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6 幸福
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北国遠征も覚悟していたが、なんと運のいいことに関東公演のチケットを買うことができた。公演はいずれも土日開催だが、遠征となると前日の大学を投げ捨てることも考えていたから本当によかった。夜行バスもすでに検索していたけれど、それも使わずに済んだ。興奮と慣れない車内での緊張に眠れる保証がなかったから、ほっとする。
公演スケジュールを見ながら、リョウさんは今どこにいるのかなと思いをはせる。
毎日やること。まずSNSでarisaのライブに行った人を探し、感想の中に彼のことが書かれていないかを辿っていくこと。0時付近になると更新されるarisa本人もしくはスタッフのSNSで彼の姿を探すこと。
謎の人を見て、3年前の彼を見る。本人かな、違うのかな。どちらでもよくて、どちらでもよくない。そんなことをひと月以上繰り返している。
梅雨になり、梅雨が過ぎ、夏が来る。
取れたチケットは公演スケジュールの中でも後半のもので、冷静になって考えてみればもう大学は夏休みに入っていた。繰り返し同じ動画しか見れなくて、彼のことが更新されないものだから時間がずれているのかもしれない。
少しだけ上がる写真で他のダンサーと写る彼が笑っているのを見る。毎日のように今日の日付とおれが行く公演の日を見比べて確認した。この笑っている彼が、もうすぐ自分にも見れるだろうか。
Tシャツと綿麻のズボンにアイロンをかけ、少しだけまともっぽさを装った。彼に見られるわけでも、ましてや声をかけるわけでもない。だけれどおれはファンだから、リョウさんのファンだから、変な奴がいるとarisaのファンに思われるわけにはいかなかった。センスはともかくとして身だしなみを整え清潔にしていれば、隣に立つ人に嫌がられはしないだろう。
何度も確認したチケット、残高確認した電車代。どきどきと高鳴る胸は期待と、行ったことのないライブ会場へ迷わないかの不安。残念なことにおれは運動音痴なだけでなく少々方向音痴の気もある。
時間通りに来る電車に乗って予定通りに駅を発つ。土曜日の昼前。空いている席を探し座り、ただ窓の外を眺めた。景色は知っている場所を映し、程なくしてあまり見慣れない駅を通過する。
スマホに表示した地図。予定到着時間通りに目的地の駅についてから、同じ方向に歩く人を見て「もしかしてライブに行くのかな」なんて考えた。
おれが方向を間違える理由の一つが人の波に乗ってしまうことだと思うから、都度地図と位置を確認する。地図にある美容院と目の前の看板。通りの向こうにあるコインパーキングと横道の形。ビルの名前は目立たず参考にはならない。
ライブ会場となる四角い箱は大きな文字で示されている。入口には花輪がありarisaが祝われていることが窺えた。きゃあきゃあと楽しそうな女の子たちのほかに男性もいて、少しホッとする。もし女の子ばかりだったなら、おれは縮こまっていなければならなかっただろう。
中に入れば隙間なく椅子が並ぶ。
隣の子が買ったばかりのグッズを身に着けるのを、何となく申し訳ない気持ちで横目に見た。おれの目的は彼女ではなく彼だけれど、グッズ収益が大事だとはよく聞くもので、後でもいいから記念に何か買おうかと思った。
幕が上がるまであと少し。スマホで時間を確認して、電源を落とす。
息を吐くように消える明かりに沈んだ。
仕掛け絵本が開くように、arisaのライブは始まった。
キラキラと光る刺繍のされた布をまといのっそりと舞台中央で立ち上がった彼女は、幕が上がった興奮で沸き立つ場内に静けさを取り戻させる。月明かりのようにスポットライトは彼女を照らし、声が、響いた。
おれは彼女の世界をそれなりに好みはしたが、MVを見ている限り特別視はしていなかった。知らない人の紡ぐ歌をそれなりに楽しめればいいだろうとここに来たが、思ったよりも彼女の歌に惹かれる。それが彼女の強さであり魅力なんだろう。芯のある歌声は舞台役者がセリフを言うようにこちらに訴えかけてくる。舞台には、彼女唯一人。他には何も要りはしない。
彼女だけで成り立つ世界に、本当にリョウさんが出てくるのかと心配になった。最初から最後まで彼女一人だったとしても何ら不思議ではない。この箱にみっしりと詰めた客の視線をくぎ付けにしているのが何ら不自然ではない。こんなところに、リョウさんは出てくるの?
曲は続いていく。仕掛け絵本のページをめくるように、演じるように彼女は歌い舞台上を移動する。スポットライトは彼女を追ってその世界の手助けをしていた。青いライトがだんだんと、朝日のように黄色へと変わっていく。眩い光が彼女一点から世界を広げる。舞台全体、そして客席にまで広がっていく。
眩しくて目を細め、閉じた。
瞼の向こう側の光が収まり舞台上を再確認したとき、彼は、リョウさんはすでにそこにいた。
arisaはダンサーを従えベールを脱ぎ、美しい素顔を晒している。強かったはずの彼女が今ではまるで、処女マリアのようだった。それならば後ろに共にいるリョウさんは天使役だろうか。
柔らかな布がひらりと舞う。踊れば風を受け膨らんで、手足のように決められた形を作っていた。
arisaもリョウさんも髪形や化粧はシンプルで、していないと言われても信じられる。俺が見知っているリョウさんがそこにいて、言語化できない脳みその奥に刺さる踊りを見せてくれる。神経を隈なく走り全身が持っていかれる。
息をするのを忘れてしまった気がした。瞬きはできていただろうか。
周りの人が舞台に熱狂している。隣の子がarisaの名前を大きく呼んだ。遠くからも、後ろからも同じように彼女を呼ぶ声がする。それは声援なのか、はたまた祈りなのか。
男性客はいたが女性客が多く、自分は縮こまったほうがいいだろうかと思ってもいた。でも今は、リョウさんに少しうざがられた身長があってよかったと思っている。もしおれが150センチほどの可愛らしい女の子だったなら、リョウさんに気持ち悪いほど繰り返し愛を伝えても気持ち悪くはなかったかもしれない。だけどこの視界は得られない。
服をも手足のように操る彼を知れたことを、幸せに思う。
公演スケジュールを見ながら、リョウさんは今どこにいるのかなと思いをはせる。
毎日やること。まずSNSでarisaのライブに行った人を探し、感想の中に彼のことが書かれていないかを辿っていくこと。0時付近になると更新されるarisa本人もしくはスタッフのSNSで彼の姿を探すこと。
謎の人を見て、3年前の彼を見る。本人かな、違うのかな。どちらでもよくて、どちらでもよくない。そんなことをひと月以上繰り返している。
梅雨になり、梅雨が過ぎ、夏が来る。
取れたチケットは公演スケジュールの中でも後半のもので、冷静になって考えてみればもう大学は夏休みに入っていた。繰り返し同じ動画しか見れなくて、彼のことが更新されないものだから時間がずれているのかもしれない。
少しだけ上がる写真で他のダンサーと写る彼が笑っているのを見る。毎日のように今日の日付とおれが行く公演の日を見比べて確認した。この笑っている彼が、もうすぐ自分にも見れるだろうか。
Tシャツと綿麻のズボンにアイロンをかけ、少しだけまともっぽさを装った。彼に見られるわけでも、ましてや声をかけるわけでもない。だけれどおれはファンだから、リョウさんのファンだから、変な奴がいるとarisaのファンに思われるわけにはいかなかった。センスはともかくとして身だしなみを整え清潔にしていれば、隣に立つ人に嫌がられはしないだろう。
何度も確認したチケット、残高確認した電車代。どきどきと高鳴る胸は期待と、行ったことのないライブ会場へ迷わないかの不安。残念なことにおれは運動音痴なだけでなく少々方向音痴の気もある。
時間通りに来る電車に乗って予定通りに駅を発つ。土曜日の昼前。空いている席を探し座り、ただ窓の外を眺めた。景色は知っている場所を映し、程なくしてあまり見慣れない駅を通過する。
スマホに表示した地図。予定到着時間通りに目的地の駅についてから、同じ方向に歩く人を見て「もしかしてライブに行くのかな」なんて考えた。
おれが方向を間違える理由の一つが人の波に乗ってしまうことだと思うから、都度地図と位置を確認する。地図にある美容院と目の前の看板。通りの向こうにあるコインパーキングと横道の形。ビルの名前は目立たず参考にはならない。
ライブ会場となる四角い箱は大きな文字で示されている。入口には花輪がありarisaが祝われていることが窺えた。きゃあきゃあと楽しそうな女の子たちのほかに男性もいて、少しホッとする。もし女の子ばかりだったなら、おれは縮こまっていなければならなかっただろう。
中に入れば隙間なく椅子が並ぶ。
隣の子が買ったばかりのグッズを身に着けるのを、何となく申し訳ない気持ちで横目に見た。おれの目的は彼女ではなく彼だけれど、グッズ収益が大事だとはよく聞くもので、後でもいいから記念に何か買おうかと思った。
幕が上がるまであと少し。スマホで時間を確認して、電源を落とす。
息を吐くように消える明かりに沈んだ。
仕掛け絵本が開くように、arisaのライブは始まった。
キラキラと光る刺繍のされた布をまといのっそりと舞台中央で立ち上がった彼女は、幕が上がった興奮で沸き立つ場内に静けさを取り戻させる。月明かりのようにスポットライトは彼女を照らし、声が、響いた。
おれは彼女の世界をそれなりに好みはしたが、MVを見ている限り特別視はしていなかった。知らない人の紡ぐ歌をそれなりに楽しめればいいだろうとここに来たが、思ったよりも彼女の歌に惹かれる。それが彼女の強さであり魅力なんだろう。芯のある歌声は舞台役者がセリフを言うようにこちらに訴えかけてくる。舞台には、彼女唯一人。他には何も要りはしない。
彼女だけで成り立つ世界に、本当にリョウさんが出てくるのかと心配になった。最初から最後まで彼女一人だったとしても何ら不思議ではない。この箱にみっしりと詰めた客の視線をくぎ付けにしているのが何ら不自然ではない。こんなところに、リョウさんは出てくるの?
曲は続いていく。仕掛け絵本のページをめくるように、演じるように彼女は歌い舞台上を移動する。スポットライトは彼女を追ってその世界の手助けをしていた。青いライトがだんだんと、朝日のように黄色へと変わっていく。眩い光が彼女一点から世界を広げる。舞台全体、そして客席にまで広がっていく。
眩しくて目を細め、閉じた。
瞼の向こう側の光が収まり舞台上を再確認したとき、彼は、リョウさんはすでにそこにいた。
arisaはダンサーを従えベールを脱ぎ、美しい素顔を晒している。強かったはずの彼女が今ではまるで、処女マリアのようだった。それならば後ろに共にいるリョウさんは天使役だろうか。
柔らかな布がひらりと舞う。踊れば風を受け膨らんで、手足のように決められた形を作っていた。
arisaもリョウさんも髪形や化粧はシンプルで、していないと言われても信じられる。俺が見知っているリョウさんがそこにいて、言語化できない脳みその奥に刺さる踊りを見せてくれる。神経を隈なく走り全身が持っていかれる。
息をするのを忘れてしまった気がした。瞬きはできていただろうか。
周りの人が舞台に熱狂している。隣の子がarisaの名前を大きく呼んだ。遠くからも、後ろからも同じように彼女を呼ぶ声がする。それは声援なのか、はたまた祈りなのか。
男性客はいたが女性客が多く、自分は縮こまったほうがいいだろうかと思ってもいた。でも今は、リョウさんに少しうざがられた身長があってよかったと思っている。もしおれが150センチほどの可愛らしい女の子だったなら、リョウさんに気持ち悪いほど繰り返し愛を伝えても気持ち悪くはなかったかもしれない。だけどこの視界は得られない。
服をも手足のように操る彼を知れたことを、幸せに思う。
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