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■9月28日(木)
大垣朱夏 1
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四年越しで動き出す決心をつけたなんて、香魚ちゃん、すごい頑張ったなぁ……。
月曜のときと同じように、体育館のステージ下の壁に背中を預けて体育座りをしていた朱夏は、恥ずかしそうに俯き、けれどはっきりとした口調で「……実はね」と報告をしてくれた香魚を見て、素直にそう思った。
隣では、キラッキラに目を輝かせた朱里が「ほんと!? 絶対頑張ってね!!」と勢いよく香魚の手を取り上下にぶんぶん振りながら、「ありがとう。……が、頑張る」と、はにかむ彼女に満面の笑みで大きく頷く。
香魚の親友の優紀も、彼女の変化に満足げに、にこにこ笑っていて、いよいよ明後日が夜行遠足本番となってようやくついた決心に、香魚の成長を実感しているようだった。
今日の体育もバドミントンだ。そして時間割は、体を動かすにはちょっとばかりエネルギーが足りなくなっている四時限目。
例のごとくネットで体育館を二分割している向こうでは、大声で「腹減ったー」と空腹を訴えた男子が「言うな。先生だって腹減ってんだよ」と若い体育教師に叱られている。
先生といえども人間なので、十二時近くになれば当たり前にお腹も空くだろうけれど、叱り文句としてはどうなんだろう? もしかして、彼女とケンカでもした?
彼女がいることを公言していることもあって、朱夏は潔い先生だなと好感を持っていたのだけれど、今のでちょっと株が下がった。まあ、直接は関わり合いにならない先生なので、これといって特に支障もないけれど。
……ていうか、あと二日しかないじゃん。
朱夏は人知れず大きなため息をつく。
とかく今の朱夏の意識は、今日はもう木曜日だということに、おおいに傾いていた。
これからどうしよう、私はどうしたいんだろうと常に考えてはいるものの、いまだにはっきりとした答えは出ず、日数ばかりが過ぎてしまっている。授業もずっと上の空だし、部活にも今ひとつ身が入らない。
昨日なんて、打ちやすいはずの朱里のトスを何度もふかしてしまい、キャプテンにキレられた。あれは本当に申し訳なかった。
しかし裏を返せば、朱夏はそれくらい湊のことで思い悩みまくっているのである。
それなのにどうして答えが出ない? こんなに悩んでいるのに、ひとつも答えが出ないなんて、ちょっとおかしくない?
朱夏は半ば、バド部の部活に勤しんでいる湊のところへドスドスと乗り込み、思いっきり文句をぶちまけてやりたい気分だった。
部活中の体育館も、バレー部とバド部で体育館を二分割して使っているので、湊のところまでは歩いてすぐだ。こちらの気なんてなにも知らず、ぱーん、ぱーんとシャトルを飛ばしている湊の呑気な横顔が、あのときばかりはさすがに憎たらしくて仕方がなかった。それから、デカいだけでまるで意気地なしな自分のことも、それ以上に憎たらしかった。
そしてその気持ちは、今も続いている。香魚が頑張っていることを知った今も。
「……」
今のところ、誰かに本命お守りをもらったという噂も、優紀にご執心の朝倉のように、自分から欲しいと打診している相手がいるという話も聞かない。けれど、本命お守りをもらうほうは、もしかしたら今日明日で誰かから渡されることもあるかもしれない。
湊がモテるという話も、そういえば朱夏の周りでは聞いたことはない。が、密かに思いを寄せている子がいないとも限らないのだ。
むしろ、そういう子なら、明日の放課後が確率的に一番高いんじゃないだろうか。
実際に朱夏も、もし万が一、渡すなら金曜日の放課後が一番の狙い目だと思っている。去年の様子を思い起こしてみても、前日の放課後が一番人気なようだった。
放課後が近づいていくにつれて浮き足立つ校舎内。女子も男子もソワソワしていて、見ているこっちのほうが落ち着かない。
部活にちょっと遅れてやってきた先輩が、『さっきひとりで帰るところに渡してきた』と顔を真っ赤にしながらチームメイトに報告する場面を見たし、朱夏には考えられないけれど、強者なんかになると『私は昼休みに渡した』とか『私は机の中にこっそり入れて、向こうが気づいたときに〝頑張ってね〟って言ったよ』などと、放課後ではなくとも本命お守りを渡せるようになるらしい。
そのときの朱夏には別に好きな人もいなかったので、男バレの同級生や先輩に〝女バレ一同からの気持ちです〟と、女バレ部員みんなで作った赤のギンガムチェックではないお守りを、はいはいはい、と流れ作業的に渡しただけだった。それでもまんざらでもなさそうだった男バレ部員たちを見て、男子って単純だな、と朱夏は思った記憶がある。
だから湊も、バド部の女子に部活用のお守りをもらったら普通に嬉しいだろうし、もし仮に本命までもらうようなことがあれば、その子のことを一発で好きになってしまう可能性だって、十分にあり得ると思うのだ。
だって基本、男子は単純だ。湊もそうだとは限らないけれど、今まで浮いた話がなかったのだから、煙が立てば瞬く間に恋の炎が燃え上がってしまうことも無きにしも非ずだ。
「はぁ……」
そこまで考えて、またため息が出た。なんて私は進歩がないんだろう。こんなデカい図体なのに、まるっきりダメダメじゃんか。
「どうしたの、朱夏」
「あ、いや、香魚ちゃんはすごいなーって思って。それに比べて私はさぁ。ははは」
隣に座る朱里に聞かれて、朱夏はとっさに笑顔を作った。どうやらばっちり聞こえてしまっていたようだ。なんとなくバツが悪い。
香魚はふと思ったそうだ。
こんなんじゃダメだ。このままだと、ますますみんなに置いていかれてしまう、と。
キラキラしたいとも言った。優紀やバレーを頑張る自分や朱里、剣道部の悠馬や、そのほかの蓮高生たちが一瞬一瞬、自分だけの青春を消化しているように、自分もキラキラしたい。ほかの人から見てキラキラしてるなって思ってもらえるように頑張りたい、と。
引っ込み思案で、消極的で、いつも受け身な香魚から初めて発せられた、その強い思いは、朱夏にとって、とても衝撃だった。
四年も想い続けているからこそ無理――つい三日前まではそうだった香魚に、この短期間の間でいったいなにがあったのだろう。
けれど裏を返せば、香魚には今までの考え方を百八十度変えさせるだけの〝なにか〟があったのだ。朱夏にはない〝なにか〟が。
羨ましかった。すごいなと思った。受け身なのは自分のほうだった。香魚は朱夏のこともキラキラしていると言ったが、朱夏には香魚のほうこそ、キラキラと眩しく見えた。
「あ、もしかして、昨日のこと、まだ気にしちゃってる? あれは私の采配が悪かったんだって。ちょっと調子を落としはじめてるのがわかってたのに、朱夏に頼りすぎて、いつもどおりにトスを上げちゃったんだから」
けれど朱里はそう言い、真面目に心配しだした。昨日のこととは、例のトスを何度もふかしてキャプテンにキレられたことだ。
あれはしっかり集中できなかった私のせいで、朱里は責任を感じることなんてひとつもないのに。そう思うと、ますますバツが悪くなって、笑顔がぎこちなくなっていく。
「ううん。朱里のせいじゃないよ。ほかにどうしても考えちゃうことがあってさ。どうしたもんかなーって思ってたら、目の前のことに集中できなくなっちゃってたんだよ」
「え、それって……もしかして、部活を辞めようかなとか、そういう系……?」
「まさか、そんなわけないじゃん! ほら、この前、一緒にギンガムの生地を買いに行ったでしょ? 作りもしないのに去年のと合わせて二枚も溜めちゃって、いったい私はなにしてんだろ、とか思うとさぁ……。時間差でどんどん虚しくなってきちゃったわけよ」
潜めた声で慎重に尋ねる朱里の、真面目な彼女らしい、とんちんかんな勘違いを激しく否定し、朱夏はほんの少しだけ本音を織り交ぜた嘘をついた。実は二枚目のほうは、もうお守りに化けている。めちゃくちゃ気合いの入った、本気の本命お守りだ。
ただ、どうしても、好きな人がいることは打ち明けられなかった。デカくてがさつで、男子はみんなだいたい友達、みたいなキャラを作ってきた私に恋は――しかも自分より一センチ背の低い相手に片想いをしているなんて、どう考えても似合わない。可愛らしいサイズの朱里ならともかく、私なんて……。
そう思うと、どうしても言い出せない。
卑屈だろうとなんだろうと、比較してしまうものはしてしまうのだ。自分と朱里との身長差も、湊との、たった一センチの差も、朱夏にとっては天と地ほどの差に思える。
そう簡単に克服できたら、苦労はない。
月曜のときと同じように、体育館のステージ下の壁に背中を預けて体育座りをしていた朱夏は、恥ずかしそうに俯き、けれどはっきりとした口調で「……実はね」と報告をしてくれた香魚を見て、素直にそう思った。
隣では、キラッキラに目を輝かせた朱里が「ほんと!? 絶対頑張ってね!!」と勢いよく香魚の手を取り上下にぶんぶん振りながら、「ありがとう。……が、頑張る」と、はにかむ彼女に満面の笑みで大きく頷く。
香魚の親友の優紀も、彼女の変化に満足げに、にこにこ笑っていて、いよいよ明後日が夜行遠足本番となってようやくついた決心に、香魚の成長を実感しているようだった。
今日の体育もバドミントンだ。そして時間割は、体を動かすにはちょっとばかりエネルギーが足りなくなっている四時限目。
例のごとくネットで体育館を二分割している向こうでは、大声で「腹減ったー」と空腹を訴えた男子が「言うな。先生だって腹減ってんだよ」と若い体育教師に叱られている。
先生といえども人間なので、十二時近くになれば当たり前にお腹も空くだろうけれど、叱り文句としてはどうなんだろう? もしかして、彼女とケンカでもした?
彼女がいることを公言していることもあって、朱夏は潔い先生だなと好感を持っていたのだけれど、今のでちょっと株が下がった。まあ、直接は関わり合いにならない先生なので、これといって特に支障もないけれど。
……ていうか、あと二日しかないじゃん。
朱夏は人知れず大きなため息をつく。
とかく今の朱夏の意識は、今日はもう木曜日だということに、おおいに傾いていた。
これからどうしよう、私はどうしたいんだろうと常に考えてはいるものの、いまだにはっきりとした答えは出ず、日数ばかりが過ぎてしまっている。授業もずっと上の空だし、部活にも今ひとつ身が入らない。
昨日なんて、打ちやすいはずの朱里のトスを何度もふかしてしまい、キャプテンにキレられた。あれは本当に申し訳なかった。
しかし裏を返せば、朱夏はそれくらい湊のことで思い悩みまくっているのである。
それなのにどうして答えが出ない? こんなに悩んでいるのに、ひとつも答えが出ないなんて、ちょっとおかしくない?
朱夏は半ば、バド部の部活に勤しんでいる湊のところへドスドスと乗り込み、思いっきり文句をぶちまけてやりたい気分だった。
部活中の体育館も、バレー部とバド部で体育館を二分割して使っているので、湊のところまでは歩いてすぐだ。こちらの気なんてなにも知らず、ぱーん、ぱーんとシャトルを飛ばしている湊の呑気な横顔が、あのときばかりはさすがに憎たらしくて仕方がなかった。それから、デカいだけでまるで意気地なしな自分のことも、それ以上に憎たらしかった。
そしてその気持ちは、今も続いている。香魚が頑張っていることを知った今も。
「……」
今のところ、誰かに本命お守りをもらったという噂も、優紀にご執心の朝倉のように、自分から欲しいと打診している相手がいるという話も聞かない。けれど、本命お守りをもらうほうは、もしかしたら今日明日で誰かから渡されることもあるかもしれない。
湊がモテるという話も、そういえば朱夏の周りでは聞いたことはない。が、密かに思いを寄せている子がいないとも限らないのだ。
むしろ、そういう子なら、明日の放課後が確率的に一番高いんじゃないだろうか。
実際に朱夏も、もし万が一、渡すなら金曜日の放課後が一番の狙い目だと思っている。去年の様子を思い起こしてみても、前日の放課後が一番人気なようだった。
放課後が近づいていくにつれて浮き足立つ校舎内。女子も男子もソワソワしていて、見ているこっちのほうが落ち着かない。
部活にちょっと遅れてやってきた先輩が、『さっきひとりで帰るところに渡してきた』と顔を真っ赤にしながらチームメイトに報告する場面を見たし、朱夏には考えられないけれど、強者なんかになると『私は昼休みに渡した』とか『私は机の中にこっそり入れて、向こうが気づいたときに〝頑張ってね〟って言ったよ』などと、放課後ではなくとも本命お守りを渡せるようになるらしい。
そのときの朱夏には別に好きな人もいなかったので、男バレの同級生や先輩に〝女バレ一同からの気持ちです〟と、女バレ部員みんなで作った赤のギンガムチェックではないお守りを、はいはいはい、と流れ作業的に渡しただけだった。それでもまんざらでもなさそうだった男バレ部員たちを見て、男子って単純だな、と朱夏は思った記憶がある。
だから湊も、バド部の女子に部活用のお守りをもらったら普通に嬉しいだろうし、もし仮に本命までもらうようなことがあれば、その子のことを一発で好きになってしまう可能性だって、十分にあり得ると思うのだ。
だって基本、男子は単純だ。湊もそうだとは限らないけれど、今まで浮いた話がなかったのだから、煙が立てば瞬く間に恋の炎が燃え上がってしまうことも無きにしも非ずだ。
「はぁ……」
そこまで考えて、またため息が出た。なんて私は進歩がないんだろう。こんなデカい図体なのに、まるっきりダメダメじゃんか。
「どうしたの、朱夏」
「あ、いや、香魚ちゃんはすごいなーって思って。それに比べて私はさぁ。ははは」
隣に座る朱里に聞かれて、朱夏はとっさに笑顔を作った。どうやらばっちり聞こえてしまっていたようだ。なんとなくバツが悪い。
香魚はふと思ったそうだ。
こんなんじゃダメだ。このままだと、ますますみんなに置いていかれてしまう、と。
キラキラしたいとも言った。優紀やバレーを頑張る自分や朱里、剣道部の悠馬や、そのほかの蓮高生たちが一瞬一瞬、自分だけの青春を消化しているように、自分もキラキラしたい。ほかの人から見てキラキラしてるなって思ってもらえるように頑張りたい、と。
引っ込み思案で、消極的で、いつも受け身な香魚から初めて発せられた、その強い思いは、朱夏にとって、とても衝撃だった。
四年も想い続けているからこそ無理――つい三日前まではそうだった香魚に、この短期間の間でいったいなにがあったのだろう。
けれど裏を返せば、香魚には今までの考え方を百八十度変えさせるだけの〝なにか〟があったのだ。朱夏にはない〝なにか〟が。
羨ましかった。すごいなと思った。受け身なのは自分のほうだった。香魚は朱夏のこともキラキラしていると言ったが、朱夏には香魚のほうこそ、キラキラと眩しく見えた。
「あ、もしかして、昨日のこと、まだ気にしちゃってる? あれは私の采配が悪かったんだって。ちょっと調子を落としはじめてるのがわかってたのに、朱夏に頼りすぎて、いつもどおりにトスを上げちゃったんだから」
けれど朱里はそう言い、真面目に心配しだした。昨日のこととは、例のトスを何度もふかしてキャプテンにキレられたことだ。
あれはしっかり集中できなかった私のせいで、朱里は責任を感じることなんてひとつもないのに。そう思うと、ますますバツが悪くなって、笑顔がぎこちなくなっていく。
「ううん。朱里のせいじゃないよ。ほかにどうしても考えちゃうことがあってさ。どうしたもんかなーって思ってたら、目の前のことに集中できなくなっちゃってたんだよ」
「え、それって……もしかして、部活を辞めようかなとか、そういう系……?」
「まさか、そんなわけないじゃん! ほら、この前、一緒にギンガムの生地を買いに行ったでしょ? 作りもしないのに去年のと合わせて二枚も溜めちゃって、いったい私はなにしてんだろ、とか思うとさぁ……。時間差でどんどん虚しくなってきちゃったわけよ」
潜めた声で慎重に尋ねる朱里の、真面目な彼女らしい、とんちんかんな勘違いを激しく否定し、朱夏はほんの少しだけ本音を織り交ぜた嘘をついた。実は二枚目のほうは、もうお守りに化けている。めちゃくちゃ気合いの入った、本気の本命お守りだ。
ただ、どうしても、好きな人がいることは打ち明けられなかった。デカくてがさつで、男子はみんなだいたい友達、みたいなキャラを作ってきた私に恋は――しかも自分より一センチ背の低い相手に片想いをしているなんて、どう考えても似合わない。可愛らしいサイズの朱里ならともかく、私なんて……。
そう思うと、どうしても言い出せない。
卑屈だろうとなんだろうと、比較してしまうものはしてしまうのだ。自分と朱里との身長差も、湊との、たった一センチの差も、朱夏にとっては天と地ほどの差に思える。
そう簡単に克服できたら、苦労はない。
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