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■9月26日(火)

小松香魚 1

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 あ、ラッキー。今日も剣道着で外周だー。
「眼福、眼福」
 香魚は先週と同じように教室のベランダから正門前のロータリーを走っていく黒い隊列を眺めて、ほくほくと頬を緩ませた。
 先週も剣道着で外周だったし、月曜日の昨日もそうだった。もしかしたら雪が降るまではずっとこのままなんじゃないかと思うと、なんとも言えない幸せな気分になる。
「……」
 それにしても、昨日の体育で隣のクラスの朱夏といろいろ話したけれど、結局香魚は、自分を朱夏に重ねてエールを送ることしかできなかった。もとから自分と朱夏は正反対だと感じていた部分が多かったし、さっぱりした性格の彼女なら、きっと私のように何年もうじうじ片想いなんてせずに自分から行動するだろうという、そんな漠然としたイメージもあった。実際話していても「せっかく作ったんだから、もったいないって」と、今年こそ頑張って渡してみたらと励まされもした。
 日陰女子の私なんかに、と思うと、とても嬉しかったし、親身になって話を聞いてくれる姿勢が、やっぱり格好いいと思った。
「……とはいっても、現実はなあ」
 すぐに黒い隊列の中から悠馬の姿を探し出せても、実際はそれまでだ。漫画のように美味しい展開があるわけでもなければ、好きで読んでいるケータイ小説のように、実は悠馬もずっと前から香魚が好きだったなんていう棚ボタ的な展開が待っているわけでもない。
 第一、何年も話していない。というか、会話があったことすら、悠馬は覚えていないかもしれない。となるとやっぱり、悠馬が香魚の存在を認識しているかどうかも怪しい。
 実際に自分でも、そこまで自覚しているなら、勇気を出して自分の存在を印象付けられるように、なにかアクションを起こせばいいだけの話だと、この四年、思い続けてきた。
 けれど実際問題、そんなふうに好きな人の目に留まるような行動を起こせる人なんて、きっとそう多くはないはずだ。
 たいていは想うだけで終わってしまったり、相手と自分との差を感じて気持ちごと封じ込めてしまったり。大ダメージとともに積もる想いを散らすくらいなら、ずっと内に秘めたままでいるほうが、いくらかマシだ。
 それに、どれだけ感情移入しようとも、主人公の行動に勇気をもらおうとも、漫画も小説も、所詮は偽物、創作物だ。突き詰めれば非現実世界の話なのだから、いくらリアリティがあっても、本当の〝リアル〟じゃない。
 とかく香魚みたいな超消極女子には、男子に話しかけることさえ、史上最大級のミッション並みにハードルが高いイベントである。
 今日なんか、ただ課題のノートの提出を促すだけなのに、べらぼうに緊張してしまい、どもりまくった挙げ句、相手の男子に微妙な顔をされてしまった。……死にたかった。
 そんな私が、まして本命お守りを渡そうだなんて、どんなに勇気をかき集めても絶対に足りないに決まっている。香魚はもう散々考えて、そんな結論に至っているのだ。
「……剣道着で外周に行く姿をこっそり眺めて眼福とか言ってる時点で、日陰女子には接点なんて作れるわけがないんだって」
 昨日、朱夏にも言った台詞を繰り返し、いつものように校門前のなだらかだがそこそこ長い坂道を下り、四角く区画された田園の中の道を右に折れていった剣道部員たちの姿を――先頭を走る悠馬の姿を目で追う。
 これが香魚の精いっぱいだ。
 そういえば、今日も優紀は絶賛、朝倉くんから本命お守りの打診中だ。昨日もわりと長い間、打診されていたようだったけれど、あと四日で男子の本番だし、今日も長そうだ。
 せめて優ちゃんは渡しなよね。欲しいって言ってくれてる男の子がいるんだから。
 手に持っていたスマホで時刻を見て、昨日朝倉くんからの打診が終わって優紀が戻ってきた時間よりも、もう十五分も過ぎていることを確認すると、香魚は登録しているケータイ小説サイトを開き、好きな作家の更新の有無を確かめた。幸い栞を挟んでいる作家の作品のほとんどに更新を知らせるマークがついていたので、時間潰しに読みはじめる。悠馬の姿も見えなくなってしまったので、やることといえば、これくらいしかない。
「なんで小説の中に出てくる女の子たちは、みんな当たり前に可愛いかなぁ……」
 文字を目で追いながら、たまらず呟く。
 ほんとずるい。羨ましい。世の中はたいてい普通の人が九割を占めているのに、主人公や相手男子や、その周りだけ美男美女って、どれだけご都合主義なんだろう。……それでも好きだから、読んでいるんだけど。
 とはいえ、香魚も別にブスではない。その自覚は香魚自身もしている。でも、ただブスではないというだけのことだ。可愛いとか綺麗とか、性格が明るいとか誰とでも分け隔てなく接せられる気立てのいい子とか、そういうオプションは香魚には付いていないし、これからも身につく気がしていない。
 恋をしてもいい子と、そうじゃない子。
 告白をしてもいい子と、そうじゃない子。
 みんな同じ、平等だ、個性があって当たり前、そこを大事にしようとは、よく言う。
 けれど真の〝リアル〟は残酷なまでに二分されていて、いまだアメリカなどで黒人が白人に不当な扱いを受けたという痛ましい事件が度々海を越えて世界に拡散されるように、根っこでは――それこそ細胞レベルでは人は常に無意識に、あるいは意識的に、自分より上かそうじゃないかを判断し、ランク付けをし、そうして許される子と許されない子とに分けている。人間くさいと言えばそれまでだけれど、差別は絶対になくならない。
 そして香魚は、自分は後者だと、もう十年以上も前から、はっきりと自覚している。
 幼稚園児のとき、当時、幼心に格好いいと思っていた男の子に『おおきくなったらけっこんして』と言ったら『あゆちゃんはカイトくんとけっこんしなよ』と言われて、大泣きするほどショックを受けたことがある。
 その〝カイトくん〟は正直、そんなに格好いい男の子ではなかった。
 つまり、そういうことだ。
 自分の顔面レベルをわきまえろ、的な。
 その、人生で初めての大きな挫折とも言える思い出が根底にある限り、香魚はどうしても積極的になりきれないのだ。その後の人格形成を大きく左右してしまうような、そんな自分史上最大のトラウマの誕生だった。
 それ以来、男子と話すことも苦手になったし、ほかの子たちとも、なかなか積極的に関わり合いになれなくなってしまった。初恋の予行演習と言うにはあまりにもインパクトが強すぎたそれは、ただただトラウマとして香魚の心の奥底に今もしつこく根付いている。
 ただ、優紀だけは違った。世の中には、いくら頑張っても、どうしても合わない人間が一定数いる。それと同じように、性格は正反対と言っていいほど違う香魚と優紀だが、それでもふたりには根源的に合うものがあるのだ。そうでなければ、中学の頃からずっと一緒にはいまい。こんな面倒くさい性格を知ってもそばにいてくれる優紀は、香魚にとって何物にも代えがたい存在なのである。
 本命が欲しいと連日打診されるくらいだから、顔面レベルも上のほうだし、香魚を見放さないことからもわかるように、性格もとってもいい子だ。優紀は香魚の自慢なのだ。
 そういうわけで、香魚は今日も悠馬の見目麗しい剣道着姿を眺めながら、一緒に帰るため、優紀が戻ってくるのを待っている。
 ――のだけれど。
「……うそ、まじで……?」
 スマホの画面がLINEメッセージの受信画面に切り替わり、タップして確かめると、そこには多分にスタンプを盛り付けて申し訳ない気持ちを表してはいるものの、はっきりと【ごめん、一緒に帰れなくなっちゃった】の一文があった。なぜ? と思っていると、続けざまに優紀からメッセージが入る。
【どうしても一緒に帰りたいって泣きつかれちゃって。断るのも疲れるから、今週いっぱいはそうすることにしたの。勝手に決めてほんとごめんね。待ってもらってたのに、ほんっっっとゴメン! このお詫びは必ず!】
「な、なんと……」
 思わず、ぽぅ、と熱っぽい息が漏れる。
 いったいどうするつもりなのかと思っていたけれど、どうやら折れたのは優紀のほうだったらしい。迷惑そうにしたり、酷評を下したりもしたものの、はっきりと何度も好意を伝えられれば、人の心は動く。なんやかんやと、ほだされてしまいつつあるのだろう。たとえ自分のタイプではなくても、だんだん素敵に見えてくる。格好よく見えてくる。
 恋ってけっこう、そんなものだ。
 押せ押せ朝倉、ファイト朝倉。
 心の中で朝倉くんにエールを送ると、香魚はベランダから教室の中に戻り、自分の鞄だけを肩にかけてさっそく帰ることにした。
 教室の中には、まだ優紀と朝倉くんの鞄が残っている。ふたりが取りに戻ったとき、まだそこにいるなんて、そんな野暮なことはできますまい。いくらなんでも空気を読まなさすぎるし、鉢合わせたら、みんな気まずい。
 わかってます、わかっていますとも。
【私のことは気にしないで。先に帰っておくね】と優紀に返事をしながら、男女五人グループが廊下の窓からグラウンドを見下ろしている後ろを静かに通り過ぎる。よく見る顔だけれど、一度も話したことはない。でも、隣の隣のクラスなのは知っている。ぱっと人目を惹くような、華やかなグループだ。
 グラウンドには部活中の生徒がいるだけなのに、いったいなにを見ているんだろう。そうは思ったけれど、香魚は特に気に留めることもなく、にまにまと頬を緩ませる。
 これで付き合いはじめたら、嬉しい。
 自分の恋と重ねているのは、なにも朱夏だけではない。優紀や、優紀に想いを寄せている朝倉くんのことも自分と重ね、そして、せめてみんなは私みたいにならないで頑張ってね、と。香魚はそう思っているのだ。
 自分の顔面レベルは、とっくにわきまえている。だから、たとえ最高傑作の本命お守りが作れたとしても、それは渡さないし、ましてや告白なんてするわけがない。
 こういう恋だってあるんだ、無理に勇気をかき集めることもないじゃないか。
 優紀には散々、辛口批評をされたし、朱夏には励まされたけれど、香魚の心は、自分の顔面レベルを他人に諭されたあのときから、ずっと凍りついたままなのである。
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