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その3
最後の作業
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最後の訪問日時を知らせるメールが来たが、私は何度も同じ文字列を目で追っているだけだった。
先月のウキオロシの後も、二二八九件のウキについて、ほとんどを溶かさずに放り出してしまっていたからだ。
ほとんど、あの人のことばかり思っていた。
その時の最後のウキには、こうあった。
―― 次で最後になるって、これからはもうあの人に会えないの? 思いを伝えるべきか、黙っているべきなのか。
最後のウキオロシ前日に、楓さんが訪ねてきた。彼を目の前にしたとたん、私は堰を切ったようにわあっと泣きながら彼の胸にすがりついた。
ぴくり、と楓さんの肩が震えた。でも私は自分のことで精いっぱいだった。
泣きながら訴える。
教えてくれたウキオロシをやってみたこと、訪ねてきた人を好きになってしまったこと、そのためにウキが減らなくなってしまったこと。
次回、最後のウキオロシで「全部終わらせる」と彼が言ったこと。
「そうだったんだね」
頭のすぐ上できこえる楓さんの声は、なんだか遠くきこえた。
「でももう大丈夫」遠いままだったが、声は続けた。
「今度は僕が何とかする」
最後の回で、灰色の人は屋根に積もったウキを見上げながら言った。
「ずっと半分ずつ落としていましたが、今回は全部落とします。それから、今回に限って、落としたものを一緒に確認しながら溶かしていきます」
「えっ」
動揺が声に出たのだろう。彼は淡々と続ける。
「たまにいらっしゃるんです。小箱のウキを溶かしてしまわない方も」
気づかれていた。彼は屋根を見上げたままだ。
「いつも下ろしているので何となくわかります。これは、前に見たものと一緒だ、と」
「では内容もご存知なんですか」
「いえ」
彼は息を吐くように短く笑う。すぐに真顔に戻って、更に静かに付け加えた。
「しかし本部から言われました。今回はちゃんと削除を確認していくように、と」
彼が梯子に足をかけた時、
「待って」
別の声に、ふたりで振り返った。
「楓さん」
私の背後から走り出したのは楓さんだ。
灰色の男は動じたふうもなく、突然の闖入者を見ている。
しばし、沈黙があった。
「そうでしたか」
灰色の男が、大きく息を吐く。
「内容が他に知れたことは確認していましたが、まさか相手がこの人だったとは」
私は思わず大声を出す。
「楓さんと知り合いだったの?」
「いえ」
灰色の人は静かに答えた。
「しかしその方がどんな方かはわかります。彼はすでに、この世には存在していません」
「嘘!」
叫びながらも、急に心の中に別の声が響いた。
楓さんはどうして、たまにしか来なくてすぐに帰ってしまうのか、不思議ではなかったの?
私にとって、楓さんは何?
楓さんにとって私は?
「恋人どうしだった」
背後から、楓さんが答えた。
「君を置いて、先に死んだ。ひどい交通事故だったけど、君が助かったのが唯一の救いだった」
先月のウキオロシの後も、二二八九件のウキについて、ほとんどを溶かさずに放り出してしまっていたからだ。
ほとんど、あの人のことばかり思っていた。
その時の最後のウキには、こうあった。
―― 次で最後になるって、これからはもうあの人に会えないの? 思いを伝えるべきか、黙っているべきなのか。
最後のウキオロシ前日に、楓さんが訪ねてきた。彼を目の前にしたとたん、私は堰を切ったようにわあっと泣きながら彼の胸にすがりついた。
ぴくり、と楓さんの肩が震えた。でも私は自分のことで精いっぱいだった。
泣きながら訴える。
教えてくれたウキオロシをやってみたこと、訪ねてきた人を好きになってしまったこと、そのためにウキが減らなくなってしまったこと。
次回、最後のウキオロシで「全部終わらせる」と彼が言ったこと。
「そうだったんだね」
頭のすぐ上できこえる楓さんの声は、なんだか遠くきこえた。
「でももう大丈夫」遠いままだったが、声は続けた。
「今度は僕が何とかする」
最後の回で、灰色の人は屋根に積もったウキを見上げながら言った。
「ずっと半分ずつ落としていましたが、今回は全部落とします。それから、今回に限って、落としたものを一緒に確認しながら溶かしていきます」
「えっ」
動揺が声に出たのだろう。彼は淡々と続ける。
「たまにいらっしゃるんです。小箱のウキを溶かしてしまわない方も」
気づかれていた。彼は屋根を見上げたままだ。
「いつも下ろしているので何となくわかります。これは、前に見たものと一緒だ、と」
「では内容もご存知なんですか」
「いえ」
彼は息を吐くように短く笑う。すぐに真顔に戻って、更に静かに付け加えた。
「しかし本部から言われました。今回はちゃんと削除を確認していくように、と」
彼が梯子に足をかけた時、
「待って」
別の声に、ふたりで振り返った。
「楓さん」
私の背後から走り出したのは楓さんだ。
灰色の男は動じたふうもなく、突然の闖入者を見ている。
しばし、沈黙があった。
「そうでしたか」
灰色の男が、大きく息を吐く。
「内容が他に知れたことは確認していましたが、まさか相手がこの人だったとは」
私は思わず大声を出す。
「楓さんと知り合いだったの?」
「いえ」
灰色の人は静かに答えた。
「しかしその方がどんな方かはわかります。彼はすでに、この世には存在していません」
「嘘!」
叫びながらも、急に心の中に別の声が響いた。
楓さんはどうして、たまにしか来なくてすぐに帰ってしまうのか、不思議ではなかったの?
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「恋人どうしだった」
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