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19 ファン【終】
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風呂で洗い流し、案内した姉の部屋は綺麗に掃除してあったが、掃除してあるだけで何もなかった。
「帰る」と一言吐き捨て去ろうとするリョウさんを捕まえて、とりあえず姉が使っていた練習場を見せた。このまま去ってしまわれるよりも次を作ったほうがいいと思ったからだ。
「完全なダンススタジオだな」
「何か必要なものがあれば用意します」
「ないだろ。別に」
部屋中央に立ち真っすぐ鏡を見据える彼は、すでにダンサーの顔をしていた。先ほどまでの艶っぽさは抜け、軽く踊り始める。
おれは静かに閉めたドアを背に、存在を消すようにしてそれを見た。
何の音楽も流していないが彼の創作ダンスだろうか。それとも俺の知らない今までの何かだろうか。鏡を確認するように視線は前を向いている。
「ここ、借りていいの?」
「いつでも。おれは昼間大学に行ってますけど……あ、何なら鍵を用意するので好きな時に来てもらって」
「朝も夜も?」
「どうぞ」
「飛び跳ねてたらうるさいだろ」
「どうかな。あんまり気にしたことは無いですけど……」
「つか、鍵なんか簡単に渡すなよ」
「でもいつでも使えるんじゃなかったら意味なくないですか」
「二階のここまでどうやったって一階を通るんだから不用心すぎる」
「姉の部屋が二階にあるんですから、リョウさんがそこに住めばいいのでは?」
「……は?」
「姉は二階を自分の領地にしてたんですよね。リョウさんが寝る部屋は一階のほうがいいっていうならおれと交換したらいいんですけど」
「何言ってんだお前」
「引っ越しのお誘いを」
うっかり流されてくれないかな、なんて思って話した。
「おれがすでに暮らしている家ですから、光熱費もかからないですよ。ご飯だって作ってくれる人を頼めばいいし、スタジオの掃除くらいおれがします」
掃除するから踊っているところを見ててもいいですか、という欲にまみれた交渉だった。
「リョウさんは仕事柄家を離れること多いですよね? ここなら家賃だって要らないし」
「都合がよすぎるだろ」
「そんなことないですよ。だって、最近ずっとお金だって受け取ってくれてなかったじゃないですか」
見るのなら金を払えと言われていたのに、受け取ってくれなくなった。だからその分を考えれば既に支払われているのだ。そして、できればこれからも。
「だから、あの……練習してるところ見たいなって……。静かにしてますから。隅っこで木みたいになってますから」
「お前」
さすがに無理だろうかと笑顔の後ろでため息をつく。このチャンスを逃したら他にはもうないのだけれど。
「ほんとに俺のこと好きなんだな。ちげーか。俺の踊りが好きなんだな」
違わない。以前はそうだった。おれは彼の踊りのファンで、ただ踊っている姿を見たかった。
だけれど。
書き直しまくったラブレター。書いて破ってを繰り返し、それでも出てくる想いは『好き』ただそれだけだった。
「リョウさんの踊りが好きです。全身全霊の踊りが好きです。でも結局、それを生み出してくれているあなた自身が好きなんです。あなたの存在がなければその踊りは無いでしょう?」
そのことに気が付いてしまった。
寒空の下で項垂れ、おれの腕の中で甘い喘ぎを漏らした彼。そのすべてがいつか踊りに消化されてしまうのを近くで見ていたい。
「おれはあなたの一番のファンで、そして、ファンではない特別でありたい」
みんなにこの人を知ってもらいたい。すごく素敵な人がいるんだと叫び続けていきたいと思う。だけれど同時に、そんな彼の他人には見せないところをおれだけは見ていたいと願う。涙も流さない彼が指先まで凍らせるのなら温めて、溶かして、まだ動いている心臓の音を聞きたい。
「ダンサーのあなたにスタジオを貸したいと思っています。それと、ただ個人のあなたを部屋に連れ込んでしまいたいと思っています」
あなたの踊りが好きです。ただそれだけの綺麗なものだったはずなのに、隠れた下心を持っていた。触ってしまった今はもう、下心は表に出てきてしまっている。
鏡に映る自分はなんだかとても情けない顔をしていて、堂々と立っているリョウさんとは対照的だった。彼はおれを真っすぐに見ている。おれの話を真っすぐに聞いてくれている。
「……わかった。スタジオは借りたいと思う。部屋も……お前が言う通りコンサートについて行くときには結構無駄だなって思ってたし、何より今回の緒形タカヒロの仕事が飛んだ分金もないし。それに」
背筋の伸びたリョウさんは歩くときも綺麗に歩く。まるで踊っているみたい。
目の前まで来た彼は、ドアの前で情けなく固まるおれを見上げるように下から覗き込み笑った。
「お前とセックスすんのも悪くない」
「――本気ですか」
「お前は嘘なわけ?」
「まさか! でも、そんな」
「気持ちよかったもん。愛があるからじゃん?」
意地悪く、からかうように笑われた。
愛なら切り売りするほどあるけれど、本当に買ってくれるとは思わなかった。
緒形タカヒロのニュースから世界が一変している。あり得ない、おれに都合のいい方向に世界が進む。でも夢にはしたくない。もし夢だったとしても現実にしてやる。
「とりあえず一緒に寝ましょう」
「やだー積極的ー」
「布団がないんですもん……。例え徒歩1分の距離だとしても、この時間のこの寒い中帰らせる気はないですよ」
「現実的」
「夢になんかしないです。目が覚めた明日も、リョウさんのこと抱かせてください」
「それどっちの意味?」
「……リョウさんが許してくれる方」
目を細め、にやりとした彼に、自分の言ったことが恥ずかしくなった。でも訂正なんかしない。
彼の手を引いてスタジオの電気を消す。廊下からの光が鏡に反射し、部屋を出ていく二人の姿を映していた。
[終わり]
「帰る」と一言吐き捨て去ろうとするリョウさんを捕まえて、とりあえず姉が使っていた練習場を見せた。このまま去ってしまわれるよりも次を作ったほうがいいと思ったからだ。
「完全なダンススタジオだな」
「何か必要なものがあれば用意します」
「ないだろ。別に」
部屋中央に立ち真っすぐ鏡を見据える彼は、すでにダンサーの顔をしていた。先ほどまでの艶っぽさは抜け、軽く踊り始める。
おれは静かに閉めたドアを背に、存在を消すようにしてそれを見た。
何の音楽も流していないが彼の創作ダンスだろうか。それとも俺の知らない今までの何かだろうか。鏡を確認するように視線は前を向いている。
「ここ、借りていいの?」
「いつでも。おれは昼間大学に行ってますけど……あ、何なら鍵を用意するので好きな時に来てもらって」
「朝も夜も?」
「どうぞ」
「飛び跳ねてたらうるさいだろ」
「どうかな。あんまり気にしたことは無いですけど……」
「つか、鍵なんか簡単に渡すなよ」
「でもいつでも使えるんじゃなかったら意味なくないですか」
「二階のここまでどうやったって一階を通るんだから不用心すぎる」
「姉の部屋が二階にあるんですから、リョウさんがそこに住めばいいのでは?」
「……は?」
「姉は二階を自分の領地にしてたんですよね。リョウさんが寝る部屋は一階のほうがいいっていうならおれと交換したらいいんですけど」
「何言ってんだお前」
「引っ越しのお誘いを」
うっかり流されてくれないかな、なんて思って話した。
「おれがすでに暮らしている家ですから、光熱費もかからないですよ。ご飯だって作ってくれる人を頼めばいいし、スタジオの掃除くらいおれがします」
掃除するから踊っているところを見ててもいいですか、という欲にまみれた交渉だった。
「リョウさんは仕事柄家を離れること多いですよね? ここなら家賃だって要らないし」
「都合がよすぎるだろ」
「そんなことないですよ。だって、最近ずっとお金だって受け取ってくれてなかったじゃないですか」
見るのなら金を払えと言われていたのに、受け取ってくれなくなった。だからその分を考えれば既に支払われているのだ。そして、できればこれからも。
「だから、あの……練習してるところ見たいなって……。静かにしてますから。隅っこで木みたいになってますから」
「お前」
さすがに無理だろうかと笑顔の後ろでため息をつく。このチャンスを逃したら他にはもうないのだけれど。
「ほんとに俺のこと好きなんだな。ちげーか。俺の踊りが好きなんだな」
違わない。以前はそうだった。おれは彼の踊りのファンで、ただ踊っている姿を見たかった。
だけれど。
書き直しまくったラブレター。書いて破ってを繰り返し、それでも出てくる想いは『好き』ただそれだけだった。
「リョウさんの踊りが好きです。全身全霊の踊りが好きです。でも結局、それを生み出してくれているあなた自身が好きなんです。あなたの存在がなければその踊りは無いでしょう?」
そのことに気が付いてしまった。
寒空の下で項垂れ、おれの腕の中で甘い喘ぎを漏らした彼。そのすべてがいつか踊りに消化されてしまうのを近くで見ていたい。
「おれはあなたの一番のファンで、そして、ファンではない特別でありたい」
みんなにこの人を知ってもらいたい。すごく素敵な人がいるんだと叫び続けていきたいと思う。だけれど同時に、そんな彼の他人には見せないところをおれだけは見ていたいと願う。涙も流さない彼が指先まで凍らせるのなら温めて、溶かして、まだ動いている心臓の音を聞きたい。
「ダンサーのあなたにスタジオを貸したいと思っています。それと、ただ個人のあなたを部屋に連れ込んでしまいたいと思っています」
あなたの踊りが好きです。ただそれだけの綺麗なものだったはずなのに、隠れた下心を持っていた。触ってしまった今はもう、下心は表に出てきてしまっている。
鏡に映る自分はなんだかとても情けない顔をしていて、堂々と立っているリョウさんとは対照的だった。彼はおれを真っすぐに見ている。おれの話を真っすぐに聞いてくれている。
「……わかった。スタジオは借りたいと思う。部屋も……お前が言う通りコンサートについて行くときには結構無駄だなって思ってたし、何より今回の緒形タカヒロの仕事が飛んだ分金もないし。それに」
背筋の伸びたリョウさんは歩くときも綺麗に歩く。まるで踊っているみたい。
目の前まで来た彼は、ドアの前で情けなく固まるおれを見上げるように下から覗き込み笑った。
「お前とセックスすんのも悪くない」
「――本気ですか」
「お前は嘘なわけ?」
「まさか! でも、そんな」
「気持ちよかったもん。愛があるからじゃん?」
意地悪く、からかうように笑われた。
愛なら切り売りするほどあるけれど、本当に買ってくれるとは思わなかった。
緒形タカヒロのニュースから世界が一変している。あり得ない、おれに都合のいい方向に世界が進む。でも夢にはしたくない。もし夢だったとしても現実にしてやる。
「とりあえず一緒に寝ましょう」
「やだー積極的ー」
「布団がないんですもん……。例え徒歩1分の距離だとしても、この時間のこの寒い中帰らせる気はないですよ」
「現実的」
「夢になんかしないです。目が覚めた明日も、リョウさんのこと抱かせてください」
「それどっちの意味?」
「……リョウさんが許してくれる方」
目を細め、にやりとした彼に、自分の言ったことが恥ずかしくなった。でも訂正なんかしない。
彼の手を引いてスタジオの電気を消す。廊下からの光が鏡に反射し、部屋を出ていく二人の姿を映していた。
[終わり]
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