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第3章
2 伊月という存在①
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玄関ドアを開けると、まだ寒さの残る夜の空気の中、白い春コートを着た伊月が立っていた。
「おー」
「こんばんは~」
三連休前の木曜の夜。
今週は普段のスケジュールからすると変則的な訪問だ。水曜までは忙しく、金曜も忙しいので今夜がいいとのことだった。
俺は「土曜でもいいのでは?」と思ったが、伊月なりに予定があるのだろうし、別に不都合もないので言われるままに受け入れた。
「わー、今日もおいしそうな匂い」
「そろそろ冬っぽい料理も終わりかと思って……煮込みハンバーグてきな」
「煮込みハンバーグ!」
伊月を部屋に招き入れて、俺はまたキッチンに戻った。
フライパンの中ではハンバーグがトマトソースに埋まってぐつぐつ煮込まれている。もう仕上げの段階だ。
片や、隣のフライパンではブラックペッパーで炒め終えたばかりのペンネが盛りつけを待っている。
「最近めっちゃ手が込んでません?」
「なんか久しぶりにまともに料理し始めたら楽しくなってきてな」
「趣味だ! ついに理雄先輩に趣味が!」
「お前に食わせるのが趣味ってのもな……」
「これ以上ない至高の趣味」
「どこが」
伊月はウチで風呂を借りるまでは踏み込めないらしく、一度家に帰ってから来るので、こっちは一時間くらい待ち時間がある。
そのため、その時間を使って何か作ろうと思ってしまうのだ。
一人だと料理はよほど気乗りしたときしかしないが、伊月が嬉しそうに食べるのを見ていると、ついつい「また作ってやろう」という気になってしまう。
添い寝するのは週に一、二回。
元々同じくらいのペースで二人で飲みに行ってたから、それがそのまま添い寝の日に変わった感じだ。
おかげで外にはぱったり飲みに行かなくなった。
意外なことに二人とも家では基本的に酒を飲まないタイプだったので、この生活に変わったおかげでちょっとだけ健康的になった。伊月も少し痩せたらしい。
盛りつけの途中で時計を見ると、時刻は二十時半を回っていた。
仕事が定時で終わらなかったときはこのくらい遅くなることがあるものの、軽く食べて寝る以外何かするわけでもないからラクではある。
しかも、俺が風呂に入ってる間に伊月が食器と残っている調理器具を洗ってくれるので、助かっている。
今日は、冷凍保存していた手作りのトマトソースを使ってやや時間短縮しつつ、煮込みハンバーグのペンネ添えを作った。
料理が得意といっても、俺は細やかにあれこれ品数を増やせるタイプではない。
だから基本はワンプレート。もちろん伊月はそれに不満など言わないどころか、毎度こちらが思っている以上に喜んでくれる。
最初の一口目を食べると、伊月はすぐに笑顔になった。
「おいしい~! 先輩とソフレになってよかったぁ」
「そうか」
新しく買い揃えたカトラリー。そのうちのフォークとナイフを使ってハンバーグを食べ、ちまちまペンネを刺して口に運んでいる。
伊月はかわいい。伊月がいると殺風景な部屋も明るくなる。
一人で過ごすのが好きな性分ではあるが、伊月がいることに関しては不思議とストレスを感じることがない。
むしろ、こうして適度な距離感で頼ってくれる人がいるのは、人生にとってプラスな気さえしている。
「握手会が当たった?」
「そうなんです。それで今プレゼントする絵を描いてて、明日中に印刷所に入稿しなきゃいけないんですけど」
「そんな時にウチに来てて大丈夫なのか」
「もう一旦仕上がったので大丈夫です! ていうかこのタイミングで絵から離れて時間を置きたいのもあって……」
「ああ、なるほど」
創作は、時間を置くことで新たな気づきを得ることがある。少しの色合いのニュアンスだったり、造形だったり、配置だったり、特にデジタルだと修正がききやすいから、距離をとって見つめ直すことは有意義だ。
それに、クリエイターには「完成の瞬間」が理屈じゃなくわかるものだ。
きっとまだそこまでたどり着けていなくて、模索している最中なんだろう。
最後の一歩を妥協するか突き詰めるかは、他の誰に伝わらなくともクリエイター自身にとっては大きな差がある。
つまりそれだけ伊月が本気で臨んでいるということだ。
金を稼げるわけでもない「推しへのプレゼント」にそこまで情熱を傾けられるのは、素直に尊敬する。
「もうこんなチャンス一生ないと思うんで~、全身全霊を懸けてます!」
「一生ないってことはないだろ。同じ日本人なんだし、東京住まいだし」
「いやいや、理雄先輩、ジークスの人気ってほんとやばいんですよ! 今回だって超プラチナチケットなのに、これから先なんてもっともっと当たらなくなりますから!」
伊月はスマホを取り出して操作すると、俺の前に画面を差し出した。
そこには、いつも動画で見ている三人組の男たちが表示されている。
「理雄先輩、三人なんですよ、ジークスは」
「はぁ」
「普通はボーイズグループって七人とか、九人とかなんです。メンバーが多いほうがパフォーマンスに迫力出るし、ファンも人数分つくじゃないですか」
「なるほど」
「でもジークスはたった三人で、他のグループに引けを取らないくらい人気なんですよ。本当にすごいことなんですから……!」
「ふーん……」
「まあ現状日本で一番人気とまでは言えないにしても~、ビジュが良い上に個性と才能もえぐいんで、きっとこれからアイドル好き以外の層にもファンが増えていきますよ」
今日は珍しく推しのことをよく語る。
握手会とイラスト制作で、よほど気持ちが高揚しているんだろう。
「で、いつなんだ? 握手会は」
「あ、来週の金曜日です! 金曜の昼間」
「ああ、だから金曜休みになってたのか」
デザイン室のスケジューラーに有休の表示があったのを思い出す。
「もうほんと信じられない。楽しみです。そうだ、弟もライブ当たったんですよ~。一緒に行ってきます!」
「え、弟もファンなの?」
「そうです!」
「男性ファンもいるのか。すげーな、ジークス……」
「そうなんです。でも姉弟で当たった私たちのがすごくないですか??」
どや顔をする伊月に、つい笑ってしまった。
「おー」
「こんばんは~」
三連休前の木曜の夜。
今週は普段のスケジュールからすると変則的な訪問だ。水曜までは忙しく、金曜も忙しいので今夜がいいとのことだった。
俺は「土曜でもいいのでは?」と思ったが、伊月なりに予定があるのだろうし、別に不都合もないので言われるままに受け入れた。
「わー、今日もおいしそうな匂い」
「そろそろ冬っぽい料理も終わりかと思って……煮込みハンバーグてきな」
「煮込みハンバーグ!」
伊月を部屋に招き入れて、俺はまたキッチンに戻った。
フライパンの中ではハンバーグがトマトソースに埋まってぐつぐつ煮込まれている。もう仕上げの段階だ。
片や、隣のフライパンではブラックペッパーで炒め終えたばかりのペンネが盛りつけを待っている。
「最近めっちゃ手が込んでません?」
「なんか久しぶりにまともに料理し始めたら楽しくなってきてな」
「趣味だ! ついに理雄先輩に趣味が!」
「お前に食わせるのが趣味ってのもな……」
「これ以上ない至高の趣味」
「どこが」
伊月はウチで風呂を借りるまでは踏み込めないらしく、一度家に帰ってから来るので、こっちは一時間くらい待ち時間がある。
そのため、その時間を使って何か作ろうと思ってしまうのだ。
一人だと料理はよほど気乗りしたときしかしないが、伊月が嬉しそうに食べるのを見ていると、ついつい「また作ってやろう」という気になってしまう。
添い寝するのは週に一、二回。
元々同じくらいのペースで二人で飲みに行ってたから、それがそのまま添い寝の日に変わった感じだ。
おかげで外にはぱったり飲みに行かなくなった。
意外なことに二人とも家では基本的に酒を飲まないタイプだったので、この生活に変わったおかげでちょっとだけ健康的になった。伊月も少し痩せたらしい。
盛りつけの途中で時計を見ると、時刻は二十時半を回っていた。
仕事が定時で終わらなかったときはこのくらい遅くなることがあるものの、軽く食べて寝る以外何かするわけでもないからラクではある。
しかも、俺が風呂に入ってる間に伊月が食器と残っている調理器具を洗ってくれるので、助かっている。
今日は、冷凍保存していた手作りのトマトソースを使ってやや時間短縮しつつ、煮込みハンバーグのペンネ添えを作った。
料理が得意といっても、俺は細やかにあれこれ品数を増やせるタイプではない。
だから基本はワンプレート。もちろん伊月はそれに不満など言わないどころか、毎度こちらが思っている以上に喜んでくれる。
最初の一口目を食べると、伊月はすぐに笑顔になった。
「おいしい~! 先輩とソフレになってよかったぁ」
「そうか」
新しく買い揃えたカトラリー。そのうちのフォークとナイフを使ってハンバーグを食べ、ちまちまペンネを刺して口に運んでいる。
伊月はかわいい。伊月がいると殺風景な部屋も明るくなる。
一人で過ごすのが好きな性分ではあるが、伊月がいることに関しては不思議とストレスを感じることがない。
むしろ、こうして適度な距離感で頼ってくれる人がいるのは、人生にとってプラスな気さえしている。
「握手会が当たった?」
「そうなんです。それで今プレゼントする絵を描いてて、明日中に印刷所に入稿しなきゃいけないんですけど」
「そんな時にウチに来てて大丈夫なのか」
「もう一旦仕上がったので大丈夫です! ていうかこのタイミングで絵から離れて時間を置きたいのもあって……」
「ああ、なるほど」
創作は、時間を置くことで新たな気づきを得ることがある。少しの色合いのニュアンスだったり、造形だったり、配置だったり、特にデジタルだと修正がききやすいから、距離をとって見つめ直すことは有意義だ。
それに、クリエイターには「完成の瞬間」が理屈じゃなくわかるものだ。
きっとまだそこまでたどり着けていなくて、模索している最中なんだろう。
最後の一歩を妥協するか突き詰めるかは、他の誰に伝わらなくともクリエイター自身にとっては大きな差がある。
つまりそれだけ伊月が本気で臨んでいるということだ。
金を稼げるわけでもない「推しへのプレゼント」にそこまで情熱を傾けられるのは、素直に尊敬する。
「もうこんなチャンス一生ないと思うんで~、全身全霊を懸けてます!」
「一生ないってことはないだろ。同じ日本人なんだし、東京住まいだし」
「いやいや、理雄先輩、ジークスの人気ってほんとやばいんですよ! 今回だって超プラチナチケットなのに、これから先なんてもっともっと当たらなくなりますから!」
伊月はスマホを取り出して操作すると、俺の前に画面を差し出した。
そこには、いつも動画で見ている三人組の男たちが表示されている。
「理雄先輩、三人なんですよ、ジークスは」
「はぁ」
「普通はボーイズグループって七人とか、九人とかなんです。メンバーが多いほうがパフォーマンスに迫力出るし、ファンも人数分つくじゃないですか」
「なるほど」
「でもジークスはたった三人で、他のグループに引けを取らないくらい人気なんですよ。本当にすごいことなんですから……!」
「ふーん……」
「まあ現状日本で一番人気とまでは言えないにしても~、ビジュが良い上に個性と才能もえぐいんで、きっとこれからアイドル好き以外の層にもファンが増えていきますよ」
今日は珍しく推しのことをよく語る。
握手会とイラスト制作で、よほど気持ちが高揚しているんだろう。
「で、いつなんだ? 握手会は」
「あ、来週の金曜日です! 金曜の昼間」
「ああ、だから金曜休みになってたのか」
デザイン室のスケジューラーに有休の表示があったのを思い出す。
「もうほんと信じられない。楽しみです。そうだ、弟もライブ当たったんですよ~。一緒に行ってきます!」
「え、弟もファンなの?」
「そうです!」
「男性ファンもいるのか。すげーな、ジークス……」
「そうなんです。でも姉弟で当たった私たちのがすごくないですか??」
どや顔をする伊月に、つい笑ってしまった。
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