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■5.聖夜の鬼は下僕に傅(かしず)く

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「薪。薪にだから、俺はこんなになるんだ、正真正銘〝薪のもの〟だろ?」
 やがてようやく大人しくなった自身を抜き、うつ伏せになったままの薪の横に真紘も倒れ込むようにして寝転ぶと、薪の頬に掛かる髪を払いつつ真紘が尋ねた。
「――はい」
 噛みしめるように答えて、薪も汗でしっとりと濡れた真紘の髪を少し整える。
 すると真紘が目を閉じて本当に幸せそうに口元を綻ばせるから、薪の胸は思わずきゅぅと甘く絞られ、つられて「ふふ」と笑い声が零れていった。
「……あー、それ、薪に〝よくできました〟って褒めてもらってるみたいで、すげー嬉しい。もっと撫でろよ。あと、本当に薪に言ってほしい。言え」
「ええっ?」
 けれど、真紘ときたら、これである。
 どこでどう〝甘えたがり〟のスイッチが入ったのかはわからないものの、もぞもぞと薪のほうに頭を寄せて撫でやすいように距離を詰めつつ上目遣いで見つめてくるので、薪は真紘のあまりの可愛らしさと、言って喜ばせてあげたいけれど恥ずかしい気持ちとの間で心が揺れて、どうしようと目まで泳いでしまう。
 だいたい、真紘と抱き合うときは主導権なんてものはない。どちらがどう相手に尽くしたかとか、してほしいことを汲み取ったかとか、そういうことで気持ちを確かめ合っているわけではなく、ただ、お互いが〝こうしたい〟〝こうしてほしい〟と思うことを言葉で伝え合ったり行為で示し合ったりしているだけだ。
「……、……」
 ――主任ってば、どうしちゃったの。……すごく可愛いけど。
 次の言葉が見つけられないまま、薪はしばし固まってしまった。
「薪、言ってほしい。そしたら、薪がしてほしいこと、なんでも叶えるから」
 すると、再度、真紘が言う。
 そんな交換条件を出してまで〝よくできました〟と言ってほしかったとは、ちょっと想像していなかったけれど、きっとそれだけ甘えたい気分なのだろう。
 それに、自分にだからこんなふうに甘えたがりな部分を惜しげもなく見せてくれることを、薪はもうとっくに知っている。
 ――それなら、ずっと知りたかったことを聞いたら教えてくれるかも。
「なんでも、ですか?」
「そうだ」
「聞きたいこととか、教えてほしいことでもいいですか?」
「いいぞ。それも薪がしてほしいことだし」
「……わかりました」
 ひとつ〝してほしいこと〟思いついた薪は、真紘に確認を取ると、唇を開く。
 言ったら真紘はすごく喜んでくれることはわかっている。薪だって、交換条件なんてなくても真紘がしてほしいことはなんでも叶えたい。ただ、ほぼほぼ子どもを褒めるときに使う言葉なことと、それを望んでいるのが自分より年上の〝大人の男性〟だということで、ちょっと――いや、だいぶ抵抗感がすごい。
「よ、よくできました……?」
 それでも何度か深く呼吸をして気持ちを整えると、薪は意を決して声に出した。どうにかこうにか、真紘が喜ぶことのほうが恥ずかしさを超えてくれた結果だ。
「……うわーもうめちゃくちゃ恥ずかしいっ!」
「ふはっ。最高だ、薪。すげー嬉しい。ははっ。赤くなって可愛いな」
「……主任がそうさせてるんじゃないですか」
「そうだな。可愛い、薪。嬉しい」
「もう。子どもみたいですよ。あははっ」
 とはいえ、こんなにも嬉しい気持ちを表に出してもらえると、言ってよかったと思えてくるから不思議だ。不服というか、不満というか、そういう気持ちも一気に吹き飛ぶような真紘の嬉しがり様は、いつの間にか薪のことも笑顔にした。
「――で? 薪のしてほしいことって?」
「あ、それなんですけど、ずっと知りたかったことがあって」
「ん?」
 ひとしきり、ふたりで笑ったあと、改めて聞かれた薪は、それまでうつ伏せのままでいた身体を真紘のほうに向け、向き合う形を取ることにした。これといってかしこまった話でもないのだけれど、どうせならちゃんと真紘の顔を見て尋ねたかったし、答えてくれるだろう真紘の言葉も、しっかりと向き合って聞きたかった。
「あの、主任はどうして私がよかったんですか? 会社には綺麗な人がたくさんいて、プライベートにだって出会いがたくさんあるじゃないですか。なのに、これまでの私に主任に好きになってもらえるようなところがあったかなって、ちょっと思ってて。……ほら、主任も知ってますけど、ちょっと前までの私は、休みの日はずっと部屋でごろごろしてばかりだったので。ずっと不思議に思ってたんです」
「……、……薪は、俺がだいぶしんどかったときに助けてくれたんだよ」
 すると、普段は考え込んでも数秒という真紘には珍しく、たっぷりと間を取ってからそう言った真紘は、少しだけ目を伏せると薪の手を握りしめた。
「主任……?」
 途端に真紘が纏う空気が重く苦しげなものに変わって、薪は、聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれないという不安や後悔が胸に募っていく。
「あ、あの、絶対に聞きたいってわけじゃ――」
「いや。話すよ。勘のいい麻井も知らないだろうから」
「……」
 なんとか場を仕切り直そうとするけれど、真紘に言葉尻を奪われてしまい、薪はあとに続く言葉にどうにも詰まって、結局、開いた口が閉じてしまった。
 真紘が薪のことで一喜一憂していた場面にあれだけ出くわしていた由里子にもわからないだろうと言うのなら、薪には到底、見当なんて付くはずもない。
 由里子の話では、真紘が薪のことを好きだと気づいたのは、去年――入社して一年ほど経った頃だというから、もうかれこれ二年近く想ってもらっている。
 その間に、真紘が言うところの〝だいぶしんどい〟出来事や、それに付随するような何かがあっただろうかと、ましてや真紘の助けになるようなことをしただろうかと、ざっと思い返してみるけれど、勘のいい由里子にもわからないだろうことを鈍すぎる自分がわかるはずもなく、薪はただただ、不安で胸がいっぱいになりながら、真紘が口を開くのをじっと待つしかなかった。
 ……悲しいかな、薪には何かやらかすたびに真紘に怒られた記憶しかない。
「こんな格好じゃ、ちょっとな」
 やがて薪と目を合わせると、真紘はそう言って少し苦笑した。薪も「そうですよね」と控えめに笑顔を返して、とりあえず服を着ることにする。
 シャワーを浴びたらすぐに寝室へ行ったので、服とはいっても下着くらいしか身に着けるものはなかったけれど、先にベッドを出た真紘から自分のTシャツとハーフパンツを受け取った薪は、ぶかぶかのそれを着ると、真紘とともにリビングへ向かい、暖炉の前のソファーに並んで座った。
「……、……」
 ――ど、どうしよう、すごく緊張する……。
 つい先ほどまでの甘くじゃれ合うような時間はどこに行ってしまったんだろうとは思う。せっかくサプライズで連れて来てくれたクリスマス旅行なのに、とも。
 けれどこれは、予想外のことではあったものの、薪が仕掛けたことだ。
 今さら〝明日にしましょう〟なんて言えないし、それではあの日、真紘と〝証〟が欲しくて身体を重ねたときに、自分の心臓の上に真紘の手を置いて『これ、主任にだから鳴る音なんです』『これじゃあ、主任から離れたくないって思ってる気持ちの証明になりませんか?』と言った薪自身にも、くしゃりと顔を歪ませながら真紘が言ってくれた『……ありがとう』にも嘘をついてしまうことになる。
 それだけは、どうしても嫌だ。
 ひとつ、深く呼吸をして、薪は弱気な自分を追い払う。
 ――よし。何を聞いても、私は主任の傍から離れたりしない。
「お願いします、主任。私、ずっと主任の傍にいますから」
 そう言って薪は真紘の手を取る。少し冷えてかさついている真紘の指先は、きっとそれだけ話すことに緊張や怖さを感じている証拠だろう。
 自分の思いつきのせいで真紘は今、思い出したくないだろうし、できれば話したくなかっただろうことを話そうとしているのは薪だってわかっている。けれど、ひとつ、わがままなことを思ってもいいのなら、真紘が抱える辛さをふたりで分け合えないだろうかと、薪はそんなことを思う。
 真紘に与えてもらうだけじゃない。薪だって真紘に与えたいし、分け合いたい。
 それがどんなことであっても、薪は嬉しい。
「……ありがとうな、薪。惚れ直すわ」
 すると、そう言った真紘が反対の手で薪の頭を肩に引き寄せた。肩口に頭を預ける形になった薪は、優しい手つきで頭を撫でてくれた真紘に、いいえと首を振る。
 こんなときだけれど、やっぱり真紘の匂いは落ち着くなと薪は思う。
 真紘が貸してくれた、ぶかぶかの服に身を包み、隣には同じ匂いのする真紘がぴったりと寄り添っていて、さっきまでは身体の外側も内側も濃密な真紘の匂いにいっぱいになった。こんなにも心強いことはないだろうと思うし、できることなら真紘にも自分が隣にいることで同じように感じてもらえたらいいなと思う。
 その気持ちが伝わったのか、ややして、真紘が口を開く。
「――俺な、薪たちの後輩をひとり、潰したんだ」

 そう、重苦しい声色と言葉ではじまった真紘の話は、こういうことだった。
 去年の春、薪や由里子が編集部に配属になって二年目、その年も、もとからギリギリの人数だった編集部に新入社員がひとり配属になり、真紘は部長の諸住から『忙しいところ申し訳ないけれど』と、その指導を任されることになった。
 編集部に新しく人が入っても、いつもギリギリなのは、身も蓋もない言い方をすれば、それが抜けた人員の補充という位置付けもあるからだ。退職や転職、異動など理由は様々だけれど、薪や由里子もそういうわけで編集部に配属になった。
 ふたりとも事務職で採用されたはずが、なぜかどっぷりと編集職に浸っているのには、編集部全体としての、のっぴきならない理由も含まれているというわけだ。
 そういったこちら側の事情もあり、教育を任されることになった真紘は、人に〝教える〟という〝立場〟に覚悟はしていたものの、それでも次第に心にも身体にも余裕がなくなっていくのが自分でも手に取るようにわかったという。
「ハキハキした、感じのいいやつで、飲み込みは早いし要領もよくて、例えば編集会議の資料をまとめてもらったり、付き合いが長いスタジオや馴染みのスタッフへの撮影のアポ取りなんかは、すぐに任せるようになったんだ。あとで報告だけ上げてくれればいい、って言ってな。……正直、自分の仕事で手一杯だったんだよ」
 言い方は悪いけど、手を抜けるところは抜かないと、だいぶしんどかった――そう言い直した真紘は、後悔と申し訳なさを滲ませた顔をして下唇を噛みしめた。
「覚えてないか? 古賀こがって名前の、忠犬みたいに人懐っこいやつ」
「古賀君……」
 聞かれて薪は、その頃の記憶を手繰り寄せる。
 確か去年の春頃も編集部から人が抜けて忙しさはかなりのものだった。
 年度替わりに伴う人事異動と育児休暇を取る社員が重なり、残った社員はその人たちが関わっていた案件や顧客を引き継いだ。二年目になろうかという薪や由里子も少ないながら仕事を引き継いだため、てんやわんやだったように記憶している。
 そんな中で新年度になり、新入社員が入ると、編集部にもひとり、若い男の子が配属になった。最初のあいさつでその彼は、仕事柄、営業にも編集作業にも関わることを『人と話すのも雑誌も大好だから、編集部に配属になって嬉しい』というようなことを明るく元気に言って、にこにこ笑っていたように思う。
 真紘が言った通り、ハキハキした、とても感じのいい男の子だった。
 教育係の真紘にいろいろと仕事を教わる姿は、まるで忠犬みたいで可愛らしいなと思った記憶もある。『新田さん! 新田さん!』と、よく真紘に指示を仰いでは一生懸命にデスクに向かっていた姿も印象に残っていて、鬼だなんだと言われる真紘も、そんな彼を可愛がっていたように薪には見えていた。
「――はい。目がくりくりっとした、可愛らしい顔立ちの子ですよね?」
 二か月くらいして別の部署に異動していったけれど、そういえば、詳しい理由を薪は知らない。あまりに早かったので編集部もざわついたし、薪だって、どうして急に異動なんてと思った。由里子と何度も〝なんで?〟と目を見合わせたし、せっかくいい子が入って真紘も可愛がっていたのにと残念にも思った。
 ……その頃と前後して、真紘はよく部長の諸住と会議室にこもっていたようだったけれど、彼の異動と何か関係があるのだろうか。
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