2 / 22
2 もう一回
しおりを挟む
夜七時。夏にはまだ早く春というには遅い夕闇は、だんだんと世界を覆っていった。
昨晩はもっと暗かったかと、彼が踊っていた小さなステージに腰かけ待つ。早いかとは思ったが夕方には虫よけを買ってきて、頭から足先まで振りまいておいた。
それなりに広い公園のこの小さなステージは、まったく道路には面していない。おれだっていつも通る場所ではない。近道にもならない。なんとなく、本当に何気なく迂回しただけ。運動不足を感じてもいたし、気分転換という思いもあったかもしれない。でもそんなしっかりした理由があったわけじゃなくて、本当になんとなく昨晩はここの道を通った。
右を見て、左を見る。どちらの道から来るのかわかるわけもなく、そもそも会えるのかもわからない。もしかしたらおれを見て逃げてしまうことだってあるだろう。……もしかしなくてもそれが一番有り得る。
昨日の変な奴が今日もいて、追い回されることに恐怖するだろう。ストーカーではないのだと弁明しようか。もし会えたなら名前だけはどうにか教えてもらって、彼がいなくなるまで座っていよう。付きまとったりはしないとアピールしなければ。
街灯に群がる虫を見つつ、ただぼんやりと座って待つ。
そうしてしばらく経ち夕方の気配がすっかりなくなったころ、彼は来た。
「あの!」
予想は当たりどうやら彼はこの公園内をジョギングのルートにしているようだった。
声を上げたおれに気付いた彼はそれなりに嫌そうな顔を露わにし、それでも立ち止まってくれた。ポケットから取り出されたのは昨日と同じだろう小さな水筒で、それを一口飲むとため息をつくように「何」と聞かれた。
「一目惚れしました」
「……」
言葉に彼はただじろりとこちらを見た。
「……あ、それで、お名前を教えてほしいんです。出演作品とか、映像化されてるものを買いたいと思って。調べるにもお名前がわからないとどうしようもなくて」
「赤曽根良」
「あかぞね、さん。珍しいお名前ですね」
「調べても出てこねーと思うよ。出てきたとしても、やってんのはバックダンサーだし映ってない」
「ご自身が参加したの見たりはしてないんですか」
「貰うけどあんまり」
名前をしっかりとメモり、だるそうにしながらも対応してくれる彼を見る。そのまま本名を仕事で使っているのだろう。教えてもらえないかとも思っていたが一安心した。
「お前、今日も"観賞"してくの?」
願ってもない誘いだった。"観賞"とわざとらしく言ったのは、昨晩のように金をとるから消えろということだと暗に言われている気もしたが、気付かないふりをする。
「します」
だから、「良いですか」とは聞かない。
断られないうちに財布から金を出して差し出した。赤曽根さんは言い出したから後に引けないのかそれを見やると、受け取ってポケットにそのまま突っ込んだ。
昨日と同じところに水筒が置かれ、離れるように手で追い払われる。
本当に小さなステージとも言えないような段の上で、スポットライトではない街灯が彼を照らしている。当然椅子は無く、おれはただ離れて彼を見る。
「あー、これ」
ぴょんと軽く段を降りた彼は右耳のイヤホンをおれに投げた。落とさないように慌ててそれを両手と腹で受け止める。
「届くかな。まぁずれたらずれたでしゃーない」
音の距離のことを言ってるんだろう。どっちでもいいよ、と軽く言われそれを右耳につけた。まだ何も音のしないそれは自分の体に馴染みないもので、少しの違和感についどうにかならないかといじってしまう。
いじっているうちに音が流れ、顔を上げた。
ステージ上の彼はおれの様子に笑って、それから曲の中へと入っていった。
流れてきたのは女性の声。聞いたことがない若い声。「もっと一緒にいたい」と歌うその歌詞は、何とも可愛らしい恋愛の曲だった。
本を開くしぐさ。店先の大きな窓に映る前髪を気にするような女の子が、その体に幸せを詰め込んで走っている。君といると日常に色がつくんだと、毎日の穏やかな日々が一生続けばいいとお願いするその歌を、赤曽根さんは笑って踊る。
4分程度の曲はすぐに終わってしまった。バックダンサーなんかではない。今、彼は主人公の女の子だった。
違和感を持っていたイヤホンのことなど忘れていた。曲が終わったことは彼が踊りをやめたことで気が付いた。
物語の終わり。太陽に照らされているような、むしろ太陽そのもののような暖かな曲。歌詞の一つも覚えていないのに、そのイメージだけが強く残る。
言葉が出なかった。幸せを全身に浴びてしまったおれはただ、もう一度とそれだけを欲した。
「賞賛と拍手はねーのかよ」
「あの……もう一回」
可愛らしい曲を踊っていたとは思えない口調で言われ、意識して瞬きをする。
ころりと耳から簡単に外れたイヤホンを服の裾で拭いて返した。
「一回じゃ足りないな。もっと、やっぱり何度も赤曽根さんを見ていたいです。一晩中でも足りないかも」
今から夜明けを迎えるまで彼を見ていても、きっと足りない。家に帰ったらすぐに彼の名前で調べよう。
「一晩百万な」
「ひゃくまん」
子供のように言って返せば鼻で笑われた。彼はやはりおれのことを疎ましく思っているんだろう。
でもお金なら用意できる。もし本当にお金で解決させてくれるのなら、「何度も」と繰り返し見たくなる思いは満たされるだろうか。
昨晩はもっと暗かったかと、彼が踊っていた小さなステージに腰かけ待つ。早いかとは思ったが夕方には虫よけを買ってきて、頭から足先まで振りまいておいた。
それなりに広い公園のこの小さなステージは、まったく道路には面していない。おれだっていつも通る場所ではない。近道にもならない。なんとなく、本当に何気なく迂回しただけ。運動不足を感じてもいたし、気分転換という思いもあったかもしれない。でもそんなしっかりした理由があったわけじゃなくて、本当になんとなく昨晩はここの道を通った。
右を見て、左を見る。どちらの道から来るのかわかるわけもなく、そもそも会えるのかもわからない。もしかしたらおれを見て逃げてしまうことだってあるだろう。……もしかしなくてもそれが一番有り得る。
昨日の変な奴が今日もいて、追い回されることに恐怖するだろう。ストーカーではないのだと弁明しようか。もし会えたなら名前だけはどうにか教えてもらって、彼がいなくなるまで座っていよう。付きまとったりはしないとアピールしなければ。
街灯に群がる虫を見つつ、ただぼんやりと座って待つ。
そうしてしばらく経ち夕方の気配がすっかりなくなったころ、彼は来た。
「あの!」
予想は当たりどうやら彼はこの公園内をジョギングのルートにしているようだった。
声を上げたおれに気付いた彼はそれなりに嫌そうな顔を露わにし、それでも立ち止まってくれた。ポケットから取り出されたのは昨日と同じだろう小さな水筒で、それを一口飲むとため息をつくように「何」と聞かれた。
「一目惚れしました」
「……」
言葉に彼はただじろりとこちらを見た。
「……あ、それで、お名前を教えてほしいんです。出演作品とか、映像化されてるものを買いたいと思って。調べるにもお名前がわからないとどうしようもなくて」
「赤曽根良」
「あかぞね、さん。珍しいお名前ですね」
「調べても出てこねーと思うよ。出てきたとしても、やってんのはバックダンサーだし映ってない」
「ご自身が参加したの見たりはしてないんですか」
「貰うけどあんまり」
名前をしっかりとメモり、だるそうにしながらも対応してくれる彼を見る。そのまま本名を仕事で使っているのだろう。教えてもらえないかとも思っていたが一安心した。
「お前、今日も"観賞"してくの?」
願ってもない誘いだった。"観賞"とわざとらしく言ったのは、昨晩のように金をとるから消えろということだと暗に言われている気もしたが、気付かないふりをする。
「します」
だから、「良いですか」とは聞かない。
断られないうちに財布から金を出して差し出した。赤曽根さんは言い出したから後に引けないのかそれを見やると、受け取ってポケットにそのまま突っ込んだ。
昨日と同じところに水筒が置かれ、離れるように手で追い払われる。
本当に小さなステージとも言えないような段の上で、スポットライトではない街灯が彼を照らしている。当然椅子は無く、おれはただ離れて彼を見る。
「あー、これ」
ぴょんと軽く段を降りた彼は右耳のイヤホンをおれに投げた。落とさないように慌ててそれを両手と腹で受け止める。
「届くかな。まぁずれたらずれたでしゃーない」
音の距離のことを言ってるんだろう。どっちでもいいよ、と軽く言われそれを右耳につけた。まだ何も音のしないそれは自分の体に馴染みないもので、少しの違和感についどうにかならないかといじってしまう。
いじっているうちに音が流れ、顔を上げた。
ステージ上の彼はおれの様子に笑って、それから曲の中へと入っていった。
流れてきたのは女性の声。聞いたことがない若い声。「もっと一緒にいたい」と歌うその歌詞は、何とも可愛らしい恋愛の曲だった。
本を開くしぐさ。店先の大きな窓に映る前髪を気にするような女の子が、その体に幸せを詰め込んで走っている。君といると日常に色がつくんだと、毎日の穏やかな日々が一生続けばいいとお願いするその歌を、赤曽根さんは笑って踊る。
4分程度の曲はすぐに終わってしまった。バックダンサーなんかではない。今、彼は主人公の女の子だった。
違和感を持っていたイヤホンのことなど忘れていた。曲が終わったことは彼が踊りをやめたことで気が付いた。
物語の終わり。太陽に照らされているような、むしろ太陽そのもののような暖かな曲。歌詞の一つも覚えていないのに、そのイメージだけが強く残る。
言葉が出なかった。幸せを全身に浴びてしまったおれはただ、もう一度とそれだけを欲した。
「賞賛と拍手はねーのかよ」
「あの……もう一回」
可愛らしい曲を踊っていたとは思えない口調で言われ、意識して瞬きをする。
ころりと耳から簡単に外れたイヤホンを服の裾で拭いて返した。
「一回じゃ足りないな。もっと、やっぱり何度も赤曽根さんを見ていたいです。一晩中でも足りないかも」
今から夜明けを迎えるまで彼を見ていても、きっと足りない。家に帰ったらすぐに彼の名前で調べよう。
「一晩百万な」
「ひゃくまん」
子供のように言って返せば鼻で笑われた。彼はやはりおれのことを疎ましく思っているんだろう。
でもお金なら用意できる。もし本当にお金で解決させてくれるのなら、「何度も」と繰り返し見たくなる思いは満たされるだろうか。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
【BL】キス魔の先輩に困ってます
筍とるぞう
BL
先輩×後輩の胸キュンコメディです。
※エブリスタでも掲載・完結している作品です。
〇あらすじ〇
今年から大学生の主人公・宮原陽斗(みやはらひなと)は、東条優馬(とうじょう ゆうま)の巻き起こす嵐(?)に嫌々ながらも巻き込まれていく。
恋愛サークルの創設者(代表)、イケメン王様スパダリ気質男子・東条優真(とうじょうゆうま)は、陽斗の1つ上の先輩で、恋愛は未経験。愛情や友情に対して感覚がずれている優馬は、自らが恋愛について学ぶためにも『恋愛サークル』を立ち上げたのだという。しかし、サークルに参加してくるのは優馬めあての女子ばかりで……。
モテることには慣れている優馬は、幼少期を海外で過ごしていたせいもあり、キスやハグは当たり前。それに加え、極度の世話焼き体質で、周りは逆に迷惑することも。恋愛でも真剣なお付き合いに発展した試しはなく、心に多少のモヤモヤを抱えている。
しかし、陽斗と接していくうちに、様々な気付きがあって……。
恋愛経験なしの天然攻め・優馬と、真面目ツンデレ陽斗が少しづつ距離を縮めていく胸きゅんラブコメ。
後輩の幸せな片思い
Gemini
BL
【完結】設計事務所で働く井上は、幸せな片思いをしている。一級建築士の勉強と仕事を両立する日々の中で先輩の恭介を好きになった。どうやら先輩にも思い人がいるらしい。でも憧れの先輩と毎日仕事ができればそれでいい。……と思っていたのにいざ先輩の思い人が現れて心は乱れまくった。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
推しの幼馴染み&モブでした。あぁ……もう遅いよ……ね?うぇ?どうしてこうなった!?
白銀
BL
その日は俺、瀬名垣充の高校の入学式だった。
某有名な不良校なので、いつの間にか不良達の喧嘩勃発。鉄パイプの椅子が宙を飛ぶのをボーッと見ていると、その先にいたのは久しぶりに見る俺の大切な幼馴染だった。
無意識に幼馴染みを庇い、俺の頭に鉄パイプ椅子が当たった瞬間、思い出した!
大切な幼馴染み、松林時雨が、前世ドはまりしていたBLゲーム『コイアイ』の推しだったと言うことに。
もっと早く思い出せば、あんなことやこんなことも出来たのに!……あー、もう遅いよ……ね?うぇ?どうしてこうなった!?
幼馴染みカプ
イケメン不良(推し)✕推しの幼馴染み&モブ
ちょっと暗いですがハッピーエンドです♪
瀬名垣充(せながきみつる)
高1
松林時雨(まつばやし しぐれ)
高2
※更新時間は20時から22時の間の予定。
※イラストはAIを加工したものです。
※更新はのんびり行かせていただきます。
※1話は読みやすいよう1500~3000の間で投稿しようと思います♪
※誤字脱字が合ったらお知らせいただけると嬉しいです。
※メンタル豆腐なので優しくしていただけると助かります(笑
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
おぞましく愛おしい
紺色橙
BL
ペイントバース。若くして白髪まみれの髪を気にし、美容院に行く水瀬。自分で行ったカラーではしっくりこず、似合うカラーはないものかと聞くが、提案されたのはそのままでいることだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる