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第五章 10月

かうんと・ゆあ・まーくす

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 慢性なんだけどね……と、努めて軽い口調のまま、委員長がこう言った。
「血液の病気だったよ」
「え」ミドリコすら、顔色を変えた。「それって」
 委員長は困ったように笑ってから、続ける。
「女の人でその年齢で珍しいねー、って言われて。当面、入院はしなくていいけど、しばらくがんばって治療に専念しましょうね、って」

 一足先に委員長が帰った後、委員長代理となったミドリコが皆を集めて、軽く咳払いしてから口をきった。
「教頭との取り決めでは、正確には年度末までの『残高』で結果を出すことになっています」
 あまりピンときていない紀美に、伊藤が説明する。
「サンマークはね、こちらが数えて送ってから、少し期間をおいて、ようやく『検収結果と残高通知書』が返送されてくるんだ。こちらの集計が正しかったのか、財団で再度数え直しをして、細かいチェックが入るのよ。年度末とかには受付が集中するらしくて、点検の結果が戻されるのが、長い時で三ヶ月かかることもあるのよ」
「……つまり、こちらがマークを発送してから残高が判明するまでに、かなりタイムラグがあるんですね」
「そうなのよ!」伊藤が小鼻をふくらませて続ける。
「しかもカートリッジなんかは、直接点数になるわけじゃなくて、こちらで梱包したものを財団に直接じゃなくて、まずカートリッジ回収会社に送るのよ、で、回収会社から点数の書かれたハガキが学校に返送される……そのハガキを財団に送るとサンマークの点数残高に加算されるの」 
 なんと複雑なシステムなんだろう……紀美の表情がくもる。
「春日さん、現在の残高をみなさんに」
 ミドリコの声に、残高管理を任されている春日が、ファイルを開いた。
「現在の残高……一昨年末繰越分と、昨年度分合わせて、一九万五千八六七点です」
「教頭の出してきた数値は、年度末までに四〇万点以上」
 春日が電卓を出した。
「これに、前期に財団に送った八万七千とんで五六点を足して……二十七万飛んで九二三点、だから」
「あと、十二万九千とんで、七七点必要ということに、なりますわね」
「それ……いつまでに財団に送れば間に合いますかね」
 伊藤の不安げな声に、ミドリコは即答する。
「カートリッジが優先課題だわね。まず、点数連絡のハガキがなければ財団への点数の計上ができない。まあ、あそこは一週間くらいでハガキを寄こすから……
 カートリッジ発送を十一月上旬にすれば、出た結果をつけ加えて、サンマーク送り状と他のサンマークを財団に送れるし、そうね、送付リミットは十二月上旬としましょうか」
「……もっと、粘れませんか?」
 そうすがりつく伊藤に、ミドリコがふふ、と優しく笑いかけた。
「やれることは限られてますわ。その中で、ベストをつくしましょう。そうだ」
 前の黒板に、例の大雑把な文字でざっくりと三語の英文を書いてみせた。
 最後には豪勢にエクスクラメーションマークをつける。点を打った時にチョークが折れる勢いだった。
「かっこいい、副委員長かっこいいわ」
 春日がつぶやいてたどたどしく読む。
「こうーんと、よあ?」
「Count Your Marks!『あなたのマークを数えよ』。ただ、数えるのみよ」

 かうんと・ゆあ・まーくす。

 どこからともなく、大きなため息がひびいた。
 どんな意味なんだろう? つぶやく紀美の脇を通り過ぎながら、ミドリコがさらりと
「意味はないって、そのまんまよ」
 ふり向いた顔がいたずらっぽく輝いている。実はね、と耳を寄せた。
「成島さんが、前によく言ってたのよ。意味ないけど、語呂はいいよねって。こんな時だし、合い言葉くらいにはなるでしょ?」

 はっきりした数値目標を前にして、いつもは口ばかりの伊藤ですら、一心不乱にサンマークに向き合う日が続いていた。
 しかし……紀美はセロハンテープの手を止め、さりげないフリをしてあたりを見回す。
 委員長不在の空間には、どこか気の抜けた炭酸飲料みたいな空気が漂っていた。
 フジコのしょげようが、半端なかった。
 次男の洋二郎が、この秋、正式に『発達障害』と診断されてしまったということもあったが、やはり委員長を慕うのは伊藤にも負けず劣らずだったらしい。
 それまで席を外すことが多かったのが逆に、手を動かしていることが多くなった。
 しかし、作業の合間に大きくため息をついて、終始暗い顔をしている。

 十月最後の週、作業終了前にミドリコが皆を前にこう言った。
「だいじょうぶ、概算では十二万九千七十七はじゅうぶん、到達できる数字だと私は思います」
 それに、と付け加えた。
「委員長のご病気ですけど、完治する可能性はかなり高いようですわ。まあ」
 ほほ、と天井を仰いで笑う姿にはまるっきり悲愴な様子はない。
「私が見込んだ方ですもの。そうそう簡単にくたばる訳は、ございませんことよ」
 堂々としたそのことばに、悲観ムードはやや、和らいだようだった。
「すでに仕分けした分がもう五万点近くありますし、仕分けの済んでいない分だけでも五万点以上、それにこれから回収されるであろう分も、通常のペースでいけば……」
 それまで在庫のチェックをしていた伊藤が、大声を上げた。
「ちょっと待って! ミドリコさん」
「どうされました?」
 ふり向いた伊藤の顔は、青ざめている。
「仕分けされていた五万点分のマークが……見当たりません」 
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