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5.魔眼

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「な、何とか逃げ切れた……」
「危なかったわ。死ぬところだった」
『ホントだよ。もっと俺達を頼れっての』

 氷の魔獣から逃げ切った僕達は森の中を歩いていた。今もシルヴィさんの横に浮かんでいるパギラという存在についていろいろ聞きたい。
 が、今は他に優先することがあった。

「あ、いたいた。パギラ、隠れてて」
『おう、何かあったら出てくるからな』

 森の中に自然に出来たらしい広場で、クメルと取り巻きの女子生徒が疲れ果てた様子で座り込んでいた。
 わざと音を立てて出ていくと、クメルが視線だけでこちらに向けた。

「ふん……逃げ足は一人前のようだな」

 どうやら、まだ憎まれ口を叩くくらいの元気はあるようだ。

「無事だったみたいだね。先生たちが助けにくるらしいからそれまで……」
「何様だ貴様! 何で生きている! お前らは森で魔獣の餌になっているはずだぞ! いや、そもそもお前のような者が今回の事態を引き起こしたのではないか? そうだ、最初からおかしかった。私の計算が……」

 立ち上がり、いきなり僕に向かってとんでもないことをまくし立て始めた。
 表情にあるのは怒りでは無く、恐怖と焦りだ。きっとまだ、自分の起こしたこと、今起きていることを受け入れられないんだろう。
 落ち着かせよう、と僕が思った時だった。
 横に居たメルヴィさんがクメルの顔を殴り飛ばした。

「ごぶっ」
「クメル様!」

 吹き飛んだクメルに女子生徒が慌てて駆け寄る。
 その様子をシルヴィさんは冷たい目で見下ろしていた。

「ごめんなさい。怒りのあまり殴ってしまったわ。拳で」
「貴様、私を殴ってただで済むと……」

 あれだけ吹き飛んで気絶しなかったクメルが、起き上がりながら呻く。口から血が出ている。体重の乗ったいいパンチだった。

「ただで済まないのは貴方です。あの湖の魔法陣に手を加えたでしょう? それでこの事態を引き起こした。厳しい処分が為されるでしょう」
「なんだと。貴様にそんなことがわかるわけが……」

 言葉の途中でクメルの目が見開かれた。
 彼の目線はシルヴィさんが取り出したものに釘付けだった。
 彼女の手にあったのは書物と翼が描かれた徽章。
 魔術学園が卒業生に送る、正規魔法使いの徽章だ。

「私は正規の魔法使い。わけあって、ここで勉強しているけれどね。今回の実習の任務は二つ、真剣を授業を受けること、それと危険な事態を起こしそうな者を監視すること。この件は校長に報告します」
「なんだと。しかし、校長に報告した程度で……」

 冷たい目のままシルヴィさんはクメルに杖を向ける。

「なんなら、貴方はここで魔獣に殺されたことにしてもいいんですよ? というか、そうしましょうか? 貴方、たしか貴族の三男坊よね? 学園で事件を起こした犯人になるより、事件で勇敢に戦って死んだ方が、ご家族も困らないんじゃない?」
「…………ま、待て」

 怯えたクメルの叫び。しかし、シルヴィさんの杖は徐々に光を帯びていく。

「嫌です。待ちません。ここで氷漬けになって死んでください」
「ちょっとメルヴィさん、脅かし過ぎだよ。やめて」

 慌てて僕が割って入ると、訝しげな顔でシルヴィさんが言う。

「なんで止めるの? 彼は自分の家の権力に頼った上、いわれの無い差別でアイセス君や私が死ぬようなことを企んだ。当然の報いでしょう?」
「何もシルヴィさんが手を汚すことはないよ。それに、あんまりにも酷ければ、僕だって反撃してたよ」

 クメルに対して思うところがないでもないが、ここでシルヴィさんが人殺しをするところは見たくない。たとえそれが彼女の魔女としての本性であるとしても。
 そんな自分勝手な主張を理解してくれたのか、シルヴィさんは杖を下ろした。

「……わかりました。貴方達、アイセス君に感謝してください。命は見逃してあげます。…ただし、私個人として、罰は与えます」

 呪文と共にシルヴィさんが杖を振った。止める間もない、一瞬の仕事だった。
 クメルと女子生徒の額に魔法陣が浮かび上がった。

「な、何をした! 魔女め!」
「ちょっとした呪いよ。今後、貴方がアイセス君を害そうとしたら、全身に激痛が走るの。大したことないでしょ?」
「な、なんだと!」
「彼のおかげで命拾いしたのよ。安い代償でしょう?」

 シルヴィさんの冷たい物言い。わかりやすい挑発に怒って拳を振り上げようとしたクメルを、女子生徒が止めた。

「クメル様……。素直に引き上げましょう」

 いつも一緒にいる女子の顔を見て、クメルは表情を歪めた。

「……わかった。寛大な処置、感謝する。死ぬよりは……マシだ」

 そう言って、クメル達は森の奥へと消えた。他の生徒たちと合流するために。

 それを見届けてから、僕たちはその場で作戦会議を始めた。

「時間もないけれど。説明が必要よね。パギラ」
『おう、ここにいるぜ』

 シルヴィさんに答えて、再びパギラが現れた。ずっと見ていたはずだ。全然気配はなかったけれど。

「えっと、その人? 幻獣……だよね?」

 幻獣。幻の獣と呼ばれる希少存在。世界のどこかにあるという幻獣の森に住むと言われている。
 一説によると幻獣の森は学園と同じく異界にあり、そこに至れるのは選ばれし者だけだとか

『流石学生だな。よく勉強してるじゃねぇか。俺は幻竜パギラだ。よろしくな』

 体を明滅させながら、パギラはくるりと空中で一回転した。彼流の挨拶だろうか?

「パギラは私の一番仲良しの幻獣なの。だから、呼びかけに答えてくれた」

 愛おしそうにパギラをなでるシルヴィさん。幻竜はそれを穏やかに受け入れていた。
 その様子から二人の信頼関係が窺えた。

「シルヴィさんは普通の魔女だと思ってたよ」
「普通の魔女よ? 幻獣の魔女と種類なだけ。この魔法学園と同じように、世界と隔絶された空間にある、幻獣の森に迷い込んだ人間のなれの果てが私なの」
『シルヴィは子供の頃に幻獣の森に迷い込んでな。そこで過ごすうちに幻獣王から眼を授かった上で、世の中のことを学ぶためにこの学園に来たのさ』

 それはかなり大変な話なのでは? と思ったが、仲睦まじい二人を見てはとても言い出せなかった。

「それは、先生達は知ってるの?」

 幻獣の森は伝説の存在だ。そんな場所と関わりの深い人物がいるなんて大事だろうに。

「校長先生をはじめとして、何人かは事情を知ってるわ。私は幻獣達から魔法を教わったから、すごく偏ってるの。実力的にはすぐにでも魔法使いになれるってことで、徽章を頂いたんだけどね」
『ま、勉強するのはいいことだ。人間の友達もできたしな。少ないけど』
「パギラ、余計なこと言わない」
『…………』

 パギラがぴたっと黙った。すごい。あんなに強い幻獣なのに。

「あの、今の説明で納得してもらえたかしら? もし不満なら、後でもっと詳しく説明するけど……」

 そう言うシルヴィさんはちょっと不安そうだった。出自が出自だ、自分のことを話すなんて初めてのことだったのだろう。

「驚いたけど。まあ、なんとなく事情は把握したよ。それで、この後どうしようか? 僕たちも避難する?」

 僕の問いにシルヴィさんは即答した。

「氷の魔獣を倒そうと思うわ。見てわかったけれど、あれは元は幻獣なの」

 迷いの無い、明らかに既に決めていた回答だった。何となく、そう言うとは思ってたけど。

「わかった。って、幻獣? でも、理性とかなさそうだったけど」

 幻獣は高い知性を持つとされる。パギラもそう見える。しかし、あの氷の魔獣には知性らしいものは見えなかった。

『あれは狂った幻獣だな。何が原因でそうなったかわからねぇが、どうしようもなく、おかしくなっちまってる』
「狂った幻獣は楽にしてあげるのが、幻獣王の眼を持つ私の使命なの。元々は、あの子を正常に戻す魔法陣を見るのが目的だったんだけどね」
『魔法陣があのままなら、あと1000年もすれば正気に戻ったんだがなぁ』

 寂しそうにいうシルヴィと、仕方ねぇという様子のパギラ。
 僕にとってはただの実習だけど、二人にとってはそうでもなかったわけか。
 それはそれとして、気になることがあった。

「あの、失礼な言い方だけど。あれに勝てるの?」
「…………」
『…………』

 二人とも、いきなり沈黙した。

「あ、ごめんなさい。二人なら大丈夫だよね」
『いや、いい質問だぜ。あの魔獣は手強い。俺とシルヴィだけじゃギリだな』
「そうね。あと何人か森から友達を呼ばなきゃ」

 あのパギラの攻撃を見た後だと、簡単そうに見えたけど、そうでもないらしい。本当に面倒なのが目覚めちゃったな。
 でも、シルヴィさんが幻獣を呼んでくれるなら、何とかなるかな?
 そう考えていると、パギラが僕の目の前に来て言った。
 
『シルヴィは簡単に言ってるがな、幻獣を呼び出すためには眼を使わなきゃいけない。結構負担がかかるんだ』
「パギラ、何を……」
『アイセス、お前ならわかるんじゃないか?』
「……そうだね。わかるよ」

 言いながら、僕は自然と自分の眼に触れていた。そうだよね、何も無いわけないか。
 パギラは僕の前で、頭を下げながら言う。

『なあ、アイセス。力を貸してくれないか? お前の眼ならあの魔獣をどうにかできるだろ?』

 それは懇願だった。多分、この幻獣はシルヴィさんを本気で心配している。

「何を言ってるの? これは私達の問題でしょう。アイセス君を巻き込むわけにはいかない」
「もう巻き込まれてるよ、シルヴィさん」
「あ……ごめんなさい」

 頭を下げるシルヴィさん。素直なその姿が、クメルの前で見せた魔女らしい仕草と落差が大きい。

「謝ることじゃないよ。パギラ、君の言う通りだ。でも、僕はこの眼を使うのが怖いんだ。使うとどうなるかわからない、得体のしれない眼だから」

 わかっているのは火の力に属することだけ。多分、火力は非常に強い。僕が望めば望んだだけの力を発揮すると思う。

『安心しろ。俺が使い方を教えてやる。しかも、あいつを倒した後にその眼の正体も教えてやろう。どうだ?』
「……本当に?」

 嬉しいけど、あんまりにも唐突な申し出だった。
 こんなに簡単に。こんなにあっさりと。僕が求めていた答えに到達できていいんだろうか?

「パギラ、嘘を言ってないでしょうね?」

 疑わしい、棘のある声音で言うシルヴィさん。気持ちはよくわかる。

『あ、安心しろよ。アイセスの眼は俺達幻獣なら間違えようがないものなんだ。俺はつまんねぇ嘘はつかねぇよ』

 シルヴィさんはため息を一つついた。

「アイセス君、パギラはこう見えて信用できる幻獣よ。竜は約束を守る種族なの。だからお願い、力を貸して貰えると嬉しいかな」
『頼むぜ。シルヴィの眼はあんま使わせたくないんだ』
「こら、アイセス君を心配させるようなこと言わないの」
『だってよお……」

 何だか微笑ましい。
 決めた。乗りかかった船というやつだ。

「わかった。僕に出来ることなら協力させてよ」
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