一の恋

紺色橙

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おまけ

ささやかなもの*

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「このまま入っちゃうかも」
 風呂から上がっても寒いと感じなくなったころ。めいっぱいのローションを垂らし、滑りこけないようにと掴まってくる真くんの腰を支えた。
「いつ用意してたの、そんなもの」
「ずっと前から」
 でもずっと出せなかった。そう彼は言った。



 出身大学を聞かれたのは、彼がうちに来るようになってすぐのこと。気にせず答え理由を聞いてみれば、真くんは「和史さんと同じとこを目指そうかと思って」と言った。やりたいこともやる気もないと正直に話し、だけどせめて目標があればどうにかなるかなぁと曖昧に笑う。
 進学に関して、そして何より将来に関して私が言えることは何一つありはしないが、少しだけ彼の行く先に影響を与えるのは嬉しくもあった。
 最終的に目指す大学に行けなくともそれまで勉強していたものは無駄にならないだろう。彼はそうして、うちに来ては勉強するようになった。

 ソファで映画を見ている間開かれたノート。真剣に見てもいない映画の内容を、横目に見つつ真くんは後で私に聞くという。寝れるなら寝てもいいよと許可をもらい、よく耳にする吹き替え声優の声を脳みそに通す。
 めっきり聞かなくなっていたペンの走る音。ノートの端をいじる紙の擦れ、無意識の悩んだうなり声。心地のいい空間で時折彼に質問される。映画の内容だったり、全然違う話だったり、その時々のたわいのない話。彼の独り言のような声に「うん、うん」と相槌のようなものをして、いつの間にか眠りに落ちた。



 定番になった週末の泊り。当然のように一緒に入る風呂で、「ねぇねぇ」と可愛らしく誘われた。
 ぎゅうと抱き着かれ、ピタリと肌が張り付く。
「だから先に入るって言ってたの?」
「うん。先に洗っとこうと思って」
 いつも一緒に入るのに、なぜか今日は呼んだら来てと言われた。
 くっつけられた下半身はぬるりと滑り、彼の手もぺたぺたとしている。
「座って。床に」
 従えば、「もうちょっと後ろ」と壁を背にするように促された。
 私の足を跨いだ彼は、浴槽の縁に置かれたボトルを手にして蓋を開ける。もともと緩く締めていたのか滑りそうな手で簡単に開いたそれを、ひっくり返し互いの触れ合う場所にかけた。
 耳を赤く染めて、それでも躊躇わず真くんは自分のペニスを握りこむ。その様子を見て私の体も同じように反応した。
 右肩に置かれた手は少し震えているようで、寒いのか不安なのか怖いのか、聞かずに腰を引き寄せる。

 ずっと、彼に触れることだけをしてきた。
 気持ちの悪いおじさんに一方的に触られたで済む方が、セックスしてしまうよりましかと思うところもあった。何度も何度も繰り返す行為。それで嫌な思いをしているのなら、"まし"なんてものは何もない。だけれど長いこと私は、それ以上を彼に出来ずにいた。こうして真くんから「したい」とアピールされることがあっても、ずっと。

「きもちくない?」
 濡れたままの肌。インドアな彼の白く筋肉の薄い体。子供から大人に変わりつつあることを示すように、自分と同じように成長したペニス。
 たっぷり垂らされたローションで滑るようになった体を擦り付けられる。
「気持ちいいよ」
 真くんの先端が、私の物にぶつけるように擦りつく。手を使わず体全体が動き、離れないようにと距離を縮める。

 膝を床についた彼は両手で私の肩を掴み、目を合わせずに言った。
「このまま入っちゃうかも」

 目を合わせてはくれなかった。でも、だから、私がそれを否定してしまうことも想定内なのだろうと思った。
 ダメだと、言ってしまえる。しないよと簡単に否定できる。
 私は君のことを大切に思っていて、だから簡単にセックスなんかしないよと良い大人ぶることはできた。今までのようにこの子の気持ちを無視して。

「ずっと前から、私も真くんとしたいと思っていたんだけど……いい?」
 足りなかったのはきっと勇気だけ。
「うん」
 開かれた足。ゆっくりと誘導するように不安そうな彼の腰を支えて、肩に刺さる爪先を受け入れる。
「無理しないでね」
「しないよ。してない」
 少しずつゆっくり、そう進めたかったけれど、「はあ」と息を吐くように真くんは座り込んだ。強い抵抗もなく私のペニスが彼に溺れる。
「ああ……」
 つい声が漏れた。
 体勢もあってか深く深く彼に入り、狭く震える体内にすべて包まれる。
「痛くない?」
「なんか、満たされる感じ」
 少し呆けたように彼が言う。
「同じだ」
 ようやくという思いと、性欲だけではない胸の中が温かくなるような気持ち。
「私は幸せ者だなぁ」
 見下ろしてくる彼は、目を合わせはにかんだ。



 眠りから覚め、かかっていた薄い掛物を掴む。部屋の中を目で探し、テーブルの上に畳まれたノートとソファの下に座る真くんを見つけた。映画は知らない場面を映し、クライマックスとでも言いたげに盛り上がりを見せている。
 ふい、と私を見上げた彼。
「もう終わりだよ。結局他の人は死んじゃって主人公だけ生きてる」
「そっか」
「でも追われてるからバッドエンドで終わりそう」
 よくわからない化け物に追われている登場人物たちは、どうやら死んでしまったらしい。海外らしく銃も持ち出していたが、化け物にはたいして効いていなかったか。
「あー、ほら」
 画面の中の主人公が後ろを警戒し、再び前を向いた。そこに現れる撒いたと思っていた化け物、暗転してしまう画面。
「全滅だ」
「めっちゃ強かったもん。知性も力もある化け物には勝てないっしょ」
「私が映画の中にいたらモブになる前に死んでるね」
「せめて登場して」
 真くんの笑い声。夢の中にも出た曖昧な記憶が蘇る。勇気を出して行動を起こしてくれた彼。情けない私に布団をかけ、眠りから覚めるのをただ待ってくれる優しい子。
「私は幸せ者だなぁ」
「ん?」
「化け物が出たら、真くんを守るからね」
 前ならきっと、真くんだけは逃がすと言っていた。自分を犠牲にしてこの子だけを逃がそうと。でも今は、逃がすふりをして投げ出すことはしないでいたいと思う。
「じゃあ俺も、和史さんのこと守るよ。包丁もってたらいいかな。あ、バールのようなものある?」
「それはないかなぁ」
 続くたわいのない話。
 何度も繰り返す幸せな週末を、今後も私はこの子と過ごしたいと思っている。
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