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4.白銀の湖
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「何かしら、この感じ……」
翌朝、目覚めてすぐにシルヴィさんが困惑した様子でそう告げた。
彼女は荷物の整理もそこそこに杖を降り始めた。何かの木で出来た杖はたまに緑の光が散る。僕にはわからない力で何かを見ているみたいだ。
「どうしたの? 大分深刻な感じだけど」
「森の様子がおかしい。何だろう、怯えてる?」
彼女の表情は深刻なものだった。
「多分、目的地の湖で何か起きてるわ。はっきりとわからないけれど」
「ええっ、確かにこの森はそれなりに危険だけど、僕らの実力なら大丈夫な程度のはずだけど」
「急ぎましょう。心配だわ」
言葉と同時にメルヴィさんは出発した。僕は慌てて荷物をまとめて追いかけていく。
彼女は相変わらず、迷い無く森の中を歩く。
魔女には色んな種類がいるらしいけれど、何の魔女なんだろうか。森の魔女とか?
失礼じゃないなら、後で聞いてみよう。
周囲を警戒しつつ、黒いローブの後ろ姿を見ながら、そんなことを考える。
森の中を歩く内に不思議なことがおきた。
何故かだんだんと寒くなっている。気温が低いなんてものじゃない。まるで真冬の寒さだ
僕の気のせいではなく、実際、並んで歩くシルヴィさんの吐く息が白くなっていた。
「なんか、寒くなってきてるような……」
「気のせいじゃないわ。不味いわね、どうしてそんなことに?」
「もしかして、何が起きたかわかってるの?」
シルヴィさんの口ぶりは明らかに何が起きているから見当がついている様子だった。
「白銀の森の湖は封印する魔獣を浄化するためのもの。実習の目的は湖を覆うように作られた封印の魔法陣への魔力供給」
「それは、知ってるけど……」
実習の前に受けた説明だと、毎年の魔力供給のおかげで封印は頑健そのもの。僕らに危険はないとのことだった。
「ここからは知り合いの魔女に聞いた話なんだけどね……」
シルヴィさんは歩みを止めて、僕の方を振り返って言う。眼鏡の向こうの瞳に冗談を言っている様子は無い。
「封じられているのは氷の魔獣。かなり弱体化しているけれど、解放されれば、この辺りの森を氷で閉ざすくらいの力があるそうよ」
とんでもない化け物だ。軍隊の儀式魔法並の威力じゃないか。
「で、でもそんなことは起きないんじゃ? 生徒の実習で出来るくらい安全な仕事でしょ?」
「湖の魔法陣は相当絶妙な作りになっている。でも、古くて研究され尽くしているから、ちょっと才能のある生徒なら手を加える余地があるように見えるから気をつけてって話をされたの」
「いや、流石にそんなうかつなことをする人が……」
そのとき、僕の脳裏を馬鹿貴族の顔がよぎった。
クメルは貴族の三男坊でどうしようもない性格だが、魔法に関する才能と情熱だけは本物だ。
「いるね……」
「杞憂であって欲しいわね。急ぎましょう」
答えはすぐに出た。
僕たちが歩みを早めると、意外と早く湖が現れたのだ。
「これは……」
「どうやら、最悪の状況みたいね。あの馬鹿貴族の才能を甘く見てたわ」
湖は凍結していた。
凍れる湖の端に大きな影が見えた。
巨大な氷の亀?
いや、首が長い。
「氷の……竜?」
「見た目は似てるけどね。厳密には違うらしいわ。出来れば現物を見たく無かったけど」
目を細めてじっくりと観察する。シルヴィさんは違うと言ったが、やはり竜に見える。
森の中で会った魔獣とは桁が違う。
ここは逃げようと言おうと思った時だった。
声が聞こえた。
「……っ!」
声の源は魔獣の近く。よく見れば、魔法の光が見える。
「人がいる!」
「っ! ちょっと待ってて」
そう言うとシルヴィさんは短い呪文を唱えてから杖を掲げた。
杖の先から緑色の火花が音も無く、空高く上がっていく。
「今のは?」
「魔法による信号。実習を監視してる先生に緊急事態を伝えたわ。行きましょう」
「メルヴィさん、本当にただの生徒なの?」
「あら? 私、ただの生徒です、なんて一言でも言ったかしら?」
悪戯っぽく笑みを残して、メルヴィさんは魔獣に向かって駆けだした。
僕は慌てて、それを追いかけるのだった。
○○○
氷の魔獣に近づくうちに戦っている生徒の正体がわかった。
残念な事に予想通り。僕たちを置いていった馬鹿貴族のクメルが取り巻きと共に居た。
「あいつら、一番乗りだったのか」
「性格はともかく成績は優秀だったものね。それで余計なことを起こしたわけだけれど。……どうしましょ。放っておくと死ぬわ」
「いや、もう既に一人、少ない……」
僕の視界には下半身が氷漬けになってる男子生徒が見えた。
クイルの取り巻きの一人だ。上半身は無事だが、もう動く様子は無い。
「意識は無さそうだけど、すぐにあの魔獣を倒せば助かるかもしれないわ」
「それは良いことだけど。あれを倒すの?」
助ける助けない以前に前提条件が厳しすぎる。せいぜい見習い魔法使い程度の実力しかない学生には難しい話だ。
「ちょっと厳しいわね。あの馬鹿共を助けることならできそう?」
「それなら何とか……」
気は進まないけど、ここで死なれるのも後味が悪い。出来れば生きたまま報いを受けて欲しい。
「じゃ、まずはそちらを優先しましょう。ただし、私達の安全も優先よ」
「それでお願いします」
僕の了承を得ると、シルヴィさんは堂々と魔獣に向かって歩いていく。
とんでもない度胸だ。魔女だからか、性格なのかわからないが、彼女の意志は変えられない。
これはきっと止めても駄目だ。
いざとなったら、全力で力を使おう。
魔獣に近づくにつれ、戦場の様子がはっきり見えてきた。
不思議なことに魔獣はこちらに気づかない。もしかしたらシルヴィさんが何かしたのかもしれない。
クメルと取り巻きの女子生徒はボロボロの状態でも何とか生きていた。
魔法の力で魔獣の攻撃から必死に逃れ続けているのだ。
大したことだけれど、彼らの実力では逃げ切れないことを状況が教えてくれている。
「助けると決めたものの、あれに割って入るのか……」
氷の魔獣の攻撃は苛烈だった。
見た目は竜の首を持った亀で、首の長さまで含めると人間の4倍以上の巨体。その大きさの割に動きは素早く、牙や爪でクメル達を追い詰めていた。
一撃でも貰ったら、命が危ない。
危険なんてもんじゃない、学生が戦っちゃいけない相手だ。
「アイセス君、注意を逸らしてくれるかしら? そうすれば私が何とかするわ」
暴れる魔獣を見ながら、焦った様子もなくシルヴィさんが言った。手にした杖が複雑な動きをする。何らかの魔法の準備だ。
ここは魔女の力を信じるしか無い。
改めて、魔獣とクメル達を観察する。
動きは速いが、何とか追えそうだ。
時間稼ぎくらいなら、出来るように思えた。
「少しの時間なら、囮が出来ると思います」
「念のため言っておくけど、危険よ? 命の保証も無い」
「逃げ足には自身があるんで、危なくなったらクメル達を見捨てます」
「良い台詞だわ。そうならないように、頑張りましょう」
魔女から同意を貰って、僕は魔獣にこっそり接近した。
幸い、魔獣は僕には気づかず、相変わらずクメル達を追っている。封印を解いた彼らを最初の獲物にでも決めたのかもしれない。
「よし……」
投げ矢を取り出す。当たったら爆発する、手持ちで一番強力なやつだ。
表面の紋章をなでて魔力を流すだけでもかなりの威力を発揮するけど、今回はもう一工夫する。
僕は両目を見開き、投げ矢をじっと見た。視線に力を込める。強く、強く火の力を意識する。
銀色の金属製だった投げ矢が、まるで赤熱しているかのように真っ赤になった。
完成だ。
「行きます!」
僕は戦場に飛び込んだ。
○○○
僕は魔獣と逃げ惑うクメル達の間に飛び込む。
「貴様! 悪魔の目の!」
この状況でも僕を罵るなんて随分余裕じゃないか。
悪いけど、僕にはそんな余裕は無い。
「僕のことはいいから早く逃げて! 倒せる相手じゃないよ!」
いきなり乱入してきた魔獣は僕を見定めるように見つめていた。今なら離脱できる。
「クメル様……!」
「クソッ!」
クメルと取り巻きはすぐに逃げ出した。速い判断だ。
「ウォオォォオォ!!」
獲物が逃げたことに気づき、怒りの叫びをあげる魔獣。
悪いけど、お前に付き合う道理は無い。
僕は投げ矢を投擲した。
投げ矢は施された魔法の力で一気に加速。僕の細工の効果もあり、紅い軌跡を残して一直線に魔獣に向かう。
このまま魔獣に当たって爆発。それで怯んだ隙に僕は逃げるつもりだった。
しかし、投げ矢は不発だった。
当たる直前に凍結したのだ。
「もしかして、名前の通り氷の魔力が……?」
氷の魔獣の周囲を取り巻く氷の魔力によって凍った?
頭が自然とそんな推測をしている内に、魔獣これまでにない動きをした。
竜を思わせる頭部、その大きな口が開かれた。
「あれは……」
「氷のブレスよ! 避けて!」
後ろから叫び声が聞こえた。クメルの取り巻きの女子だ。
逃げたと思ったけど、森に入っていなかったのか。
「目の前に居てブレスを避けろって……」
伝説によると竜のブレスの範囲は物凄く広い。魔獣のブレスがそれに近いとすれば、このまま氷漬けだ。
「仕方ない……」
僕が覚悟を決めた時だった。
魔獣の顔の横で連続で爆発が起きた。
その衝撃で、魔獣が揺らぎ、隙が出来た。
「こっちよ! アイセス君!」
シルヴィさんの声が聞こえた。彼女はすぐ近くに居た。
魔女が杖を振る。緑色の光の飛沫が散り、追加の火球が生み出される。
火球が魔獣に当たるのを確認せずに、僕はシルヴィさんの方へと逃げ去った。
数瞬後、爆発音と獣の雄叫びが聞こえた。
「た、助かった……」
シルヴィさんの近くまで来て安心した僕。
しかし、投げかけられたのは苦い言葉だった。
「まだよ。今の魔法、全然効いてない。時間稼いで逃げるつもりだったんだけどね」
見れば氷の魔獣がこちらを睨んでいた。
それだけじゃない。
凍った湖から次々と氷の狼が生みだされていた。
森の中で戦ったのとは違い、全部が氷で出来ている狼。どう見ても、まともじゃないやつだ。
「あれも化け物だ……」
「よし。あの小さいのは眷属と呼びましょう」
「冷静に言ってる場合じゃないよ! くそっ、こうなったら……」
「大丈夫。時間稼ぎの方法は他にもあるわ」
そう言ってシルヴィさんは眼鏡を外した
それから僕は見た。
シルヴィさんの両目が本当の意味で開くのを。
緑がかった瞳が輝き、その中央に黄金色に輝く円が見えた。
そう認識した時、彼女の視線が光に包まれた。
言葉通りの意味。シルヴィさんと魔獣の間で緑と金が入り交じった光の飛沫の道が出来たのだ。
魔眼で見るって、こういうことなのか……。
「幻獣王の名に置いて。静まり給え、怒れる幻獣よ……」
眷属たちが後ずさって固まった。まるで、シルヴィさんを恐れるように。
しかし、魔獣は違った。
奴は何かを振り払うよう体をくねらせて咆哮。
そして再びこちらを睨み付けてきた。
その視線にはどうしようもないほどの怒りが込められていた。
「駄目、力が強すぎる! お願い! 誰か助けに来て!」
瞳を緑色に輝かせながらシルヴィさんが叫ぶと、空中に複雑な紋様が浮かんだ。
見たことのない紋様だ。僕の知っている魔法じゃ無い。
これは魔法陣というより扉だな、という印象を僕が受けた時だった。
紋様からゆっくりと何かが出てきた。
現れたのは人間くらいの大きさの蜥蜴っぽい見た目の生き物だ。
全身がうっすら光り輝き、時々向こう側が透けている。
竜だ。何故か、僕は自然とそう思考した。
『助けに来たぜ、メルヴィ! もっと早く呼びな!』
輝き、たゆたう竜は、見た目とは裏腹に元気で力強い声を上げた。
「助かるわ。パギラ、しばらくの間、あの魔獣を止められる?」
『勿論よ! おらよ! 少しじっとしてな!』
パギラと呼ばれた存在が叫ぶと同時、僕の周囲が光に包まれた。
一瞬の閃光。その正体はパギラが全身から光輝く魔力の刃を飛ばした証拠だった。
光の刃は氷の魔獣と眷属達を猛烈な勢いで切り刻んでいく。とんでもない力だ。
「今のうち、逃げるわよ!」
呆然とする僕の手を引き、シルヴィさんが叫んだ。
見れば、彼女はもう眼鏡をかけ直していた。
攻撃を受けた魔獣を置いて、僕たちは森へ逃げ込んだ。
翌朝、目覚めてすぐにシルヴィさんが困惑した様子でそう告げた。
彼女は荷物の整理もそこそこに杖を降り始めた。何かの木で出来た杖はたまに緑の光が散る。僕にはわからない力で何かを見ているみたいだ。
「どうしたの? 大分深刻な感じだけど」
「森の様子がおかしい。何だろう、怯えてる?」
彼女の表情は深刻なものだった。
「多分、目的地の湖で何か起きてるわ。はっきりとわからないけれど」
「ええっ、確かにこの森はそれなりに危険だけど、僕らの実力なら大丈夫な程度のはずだけど」
「急ぎましょう。心配だわ」
言葉と同時にメルヴィさんは出発した。僕は慌てて荷物をまとめて追いかけていく。
彼女は相変わらず、迷い無く森の中を歩く。
魔女には色んな種類がいるらしいけれど、何の魔女なんだろうか。森の魔女とか?
失礼じゃないなら、後で聞いてみよう。
周囲を警戒しつつ、黒いローブの後ろ姿を見ながら、そんなことを考える。
森の中を歩く内に不思議なことがおきた。
何故かだんだんと寒くなっている。気温が低いなんてものじゃない。まるで真冬の寒さだ
僕の気のせいではなく、実際、並んで歩くシルヴィさんの吐く息が白くなっていた。
「なんか、寒くなってきてるような……」
「気のせいじゃないわ。不味いわね、どうしてそんなことに?」
「もしかして、何が起きたかわかってるの?」
シルヴィさんの口ぶりは明らかに何が起きているから見当がついている様子だった。
「白銀の森の湖は封印する魔獣を浄化するためのもの。実習の目的は湖を覆うように作られた封印の魔法陣への魔力供給」
「それは、知ってるけど……」
実習の前に受けた説明だと、毎年の魔力供給のおかげで封印は頑健そのもの。僕らに危険はないとのことだった。
「ここからは知り合いの魔女に聞いた話なんだけどね……」
シルヴィさんは歩みを止めて、僕の方を振り返って言う。眼鏡の向こうの瞳に冗談を言っている様子は無い。
「封じられているのは氷の魔獣。かなり弱体化しているけれど、解放されれば、この辺りの森を氷で閉ざすくらいの力があるそうよ」
とんでもない化け物だ。軍隊の儀式魔法並の威力じゃないか。
「で、でもそんなことは起きないんじゃ? 生徒の実習で出来るくらい安全な仕事でしょ?」
「湖の魔法陣は相当絶妙な作りになっている。でも、古くて研究され尽くしているから、ちょっと才能のある生徒なら手を加える余地があるように見えるから気をつけてって話をされたの」
「いや、流石にそんなうかつなことをする人が……」
そのとき、僕の脳裏を馬鹿貴族の顔がよぎった。
クメルは貴族の三男坊でどうしようもない性格だが、魔法に関する才能と情熱だけは本物だ。
「いるね……」
「杞憂であって欲しいわね。急ぎましょう」
答えはすぐに出た。
僕たちが歩みを早めると、意外と早く湖が現れたのだ。
「これは……」
「どうやら、最悪の状況みたいね。あの馬鹿貴族の才能を甘く見てたわ」
湖は凍結していた。
凍れる湖の端に大きな影が見えた。
巨大な氷の亀?
いや、首が長い。
「氷の……竜?」
「見た目は似てるけどね。厳密には違うらしいわ。出来れば現物を見たく無かったけど」
目を細めてじっくりと観察する。シルヴィさんは違うと言ったが、やはり竜に見える。
森の中で会った魔獣とは桁が違う。
ここは逃げようと言おうと思った時だった。
声が聞こえた。
「……っ!」
声の源は魔獣の近く。よく見れば、魔法の光が見える。
「人がいる!」
「っ! ちょっと待ってて」
そう言うとシルヴィさんは短い呪文を唱えてから杖を掲げた。
杖の先から緑色の火花が音も無く、空高く上がっていく。
「今のは?」
「魔法による信号。実習を監視してる先生に緊急事態を伝えたわ。行きましょう」
「メルヴィさん、本当にただの生徒なの?」
「あら? 私、ただの生徒です、なんて一言でも言ったかしら?」
悪戯っぽく笑みを残して、メルヴィさんは魔獣に向かって駆けだした。
僕は慌てて、それを追いかけるのだった。
○○○
氷の魔獣に近づくうちに戦っている生徒の正体がわかった。
残念な事に予想通り。僕たちを置いていった馬鹿貴族のクメルが取り巻きと共に居た。
「あいつら、一番乗りだったのか」
「性格はともかく成績は優秀だったものね。それで余計なことを起こしたわけだけれど。……どうしましょ。放っておくと死ぬわ」
「いや、もう既に一人、少ない……」
僕の視界には下半身が氷漬けになってる男子生徒が見えた。
クイルの取り巻きの一人だ。上半身は無事だが、もう動く様子は無い。
「意識は無さそうだけど、すぐにあの魔獣を倒せば助かるかもしれないわ」
「それは良いことだけど。あれを倒すの?」
助ける助けない以前に前提条件が厳しすぎる。せいぜい見習い魔法使い程度の実力しかない学生には難しい話だ。
「ちょっと厳しいわね。あの馬鹿共を助けることならできそう?」
「それなら何とか……」
気は進まないけど、ここで死なれるのも後味が悪い。出来れば生きたまま報いを受けて欲しい。
「じゃ、まずはそちらを優先しましょう。ただし、私達の安全も優先よ」
「それでお願いします」
僕の了承を得ると、シルヴィさんは堂々と魔獣に向かって歩いていく。
とんでもない度胸だ。魔女だからか、性格なのかわからないが、彼女の意志は変えられない。
これはきっと止めても駄目だ。
いざとなったら、全力で力を使おう。
魔獣に近づくにつれ、戦場の様子がはっきり見えてきた。
不思議なことに魔獣はこちらに気づかない。もしかしたらシルヴィさんが何かしたのかもしれない。
クメルと取り巻きの女子生徒はボロボロの状態でも何とか生きていた。
魔法の力で魔獣の攻撃から必死に逃れ続けているのだ。
大したことだけれど、彼らの実力では逃げ切れないことを状況が教えてくれている。
「助けると決めたものの、あれに割って入るのか……」
氷の魔獣の攻撃は苛烈だった。
見た目は竜の首を持った亀で、首の長さまで含めると人間の4倍以上の巨体。その大きさの割に動きは素早く、牙や爪でクメル達を追い詰めていた。
一撃でも貰ったら、命が危ない。
危険なんてもんじゃない、学生が戦っちゃいけない相手だ。
「アイセス君、注意を逸らしてくれるかしら? そうすれば私が何とかするわ」
暴れる魔獣を見ながら、焦った様子もなくシルヴィさんが言った。手にした杖が複雑な動きをする。何らかの魔法の準備だ。
ここは魔女の力を信じるしか無い。
改めて、魔獣とクメル達を観察する。
動きは速いが、何とか追えそうだ。
時間稼ぎくらいなら、出来るように思えた。
「少しの時間なら、囮が出来ると思います」
「念のため言っておくけど、危険よ? 命の保証も無い」
「逃げ足には自身があるんで、危なくなったらクメル達を見捨てます」
「良い台詞だわ。そうならないように、頑張りましょう」
魔女から同意を貰って、僕は魔獣にこっそり接近した。
幸い、魔獣は僕には気づかず、相変わらずクメル達を追っている。封印を解いた彼らを最初の獲物にでも決めたのかもしれない。
「よし……」
投げ矢を取り出す。当たったら爆発する、手持ちで一番強力なやつだ。
表面の紋章をなでて魔力を流すだけでもかなりの威力を発揮するけど、今回はもう一工夫する。
僕は両目を見開き、投げ矢をじっと見た。視線に力を込める。強く、強く火の力を意識する。
銀色の金属製だった投げ矢が、まるで赤熱しているかのように真っ赤になった。
完成だ。
「行きます!」
僕は戦場に飛び込んだ。
○○○
僕は魔獣と逃げ惑うクメル達の間に飛び込む。
「貴様! 悪魔の目の!」
この状況でも僕を罵るなんて随分余裕じゃないか。
悪いけど、僕にはそんな余裕は無い。
「僕のことはいいから早く逃げて! 倒せる相手じゃないよ!」
いきなり乱入してきた魔獣は僕を見定めるように見つめていた。今なら離脱できる。
「クメル様……!」
「クソッ!」
クメルと取り巻きはすぐに逃げ出した。速い判断だ。
「ウォオォォオォ!!」
獲物が逃げたことに気づき、怒りの叫びをあげる魔獣。
悪いけど、お前に付き合う道理は無い。
僕は投げ矢を投擲した。
投げ矢は施された魔法の力で一気に加速。僕の細工の効果もあり、紅い軌跡を残して一直線に魔獣に向かう。
このまま魔獣に当たって爆発。それで怯んだ隙に僕は逃げるつもりだった。
しかし、投げ矢は不発だった。
当たる直前に凍結したのだ。
「もしかして、名前の通り氷の魔力が……?」
氷の魔獣の周囲を取り巻く氷の魔力によって凍った?
頭が自然とそんな推測をしている内に、魔獣これまでにない動きをした。
竜を思わせる頭部、その大きな口が開かれた。
「あれは……」
「氷のブレスよ! 避けて!」
後ろから叫び声が聞こえた。クメルの取り巻きの女子だ。
逃げたと思ったけど、森に入っていなかったのか。
「目の前に居てブレスを避けろって……」
伝説によると竜のブレスの範囲は物凄く広い。魔獣のブレスがそれに近いとすれば、このまま氷漬けだ。
「仕方ない……」
僕が覚悟を決めた時だった。
魔獣の顔の横で連続で爆発が起きた。
その衝撃で、魔獣が揺らぎ、隙が出来た。
「こっちよ! アイセス君!」
シルヴィさんの声が聞こえた。彼女はすぐ近くに居た。
魔女が杖を振る。緑色の光の飛沫が散り、追加の火球が生み出される。
火球が魔獣に当たるのを確認せずに、僕はシルヴィさんの方へと逃げ去った。
数瞬後、爆発音と獣の雄叫びが聞こえた。
「た、助かった……」
シルヴィさんの近くまで来て安心した僕。
しかし、投げかけられたのは苦い言葉だった。
「まだよ。今の魔法、全然効いてない。時間稼いで逃げるつもりだったんだけどね」
見れば氷の魔獣がこちらを睨んでいた。
それだけじゃない。
凍った湖から次々と氷の狼が生みだされていた。
森の中で戦ったのとは違い、全部が氷で出来ている狼。どう見ても、まともじゃないやつだ。
「あれも化け物だ……」
「よし。あの小さいのは眷属と呼びましょう」
「冷静に言ってる場合じゃないよ! くそっ、こうなったら……」
「大丈夫。時間稼ぎの方法は他にもあるわ」
そう言ってシルヴィさんは眼鏡を外した
それから僕は見た。
シルヴィさんの両目が本当の意味で開くのを。
緑がかった瞳が輝き、その中央に黄金色に輝く円が見えた。
そう認識した時、彼女の視線が光に包まれた。
言葉通りの意味。シルヴィさんと魔獣の間で緑と金が入り交じった光の飛沫の道が出来たのだ。
魔眼で見るって、こういうことなのか……。
「幻獣王の名に置いて。静まり給え、怒れる幻獣よ……」
眷属たちが後ずさって固まった。まるで、シルヴィさんを恐れるように。
しかし、魔獣は違った。
奴は何かを振り払うよう体をくねらせて咆哮。
そして再びこちらを睨み付けてきた。
その視線にはどうしようもないほどの怒りが込められていた。
「駄目、力が強すぎる! お願い! 誰か助けに来て!」
瞳を緑色に輝かせながらシルヴィさんが叫ぶと、空中に複雑な紋様が浮かんだ。
見たことのない紋様だ。僕の知っている魔法じゃ無い。
これは魔法陣というより扉だな、という印象を僕が受けた時だった。
紋様からゆっくりと何かが出てきた。
現れたのは人間くらいの大きさの蜥蜴っぽい見た目の生き物だ。
全身がうっすら光り輝き、時々向こう側が透けている。
竜だ。何故か、僕は自然とそう思考した。
『助けに来たぜ、メルヴィ! もっと早く呼びな!』
輝き、たゆたう竜は、見た目とは裏腹に元気で力強い声を上げた。
「助かるわ。パギラ、しばらくの間、あの魔獣を止められる?」
『勿論よ! おらよ! 少しじっとしてな!』
パギラと呼ばれた存在が叫ぶと同時、僕の周囲が光に包まれた。
一瞬の閃光。その正体はパギラが全身から光輝く魔力の刃を飛ばした証拠だった。
光の刃は氷の魔獣と眷属達を猛烈な勢いで切り刻んでいく。とんでもない力だ。
「今のうち、逃げるわよ!」
呆然とする僕の手を引き、シルヴィさんが叫んだ。
見れば、彼女はもう眼鏡をかけ直していた。
攻撃を受けた魔獣を置いて、僕たちは森へ逃げ込んだ。
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