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第4章

1 握手会③

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 放心しながらロビーに戻ると、先に終わった子が泣いてる姿が目に入った。
 それを見たら、ZYXを前にしてこらえ抜いた感情が一気に押し寄せて、我慢できなくなって、私はその場にしゃがみ込んだ。

 頭がいっぱいで、胸もいっぱいで、息が詰まって、苦しくて、そこに風穴を開けるようにして涙がぼろぼろこぼれ出す。
 美人でかわいい背の高いちるぴ。クールで鬼イケメンの矢凪。そして、この世界の頂点なんじゃないかってくらいかっこよくて優しかったZee様――。
 三人の表情が、声が、手のぬくもりが、次々に頭の中を巡っていく。

「伊月」
 声がして、肩をポンポンとたたかれる。
 少しだけ頭を上げると、足元が見えた。
「大丈夫? ジークスどうだった?」
 そのまま顔を上げていったら、身を屈めてこちらをうかがう瑞月がいた。
「瑞月~……。私もう死んじゃう」
「めっちゃ泣いとる」
「ジークスが……ジークスが……私のこと知ってくれてたぁ……」
「えっ、マジで?」
 私は両手で顔を覆って何度も頷いた。
「いっぱい名前呼んでくれた。アカウント名本名にしててよかったぁ」
「すげー……鬼ほどうらやま。とりあえずさ、目立つから立って」
 瑞月はそう言うと私の肩を支えて立ち上がらせた。

 ロビーに伸びる握手会の列から離れ、建物の外に出る。
「ライブまで時間あるから、カフェでも行こ」
「うん……」
 私はハンカチで目元を拭ってから、鏡を取り出してチェックした。
 しっかりお化粧崩れてる。
「はぁ、ジークスの前でこんな顔にならなくてよかった……」
「ほんとだね」
 目の下を黒ずませたアイカラーをハンカチで拭い取ったけど、隈のようにトーンの下がった肌色はそれだけじゃ元には戻らなかった。
「まだ泣くかもだからライブ前に直そ」
「まだ泣くんかい」

 ホール前の大通りに向かって歩き出しながら、握手会のことを思い返す。
「Zee様すごくかっこよかった。すごく優しかった」
「よかったね、憧れのZeeに会えて」
「うん。あとね、矢凪くんが『瑞月くんによろしくね』って言ってたよ」
「えっ! なにそれマジ?」
 瑞月がすごい速さで振り向く。
「弟が大ファンだって言ったら、矢凪くんから名前聞いてくれて……」
「伊月……」
「すごい笑顔だった。男性ファン嬉しいって」
「限られた時間で、俺のこと伝えてくれたの……?」
 少しだけ潤んだ瞳を見て、そんなに喜ぶとは……と少し驚いていたら、感極まった瑞月が抱きついてきた。
「ありがとう、伊月!! 最高の姉!!」

 わかる。わかるよ。推しに名前呼ばれるなんて、普通は一生ないもんね。
 できることなら直接聞かせてあげたかった。あの笑顔を瑞月にも見せたかった。
 なのに話を聞いただけでこんなに喜んでくれるなんて、瑞月の純粋な心が、私は嬉しい。

 ……でも。
「瑞月に抱きつかれるのは、ちょっとイヤデス……」
「ひでー姉」

 ライブ会場の開場時間まで、近くのカフェで瑞月に握手会の詳細を話した。
 話すとより一層自分の中に記憶が刻み込まれて、本当にものすごい時間を過ごしたと、改めて実感する。

 ZYXに存在を認識されて言葉を交わした時間は、トータルで実質一分もなかったと思う。
 でもそれでも、一生ものの一分だった。
 本当は夢だったんじゃないかという気すら、もうすでにしている。

 それから会場に戻ってライブ鑑賞。
 一時間の枠で、トークをたっぷり挟みながらパフォーマンスを七曲披露してくれた。
 会場を横長に使ってあって、千二百人全員が比較的近い距離でZYXを観ることができるようになっていた。

 間近で観るZYXの本気のパフォーマンスは圧巻で、圧倒的で、私たちはただただ感動で立ち尽くすしかできなかった。
 特典だからって手抜きしない、全力で歌って踊って、汗を飛び散らせながらライトを浴びてキラキラ輝く三人は、本当に美しくて、とても同じ人間だとは思えないほどだった。
 もっと一生懸命生きよう。彼らを見ていて、そう思った。

 握手会もミニライブも、ファンの満足度をできるだけ上げるべく細やかに配慮されていて、ファンを大事にするZYXの気持ちがいっぱい伝わってくる、最高のイベントだった。

 ライブが終わって外に出たら、もう日が暮れかけていた。

 会場からどっと吐き出されたW/ウィズたちは、一人参戦の人が多いせいか言葉を交わすような様子はほとんど見られないものの、みんな満ち足りた顔をしているように見える。

「伊月この後予定あんの?」
「あ、うん。フォロワーさんで今日来てる人がいて~。お茶して帰ろうって話になってるんだよね。瑞月も来る?」
「俺はもう帰ろうかな。明日仕事だからどうせ遅くまでいられないし」
「え~。感想の共有したいのに……」
「また来週末でも家に行くわ」
「わかったー。安全運転で帰ってね」
「おー。じゃね」
 瑞月は軽く手を挙げて、これといった未練もない様子で歩き出そうとした。
「……やっぱり駐輪場まで送ろうかな」
「いいって、遠いから。三十の弟に過保護すぎ」
「むぅぅ……」
 三十歳でも、私から見たらいつまでもかわいい弟なんだけどな。
 そう思っていたら、ポケットでスマホが震えた。
「あ、フォロワーさんからDM……」
「んじゃ、またね」
「うん、来週ね!」

 少しの心残りを押し込めながら瑞月を見送って、急いでフォロワーさんに返信した。
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