り出せない音が目の前にあって、どうしても欲しくなったんだ」
アランの低い声はそれこそボクにとってとても気持ちのいい音として耳の中に入ってくる。
「私は死ぬまでこの音を聞いていたい。それこそ死ぬ時も、この音を聞いていたい」
抱きしめられ、二人の心臓の音が重なり合うような気がした。
嬉しい、それしか思わなかった。
「この音を無くしたら私はきっと、もう曲は作れないだろうね」
「そんなことないよ。だってアランはすごい作曲家なんでしょう?」
「いいや、最も素晴らしい音を無くしてどうして生きていけようか。失えばいつまでも延々と後悔することになるだろう」
トクトクと心臓が鳴っている。
優しく髪を撫でる手のひらが、ボクの形をここに保ってくれていた。
「ずっと一緒にいようよ。ボクはまだ全然アランの曲を聞けてないよ。ずっと一緒にいて、そうしてずっと、新しい曲をボクに聞かせて」
「ずっと一緒にいてくれるのなら、私は天才音楽家になれるだろうね」
大げさな言い方に笑えば、アランも一緒に笑ってくれた。
アランの仕事部屋に、ボクは居つくようになった。
隅っこのソファで貸してもらったゲームをしたり、日本語の漫画を読んだりする。
パソコンの前に座るアランはたまに椅子をぐるりとこちらへ向けて、ボクの様子を見ていた。
見られていることくらいはいくら漫画に集中していてもわかるもので、顔を上げれば目が合い、険しい顔はふにゃりとボクを見て笑ってくれた。
アランは独占欲が強いのだと自己紹介したが、本当にそのようだった。
何日ここにいるのかも分からないようにさせて、帰る気を無くさせたかったと言った。
世界には自分たちだけなのだと錯覚させて、自分を頼らせたかったと。
ボクが「帰りたい」といつ言うのか、怯えていたという。
アランは挨拶程度の日本語は元々できたらしい。それ以上は学ぶ気が無かった。
でもボクが日本人だったから、話すためには覚えなければならなかった。
彼は耳がいいらしく、音の認識はさほど難しいことではなかったと言った。
出会った時ボクは、アランを「王子様」と呼んだのだという。
音だけを認識した彼は後にその意味を調べ、だからボクのことをお姫様と呼ぶことにしたと言った。
***
ホテルを出て、彼の家に帰宅した。
ホテル暮らしの間にこの家のカーペットは新しく取り替えられ、ボクが裸足で歩けるようにされたらしい。
家に帰るなり抱きしめられ、これからずっと一緒だとはしゃぐアランに笑った。
毎晩彼を求めた。
求めて、求められて、そうして朝を迎える。
ボクはここで生きているんだと認識できるようになった頃、アランとテーブルを挟み質問をした。
もし彼の膝の上で拒絶されたら、それこそ死んでしまうと思ったから。
「ボクは、日本で客とセックスをする仕事をしてたの。それは、嫌じゃない?」
今更だって思った。
今更だけど言うしかなかった。
本当は言いたくなかったし、隠しておきたかった。無かったことにしたかった。可愛いはやてちゃんのように、貴方が初めてだよって言いたかった。
でも、嘘をついている事が出来なかった。
「過去に興味はないよ。今と未来を私にくれるならね」
テーブル越しに伸ばされた手に、手を重ねた。
ボクより大きな手はそっとボクの手を握り、安心させるようにさすってくれた。
「お客さんを相手にしている時ずっと、運命の人が迎えに来てくれればいいのにって思ってた。でもそんなのあるわけないでしょ? 運命なんかあるわけなくて……」
「私はここにいるよ」
「うん。あの日あの街に行ったのもあの駅で降りたのも、きっと運命だったんだね」
ずっと死にたかった。
望み、そして絶望するのに飽きていた。
あの日の帰り道アランがボクを見つけてくれなかったら、今ここにはいないだろう。
本当に、本当に、ボクの運命の番なんだ。
窓から見える空は曇り空。町並みもボクの見慣れた町とは違う。
アランに捨てられてしまったらという少しの恐怖と、ここまでボクを連れてきてくれたという喜び。
どちらかというと後者が勝つ。
「おいで」
呼ばれ、一瞬手を放して近づく。
アランは立ち上がり、ボクの手を握り部屋へ連れて行った。彼が仕事をしている部屋。パソコンやキーボードやギターや、よくわからない機材がある。
部屋の隅っこにあるソファにアランは座り、向き合うようにボクを膝に抱えた。
彼はこの体勢が好き。重くないのかな。
「私は、誰か特定の相手を持つ気が無かった。ちょうど君と同じ歳くらいの時からこの仕事を始めて、大体ずっとこうして部屋にいた。特定の恋人になりたがる人は私にとっては雑音で、音を乱すものだった」
「じゃあボクは」
「私のお姫様、聞いて。初めて見たとき頭の中で知らない音が鳴ったんだ。君に近づくほど音は増えて、君に触れたときには曲になっていた。私を包んでくれるようなとても気持ちのいい音で、ずっと浸っていたいと思った。私の作り出せない音が目の前にあって、どうしても欲しくなったんだ」
アランの低い声はそれこそボクにとってとても気持ちのいい音として耳の中に入ってくる。
「私は死ぬまでこの音を聞いていたい。それこそ死ぬ時も、この音を聞いていたい」
抱きしめられ、二人の心臓の音が重なり合うような気がした。
嬉しい、それしか思わなかった。
「この音を無くしたら私はきっと、もう曲は作れないだろうね」
「そんなことないよ。だってアランはすごい作曲家なんでしょう?」
「いいや、最も素晴らしい音を無くしてどうして生きていけようか。失えばいつまでも延々と後悔することになるだろう」
トクトクと心臓が鳴っている。
優しく髪を撫でる手のひらが、ボクの形をここに保ってくれていた。
「ずっと一緒にいようよ。ボクはまだ全然アランの曲を聞けてないよ。ずっと一緒にいて、そうしてずっと、新しい曲をボクに聞かせて」
「ずっと一緒にいてくれるのなら、私は天才音楽家になれるだろうね」
大げさな言い方に笑えば、アランも一緒に笑ってくれた。
アランの仕事部屋に、ボクは居つくようになった。
隅っこのソファで貸してもらったゲームをしたり、日本語の漫画を読んだりする。
パソコンの前に座るアランはたまに椅子をぐるりとこちらへ向けて、ボクの様子を見ていた。
見られていることくらいはいくら漫画に集中していてもわかるもので、顔を上げれば目が合い、険しい顔はふにゃりとボクを見て笑ってくれた。
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