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我が許嫁は恋をしている瞳でただ一人を見つめていた

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 アルクレト王国国王、アルシア・アルクレトは、侵入者である赤き毛色の魔法使いを待っていた。

 侵入者を待つなんて、どうかしていると思うけれど、アルシアは彼の者が、自身に危害を与えないであろうと確信に近い形で思っていた。

 大方、大事な英雄を貶められた怒りを、アルシアに怒鳴り散らすくらいだろう。



 ーーーあの小さい少女が、英雄なんと呼ばれるようになるとはな…。



 アルシアがセルディナと出会ったのは、まだ幼き日のことだった。

 アルシアが許嫁として紹介されたセルディナ・マクバーレンという少女は、アルシアよりも幼くありながら芯の強そうな瞳をして、完璧な淑女の礼をしていた。


「…けれどセルディナ、そなたは最後まであの男以外を見ることはなかったな。」









「おまえのことなんてキライだ!余は、婚約者なんて望んでいなかった。」


 婚約が結ばれてすぐの時、アルシアは勝手に決められたその約束に苛立っていた。

 それこそ…その婚約が、どうしても王子様と婚約をしたいと駄々をこねた、マクバーレン公爵の娘のせいだなんて噂話を信じ込んでしまう程、周りが見えなくなってしまう程度には。

 二人きりになった瞬間に、それまで隠していた怒りを露わにしたアルシアに、セルディナはパチリと瞬きを一つしてから言葉を発した。


「王子様もそうなのですね。私わたくしも、こんやくしゃというものを、のぞんでおりませんでしたの。けれど、国王さまのめいなので、おうじなくてはいけないのです。」


 舌っ足らずな口調で、けれど丁寧に、笑みまで浮かべてそう言い放った年下の少女に、アルシアはとんでもなく大きな敗北感を与えられた。


「…すまない。」


「いいえ、この世界にはどうにもならないことがあると、私もさいきん学びました。」


 セルディナはまるで子供ではないようなことを言った。

 マクバーレン公爵の令嬢は酷く大人びていると聞いたことはあったけれど、これほどまでとは思っていなかった。

 もしかしたらとアルシアは思った。

 もしかしたら、この少女となら、運命に縛られた自分の未来を共に歩いていくのも悪くはないのでは、と。

 そう思った時、コンコンとドアがノックされた。

 入室を許すと、入ってきたのは金髪の青年であった。

 見覚えのあったその男は、セルディナの護衛をしていた魔物のはずで、確か“ロキ”という名前だとアルシアは思った。


「国王様より付き添いが許されましたので、失礼致します。」


「ロキ!本当に?」


「はい。未婚の異性が二人きりというのは、あまり良いものではありませんから。」


 そう言いながらドアに一番近い部屋の隅に立ったロキを、アルシアは呆然と見つめていた。

 その輝くような金髪も、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳も、芸術品のような美しさがあったけれど、それよりも…彼が来たことで、セルディナが輝くような笑顔になったことに。



 それだけで、アルシアは気付いてしまった。

 アルシアが婚約をした彼女は、魔物の男に恋をしていることを。

 彼女の言った、“どうにもならないこと”とは、彼との叶わぬ恋だろうということを。



 ニコニコとしていたセルディナだったが、アルシアが見つめていることに気付くと、先の会話の続きを呟いた。



「けれども、どうじに…どうにもならないなら、世界をかえればいいとも学びました。王子様がいとうものを、くつがえせるようになるまで、どうぞよろしくおねがいいたします。」



 ぺこりと頭を下げた、小さな少女の言葉にアルシアはあぁ、とどこか虚ろに答えた。





















 全てが終わった今なら分かるが、あの幼き時の言葉にすら、彼女が行おうとしていたことの前兆は含まれていたのだ。

 アルシアは彼女の恋心には気付いていたのに、その危うさには気づくことが出来なかった。

 まさか、魔物に叶わぬ恋をした彼女が、国へ反旗を翻すなど、誰が想像できただろうか。



 アルシアに分かるのはただ、アルシアが出合った時にはすでに彼女の心の中を占めていたのはただ一人の魔物に対する想いで、どう頑張ってもアルシアには勝ち目など少しも無かったと言う事だけ。



「それでも余は、余を想って貰えなくても、そなたとなら良い国へ導いていけると思っていたのにだがな。」



 目を閉じれば今でも鮮明に思い出す。

 婚約者だからといい、彼女を連れ出した花畑のことを。湖のことを。港町のことを。

 …そのどれもに、魔物の男はいたけれど、彼女は魔物のことしか見ていなかったけれど、それでもアルシアは彼女のことを大事に思っていた。



「…結局、余がそなたに見てもらえたのはあの時だけか…」










 父王が喪に服し、告別式のため予定だった日、街で一番大きな聖堂へ向かっていた時、自らの命に応じるだけの生き物だと思っていた魔物が、裏切りを見せた。

 至るところで行き交う人の群れに紛れて、多くの魔物が魔力を使っていた。

 そんなことはアルシアが生まれて初めてのことで、驚愕の中で止めろと命じた。

 いつもならすぐに働く強制力が、その日に限って働かないことに、アルシアの肌はぞくりと粟立った。



「城に向かう!誰か付いてこい!!」



 すぐに城ので厳重に保管してあるはずの、魔物支配の契約書に何かがあったのだとアルシアは思った。

 代々歴代の国王が守ってきたそれを、父王が死に、まだ戴冠式も出来ておらぬ間に、奪われでもしたらアルシアは国民に顔向けできない。

 慌てて、暴れる魔物を抑えようと尽力する兵士の中から選り抜きの数名を引き連れ、アルシアは城へと向かったのだった。



 馬を走らせ、城の廊下を残っていた侍女に驚かれながらも駆け抜け、アルシアは全国王の使っていた執務室にたどり着いた。

 その部屋の、入り口から前へ五歩、右へ三歩歩いた位置にある床板を一枚剥がせば、地下へと向かう階段が現れる。

 狭い階段を一歩一歩下がっていけば、狭い地下の部屋へと繋がり…。



「…何も起こっていないではないか。」



 果たして魔物支配の契約書だと言う、古い紙で出来た契約書はそこにちゃんと存在した。

 アルシアの肩の力がぬける、その瞬間に爆発が起こった。



「なっ!?」



 狭い地下室の中、アルシアの体は爆風によって吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。

 ズキズキと痛む体で降りてきた階段を見れば、そこにはいつも通りにシンプルなドレスをまとった婚約者がいた。

 最初、アルシアは何故ここに彼女が居るのだと思った。

 次に、逃げろと彼女に言おうとした。

 けれど、彼女の後ろに魔物の男が居ることに気付き、彼の魔物は爆発の魔法が得意だったと思いだしてしまった。



「…これは、そなたの仕業なのだな?」



「そうですわ、シア様」



 シア、と呼ばれてアルシアはそれが紛れもなく、自身の婚約者である少女なのだと悟った。

 そう呼ぶことを許したのは、ただ一人だけなのだから。

 体中が痛くて、立ち上がることが出来ないアルシアの横を歩き、セルディナは契約書の元へと歩いていく。

 アルシアが連れてきた兵士もまた、アルシアと同じように立ち上がることもできぬようだった。



「…街中の騒動は、陽動か?」



 答えないセルディナに、けれどアルシアは問いかけた。



「そうしてここへ来た余を付け、そなたは何をするつもりだ?」



 動けないアルシアは、少しでも時間を稼がなくてはならなかった。



「何を、なんて…シア様にはもうお分かりでしょう?」



 セルディナの手が、魔物支配の契約書を掴む。

 駄目だとアルシアは叫んだ。

 それを破ってしまえば、魔物の支配が解けてしまう。

 長年虐げてきた魔物たちの脅威は、この国に牙を向けることになるだろう。

 そうなってしまえば、アルシアは、セルディナをその手で殺さなくてはならなくなってしまう。

 けれどもセルディナは契約書を破り捨てた。



「ロキ、燃やして頂戴。」



 呆然とアルシアが見つめる中、セルディナは契約書を燃やすように魔物の男に命じた。

 代々の国民が、守り抜いた契約書が、アルシアの前で燃やされしまった。

 呆気ないほど簡単に燃え、無くなった契約書の燃えかすを前に、アルシアは力無き声でセルディナの名前を呼んだ。


「セルディナ、そなたはなんて事をしたのか、分かっているのか?」


「分かっているつもりです。」


「そなたのした事は、国を荒らす。」


「そうだとしても私は、遥か昔に起こした過ちを、正しただけです。」


「国は反逆者を処さなければ、収まらないだろう。この場は逃れられたとしても、追手がかかる。」


「存じておりますわ。けれどどうでしょう?この場で国王に最も近い貴方が殺されれば?目撃者も居なくなれば、首謀者も永遠に闇の中。」


息を詰まらせたアルシアに、セルディナは微笑んだ。


「だから、シア様。誓ってください。ここから先、荒れるであろうこの国を、シア様が導くと。そうであるなら私は此度の騒ぎの責任を負います。首謀者は私わたくし。他の魔物は私の命に従っただけ。」


 幼き日、婚約をした時のように、彼女は完璧な笑みだった。

 そうして、アルシアだけを見つめて、少し眉を下げて告げたのだった。


「シア様、私の我儘で、辛い役目を背負わせてしまうこと、心よりお詫び申し上げます。」


 セルディナは、彼女の命かアルシアの命か、どちらかを選べとアルシアに言ったのだった。

 選ばせながら、セルディナはアルシアが生きる未来しか見ていなかった。

 …きっと、最初からセルディナはその未来を選んでいたのだろう。

 そうしてアルシアは、自分の命を選んだ。











 アルシアは、死の間際に自らが死ぬ終焉を“ハッピーエンド”と称したセルディナが考えていたことを、未だに理解することができない。

 それがアルシアに向けられたものなのだとしたら、セルディナの復讐なのではないかとアルシアは思う。

 自らの命を選んだ、それを、幸せな結末だったとするために、アルシアは苦しみながらも立ち止まることを許されずに今ここにいるのだから。


「おい国王、ちょっと面ァ貸しやがれ」


 ああ、ほら今でさえ、感傷に浸ることも許されない。

 アルシアは、何故か窓から入ってきた赤髪の魔法使いに頭の痛みを感じながら、そろそろだと思い侍女に入れさせていた紅茶を出す。


「お、ちょっと遅かったか。」


 丁度、大剣を引きずるようにして歩いてきた銀髪の騎士もやってきた。

 あぁ、今夜はどうにも彼女の面影が強すぎる。

 アルシアは、自身も紅茶を飲みながら先手を打って、絵本は止めさせると呟いた。

 そうして、出鼻をくじかれ不満そうな顔をするダリアと、何を考えているのか分からせないようにへらりと笑うギナンに向かい、思い出話をしないか?と聞いた。

 ダリアとギナンは顔を見合わせ、頷いた。





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