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第二章
第二十一話
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黒田ゼミの合宿はあっという間に閉幕した。夏樹はこの合宿についての記憶がほとんどない。自分がどういう発表でどういう批判を受けたのかもはっきりと覚えていない。レジュメの余白に埋め尽くされたメモは走り書きでよく読めず、夏樹が覚えていることといえば合宿所についた途端、先輩らが大広間の準備を一斉にはじめたこと、合宿の休憩時間に金縁の丸眼鏡をかけた先輩から煙草を一本勧められたこと、その煙草が銘柄廃止になったばかりのゴールデンバットだったこと、その程度である。
三船家より三日前に徳之島に着いた夏樹は、両親に恋人家族の訪問をつたえた。両親ははじめ沈着し、それは名家然とした態度だったが、秋子の父親が一部上場企業の元役員だと知るとすぐに色めきだった。それから一日のうちに夏樹の母は島の親戚連中に連絡をかけた。夏樹は辟易したが、もちまえの善良さやらで心を宥めた。凪のような平和に馴染みつつある彼らのプライドが、この一件をきっかけに再び発起しようとしているのだ、それは子ども同士の旅行のようなものでとくべつ怒ることもない、そう思った。
帰郷の二日目は島の仲間たちと会った。夏樹をあわせた仲間の四人のうち、島を出たのは三人であり、あとの一人は島に残って、家のサトウキビ畑の世話をしていた。その友人の、誰よりも黒いしなやかで筋肉質な腕をみて、夏樹は羨望と誇りを感じた。それ以外の二人にはあまり良い印象をもてなかった。一人は髪を茶に染めて、訛りがなかった。もう一人はやさぐれて、パチンコの話しかしなかった。
海にいき、しかし泳がず、夏樹らは水平線を眺めながら昔話をした。話をするたび、それが夏樹にとってごく小さな存在になっていることに気づいた。彼らがいまも手元のペンを回すように、修学旅行や競技大会の話ができるのがふしぎだった。望郷はひょっとすると理性の領分なのかもしれない、などとも思った。
誰かが海を眺めながら煙草を吸おうと言い出した。みな、それに賛同した。茶髪の友人は煙草を持ってなかったから、夏樹のものをあげた。パチンコ狂いの友人は自前でジッポライターを携えていた。短く甲高い金属音が鳴り、一度の擦りで火はついた。友人は得意げにその火をそれぞれの口の先に掲げた。
先の喫煙より肺の苦しさはなかった。もう箱には一本も残っていない。夏樹は悩んだが、結局、箱をゴミ箱に捨てた。
三船家より三日前に徳之島に着いた夏樹は、両親に恋人家族の訪問をつたえた。両親ははじめ沈着し、それは名家然とした態度だったが、秋子の父親が一部上場企業の元役員だと知るとすぐに色めきだった。それから一日のうちに夏樹の母は島の親戚連中に連絡をかけた。夏樹は辟易したが、もちまえの善良さやらで心を宥めた。凪のような平和に馴染みつつある彼らのプライドが、この一件をきっかけに再び発起しようとしているのだ、それは子ども同士の旅行のようなものでとくべつ怒ることもない、そう思った。
帰郷の二日目は島の仲間たちと会った。夏樹をあわせた仲間の四人のうち、島を出たのは三人であり、あとの一人は島に残って、家のサトウキビ畑の世話をしていた。その友人の、誰よりも黒いしなやかで筋肉質な腕をみて、夏樹は羨望と誇りを感じた。それ以外の二人にはあまり良い印象をもてなかった。一人は髪を茶に染めて、訛りがなかった。もう一人はやさぐれて、パチンコの話しかしなかった。
海にいき、しかし泳がず、夏樹らは水平線を眺めながら昔話をした。話をするたび、それが夏樹にとってごく小さな存在になっていることに気づいた。彼らがいまも手元のペンを回すように、修学旅行や競技大会の話ができるのがふしぎだった。望郷はひょっとすると理性の領分なのかもしれない、などとも思った。
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先の喫煙より肺の苦しさはなかった。もう箱には一本も残っていない。夏樹は悩んだが、結局、箱をゴミ箱に捨てた。
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