明日の朝を待っている

紺色橙

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12 ここにいます

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 夜になれば外からの音も減り、おれは部屋の中でただ一人、動画の再生を繰り返す。
 姉の残した部屋は業者に掃除をしてもらったが、未だリョウさんが訪れてはいない。おれは以前より増えた面積を一人で掃除しなければならない。設定しなおした掃除ロボットは鏡を磨いてはくれず、ほっておけば再びうっすらと曇ってしまうだろう。

 再生数が増えるに伴いコメントも増えていく動画。そうなれば当然、二人しかいない登場人物の二人目にだって目が行くものだ。おれが一文字も打たずともリョウさんを素敵だと書いてあるものはちらほらと出てきていた。名もなきダンサーを良いと言ってくれる名もなきどこかの人。おれはそれを見かけるたびに嬉しくて、画面の前でにやついている。そうだよリョウさんはすごいんだよって、自分のものでもないのに自慢している。
 部屋に一人、画面に向かって笑っているのは気持ち悪い気もするけれど、これが一番楽しい。リョウさんが褒められている。リョウさんを好きだという人がいる。それが楽しい。

 楽しい気分のまま公園に向かって一人走る。リョウさんのように踊れはしないが、さらにはリョウさんのように走れもしない。だけれど真似して公園を走って、頭の中ではずっと彼を再生し続けている。
 走り始めたきっかけは単純なことで、寒かったからだ。寒いのなら動けばいいと、外にいることを世界に否定されているような気温の中で走ることにした。
 冷たい外気を取り込んでなけなしの体温を吐き出す。こんな短時間で生まれ変わりはしないが、自分の細胞が一新されていくような気がした。
 公園にはきちんとした『一周』があり、所々で看板が立っている。どこをスタートとしているのかわからないが100メートルだとか500メートルだとか示されていて、そこを走っている人はたまに見かけた。おれがリョウさんと会っているところは一周からは外れているから、運動目的の人にはやはり用が見えない。
 上がる息を沈めるように横道に反れ、いつものステージへと向かう。道はさらに分岐していて、併設の駐車場へも続いている。遊具広場はあっち。池はそっち。ステージはこっち。ステージなんて大げさな言い方のステージは、リョウさんのために誂えたものみたい。

 木々につけられた小さな名札を視界に入れながら歩く。次の瞬間には忘れてしまうし葉の形すら覚えもしないのに。
 おれはいつも何かを見てしまう。でもあの曲で踊るリョウさんはどこも見ていなかった。彼はあのとき何を見ていたのだろう。うつろな瞳で誰とも何とも視線を合わせず、だけれど何かを叫んでいる。助けを? 嘆きを? リョウさんの正解は何だろう。

 リョウさんは気の強い人だと思う。ずっと話してきた感じ、そう思う。別にキャラを作っているわけではなくきちんと断れるし、自分の意見を言える人。才能もある。だけれどそれでも悩むことがある。足を取られてしまう泥沼がある。それが他人事ながら悔しいような、せつないやりきれない気持ちになる。いくら声を張り上げてもどうにもならないヘドロがまとわりついているみたいで、綺麗に洗い流せる方法を探したくなってしまう。他人事なのに、そう思ってしまう。
 だってリョウさんは才能がある人だから。あんなに素敵な踊りを踊る人だから。おれの好きな踊りをする人だから、手伝いたくなってしまう。

 緒形タカヒロはリョウさんのことを認めている。だから振り付けを任せたし、動画でも表と裏として対峙した。コンサートにも連れていく。
 おれがいくらリョウさんを認めて褒めても何にもならない。それは、少し悲しい。

 深呼吸して、頭の奥まで酸素を入れる。
 ファンですと言えるだけ幸せ。リョウさんを身近で見れるだけ幸せ。少しの引っ掛かりは、多分幸せすぎるせいだと思う。幸せすぎてそれが当たり前になって、もっとさらにを望んでいる。今が当たり前だなんて普通ならありえないことなのに大変な幸運の中にいるものだから、頭が馬鹿になっている。

 緒形タカヒロのコンサート。おれは初日のチケットを持っている。楽しみすぎて眩暈がしそうだ。初日だとかラストだとか、そんなことで差をつける人ではないと思うけれど、自分の振り付けだから絶対に気合を入れてくるだろう。本気も本気のリョウさんが現れる。それはきっとぞくぞくするほど美しい。

 幸せだから、もう一度ラブレターの用意をしておこう。
 あなたの一番のファンがここにいると。
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